どこの会社でもそうであるが、人材の育成は重要な経営課題である。しかし、経営側としてはそういう認識でいても、実務を担う現場ではその熱が必ずしも伝わっていないように思う。もちろん、熱量は人から人へ伝播する際、下がっていく傾向がある。それは仕方ないのだろうかと思ってみるが、どうしたらいいのだろうかと悩ましい部分でもある。我が社は伝統的に「育つ奴は育つ」と揶揄したくなる有様である。有能な社員はいるが、それは誰かが育てたのではなく、「育った」というもの。「育てた」と言いたいところなのである。
我が社に入社してくる社員は専門学校卒が約8割を占めている。高校を卒業し、ITの専門学校で2年、ないし3年勉強して入社してくる。専門学校生が悪いというわけでは決してないと思うが、やはり首を傾げたくなる社員もいる。面接で見抜けなかったと言われればそれまでであるが、なかなかそこまでは見抜けないと自分に言い訳している。そのくらい常識だろうと言いたくなる事もしばしばある。しかし、それでダメ出しをしていたらせっかく採用したのに無駄になる。何とかそういう社員でも育てないといけない。
それにも関わらず、教える方の問題も露出している。優秀な社員の場合、「1を聞いて10を知る」的なところがある。普通の社員であれば、「1を聞いて1を知る」というところか。しかし、そうではない社員の場合、「1を2回聞いて1を知る」というところがある。「だからダメ」としていてはそうではない社員を育てられない。イメージとして「優秀:普通:並下=2:6:2」とすれば、育てて「優秀:普通=3:7」にしたい。本当は「優秀10」にしたいところであるが、当社の場合はなかなか難しい。「7」で御の字としたい。
その際、重要なのは「覚悟」だろう。「並下」の者を育てるのはなかなか大変である。「自分が育てる」という覚悟がないと、途中で諦める事になる。先日、その並下の社員が無断欠勤した。朝、出社しないし連絡も取れないとなって、その話が私にも届いた。午後になってようやく連絡が取れ、体調不良で休ませてほしいという事であった。現場の担当者もあきれ顔。どうも仕方のないダメな奴という判断である。私は翌日、本人に話を聞いた。問題は体調不良による休みではなく、連絡をしなかった事である。
すると、本人曰く、会社支給の携帯が充電が切れて使えず、社内連絡ツールによる連絡ができなかったとの事である。「普通」であれば、私用の携帯で本社に電話するところだろう。直接上司に連絡取れなくとも、伝言は頼める。しかし、そこが「並下」なのだろう。私がなぜそうしなかったのかと問うと、きょとんとしていた。「ああ、そうか」という反応である。つまり、そこまで思い至らなかったのである。「だからダメ」としていては、そこで終わりである。本人も連絡しなければという意識はあったので、そこを頼みとし、次回からは代替手段を考えようと教えた。
確かにそこは頭の痛いところである。しかし、そこが「並下」なのである。上司はあきれ顔で終わりである。だが、それでは上司にも感心できない。なぜ、私のように翌日本人に聞かないのか。事情がわかれば本人が躓いた状況もわかる。そうすれば指導もできるし、次回からは同じ間違いはしないだろう。もしそれでも同じ事を繰り返したら、それは本当にダメなのかもしれない。しかし、これで治ったのであれば、彼はその部分で「普通」のレベルに達したのである。1つ1つそうして×を消していけば、「普通」になるだろう。それが育成である。
忙しい中、そこまでしなければならないのかと言われれば、そこまでしてほしいというのが回答となる。かつて勤務していた銀行は、さすがに各大学から人材が集まっていた。「並下」とも言うべき者はほとんどいなかった(皆無ではないが)。それと比べると見劣りするのは致し方ない。それを嘆いても仕方ない。できない事があればその場で指摘し、1つ1つ×を消していくしかない。それで「普通」に育ててその先に期待することになる。その労力を支えるのは何よりも「自分が育てる」という「覚悟」である。
若手の1〜3年目くらいの社員を見ていて思うのは、我が息子の事。今は大学生活を謳歌しているが、やがて社会に出て行く。身贔屓ではあるが、「並下」ではないだろうと思う。今の同世代の若者を見ていると、自然と親の気持ちになってしまう。息子が簡単にダメ出しされて放り出されたら切ないだろうと思ってしまうのである。そうすると、ダメ出しする気にはなれない。「何とかしたい」としか思わない。そのあたりが担当上司との「覚悟」の差だろうと思う。自分にできることを常に問いかけつつ、自分の熱も伝えたいと思うのである・・・
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GoldBJJによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】





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