2023年7月9日日曜日

不倫報道に思う

 広末涼子の不倫が報じられ、まだまだ関連記事をあちこちで見かける。芸能人の不倫と言えば興味本位の報道に終始がちかと思うが、今回はラブレターの公開にいたって「やり過ぎではないか」という意見もあったりして、擁護論的な意見が出ているのはちょっと安堵する部分もある。芸能人の宿命と言えばそうなのかもしれないが、個人的には不倫報道には何の興味もないし、広く世間にさらされて、さらには損害賠償なんて話もあって誠に気の毒だなという風にしか思わない。


 そもそもなんで不倫なんか報道するのだろうかと考えてみると、それは「記事が読まれるから」に他ならない。読まれもしない記事なんか書いても商売にはならない。「読まれるから書く」のだろう。しかし、読む方からすれば、「書かれるから読む」的なところもある。実際、私もそうである。だが、それで「記事としての価値がある」と思われるとちょっと違う気がする。たとえば道を歩いていて、ある家の玄関のドアが開いていれば自然と中を見る。他人の家の中を覗きたいとは思わないが、ドアが開いていれば見る。しかし、それは果たして「興味」なのだろうか。


 「興味」もいろいろである。例えば高校時代、「誰と誰が付き合っている」などという話は興味深かった。「知りたいか」と問われれば「知りたい」と答えるだろう。それは確かに興味ではあるが、なんでも知らないことを知りたいと思うのは人間の本能とも言える。社内恋愛もその類といえるし、それが身近な知り合いとなればさらに興味は増す。「知りたい」という「興味」である。芸能人もそうなのかもしれない。もちろん、同じ高校でも会社でもまったく知らない人同士であれば興味もわかない。それと同じなのかもしれない。


 不倫報道ではたいてい叩かれる。芸能人であれば、番組の降板などにつながってその影響は大きいだろう。そもそもなんで降板させるのかという疑問はある。問題行動だとしても、それは本人の家族に対するものであって世間に対するものではない。犯罪として処罰されるようなものではないし、なんで他人がとやかく言うのか、それこそが問題であるように思う。倫理的に問題なのは間違いないが、他人には関係のない話である。番組の降板も本人の責任なのかと思うと、それも疑問である。ただの世間に対する忖度でしかないように思う。そんな忖度で降板させた者の判断であるのにそれを本人に負わせるのはいかがかと思う。


 それにしても文春もよく暴くなと思う。あらゆるところにネットワークを張り巡らせているのだろうが、大したものだと思う。だが、仕事としてはどうなのかとも思う。職業に貴賤はないと思うが、「やりたい仕事」、「やりたくない仕事」というのはある。個人的には人の秘密を暴くような仕事は「やりたくない仕事」の筆頭である。それがウォーターゲート事件のようなものならやりがいもあるかもしれないが、熱愛報道、不倫報道の類はそうではない。たぶん私がやっても成果は上げられないだろうが、選ぶ自由がある限りはやりたくない仕事である。


 芸能人の不倫報道は尽きることがない。そのたびに叩かれ、仕事も(一時的に)なくなり、芸能人としては不利益しかないが、なぜみんな不倫をするのだろうか。バレたら大変なことになるというのは誰もがわかることだろう。それでも不倫をするのは、一つには「自分はバレない」と思っているからでもあるし、もう一つには恋愛にブレーキはかけられないからだろう。恋愛に結婚しているか否かは関係ない。ロミオとジュリエットの時代から、禁じられた恋は障害があるからこそ盛り上がったりするところもあるだろう。


 そもそも不倫は本当にいけないことなのか。配偶者に対する裏切り行為としては批判されるべきであるが、他人がどこまでそれを批判できるのかは疑問に思う。モラルを重視する人にとっては、たとえ他人に迷惑をかけないからと言っても許されるものではないということはあるだろう。そう考えると、私はモラル意識よりも「人間だもの」と考えてしまう方が大きいのだろう。まだまだ不倫報道は続くだろう。石川五右衛門ではないが、「世に不倫の種は尽きまじ」である。


 不倫報道なんてするべきではないとやっぱり思う。それに対して、「読む人がいるから」と言うなら、自分は「読まない人」になろうと思う。私一人そうなったからと言って何が変わるというものではない。ただ、世の中を変えようと思ったらまず自分から。まずは自分が無関心になるところから始めたいと思うのである・・・

Victoria_RegenによるPixabayからの画像

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