2025年8月3日日曜日

夏休み2025

 「夏休み」と言えばかつては甘美な響きがあった。長期間学校に行かなくても良い=勉強しなくて良いというのは、子供には嬉しい話だし、普段行けないところに行けるというのも嬉しい話である。私は中学生まで御代田にある従兄弟の家に遊びに行くのが何よりの楽しみであった。約2週間ほど滞在していたが、従兄弟と一緒に従兄弟の通う学校のプールに入れてもらったり(それが可能だったのである)、その友達と一緒に遊び回ったり、伯母さんにおにぎりを作ってもらって近所の飯玉神社に行って食べたり・・・

 高校生になって部活動が始まるとそれも出来なくなった(私としては無邪気に練習休んで行こうと思ったのだが、高校の部活動はそれが許されないとは知らなかったのである)。以来、御代田に2週間も行くことはなくなってしまったし、そもそも従兄弟とも何年も会わないという状態になってしまった。社会人になると、そもそも夏休みが短い。土日が休みになって、うまく休みを取れば連続9日間の休みが取れるが、それが精一杯。それなのに最初はそれすらダメだと言われたものである。

 振り返ってみれば、夏休みにいかにしてより多くの連続休暇を取るか、に腐心していた銀行員時代であった。転職した不動産会社は「お盆に一斉休暇」という私の最も嫌いなパターンだったので、翌年からみんなに働きかけてバラバラに取得する方式に変えた。それでも連続9日間は変わらず。取ろうと思えば2週間連続も取れたが、今度は立場がそれを許さず自主的に9日間に抑えて、社員のみんながより多くの休みを取れるように意識した。子供が大きくなると、休みを取ってもすることがないという事態になったのは想定外だったとも言える。夫婦2人でという考えはあったが、もうそういう状態ではなかった。

 少しは親孝行と思って、この時期万座温泉に行き(最初は草津温泉であった)、その後従兄弟に会いに行くという事を始めたのが数年前。従兄弟と年に一度会うことができるようにも心がけた。お互い家族を持って仕事も持ってとなると、毎日遊び回っていた子供の頃のようなわけには行かないが、それでも酒を飲みながらいろいろな話をするのもまた一興である。御代田へ通い始めて50年、それぞれの道を歩んでいるが、年に一度くらいは交流があってもいいのではないかと思う。

 今年はまた心境に変化が生じた。社会人になって初めて夏休みを分割して取ることにしたのである。前半は土日絡めて4日間休みを取り、万座温泉と佐久・御代田ツアーへ行ってきたが、今年は後半6日間がこれから控えている。今年は実家へ行って「出戻り」の準備をするのもあるが、1人で博物館へ行こうと思っている。国立科学博物館と群馬県立自然史博物館である。きっかけは『生命の大進化40億年史 古生代編 〜生命はいかに誕生し、多様化したのか』という本なのであるが、そこに出てきたカンブリア紀の生物の展示があるようなので興味を持ったのである。1人自由気ままにそういう活動をするのもいいだろうと思う。

 実は連続して取ろうと分割して取ろうと、夏休みそのものは「5営業日」であることには変わらない。昔は欧米は1ヶ月休みを取ると聞いて羨ましいと感じたが、今はそれよりも少なくとも質を充実させたいと思う。その上でトータル10営業日くらいの夏休みを取りたい気持ちはあるが、現場の社員はそんなに休める環境にはないので、ちょっと難しいかもしれない。ただ、5日間であったとしても、過ごし方によってはいろいろと楽しめるとは思う。博物館巡りも面白ければ京都や奈良の博物館も面白そうであるから行ってみるのもいいかもしれない。

 2027年にはオーストラリアでラグビーのワールドカップが開催される。今までは行くことは無理だろうと思っていたが、別居すればなんの気兼ねもなく行けるという事に気がついた。試合日程からすれば「夏休み」というわけには行かないが、ずらして取るということを考えてもいいかもしれない。いろいろと考えてみると楽しみは広がっていく。そしてその楽しみを実現していくには、何より仕事をしっかりやって、会社の業績を安定させないといけない。当たり前であるが、仕事という基盤がしっかりしていて、初めて休みという事が意識できるのである。

 そもそも仕事は楽しいからやっているというところもあるが、充実した休みを取るためにも一層力を入れる必要がある。これから家計費も別居すれば2家族分必要になるし、より多くの収入を得る必要がある。人生を充実させていくためにはお金も必要であり、しっかり稼がないといけない。会社の業績が良くなればそれも可能になってくる。ぼやきたい気持ちになる時もあるが、自分がリーダーシップを取って指導できる部分もあるだろうし、ぼやいている暇があったら、やれる事をやろうと思う。

 まだ、後半の夏休み前であるが、そう考えると仕事も夏休みも楽しみであると思うのである・・・


seth0sによるPixabayからの画像


【本日の読書】
 日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書) - 小熊英二  リカバリー・カバヒコ - 青山 美智子






2025年7月31日木曜日

論語雑感 子罕第九 (その8)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感

【原文】
子曰、鳳鳥不至。河不出圖。吾已矣夫。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、鳳(ほう)鳥(ちょう)至(いた)らず。河(か)、図(と)を出(い)ださず。吾(われ)已(や)んぬるかな。
【訳】
先師がいわれた。「鳳鳥も飛んでこなくなった。河からは図も出なくなった。これでは私も生きている力がない」

図 … 古代の伝説で伏羲ぎの時、黄河から現れた竜馬の背に描いてあったという絵図。
   八卦の元となった。図が出ることは、聖人の現れる前兆とされた。
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 何をやってもうまくいかないという時はよくあるように思う。私生活でも仕事でも今の私はそういう時期にあるように思う。トーストを床に落とした時、バターを塗った方が下になるという時である。意図せざる結果が出てしまうという事がこのところ続いている。自分の意思だけで済むのであれば簡単であるが、他人が絡むと自分の思ってもいない方向に物事が進んでしまうというのもよくある事である。そんな事が続くと気持ちも凹むというもの。「なぜ自分ばかりが貧乏くじを引くのだろうか」と嘆きたくなるものである。

 部下から文句を言われた。自分たちに仕事を押し付けすぎだというものである。我々は総務部であり、何かと細かい仕事が多い。それでもみんな定時に帰っているのだが、他の部署では残業が発生している。私としては全社的な観点から引き受けられるものは総務で引き受けるように変更したのである。営業事務の一部を持ってきたり、本来総務でやるべき仕事であるものの、他の部署が担当していたりしていたものである。それが「負担増」と感じた部下からのクレームになったものである。

 仕事は誰かがやらなければならないものであり、やる人間には負担増となり、やらない人間には負担軽減となる。そこをどう線引きするか。全体的に見て他部の担当者の仕事量の方が総務部の担当者よりも多かったので、仕事の平準化という意味で総務部へ移管したのである。そもそも本来的にどこが担当するのが適当かと考えたら総務部という答えになるという事もある。ところが、負担増となる担当者からクレームになったのである。クレームは遠慮知らずで、「部長は私たちを守ってくれない」とまで言われてしまった。

