2012年10月6日土曜日

祖母

 先週末は毎年恒例の義理の祖母を囲む食事会であった。
毎年敬老の日にやっているのだが、今年は子供たちの運動会に義理の母と義理の妹夫婦が遊びに来ていたので、どうせなら大人数でと、この日にずらしたのである。
義理の祖母は今年90歳。我が家の子供たちからすると「曾婆さん」という事になる。
祖母からしても曾孫は我が家の子供たちだけだから、双方にとって貴重な存在と言える。


 その祖母は今義理の叔母夫婦と神奈川県で暮らしている。
毎年の祖母を囲む会は、近所のバイキング・レストランへ行くのが恒例になっている。
しかし、みんな食べるのに夢中だし、耳の遠くなった祖母はみんなの話が聞こえないと言い、今年は伯母の家で「家パーティー」という事になった。
正直言ってがっかりしたのであるが、まぁ主役のリクエストだから仕方ない。

 いつもよりの大人数の家パーティー。
叔母もたくさんの食事を用意してのおもてなし。
祖母は希望通り、近くでみんなに囲まれて幸せそう。
最初に孫姉妹(つまり我が妻とその妹)、続いて妹の夫、そして私、続いて曾孫と入れ替わり立ち替わり話し相手になる。

 祖母もいろいろ語ってくれた。
大正11年8月8日生まれ、8人兄弟の8番目。
一昨年の8月8日の88歳の誕生日は、8続きで感無量だったと言う。
生まれは北海道の朝日村(今の士別市朝日町)。
20歳でお爺さんと結婚。そのお爺さんは学校の先生で、転勤に伴って北海道各地を転々としたらしい。

 住まいはいずれも学校の敷地内の官舎だったという。
給料の他に僻地手当、寒冷地手当等がついていたので、給料5万円は全部仕送りしていたと笑って語ってくれた。
我が家の娘が生まれた時に、一度だけ札幌に訪ねて行った事がある。
そしてそのあとすぐ事情があって、祖母は神奈川の叔母の家にきた。
「北海道で80年、こっちに来て10年」としみじみ語ってくれたが、そこにはもう帰る事のない北の大地への思いが滲み出ているようだった。

祖母お手製の貝の飾り
手先が器用で、折り紙や裁縫でいろいろと作ってしまう。
食いしん坊で、いまだに食欲は旺盛。
足腰は弱ってしまい、歩くのは大変らしいが、今はデイサービスを利用して気晴らしをしているらしい。
我々みんなで交代で話を聞き続け、曾孫たちは折り紙を教えてもらい、祖母には楽しんでもらった様子。

翌日叔母からお礼の連絡をもらった。
なんでも次の日も祖母の興奮はさめやらず、デイサービスでは会う人会う人に曾孫たちが遊びに来た事を語っていたと言う。
そんな話をする叔母も嬉しそうだったと言うし、そう報告する妻も嬉しそうだったし、それを聞いた私もいい気持ちだった。その日は祖母の喜びが我が家にも伝播してきて満ちていた。


また来年も、と思う。
今度もレストランでなくてもいいだろう。
私の祖父母はもういないから、義理であっても貴重な存在である。
また行って、いろいろな昔話を聞かせてもらおうと思うのである・・・





【本日の読書】

『ふがいない僕は空を見た』窪美澄


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