2012年10月13日土曜日

親父、本を読む

先日、実家に顔を出した。
普段あまり良い息子していないから、せめて顔を見せておこうと思ったのだ。
とりとめもなくあれこれと話をしていたら、母親が「そういえば、お父さん最近本を読んでいるのよ」と教えてくれた。見れば棚の上に文庫本が重ねられている。

親父が読書というイメージは私にはない。
一昨年膝の手術で入院した時に、暇つぶしにと何冊か差し入れしたら、またたく間に読んでしまい、ちょっと驚いた事があった。
どうやらその時から興味をもったらしい。

もっとも、その時私が差し入れた「容疑者Xの献身」を面白かったと言いながら、翌年自分で買って読み、私に「これ面白いぞ」と言ってきたのには笑ってしまった。
1年経って、読んだ事すら忘れていたのだ。
そんな親父が、最近になって自ら本を買って読んでいるなんて。
興味を持って積み重ねてある文庫本のタイトルを見てみた。

「ダイイングアイ」、「プラチナデータ」、「こころ」、「吾輩は猫である」
「へぇぇ」と思った。
東野圭吾はわかるのだが、夏目漱石は意外だった。
そう感想を伝えたところ、タイトルは知っている有名な本なのに読んだ事がないから、という答えが返ってきた。「本なんて読む暇なかったからな」とポツリと親父が呟く。

「言ってくれれば、持ってきたのに」と親父に言う。
私も夏目漱石はかなり読んだ。
手放せなくて、まだ自宅の本棚のどこかにある。
それらはみんな学生時代に読んだものだ。
夏目漱石以外にも国内外の作家の名だたる本は、この時期に読んでいる。
それだけ暇もあったからでもある。

そういう親父は中学を卒業するとともに、生まれ育った長野県は富士見の町をあとに上京。
知り合いのつてを頼って印刷会社で勤め始めた。
その時は朝の6時から夜の12時まで働かされたとよく聞かされた。
労働基準法も何もあったものではなかった時代だ。

以来、印刷一筋。
日本全体が猛烈に働いていた時代。
会社員時代も独立して自営で仕事をしていた時代も、遅くまで働いていて、きっと本を読むゆとりなどなかったのだろう。そう考えると、自分がとっくに読み終えて“卒業”した文豪の小説を今になって読んでいる親父の姿がちょっと切なく見えた。

学生時代は当たり前のように本を読み耽っていた。
考えてみれば親父はその年の頃はもう必死で働いていたのだ。
好きなだけ本を読んで、ラグビーやって、もちろん授業にも当たり前のように出席して、合コンなんかにも行ったし、やはり随分恵まれた生活だった。
さすがに車を乗り回すほどではなかったが、充実した高校・大学時代を過ごせてありがたかったと思う。

「今度来る時何冊か持ってくるよ」と親父には伝えた。
若い頃できなかった事を歳とってやろうと思っても、できる事とできない事がある。
だが本を読む事は簡単だ。
「でもなぁ、前の日に読んだところもわすれちゃうんだよなぁ」と親父がぼやく。
1年前に読んだ本を、読んだ事すら忘れるのだから無理もないかもしれない。
「でも何回でも新鮮に楽しめていいじゃないか」
そんな答えを返しておいた。

この週末は家の本棚の棚卸だ。
夏目漱石以外にも芥川龍之介もあるし、三島由紀夫もあった。
個別には「氷点」なんかもオススメだ。
外国のものでも「風邪と共に去りぬ」は本で読んでもいいし、「エデンの東」もいいかもしれない。現代の作家では浅田次郎が断トツだろうか。

今度持って行くのを選んでいたら、結構な量になってしまった。
どんな感想を持つのだろうかと思うと、ちょっと楽しみな気がする。
それに手に取ってみたら、久しぶりに自分でも読んでみたくなった。
20代の頃と比べれば、遥かに人生経験豊富になったし、またあの頃とは違った感想を持つかもしれない。

普段読もうと思って積み上げている本の上に、夏目漱石も置いてみる事にしたのである・・・


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