 確かに私は部長ではあるが役員でもあり、全社的な観点から見て物事を判断している。間違っているとは思わないが、「あちらを立てればこちらが立たず」で改めて難しいなと思わされる。さすがの孔子様にも不遇の時があったのだろう、いろいろとうまくいかない事を嘆いているような今回の言葉であるが、孔子のような偉人でもそうなのだから私のような凡人にはよけいなのであろう。そう思って自らを慰めるのであるが、他にも気持ちが凹む問題があって、どうしても暗くなる。「我が社はこの先この有様で大丈夫なのだろうか」と。

 こういう状況下で、孔子はどう自分を慰め、奮い立たせていたのだろうか。できればこの後の言葉を知りたかったところである。しかし、考えてみれば仕事上の悩みは「仕事があればこそ」の悩みである。それを実感したのが最初に銀行を辞めた時であり、転職した不動産会社で社長の裏切りで放り出される事になった時である。この先大丈夫なのだろうかという不安に比べれば、まだ仕事はあるわけであり、収入もあるわけであり、このくらいの悩みはその対価であると考えれば耐えられないものではない。

 やった事が裏目に出たという事ではなく、やった事に対して想定外の問題が生じてきたという事であり、それはそれで解決していくしかない。仕事は「問題のモグラ叩き」であり、叩いても叩いてもモグラは次々に出てきてゲーム終了まで途切れる事はない。それで虚しく感じる必要はなく、叩いたモグラの数はカウントされ、評価される。たくさん評価されるためにはたくさんのモグラを叩く必要がある。出てくるモグラを嘆く必要はないと考えている。むしろモグラ叩きに参加できることに感謝しないといけない。

 時に気が滅入ってやる気がなくなる事もあるが、それも仕事があるからこそであり、仕事がない悩みから比べればはるかにいいと思う。結婚すればしたなりの問題が発生するが、だからしない方がいいとは思わない。たとえ終わったとしても、始まりがあったからこそであり、結婚しなければ良かったとは思わない。何事もそうなのかもしれない。この先も「鳳鳥も飛んでこい、河からは図も出ない」という状況はあるだろうが(そういう状況しかないかもしれない)、悪い面ではなく、良い面だけを見て乗り越えていきたいと思うのである・・・


micapapillon95によるPixabayからの画像


【本日の読書】

手紙屋~僕の就職活動を変えた十通の手紙~ - 喜多川泰 草枕 - 夏目 漱石 監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹 日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書) - 小熊英二 カラー図説 生命の大進化40億年史 古生代編 生命はいかに誕生し、多様化したのか (ブルーバックス) - 土屋 健, 群馬県立自然史博物館 イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫) - トルストイ, 望月 哲男







2025年7月28日月曜日

消えていく歴史

 この週末、母と叔母を伴って母の故郷に行ってきた。ここ数年の恒例となっている「万座温泉」+「従兄弟会」である。万座温泉は私のお気に入りの温泉である。標高が高いのでこの時期でも夜は涼しい。温泉に入るのも苦にならない。それにあたりに漂う硫黄臭と白湯が気分も盛り上げてくれる。ラグビーをやっているためにあちこち痛いところがあるが、それがすべて癒える気になる。実際に一晩で良くなるものでもないが、一度数日でいいから湯治なるものをやってみたいと思っている。夜2回と朝風呂と3度湯に浸かり、硫黄臭を体に纏って従兄弟会に臨む。

 今回、久しぶりに会った従兄弟Bは、いつも会う従兄弟Aの兄。私とは14歳離れている。学生時代、我が家に下宿していたのも懐かしい思い出である。そんな従兄弟Bは、久しぶりに会った私の母と叔母に質問攻撃。それは主に母方の家系に関するもの。どうも母と叔母が存命のうちにいろいろと聞いておきたいと思っていたようである。私も聞くともなしに耳に入ってくるまま話を聞いていた。小学生の頃、よく我が家に遊びにきていたおじさんがいた。どういう関係なのかよくわからなかったが、実は祖母の弟だったという事が判明した。

 祖母の旧姓はその地区でよく聞く名前。同じ苗字の方の選挙ポスターが張り出されていたから、その地区での地主だったのだろう。祖母はもともとかなりの美人で、祖父と結婚した時は、悔しがった男たちがかなりいたようで、母もそんな男たちからよく聞かされたそうである。「よりにもよって一番冴えない男(=祖父)と結婚した」と。しかし、伯母2人は若い頃美人だったらしいが、母と叔母はその血を受け継がなかったらしい。叔母も「きれいなんて言われた事がない」と嘆いていたが、贔屓目に見ても確かに「きれい」とは言い難い。

 母がまだ子供の頃、おそらく昭和20年代であるが、風呂は近所で持ち回りだったという。つまり近所内で順番に風呂を沸かし、「今日は◯◯さんの家」という具合に湯に入りに行き、入浴後にその家でお茶を振舞われて帰ってきたという。そういう事実は歴史の教科書には載っていない。まさに生き証人に聞くしかない。叔母は水道が引かれた日の興奮を今でも覚えていると言う。それまでは家の前の川で水を汲み、歯を磨き、風呂に入れて沸かしていたと言う。そんな思い出話は貴重だ。

 祖父は「新し物好き」で、村で一番にテレビを買ったと言う。そのため、近所の人がよくテレビを見に来ていたらしい。そういうと力道山の街頭テレビの話を思い出す。しかし、祖父宅での一番人気は「解決ハリマオ」だったらしい。近所の子供達がみんな見にきていたと言う。1人親の厳しい子がいて、見に行くのを禁止されていたらしいが、そこは子供。こっそり来たのを叔母が招き入れて見せたと言う。そんな話も知られざる埋もれた生活史なのだろう。映画『三丁目の夕日』は昭和30年代の東京の話だったが、そのちょっと前の長野県は望月町の話である。

 私が幼少時代、母親に連れられて訪れた祖父宅は、今はもう見知らぬ他人の家になっている。小さな子供のいる若夫婦の家らしいが、私の記憶にある祖父宅がかつてそこにあり、川から汲んだ水で風呂を沸かし、従兄弟たちと遊び夜は雑魚寝したことなど知る由もないのだろう。それは今私の自宅についても同様で、ここにはかつてアパートが建っていたらしいが、そこに住んでいた人たちの思い出や、アパートが建つ前(田畑?)の歴史もどこかで誰かが記憶しているのだろうが、私が知る事はない。そう考えると、人が変わって歴史が失われていくのも寂しいように思う。

