夏休みは結局、家族と行動を共にする事はなく、1人で自由に過ごした。子供も大きくなると親とは遊びたがらなくなる。不仲の妻とはなおさらであり、これから迎える老後もおひとり様を前提に考えていく事になる(まぁ、離婚後に新たなパートナーを見つけるかもしれないが)。子供が小さい頃は、沖縄やグアムといったところをはじめとして毎年国内外にいろいろと家族旅行に行っていたが、それ以外にも週末は近所のプールへ行ったりとよく子供たちと過ごした。いま改めて思い返してみれば、そういう時間を持てて良かったと思う。結果はともかく、結婚して良かったと思えるところである。
それはそれとして、今後のおひとり様の生活であるが、1人で過ごすのはまったく苦にならない性分なので、悲観はしていない。むしろ楽しみでもある。やってみたい事の1つは、やはり旅である。独身時代は何度か海外へ1人旅をした。香港、シンガポール、フィリピンであるが、いずれも現地に友人、先輩がいたので、それを訪ねて行ったのである。しかし、彼らも日中は仕事があるので、むしろ夜合流しただけで、日中は1人で見知らぬ土地を1人で歩き回ったのだが、なかなかいい経験であった。寂しいという感覚はなく、むしろ誰かと一緒だと行動が制限される部分もあるから、1人は自由で気楽であるのがいいと思っている。
今年の夏休みは母と叔母を連れて恒例の万座温泉に行ったが、ふと見れば温泉宿に1人で来ている人を何人か見かけた。食堂では部屋単位でテーブルにつくため、1人だけで座っている人はそれとわかるのである。母もいつまでも連れていけるわけではない。いずれは1人で来るのもいいなと、見ていて思ったのである。湯治と称して4〜5日逗留してもいいかもしれない。それは何とも贅沢に思える(それで贅沢に思えるのだから庶民的であると改めて思う)。考えてみれば、1泊なら普段の週末でも行けるわけであり、これからはそういう自由もあるのだと改めて思う。
海外旅行にもまた行きたいと思う。とりあえずのターゲットは2027年のオーストラリアだろう。ラグビーのワールドカップがあるので、それにかこつけて行くのもいい。おそらく知り合いも何人かは行くだろうから現地で一緒に観戦すれば、ラグビー談義に花を咲かせ、その後はまた1人で楽しむという過ごし方がいいだろう。もちろん、現地集合、現地解散のパターンである。オーストラリアには大学の卒業旅行で行って以来である。また行くとなると、いまからワクワクする。
他の人はどうなんだろうかと考えてみる。何となくであるが、あまり1人で過ごすのを好む人は少ないように思う。旅行に行くにも友人を誘ってというパターンが多い気がする。見知らぬ土地で観光をしたり、地元のおいしいものを食べたり、そういう体験を共有して楽しむために誰かと一緒の方がいいとみんな思うのだろう。それを否定するつもりはないし、私も子供が小さい頃は家族で行くのが一番だと考えていた。それは今でも変わりない。ただ、できないのであればセカンドベストを追及するのが筋であり、それが私にとっては1人旅なのである。
旅先は海外に限るわけではなく、国内も然り。また旅とは言わなくとも近距離でも同じである。この夏は群馬県立自然史博物館に行ってきたが、途中で予定を変更し、昼食も臨機応変。予定外に買い物までしてしまったが、一々同行者の意見を聞く必要もなく行って帰ってきた。1人の自由を改めて実感したところである。そう言えばシンガポールに行った時も、インド人街に行き、入った飲食店で日本人だと名乗ると珍しがられた。ガイドブックにも載っていないところで、地図を見ていてふらりと行ってみたくなったのである。おそらく同行者がいたら行けなかっただろう。
同行者がいる旅行もそれなりにいいとは思う。独身の友人は何人もいるし、そういう友人と旅行に行くというのもあるかもしれない。ただ、海外へ行ったなら、ホテルで朝食を食べるよりもふらりと街中に出て行ってローカルの人たちが行くようなところでその中に混じって食べてみたいと思う。香港に行った時は毎朝泊まっていた先輩の家の近所の町中華?で地元の人に混じって飲茶した。夕食も然り。ガイドブックに頼らず、今だったら現地のSNSで調べたところに行ってみるとかしたら面白そうな気がする。いずれそういう旅をしようと思う。
結婚した時に漠然と想像した老後の生活とはだいぶ違ったものになるが、それはそれでいいように思う。とは言え、両親の現在の姿を見ていると80代後半になるともう1人旅は無理かもしれないと思う。健康と体力次第だろうか。猛烈な勢いで減っている気がする「残り時間」であるが、それを意識して自由気ままな1人旅を楽しみたいと思うのである・・・
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Joshua WoronieckiによるPixabayからの画像 |


