2024年5月23日木曜日

会議いろいろ

 会議というものは、会社組織には不可欠なものであろう。いろいろな会議の形がそこにはある。以前、ボランティアでとある組織の会議に毎回参加していたが、そもそも半年に一度に開催されるという事に加え、やる事も毎回同じ。意見もほとんど出ず、同じ事を繰り返すだけ。それに何の意味があるのかと、私はいろいろと提案して会議を「混乱」させた。その結果、それまでにない取り組みを始めたりして、私なりにやり甲斐があったし、自分の存在感を示したつもりである。しかし、あまりにも変わらぬ様子に愛想が尽きて辞めてしまった。その組織は今でもまた同じような会議を繰り返しているのではないかと思う。

 そもそも私には、「昨日と同じ事を今日も明日も繰り返したくない」という思いがあるのでそういう行動に出たが、そうでない人は10年前と同じ会議を繰り返しても苦にはならないのだろう。それにそもそも会議に出てきても何も意見を言わない人がいる。その人はいったい何のために会議に出てきているのだろうかと疑問に思う。会議に呼ばれた事が既に名誉だったのだろうか。そのボランティア組織では意思決定が必要なので会議を行っていたが、意見がないなら紙面会議で十分で、あとでみんなに決定事項を伝えればいいとさえ思う。

 そもそも会議に出席して黙って聞いているだけというのはどうなのだろうと思う。例えば転勤や転職で新規に参加して最初の会議というのであれば、様子もわからないし黙って聞いているというのも意味はある。しかし、そうでなければ黙っているのはいないのと同じである。それなら参加などせず、あとで決定事項等の報告を受けるだけで十分である。会議というのは、議長の言う事を有難く聞く場ではなく、参加者が互いに意見を出し合い、組織としての意思決定をする場である。参加するのであれば、自分の意見を言うのは当然である。

 とは言え、中にはそうではない会議もある。まだ私が銀行に勤務していた頃、労働組合の会議にしばしば呼ばれた。それは予め決められた決定事項について、「あたかも議論を尽くして同意したように装う会議」であり、何を言ってもダメな理由を説明されて空しく終わる会議であった。最初のうちこそ積極的に意見を述べていたが、だんだんと実態がわかってくるにつけ、無駄な行動(=意見を言うこと)はやめる事にした。会議が早く終わればそれだけ時間を有効活用できる。ひたすら貝のように黙ってすみやかな進行に協力するようにしたものである。

 前職では、社長がとにかく毎月の「取締役会」に力を入れていた。形式よりも実利を重んじる私としては、何かあれば机のまわりに集まって議論してさっと決めたらいいと思っていたが、当時の社長は何かと「今度の取締役会で話そう」とした。だんだん私も社長の考えが理解できてきて、緊急のものでなければ取締役会の議題にするようにした。その社長にとっては、「取締役会」という言葉の響きと、幹部だけが参加できる会議という特別感が心地良かったようなのである。社長にとって、その会議には自分の地位を確認するという意味があったようである。

 会議には会議の意味があるが、中には「会議、会議で仕事が進まない」とか、「会議のための資料作りが大変」という批判もある。それは事実で、私も銀行員時代に会議のための資料作りで疲弊したことがある。課長のチェックで直したのを次長のチェックでまた直し、「てにおは」で直しが入り、それを決められたフォントなどの細かいルールに従って作成するなどしていると、資料作りで丸一日潰れるということも珍しくなかった。ただ会議自体が不要というわけではない。

 およそ会社で仕事をするということについては、1人でするわけではない。よって他人と意見を合わせて進めていく必要がある。そのためには会議(形はいろいろあるかもしれない)が必要になる。要は「生きた会議」にしていく必要がある。会議が不要という意見には、会議を生かしきれていないという事情があるのではないかと思う。あちこち意見が飛んで収拾がつかないとか、結論が出ないとか。会議の目的が曖昧だったりすると、そういう事態になりがちである。結論の出ない会議ほど徒労感の高いものはない。

 私は現在、総務部の部長も兼務しており、毎週会議を開いている。そこでは互いのスケジュールの確認と「困った」の早期発見と親睦が目的である。「今何をやっているのか」「今週(今月)何をやるのか」「互いに確認しておくことは」「困って手が止まっていることはないか」そうしたものを確認しあっている。月に一度は順番に経費でお菓子を買ってきて食べながらやっている。部下は女性ばかりなのでこうしたひと時も楽しいものである。我が部では不可欠な会議である。

 会議自体にいいも悪いもない。それを生かせるか生かせないかだけである。毎週楽しみにできるようであれば、生きた会議ができていると言えるのではないかと思う。みんなが積極的に参加するような会議を続けていきたいと思うのである・・・

Ronald CarreñoによるPixabayからの画像

【本日の読書】

モサド・ファイル2: イスラエル最強の女スパイたち - マイケル・バー=ゾウハー, ニシム・ミシャル, 上野 元美 川のほとりに立つ者は - 寺地はるな





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