 私が今回聞いた話は、私だからこそ興味深いと言える。おそらく、我が家の子供たちはあまり興味をもたないだろう。母には私の知らない歴史がたくさんあり、それらの大半は母がいなくなればなくなってしまう。歴史の教科書にも載っていないし、Googleに聞いてもわからないものである。そう考えると、そういう話を聞けるのも今のうちと言える。昨日のことも覚えていない両親だが、昔の事は覚えている。もうじき同居する予定であり、一緒に暮らしながらそんな昔話をいろいろと聞き出したいと思う。

 もともと歴史好きではあり、いろいろな歴史に興味を持ってきたが、両親のファミリーヒストリーをこれから興味深く聞き出していきたいと思うのである・・・


Michal JarmolukによるPixabayからの画像

【今週の読書】
 草枕 - 夏目 漱石  監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  カラー図説 生命の大進化40億年史 古生代編 生命はいかに誕生し、多様化したのか (ブルーバックス) - 土屋 健, 群馬県立自然史博物館  イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫) - トルストイ, 望月 哲男




2025年7月24日木曜日

踏み出す

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。

 危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となる。

  迷わず行けよ。 行けばわかるさ。

一休宗純

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 「嫌ならやめればいいじゃないか」というのは昔からの私の考えである。「そうはいかない」という考えもわからないではないが、基本的な考えは変わらない。最初にそれをはっきりと言葉にしたのは、銀行に入って3年目くらいの時であったと思う。業績不振から担保不動産を処分して借入の返済をしていただく事になった取引先の役員に言われた言葉がきっかけだった。当時下っ端の私にはわからなかったが、おそらく私の上司と借入の返済を巡っての厳しいやり取りがあったのであろう、担保不動産の売却手続きに同行した私に不満をぶつけてきたのである。

 曰く、「銀行の仕事は嫌な仕事だと聞いている」、「知り合いの銀行員も子供には継がせたくないと言っている」等、いかに銀行の仕事が嫌な事かという事を私に告げてきたのである。挙句に私に同意を求めてきた。「あなたもそう思っているのではないですか」と。相手が嫌味を言ってきている事は感じていたし、それに対する反発心も確かにあったが、私は純粋な気持ちから答えたのである。「仕事は嫌ではないですよ。嫌なら辞めますから」と。子供に継がせたくないような仕事ならなぜそれを続けるのか。「家族のため」というのは言い訳にしか過ぎないと思う。
 
 もちろん、そう簡単に辞めるわけにはいかないという事情もわかる。すぐに他に「嫌ではない仕事」が見つかるわけではないだろうし、見つかったとしても収入が落ちるならどうしようという問題もある。選択肢がなければ嫌であろうと何であろうと辞めるわけにはいかない。家族持ちであればなおさらである。私であれば、それなら「嫌だと思わない方法」を考えるだろう。仕事の中に何か楽しみを見つける(これは比較的得意である)とか、嫌な要因を自分なりに解消する努力をするとかするだろう。

 嫌なものをなぜ我慢するのか。その理由に自分自身納得できないのであれば、「やめる」というのが私の基本的な考え方である。そういう考え方に基づき、このたび結婚生活も終わりにする事にした。妻の私に対する「他人扱い」にもう耐えられなくなったのである。おそらくその原因は私にあるのだと思う(自覚はないがそうなのだろう)。ただ、明確なところはわからないし、話し合ってそれを改善してもらおうという気にもなれない。この秋、子供たちと妹夫婦とでハワイに行くと告げられ、それが決定打になった。私は誘われる事もなかったのである。

 この状況で家族を続けていく意味はあるのだろうかと自問してみるが、答えは「否」である。私にその気はあっても妻にはない。それを非難するのも意味はないし、これ以上他人扱いされてまで一緒に暮らす意味もない。そうなると、残るは「嫌ならやめればいい」という答えしか残らない。そうしてまずは別居することになった。子供たちを追い出すわけにもいかないので、私が家を出る事にしたのであるが、腹を決めて行動に移せば物事は意外と進んでいくものである。

 銀行員時代、50代半ばでたいがいみんな子会社か取引先かに転籍するかして銀行を去る事になっていた。私はその前に独自に探して出ようと思っていたが、なかなか踏ん切りがつかなかった。それはどこかで面倒な事を先送りする気持ちが強かったからである。しかし、いざ実行してみると何の事もない。なぜぐすぐず先送りしていたのか自分でもあきれるくらい簡単な事であった。別居も同じである。ここ何年も迷っていて、理由をつけては先送りしてきたが、もう行動に移そうと考えた。行動に移してみれば実に簡単であった。

 私の銀行員時代の同僚は、今も関連会社などに残っている者が多い。処遇によっては満足していて、それはそれでいいと思う。しかし、自らの境遇を嘆いている者もいる。それはその時に勇気をもって飛び出さなかったからであり、「もう少し考えよう」とか「どうしようか」などと言っている間に時間が過ぎてしまった結果である。私の場合は偶発的に出ざるを得なかったという理由なので偉そうな事は言えないが、結果的に行動したのは正解であった。基本的に「迷ったら動く」という考え方が大きいが、(あまり好ましくない)行く末が予想されるのであれば、思い切って動くべきだと思う。

 今の時代は恵まれている時代である。転職するにしても選択肢は多い。年齢を重ねると難しくなるが、それでも贅沢を言わなければ生きていけるくらいは稼げるであろう。離婚も社会的に悪影響があると言われたのも過去の話であるし、子供との縁が切れるわけでもない。そうであればもう迷う話ではない。実家の両親もこの頃老いて危なっかしいし、同居すればその分安心するところもある。いいタイミングと言えばいいタイミングなのである。あれこれくよくよ考えるよりも、前向きに自分の未来について考えたいと思うのである・・・

Greg ReeseによるPixabayからの画像


【本日の読書】
 草枕 - 夏目 漱石  監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  カラー図説 生命の大進化40億年史 古生代編 生命はいかに誕生し、多様化したのか (ブルーバックス) - 土屋 健, 群馬県立自然史博物館  イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫) - トルストイ, 望月 哲男





2025年7月20日日曜日

息子と酒を飲む

 長男が生まれた時、ゆくゆくは息子とやってみたい事として二つを思い浮かべた。それはキャッチボールと酒を飲む事である。キャッチボールはどの時点で達成しただろうかと考えると微妙である。まだ幼稚園児くらいの時に家族で公園に行き、よくボールとバットで遊んだ。まだゴムのボールで、手が届くくらいの距離で投げ合ったのはキャッチボールになるのだろうか。個人的には小学生になって少年野球を始めた息子とグローブをはめて軟式ボールでやったのがそれであると考えている。誘うと素直についてきて、投げるボールもだんだん早くなっていった。

 中学生くらいになるともうそんな機会がなくなったが、息子が二十歳になった今年、とうとう二つ目の目標が実現した。ちょうど妻と娘が2人して出掛け、私と息子とが留守番になったのである。好機到来とばかりに「飲みに行くか?」と誘ったところ、「あまり飲めないけど」とついて来た。どこへ行こうかと考えたが、近所で歩いていける「土間土間」がいいという息子の意見を取り入れ、2人で飲みに行った。最近はどこも半個室の席が多い。我々もそんな半個室の席に案内される。改まって2人だけで向き合って座るのも新鮮である。

