2011年12月22日木曜日

何でだろう・・・

最近回りで夫婦仲が悪いという話を頻繁に耳にする。
同僚にも「家庭内別居状態」と自嘲気味に語る人もいるし、口を開けば女房の悪口という人もいる。男ばかりでなく、友人たちとご飯を食べに行ったら、旦那の悪口大会だったと語ってくれた女性もいる。冗談半分、テレ隠しなどというレベルではなく、みんなマジなのだという。そう語ってくれた独身の彼女は目を白黒させていた。

なんでなんだろうか。
現代社会はほとんどが恋愛結婚なハズで、みんな愛し合って結婚したはずだ。
それが10年、20年と経つと相手が疎ましくなるのだろうか。
一時期「円熟離婚」だとか「定年離婚」だとか言われたが、つい先日も取引先の方の両親(もういい年なのである)が離婚騒動だと聞いたところだ。

そういう我が家も例外ではない。
近年妻が私に対して、めっきり冷たくなっている。
最初は子育ての疲れかとか思ってはみたものの、もう子育てで疲れるというほど子供も小さくない。いかに鈍感な私でも、妻が私に対してかなりの不満・ストレスを抱いているのがわかって来た。

そういう気持ちが言葉の端々に出る。
モノには言い方というものがあり、同じ言うにしても言い方一つで感謝もされれば、憎悪を抱かせる事も可能だ。どうしてそんなモノの言い方をするのだ、と私もついつい腹を立ててしまう。それがまた妻の怒りにも繋がるので、怒りの連鎖と応酬はどこかで止めなければとめどなく続く。それゆえ、大概私が黙って怒りの連鎖を呑み込んで断ち切る事になる。

思えば結婚当初は、互いに相手に対して何かをしてあげようとして、それを自分の喜びとしていたような気がする。それがいつしかやってもらうのが当然となり、次第にやらない事が不満へと繋がるようになる。「仕方ないわねぇ」と笑って許していたものが、「いい加減にしてよ」となってくる。
たぶん、私の気がつかないところで、そんな変化が起こっているのだろう。

そんな関係は子供たちにも微妙に伝わる。
娘なんかは、「パパはママの事好きみたいだけど、ママはねぇ・・・」などと平気で言う。
たぶんこのまま症状が進むと、「家庭内別居」中の同僚のようになる気がする。

今年の年初に一つの目標を立てた。
「妻に対しては決して腹を立てない」と。
あと少しで目標達成というところだったが、先日とうとう喧嘩してしまった。
理由は妻の「モノの言い方」だ。

そのあと冷静になって反省し、和解の申し出と話し合いを希望したが、あっさり却下されてしまった。以来、表面上は一見穏やかな生活が続いているが、妻の内面は知る由もない。
夫婦も元はと言えば他人だし、考え方も違うし、妻ばかりが悪いわけではない。
ただ、自分の悪いところがわからないだけに厄介だ。

腹を割った話し合いも拒絶されてしまうと、どうしようもない。
難しいなぁとつくづく思う。

最近仕事ではあまりプレッシャーを感じなくなってきた。
その分、家庭内にきたと言えなくもない。
人にはいろいろな試練が訪れる。
私の場合は、これがその一つだ。

まあ修業だと思って、前向きに関係改善に努めたいと思うのである・・・


【本日の読書】


「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? - 安西洋之, 中林鉄太郎 白銀ジャック (実業之日本社文庫) - 東野 圭吾











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