2011年12月5日月曜日

学芸会

世界中に定められた どんな記念日なんかより
 あなたが生きている今日は どんなに素晴らしいだろう
  世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより
   あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう
TRAIN-TRAIN (THE BLUE HEARTS)

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土日は二日間とも娘の学校の学芸会であった。
3年ごとのサイクルで、音楽会・展覧会・学芸会と繰り返されている。
今年はその学芸会の年であった。
娘たち5年生の出しモノは「夢から醒めた夢」。
以前劇団四季のミュージカルを観た事があるが、どんな「小学生バージョン」になるのか楽しみにしていた。

学芸会と言うと、ついつい我が身の事を思い出す。
確か小学校3年の時だったと思うが、「僕はラッパ手」という戦争中の子供たち物語の劇で、そこでどういう経緯だったか忘れてしまったが、なんと私は主役を演じたのである。
今の自分からは想像もつかないが、その頃はまだそんな事をやれていたのだ。
頭も戦時中の物語らしく坊主頭にしての熱演であった。

当時も土日二日間の「興業」であったが、土曜日は生徒向け、日曜日は父兄向けであり、私はその土曜チームであった。何となく日曜チームが「格上」という雰囲気があった。
(娘たちの場合は両日とも生徒と父兄が観に来るから関係ないようだった)
言ってみれば土曜チームは二軍で、一軍の同じ役の友人Tにはなんとなく引け目を感じたものである(その後Tとは中学・高校と一緒に進み、最後は同じクラスであったし、結婚式にも呼ばれた仲である)。

捲土重来とばかりに、6年の学芸会で主役に立候補した。
しかしながら、オーディションであえなく落選。
私の声が(体育館では)通らないと言うのが理由だった。
自分の事は自分ではわからぬもの。
その時、自分の向き不向きというものの一つがわかり、私の将来から「俳優」という選択肢が消えたのである。

娘の役は途中で登場するデビルの一人であり、名前もないいわゆる「チョイ役」。
セリフも出番も少々であった。まあ私の娘だから、その点は仕方ない。
何でも本人は主役からはじまって、片っ端から立候補したらしいが、残念ながら落ち続けたらしい。そんな話を聞いていたせいもあり、朝はしっかりと励まして送り出した。

本番ではビデオ片手に観劇。
娘はしっかり声を出していた。
感心した事は、自分のセリフがない時でも、舞台の端でストーリーに合わせてしっかり演技していた事だ。うなずいたり、手を叩いたり、何事か仲間と話したり・・・
当然と言えば当然であるが、自分にスポットライトが当たっていないところでもきちんと演技していた事は、あとでお風呂で褒めておいた。

自分自身を振り返ってみても、常にスポットライトが当たっているという人生ではない。
むしろ当たっていない事の方が、大人になってからは当たり前だ。
それでもきちんとやる事はやらないといけないし、社会の中での自分の役割というものはスポットライト如何に関わらず、きっちり果たさないといけない。
娘がそんな端役の意義を理解できたとしたならば、それはそれで良かったのかもしれない。

まあこれで娘の将来から「女優」という選択肢はなくなったかもしれないが、それがどうだと言うのだ。最後の学芸会となったわけであるが、しっかりと娘の演技も観たし、ビデオにも納めたしで、満足して帰ってきた次第である・・・

【本日の読書】
錯覚の科学 (文春文庫 S 14-1) - クリストファー・チャブリス, ダニエル・シモンズ, 成毛 眞, 木村 博江  フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた) - デビッド・カークパトリック, 小林弘人 解説, 滑川海彦, 高橋信夫





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