 大人としてはいつものように「とりあえずビール」と頼もうとしたら、息子は何やらサワーを頼んだ。「そこはビールだろうが」と思うも、初めてのことであるし好きなようにさせる。つまみを自由に頼ませたら、いきなりチャーハンを頼む。このあたりはまだ飲むより食べる方が優先のようである。唐揚げや卵料理は私も好きなので異論はない。半個室とは言っても仕切りなどなく、あたりの酔った人たちの大きな声が響いてくる。居酒屋であるし、静かなところでゆっくりというわけにはいかない。父子2人だけの飲み会は、まわりの喧騒とは裏腹に静かなものである。

 話題は大学の事から始まる。40年前、私が学生の頃は文系の学生は授業に出ないのを良しとしていた。そういう風潮に抗って、私は週12コマの授業に出ていた。ラグビー部の同期はみんな5コマ程度だったから、みんなに変人扱いされた。聞いたところ息子は14コマ出ていると言う。面白い授業もいくつかあるようで、それはいい事だと思う。大学の勉強は将来何に役に立つかもわからない事を学べる贅沢なひと時である。スティーブ・ジョブズのカリグラフィーの授業の話は有名であるが、息子にも授業を楽しめと伝えた。

 息子は中学の時に練馬区が後押ししている制度を利用してオーストラリアに1週間ホームステイしている。その時の経験が強烈だったらしく、英語に対する学習意欲が強い。学生のうちに留学したいと常々言っている。「是非行け」というのが私のアドバイス。私には学生時代にそういう考えがなかったのが残念であるが、息子には是非行ってもらいたいと思う。さらに就職するなら海外大学院へ行かせてくるところを選ぶべしとも伝えた。海外大学院でMBAを取れば社会で生きていく上での武器になるだろう。

 また、起業するならいきなりするのではなく、一旦大手企業に就職した方がいいとも伝えた。私の考えだが、大手企業で3年ほど働けば社会人としての基礎が身につくし、組織というものもわかるようになる。何よりベンチャーにはない「信用」を出身大学と大手企業での就業経験が補ってくれる。それで安泰というわけではないが、私はあまりにも学生時代そういうことに無知すぎたこともあり、息子には知識として教えておきたいと思ったのである。これからどうなっていくかわからないが、「知は力なり」である。「知っている」という事は大きなアドバンテージになると思う。

 息子は母親とは仲が良い。私はどちらかというと自立心が強すぎて親(特に母親)とは距離を取っていた。今その距離を毎週訪問して穴埋めしているが、母親との会話で得られるものは限られている。少なくともビジネスマンとしての基礎知識は私の方が教えられるところである。せめてもの父親の存在感の証として、そういう話は語っておきたいと思うのである。いつかそれが息子が何かを決断する時の役に立てば、それが親父の存在価値だとも言える。初めての息子との飲み会はこんな具合だった。息子は最初の一杯以外は飲まなかったが、それもまた良し。そこは祖父から親父へと続く家系の遺伝を受け継いだのだろう。

 思いもかけず、長年の目標が叶ったひと時であった。しかし、これが第1回。これから折に触れて父子でサシ飲みをして語り合っていきたいと思うのである・・・


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【今週の読書】
 手紙屋~僕の就職活動を変えた十通の手紙~ - 喜多川泰 監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹 日本人にどうしても伝えたい 教養としての国際政治 戦争というリスクを見通す力をつける 豊島 晋作 単行本 O イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫) - トルストイ, 望月 哲男




2025年7月16日水曜日

何のために働くのか

 現在、『手紙屋〜僕の就職活動を変えた十通の手紙〜』という本を読んでいる。kindleで無料で読めるためスマホで読んでいるのだが(それを「本」と言えるのかという気持ちはある)、そこで主人公は「何のために働くのか」という事を考えさせられる。それを読みながらいろいろと考えた。自分は何のために働いているのか。人は何のために働くのか。究極的に言えば、働くのは「食う(=お金)のため」である。それが労働の本質であり、それを否定できるのは「お金はいりません」と言える人だけであろう。この本質は大事だと思う。

 ラグビーを始めた高校生の頃、練習の指導に来てくれていた先輩に「ラグビーは格闘技だ」と言われたのを覚えている。激しくぶつかり合うスポーツだし、その時はそうなんだろうと思っていた。しかし、その後「本質」を意識した時、その考えは変わった。ラグビーの勝敗はどうやって決まるのかと言えば、ボールを相手陣地につけた事(=トライ)である。野球やサッカーと同じボールゲームであり、より多く点数を取った方が勝つのである。この点、相手を倒す事で勝利する格闘技とは異なる。つまり、「ラグビーは格闘技ではない」のである。

 「何のために働くのか」の本質は「お金のため」である。大半の人がそうであるだろう。その昔、スティーブ・ジョブズが請われてアップルのCEOに返り咲いた時、報酬は1ドルだったという。そういう人こそ、「働くのはお金以外のため」と胸を張って言えるのである。しかし、「お金のために働く」と言うとどうも露骨すぎて具合が悪いのか、人は「家族のため」とか(家族が食べていくためというならイコールお金のためとも言える)、「世の中の役に立ちたい」とか言うのである。ではそれはきれい事かと言えばそうとも言い切れない。

 銀行を辞めて初めて転職した時、2か月ほどブランクがあった。プラプラしているのも何だしと思ってアルバイトをした。工場での簡単な梱包作業であったが、定職に就いたらアルバイトなどできないだろうし、世の中体験という意味と暇つぶしという意味が大きかった。決してお金のためではなかったが、ではタダでもやったかと言うとそれはない。それは私の貴重な労働力をタダで売り渡したいとは思わなかったからである。お金のためではあるが、食うためではない。この「お金のためではあるが、食うためではない」というのも真実である。

 原始社会あるいは遅れた社会では何より「食うため」が働く目的の第一だろう。しかし、世の中が発展して食う事がそれほど難しい事でなくなってくると、お金以外に働く目的が選べるようになる。考えてみれば「何のために働くのか」という議論は、この段階ではじめて問われる事だろうと思う。終戦直後の日本では、そんな悠長な事は言ってられなかっただろう。そういう意味では、「何のために働くのか」などという議論ができるのは豊かな社会という事になる。そうした豊かな社会では、「お金に加えて」働く目的を追及するという「贅沢」が認められるという事である。

