2012年10月18日木曜日

監督

プロ野球はペナントレースを終え、上位チームはクライマックスシリーズに突入している。
しかしながら、下位チームは来年の新体制への動きが活発化している。
新しい監督が任命されたと言うニュースがちらほら出ている。
WBCの監督も山本浩二に決まった。

別にそんな新監督に興味があるわけではないのだが、監督といえば大学時代のラグビー部のS監督を思い出す。振り返ると、小学校の少年野球チームからスタートした我がスポーツ人生だが、実は“監督”とはあまり縁がない。少年野球のチームの監督以降、中学のバスケットボールでも高校のラグビーでも、指導者はみな“コーチ”であった。大学のラグビー部で出会ったのが、実は生涯二人目の“監督”であった。

S監督は、正確に言えば三人目の監督だ。
我々が3年になった年に監督に就任されたのである。
二人目の監督は、いつも表情が硬く、むっつりとしていて、正直言って気軽に話しかけられるようなタイプではなかった。いわゆる“怖い”監督に分類されるタイプだ。

甲子園の常連チームだとか、ラグビーで花園へ行くチームなどは、けっこう“怖い”タイプの監督がわりと有名だ。スポーツの世界では、厳しさが必要だから、そういう怖い監督に指導されたチームが強くなるのも当然なのかもしれない。
だが、個人的にはやっぱり怖いタイプは苦手である。
そんな苦手なタイプの後に来たのが優しいタイプのS監督だった。

説明は理論的。
それまで考えた事もなかったチームの戦術を理論的に語ってくれた。
チームスポーツでありながら、当時自分のプレーのみを追求していた私には「目からうろこ」の説明だった。子供の頃から筋金入りの「理屈屋」の私の心に、S監督の説明は見事に突き刺さったのである。

練習中もあまり細かく指導を受けた記憶はない。
しかしながら時折褒められた事はよく覚えている。
大勢の部員が練習している中で、些細なプレーを見ていてくれたのに驚いたものである。
当時私は、高校時代の「教えられたプレーを教えられた通りにやるスタイル」から脱皮し、自分なりにあれこれ考えて工夫をしていた時だったから、それが認められたのでよけい嬉しかったのだ。

S監督にはよく褒めてもらった。
重要な公式戦で、ライバルチームの猛攻に防戦一方となっていた時の事。
相手選手の突進をゴール前でタックルで止めた。
その時は必死で意識などしていなかったが、あとで「あのタックルは良かった」とS監督が言っていたぞと見ていた仲間が教えてくれた。
その試合で勝ったのも嬉しかったが、褒められたのも嬉しかったのを覚えている。

S監督の元での2年間は本当に充実していた。
卒業する時は、いつか結婚する時はS監督に仲人をしてもらおうと思ったほどである。
自分にも他人にも甘い私だからだろうか、褒められて伸びるタイプだったためであろうか、やっぱり私にとって指導者は、あのS監督のようなタイプが肌に合っている。

卒業後10年ほどして大学のラグビー部のコーチを拝命した。
S監督のようにやりたいと思ったが、なかなかどうして難しく、うまくはできなかった。
1~2年の頃の怖い監督が、また監督に返り咲いていたが、現役の一人が「いつか監督にほめられたい」と語っているを聞いた。めったに人を褒めない人だったが、そういう“火のつけ方”もあるのだと知った。

チームスポーツにおいて、監督の影響はやはり大きいと思う。
野村監督なども、本から伺い知るだけだが、たぶん凄かったのだろうと思う。
そしてそういう監督は、選手がチームを離れた後も影響を残すものだと思う。
同じ卒業生ゆえ、S監督とは今でもラグビー部の集まりでたまに顔を合わす事がある。
しかし、S監督は私にとって“先輩”ではなく、やっぱり“監督”なのである。

あの2年間の指導は本当にありがたかったとつくづく思うのである・・・


【本日の読書】

『ブランドで競争する技術』河合拓
『ロスジェネの逆襲』池井戸潤


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