2012年6月1日金曜日

誕生日

 毎年誕生日にはあれこれと考える。昨年は母親の具合が悪く心配な状況であったが、今年は母親の体調も落ち着いていて、ちょうど今日は自分の妹(私の叔母だ)一家と韓国へクルーズに出掛けている。息子である私との旅行は、何だかんだと都合が悪くて実現していない。叔母一家は嫁姑問題もないようだし、同居で仲も良いようだし、そんな家族と触れ合って何を考えているのだろう。

 誕生日だとは言え、昔と違って何か特別な感慨があるというわけでもない。いつもの朝と同じように起きて髭を剃った。雨戸を開けてまばゆい朝の光を浴びたが、その光が何か特別なものとも思わなかった。48回目ともなればそんなものなのかもしれない。

 一日という日付は物事の始りとしては、誠に都合が良い。神道には一日の始りである朝の時間と、一ヶ月の始りの一日と、一年の始りである元旦には神事があるそうだ。そういうわけではないが、誕生日が一日というのはキリがいいと昔から感じている。

 いつものように通勤。さっそく先日受けた健康診断の結果が返ってきた。昔は何も気にしなかったが、この頃は封を切るのにちょっとドキドキする。取りあえず再検査等はなかったが、コレステロール系には注意マークが散乱している。「心配のない軽微な異常」という今まで見た事もなかったコメントもある。原因は運動不足だろう。

 そんな中、尾崎紀世彦の訃報が流れる。こういうニュースも多くなるのだろう。夕方には大きな地震。「今回は自宅まで歩いてみようかな」などと揺れる中で漠然と思う。昨年の震災時は、自宅より近い実家へ2時間かけて歩いて行った。次回は自宅まで歩いてみようと思っている。推定予想時間は5時間。歩くしかなかった時代の事を考えれば、どうという事はない。

 今日は幸い金曜日だし、などと考えているうちに揺れはおさまった。昨年の誕生日から一年たって、親との関係はだいぶ改善しつつある。されどまだベルリンの壁は残っている。東と西とうまく往復しながら、両方の世界をうまく維持しないといけない。今年一年でもう少しデタントが進むだろうか。難しい舵取りを、もう一年やらないといけない。そんな私の目の前に、もしも尻尾を生やした悪魔が目の前に現れて、何か望みを叶えてやろうと言われたら、今なら我が嫁と姑に「寛容の心」をプレゼントしてほしいと望む事だろう。

 帰宅すれば子供が玄関まで迎えに出てくれる。今や見送りもお出迎えも子供だけだ(お出迎えは今日だけの特別だったようだ)。一人夕食を取る周りでは子供たちが走り回り、妻は妹と電話でおしゃべりをしている。その昔、将来結婚して子供ができた後の自分の姿を想像した事があるが、あの頃夢見た未来が今実現していると、ふと感じた。どうせなら億万長者を夢見ていればよかったと思う。

 良い事とそうでない事。幸せと幸せまであと何キロというものが混在している。今ある良きものを大事に守りながら、もう少し攻めてみるのも良いかもしれない。まだ守りに入る年でもないし、まだ頑張れる。今よりももう少し良き息子・良き夫・良き父親・良き友人・良き同僚・良き隣人・そして良き日本人になれるようにしたい。

 どんな48歳を過ごすのか、自分でも楽しみにしたいと思うのである・・・

【本日の読書】

逆境を生き抜く力 - 我喜屋優 1Q84 BOOK 3 - 村上 春樹






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