 4年前、2度目の転職活動をした際、最終的に2つの候補が残った。A社は給料が高いが通勤に不便。B社は規模がA社より若干大きく通勤に便利。2つの選択肢を前に私はB社を選んだ(妻に教えたらA社を選べと言われただろう)。給料も大事だが、B社の方が規模的に仕事が面白そうだと思ったのである(大きいと言っても100人規模なので決して「安定」ではない)。実際、求められていた財務に加えて人事の仕事にも手を出し、今も仕事は面白い。結果的に給料も大きく上がったし、選択は正解であったと思っている。

 今の世の中、職業選択の自由は大いに保障されているし、仕事も多岐にわたっている。それであれば「食うためだけ」の仕事をする必要はない。「+α」で働く理由を求める事ができる。その「+α」こそが「何のために働くのか」という問いに対する回答になるのだろうと思う。「お金を稼ぎつつ世の中に貢献できる」とか、「お金を稼ぎつつ海外で働ける」とか人それぞれにその理由は見出せることになる。したがって、「何のために働くのか」と問われて「お金のために決まっているじゃないか」という人は、その「+α」がない人という事になる。それはちょっと寂しい。

 私はと言えば、今のシステム開発会社に入ったのは仕事が面白そうだと考えた事による。頼まれた財務の仕事はもちろんきっちりやっているが、頼まれてはいなかったが人事の充実も課題だと考えて手を出す事にした。忙しいが人事の仕事は面白くやりがいを感じている。もともと面白そうな仕事を探してやるよりも、仕事の中に面白さを見出していく方が性に合っているので、自分の力で会社が良くなっていくのは非常に快感ですらある。お金のためだけに働いているのではないと断言できる。

 息子も大学を卒業すれば就職である。自分なりの好みはあるだろうが、「何のために働くのか」という事もしっかり考えるようにアドバイスしたいと思う。しっかりした「+α」を持って社会で活躍してほしいと思うのである・・・


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【本日の読書】

 手紙屋~僕の就職活動を変えた十通の手紙~ - 喜多川泰  監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  日本人にどうしても伝えたい 教養としての国際政治 戦争というリスクを見通す力をつける 豊島 晋作 単行本 O  イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ (光文社古典新訳文庫) - トルストイ, 望月 哲男




2025年7月13日日曜日

論語雑感 子罕第九 (その7)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、吾有知乎哉、無知也。有鄙夫、問於我、空空如也。我叩其兩端而竭焉。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、吾(われ)知(し)ること有(あ)らんや、知(し)ること無(な)きなり。鄙夫(ひふ)有(あ)り、我(われ)に問(と)う、空空如(こうこうじょ)たり。我(われ)其(そ)の両(りょう)端(たん)を叩(たた)きて竭(つく)す。
【訳】
先師がいわれた。「私が何を知っていよう。何も知ってはいないのだ。だが、もし、田舎の無知な人が私に物をたずねることがあるとして、それが本気で誠実でさえあれば、私は、物事の両端をたたいて徹底的に教えてやりたいと思う」

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 私は昔から何となくではあるが、「自分は人に教えるのがうまい」という感じがしている。「説明がわかりやすい」とはよく言われるし、人が何となくモヤモヤしていてうまく言い表せないようなことを「こういう事?」と言語化したこともしばしばある。もちろん、当たり前ではあるが、それは自分でもよく理解しているという事が前提となっていて、「教えるのがうまい」と言われるのは、わからなかった自分がわかるようになったプロセスをうまくたどっているからではないかと思う。

 そのための秘訣としては、「曖昧に覚えない」ということに尽きると思う。上部だけの理解ではなく、「なぜそうなのか」まで深く理解するように努めている。そうすると、「それならこう理解した方がわかりやすいかもしれない」という事が自分でもわかったりする。その時、自分の中で行われているのは「自分に対する説明」であったりする。そこまでいくと、今度はそれをそのまま人に説明するだけであり、それが「わかりやすい」という評価になるのかもしれないと思ってみたりする。

 「わかりやすい」と言われれば嬉しいもの。そうなるとまた教えたくなるというものである。高校生の頃、将来の進路の一つとして「教師」というものを考えた事がある。教員免許があれば何かの役に立つかもしれないという高校生らしい漠然とした甘い考えだけでなく、それは「人にものを教えるのは面白い」という感覚もあったと思う。ちなみにその進路は、「教育実習がめんどくさい」というつまらぬ理由で立ち消えたのである。それでも「人にものを教えるのは面白い」という感覚は今でも残っている。

 それは現在でも面白いところで働く。現在の仕事では人事の担当もしているが、毎年2日間の社内での新入社員研修は自分で企画している。もちろん、社内の各部署の人に手伝ってもらっているが、クライマックス(と自分では思っている)となる2日目の最後は私の1時間の講義で締めているのだが、そこで新入社員として心得ておくべきことを自分なりにまとめて喋っている。「こういう考えを持っておいてほしい」という自分なりのアドバイスである。新入社員から「これからどういう心掛けで働いたらいいか?」という質問を受けたと仮定して答えとした内容である。

 人によってはめんどくさいと思う人もいるかもしれないが、人にものを教えるというのは基本的に楽しいと思う。我が社でもそういう教え好きの人がいて、若手社員に対してはよく頼まれもしないのに横からあれこれと教えたりしている。自分にもそういう傾向はあると感じていて、その人と違うのは、グッと我慢して横からしゃしゃり出て教える事は控えている事であるが、今私の部下に配属されている2年目の若手などには、それが自分の仕事でもあるからではあるが、あれこれとよく教えている。

 その時に心掛けているのは「まだ早い」などと勝手に決めず、どんどん教えるということである。最近では私が作成している経営資料などもできる範囲で作らせている。それは「自分が楽したい」という気持ちもなきにしもあらずであるが、やはり教えるのが楽しいという感覚であるのも事実である。「物事の両端をたたいて徹底的に教え」るというものがどういうものかはよくわからないが、出し惜しみせずに教えたいという気持ちではある。1年後にどこまでできるようになっているだろう。今はそう考えるのも楽しいと思うのである・・・

Keith JohnstonによるPixabayからの画像

【今週の読書】
 監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書) - 小熊英二  日本人にどうしても伝えたい 教養としての国際政治 戦争というリスクを見通す力をつける 豊島 晋作 単行本 O  霜月記 - 砂原浩太朗





2025年7月10日木曜日

外国人と生きる

 身の回りに外国人が溢れている。コロナ禍が明けて以来、再びインバウンドの観光客をいたるところで見かける。観光客だけでなく、コンビニの店員さんや温泉に行けばホテルや旅館のスタッフや建設現場などでも外国人が珍しくなくなっている。人手不足もそれを後押ししているのだろう。以前は移民を認めるか認めないかの議論があったが、今やなし崩し的に外国人が国内に入ってきている。一方で外国人観光客が慣れない日本の道路事情の中で交通事故を起こして問題になっているが、問題は解決するだけの事であり、もはや外国人とどう共存していくかというステージなのではないかと感じている。そんな我が社も今年外国人を3人採用した。

 我々の業界もエンジニアの人手不足とは無縁ではない。我々中小企業ではなかなか高い給料は払えない。そうすると応募者は外国人の割合が増えてくる。もちろん、採用は誰でもいいというわけではないが、「仕方ないから外国人を採用する」というわけではなく、それなりに、否、下手な日本人より惹かれるものがあったりするのである。特にわざわざ外国(日本)に行って働こうという人は志も高く、努力もしている。元気のない日本人を採用するより、こうした外国人をむしろ採用したいという気にさせられる。

 最近、中途採用で人材紹介会社から多く紹介されるのはミャンマーの方。現在ミャンマーは軍事政権下で政情不安という事情もあって多数日本に来ているのだと思う。まず日本語という壁があり、それも話すだけではなく複雑な漢字を覚えるという努力をした上で、エンジニアとしてのスキルを磨いている。日々是勉強という姿が胸を打つ。日本語も所々で発音がおかしかったりするが、一生懸命話す姿にそんな細かい事を忘れさせられる。自分が英語を話す(たどたどしいレベルだが)場合を考えると、聞くのも話すのもかなりの集中力が必要である。それを1日やるのであるから大変だろう。

 今年採用した新卒の韓国人は、母国で軍務に就いてき義務をこなした後、お金を貯めて日本の専門学校に入学したという苦労人。その分、年は取っているが、新入社員研修に真面目に取り組む姿勢は、同期の新入社員の刺激になってくれればいいなと思う。一方で同期入社ながら3日で辞めた社員と比較すると、その差は歴然としている。日本はというより、「日本人は」大丈夫なのかと思わざるを得ない。もっとも日本人でも努力家はいる。当たり前だが日本人でも外国人でも頑張る者もいればそうでない者もいる。ただ、日本に来るのは頑張る者だという事なのだろう。

 少子高齢化で日本人は減っていく。「だから移民を受け入れよう」という考え方には今でも強く反対する。ただ、志を持って努力して日本にやってくる者を拒む気持ちはない。外国人観光客がたくさんやって来てたくさんお金を使ってくれるのは、日本経済のためにはいいように思う(ただ、「インバウンド価格」には閉口してしまうが)。そしてそれを外国人スタッフが支えてくれるというのも、日本にとってはいいことなのだろうと思う。努力して言葉を覚え、一生懸命働くのは、誰であろうと良い事である。

 一方、先日面接に来た日本人の方であるが、年齢的にはそろそろリーダー的役割を果たしてほしいところであるが、将来的にも一担当者のままがいいという意向。考え方は人それぞれであるからそういう考え方についてとやかく言うつもりはないが、人としてはともかく、ビジネスマンとしては魅力の欠片もない。辟易するような野心を持てとは言わないが、やはりある程度の野心というより向上心は持たないと、と思う。

 よく「金持ちは3代で潰れる」と言う。初代が苦労して成功して金持ちになるも、その息子はまだしも、3代目は生まれた時から金持ちとして生活するので苦労知らずで育ち、身を持ち崩したりして身代を潰すというのである。日本人も金持ちの3代目になっているのかもしれない。戦後の混乱期を苦労して経済大国にした祖父に対し、息子の代はまだその苦労と余録が残っているが、生まれた時から恵まれている3代目は、苦労知らずで育っているため、ハングリー精神に欠けている。

 我々はいつまでも経済大国として余裕をかましていられるのだろうかと思う。もしもそれを支えるのがハングリー精神あふれる外国人たちだったら、それは果たしていい事なのだろうか。ハングリー精神にあふれ、努力する外国人が増えることはいい事だと思う。我が社の若手社員も含めて、それに刺激を受けた3代目のボンボンが少しは目覚めてくれたら、と願わずにはいられない。我が社の若手社員には少しはハッパをかけてみようかと思うのである・・・


Stéphane CHADOURNEによるPixabayからの画像

【本日の読書】

 日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書) - 小熊英二  霜月記 - 砂原浩太朗





2025年7月7日月曜日

夏の日雑感2025

 まだ梅雨明け宣言は出ていないと思うが、連日の真夏日である。周りは皆「暑い、暑い」と繰り返すが、私自身はあまり言わないようにしている。と言うのも、夏は暑いのが当たり前であり、逆に暑くなかったら大変なわけである。そうであれば夏は暑くないより暑い方が良いわけであり、「暑い」と言っても始まらない。むしろ今の暑さを楽しむくらいにしたいと思う。実際、暑さにも7月の暑さと8月の暑さは違う。7月の暑さは例えれば「元気な暑さ」であり、8月のそれは「衰えた暑さ」である。肌にあたる日差しの痛さも違う。今の暑さは今のうちでないと味わえないのである。

 そう思うと今の暑さも楽しんでおかねばならないように思う。最近は熱射病や熱中症などに対する注意を促されているが、それはそれで注意したいと思うが、個人的にはあまり心配はしていない。シニアラグビーはこの時期でも活動は休止しない。炎天下で走り回るのはシニアにはよくないようにも思うが、みんな元気だ。この頃は帽子をかぶるようにしているが、意外と効果的であり、練習中だけでなく、外出時にもかぶるようにしている。練習中はたっぷりと汗はかくものの、時折吹いてくる風に妙な清涼感を感じる。「心頭滅却すれば・・・」などと説くつもりはないが、炎天下の涼風もまた心地良いものである。

 幸いな事に、仕事はデスクワークであり、日中はエアコンの効いた室内にいられる。外で働く人は大変だろうと思うが、我々は恵まれている。さらに昔から比べれば上着は必要ないし、ネクタイも不要である。一応我が社はIT企業であり、ドレスコードはなく、みんな私服である。それでも立場的にワイシャツとスラックスは着用しているが、かつてのネクタイ+上着の時代から比べたら天国である。今でもそれにこだわりを持っている人もいるようであるが、個人的には「臨機応変」、「郷に入っては郷に従え」の私としては、そういうこだわりはない。ノージャケット、ノーネクタイで十分満足である。

 銀行員時代、銀行員は50代半ばで肩叩きにあうので、早めに自分から外へ出ようと考えていた。基本的に一般企業がいいなと思っていたが、銀行が紹介(出向→転籍)してくれるところよりも自分で探そうと考えていた。関連会社は給料も大幅に下がるし、人間関係は似たようなものだしで魅力はなかったのである。しかし、出ようと出ようと思いつつ、心のどこかでそれを回避している自分がいたのは確かである。いざとなれば不安や面倒が先立ち、なんだかんだと行動しない理由を自分に言い訳していた。結局、偶発的に飛び出してみれば何の事はない。もっと早く飛び出していればと後から思ったものである。今抱えている問題もそう考えて行動に移そうと決意した。

 気がつけば7月。もう1年も半分が終わった事になる。早いもので、あと半年経てばまた年末年始の慌ただしさとなる。「光陰矢の如し」という諺があるくらいだから、昔も今も時が経つのは早いのだろう。しかし、考えてみればこれは当然で、現在から過去を振り返ればすべて過ぎ去っている事から時間が経つのは早いと感じるのも当たり前である。それが証拠に次の週末の事を考えるとまだまだ先という感覚が強い。楽しみな週末の前に仕事のウィークデーがあると長く感じるのではないかと思う。どう感じようと時計は動き続けているわけであり、その瞬間、瞬間を楽しみながらその時を過ごしたいと思う。

 週末に高校時代の同級生と会う機会があったが、話題の一つは親の事である。年代的に介護の話題が出てくるので情報交換である。幸い我が両親はまだ介護は必要ないが、2人だけで生活させておくのは心もとない状況である。一晩寝ると記憶は飛ぶし、毎日が何日、何曜日かもはっきりしない。影響が出ているのはゴミ出しで、曜日がわからなくなるのでゴミ出しを間違えたりする。生ごみを含む燃えるゴミの日を間違えると大変である。本人も老眼で気がつかないのか、先日はゴミ箱に蛆が多数湧いていた。本人曰く、「ゴミはちゃんと捨てている」と言うが、2日でここまで蛆まみれにはならないだろう。黙ってゴミ箱を掃除したが、やるせない気分になる。

 財布は何度もなくし、何度も見つかっている。実際には家の中で置き忘れているのであるが、その都度キャッシュカードをなくしたと銀行の窓口に行っていて、前回は「またですか?」と窓口担当者に言われ、「息子さん(つまり私)に相談してください」と言われて本人は憤慨して帰宅したという。銀行の窓口の人も大変だろうと思う。誰もが行く道なのかもしれないので邪険にしようとは思わない。ただ、我が身がそうなるのは何としても避けたいところ。家族に負担はかけたくないものである。おそらく我が両親もそう思っているのではないかと思うが、どう思っているのだろうか。

 時間は休むことなく進み続ける。今のままが良くても変化は避けられない。今もいたるところに諸行無常の風が吹く。それは清涼感というよりも寂寥感を伴う。いずれは両親を見送り、気がつけば己も最後の時を迎えているかもしれない。せめてその時にしっかりと意識を保っていたいと思う。振り返ればあっという間の人生なのだろうが、それまでの一瞬、一瞬を大事にしていきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

 日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書) - 小熊英二  霜月記 - 砂原浩太朗







2025年7月2日水曜日

選ばれぬ理由

 今年も2026年卒の新卒採用活動を行っているが、今年は少々苦戦している。2025年卒と比べると、「今年も」と言った方が正確だろう。エンジニア市場は人材不足が常態化しており、かなりの「売り手市場」になっている。以前は比較的楽に学生を集められて選別採用できていたが、今は大手企業が従来手を出さなかったところまで進出してきている感じがする。学生側からすれば選択肢が増えているという事になるのだろう。それはそれで良い事であると思うが、採用側からすれば大変である。

 我々は専門学校生の採用に当たってはまずは企業説明会を開催させていただく事が多い。同業他社何社かと合同でやるパターンや、学校側から招待されて同業他社と参加するパターンが主なものである。事前に学校側から生徒に参加企業の資料が配られ、生徒が話を聞きたい企業を選択して当日その企業のブースを訪問するというのが一般的なパターンである。生徒が企業を選ぶ最初の入口はホームページか先生の説明になるのだろうと思うが、最終的に何が決め手になったのかはわからない。

 その選別を経て学生が企業ブースにきていただければそこからはこちらのテリトリー。あとは我が社の説明を聞いていただいて面接に進んでいただけるかどうかになる。我々も一生懸命自社のPRをするが、面接ともなれば今度は我々が選別する立場となる。正直言って学生さんはポテンシャルで採用する事になる。実績がないわけであるから当然であるが、面接の受け答えからそれを判断していくしかない。それでもアルバイトの経験や学校でやっている事、クラブ活動の様子など多方面に話題を振ってその受け答えを見ていくのである。

 採用というと、何か企業が一方的に選別し、学生はそれに振り回されて一喜一憂するというイメージがあるが、それは大手上場企業など一部の企業に限った話で、我々のような知名度のない中小企業には当てはまらない。我々もまた「選んでもらう」立場である。そういう意味では、学生さんと対等の関係と言えるのかもしれない。我々は「選ぶ立場」であるが、同時に「選ばれる立場」でもあるのである。どうしたら選ばれるのか、に常に頭を悩ませているというわけである。

 そう考えてみると、中小企業にとっては採用活動は「お見合い」みたいなものと言えるかもしれない。こちらも選ぶが相手も選ぶ。選ぶのはこちらの自由意志でいいが、選ばれるためにはそれなりの努力が必要である。それはやはり自分自身の魅力を高める以外にはない。まさか噓の説明をするわけにもいかない。なにせ就職すればバレてしまうわけであり、嘘で塗り固めるのは論外として、いかに就職先として魅力ある職場なのかをPRするとともに、そういう職場作りをしていかないといけないわけである。

 そのあたりは並行して続けているのであるが、それでもまだまだである。先日の企業説明会でも、ブースを構える私の目の前をメモを見ながら学生が何人も通り過ぎていくのを見送るのはなかなか辛い事であった。おそらく事前検討の段階で他の企業を選んだ結果なのだろう。私の顔を見て通り過ぎていったのであれば「人相が悪い」と言われてしまうだろうが、そうではなかったので、おそらくホームページを見て選別したのであろう。企業規模なのか、事業内容なのか、それ以外なのか。

 選ばれた場合もその理由は気になるが、それは入社後にでも聞くことができる。しかし、選ばれなかった理由は聞けない。考えてみれば、本当に聞きたいのはむしろ「選ばなかった理由」である。しかし、なかなかそれは難しい。そう言えば多感な10〜20代の頃、女性に振られるたびになぜなんだろうと悩んだものである。理由がわかれば改善のしようもあるが、わからなければわからないまま同じ轍を踏むことになる。しかし、そんなのは教えてくれる事もなく、同じ轍を踏み続けた。

 結局はそういうものなのかもしれない。選ばれぬ理由を探し求めつつ、あれこれと暗中模索しながら答えを見つける努力をし続けるしかないのかもしれない。考えてみれば、人によって相手に求めるものは同じではないだろう。単純にイケメンがいいという人もいれば、勤務先や推定年収で選ぶ人もいるだろうし、人柄で選ぶ人もいるだろう。企業も初任給重視の人もいれば、会社の雰囲気や仕事内容で選ぶ人もいるだろう。我が社の場合は「社長の人柄」という人が結構いる。選ばれなかったのは、相手の選定基準に満たなかったからであるが、それが何かを考えても仕方ないのかもしれない。

 いずれにせよ、自分が満足して働いている会社であれば、胸を張って誘えるだろう。社員と面談をしているのでその時に満足度を聞いているからそれを参考にするのもいい。みんなが満足して働いている会社であれば、学生にも訴えられるものがあるだろう。「選ばれぬ理由」を推測して対策を取るのも大事であるが、それ以上に魅力ある会社作りを考えていきたいと思うのである・・・


Gerd AltmannによるPixabayからの画像

【本日の読書】

 存在と思惟 中世哲学論集 (講談社学術文庫) - クラウス・リーゼンフーバー, 村井則夫, 矢玉俊彦, 山本芳久  監督の財産/栗山英樹【3000円以上送料無料】 - bookfan 1号店 楽天市場店  続・日本軍兵士―帝国陸海軍の現実 (中公新書) - 吉田裕 逆転正義 (幻冬舎文庫) - 下村敦史






2025年6月29日日曜日

論語雑感 子罕第九 (その6)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
大宰問於子貢曰、夫子聖者與。何其多能也。子貢曰、固天縱之將聖。又多能也。子聞之曰、大宰知我乎。吾少也賤。故多能鄙事。君子多乎哉、不多也。牢曰、子云、吾不試、故藝。
【読み下し】
大宰(たいさい)、子(し)貢(こう)に問(と)いて曰(いわ)く、夫(ふう)子(し)は聖者(せいじゃ)か。何(なん)ぞ其(そ)れ多(た)能(のう)なるや。子(し)貢(こう)曰(いわ)く、固(もと)より天(てん)、之(これ)を縦(ゆる)して将(まさ)に聖(せい)ならんとす。又(また)多(た)能(のう)なり。子(し)之(これ)を聞(き)きて曰(いわ)く、大宰(たいさい)は我(われ)を知(し)るか。吾(われ)少(わか)くして賤(いや)し。故(ゆえ)に鄙事(ひじ)に多(た)能(のう)なり。君(くん)子(し)は多(た)ならんや、多(た)ならざるなり。牢(ろう)曰(いわ)く、子(し)云(い)う、吾(われ)試(もち)いられず、故(ゆえ)に芸(げい)あり、と。
【訳】
大宰が子貢にたずねていった。
「孔先生のような人をこそ聖人というのでしょう。実に多能であられる」
子貢がこたえた。
「もとより天意にかなった大徳のお方で、まさに聖人の域に達しておられます。しかも、その上に多能でもあられます」
この問答の話をきかれて、先師はいわれた。
「大宰はよく私のことを知っておられる。私は若いころには微賤な身分だったので、つまらぬ仕事をいろいろと覚えこんだものだ。しかし、多能だから君子だと思われたのでは赤面する。いったい君子というものの本質が多能ということにあっていいものだろうか。決してそんなことはない」
先師のこの言葉に関連したことで、門人の牢も、こんなことをいった。
「先生は、自分は世に用いられなかったために、諸芸に習熟した、といわれたことがある」

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 君子とは、細かい定義はあるのだろうが、ざっくりと言えば「人格者」とも言えるだろう。人格者と呼ばれるにはそれなりの人生経験が必要であるだろうし、それはつまり時間がかかるという事である。人は誰でも若い頃からいろいろと経験を積むもので、そうして人格者と呼ばれるようになっていくもので、その間の経験によって「多能」となるのも当然である。人格者になるくらいであれば、仕事も一生懸命やるだろうし、必然的にいろいろな能力を身につけていくだろうし、不思議なことではない。「多能だから君子というわけではない」というこのやり取りの趣旨はそんなところだと思う。

 ところで最近、我が社で幹部の育成について改めて実感させられている事がある。我が社は基本的にエンジニアの会社であるが、経営幹部も従ってエンジニア出身者が占める事になる。しかし、ここにきて取締役がその任に耐えられずに辞任し、将来の経営幹部とみなされていた者は部長昇進を前に足踏みをしている。その考え方からして経営幹部には相応しくなく、ダメ出しをしているのである。このまま部長に昇進し、やがては取締役になったとしても今の彼の考え方では、先の取締役のように任に耐えられなくなるのは明らかだからである。

 プロ野球の世界では、「名選手必ずしも名監督ならず」という格言がある。それに例えるならば、「名エンジニア必ずしも名経営者ならず」といったところだろうか。先の者もエンジニアとしては申し分ない。本人も「将来は会社の経営に携わりたい」という意識はある。しかし、考え方が個人中心であり、「会社の視点」から考えることができていない。これでは会社を成長させるために先頭に立つ事ができない。目標にしても、会社は簡単に達成できるような目標を立てるわけにはいかない。にも関わらず、「できない目標を立てても意味がない」と考えていては、会社を成長させることはできない。

 エンジニアの仕事と会社経営とはまったく別ものであり、エンジニアとして優れていたとしても、だから会社経営もできるというわけではない。会社経営は会社経営で、また別の考え方で行わなくてはいけない。選手と監督とは別物なのであると改めて思う。私が入社した4年前、社長も2名の取締役もいずれも元エンジニアの社内昇格者であった。しかし、現在社長は変わらず、私を含めた3人の取締役は外部出身者である。私も実感しているが、この4年間で会社の経営レベルは上がっているのはそのためでもある。ただ、会社の将来を考えると、内部昇格の方が好ましいと思う。

 同業の知り合いの社長は、先日お会いした際、現場でトラブルがあり、社長自ら現場で指揮をとってトラブル解決にあたったそうである。元エンジニアならではであるが、エンジニアだから経営に向かないというわけではない。むしろエンジニア経験がある方がいいと思う。問題は考え方を切り替え、二刀流とは言わないが、「ポジションチェンジ」を上手にできるかである。社長が1人で会社を牽引していくのも限度があり、そこは社長を支える経営幹部がその存在感を見せたいところである。

 孔子は「世に用いられなかったために、諸芸に習熟した」という事であるが、その結果、多能となりつつ、考え方も熟成させて君子と言われるまでになったという事。我が社でもエンジニアとして大成した後、否、大成する過程で経営面の考え方をも身につけ、然るべきタイミングで経営にも参画してほしいと思う。エンジニアの会社であるから経営陣もエンジニア出身で占めるのが理想的であると、我が身を脇に置いて思う。とは言え、生物の多様性は自らと違う遺伝子が必要であり、会社も同様に外部の血も必要であろう。

 自分の存在意義を改めて認識しつつ、我が社の経営体制の理想的なあり方も考えてみたのである・・・


ENRIC SAGARRAによるPixabayからの画像

【今週の読書】
 存在と思惟 中世哲学論集 (講談社学術文庫) - クラウス・リーゼンフーバー, 村井則夫, 矢玉俊彦, 山本芳久  手紙屋~僕の就職活動を変えた十通の手紙~ - 喜多川泰  監督の財産/栗山英樹【3000円以上送料無料】 - bookfan 1号店 楽天市場店  【中古】 語りえぬものを語る 講談社学術文庫/野矢茂樹(著者) - ブックオフ 楽天市場店  続・日本軍兵士―帝国陸海軍の現実 (中公新書) - 吉田裕