2022年1月27日木曜日

喧嘩は悪いことか

電車内でたばこ注意され高校生暴行 下野署が傷害容疑で28歳男逮捕
(栃木県警)下野署は24日、傷害の疑いで宇都宮市、飲食店従業員の男(28)を逮捕した。逮捕容疑は23日正午ごろ~午後0時15分ごろ、JR宇都宮線の雀宮-自治医大駅間を走行中の電車内などで那須塩原市、高校2年男子生徒(17)に暴行し、右ほお骨を折るけがをさせた疑い。
下野新聞SOON
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 なんとも不愉快なニュースである。電車内でタバコを吸っていた男に対し、注意をした高校生が逆ギレされて殴られて怪我をしたと言う。とんでもない男である。既に逮捕されたらしいから、それはそれでよかったと思うが、暴力というのは日常生活に密接しているリスクなのだと改めて思う。直接被害に遭わなくとも、見知らぬ他人同士が怒鳴り合っているのを目にするのはしばしばである。誰であれ、いつ何時被害に遭うかわからない。果たして自分がその場に居合わせていたら、あるいは高校生の自分の息子がその場にいたら、親としては息子にどう行動せよと言うべきだろうかと考えてしまう。

もしも、自分が居合わせたら。
これは私も経験がある。まだ学生時代のこと、やはり電車内でタバコを吸おうとした男に対し、注意してやめさせたのである。実に勇気ある行動と言いたいところだが、実はきちんと計算していた。その男は酔っており、しかも老齢であった。「喧嘩になっても勝てる」という計算があったからこそ注意したのである。むしろそれで逆ギレしてきたら、「待ってました」と返り討ちにしていたかもしれない。もしも屈強な男だったら、見て見ぬ振りをしていたかもしれない。

 今回のようなケースであればまずスルーしていただろうと思う。そもそも電車の中は禁煙であるのは誰もが知っているはず。それにも関わらずあえて吸っていたというのは、その時点でどこかまともではない。野良犬と同じで、注意をすれば大人しく従うより噛みつかれる可能性の方が高い。まず100%喧嘩になるのは予想できることであり、例え殴り合いになって勝ったとしても無傷では済まないかもしれない。「君子危うきに近寄らず」が正解だと思う。JR宇都宮線となれば、車両はガラガラだったはず。他の車両に移れば済む話である。あえて火中の栗を拾うこともあるまい。ずるい大人の冷静な判断である。

 しかし、この高校生は勇気を出して注意したわけで、その場にいたらさすがに見て見ぬ振りはしなかっただろう!(たぶん、いやきっと、そうなんじゃないかな・・・)。自分が周りにいる大人の立場だとしたら、止めに入ればまず火の粉が飛んでくる事は覚悟しないといけない。ただ、都心の通勤電車は意外と止めに入る人が多いのも事実である。この高校生も都心の通勤電車だったら良かったのかもしれない。ただ、止めに入るのも巻き添えを食う覚悟がいるのも事実である。

 では、我が息子にはなんと指導すべきだろうか。 
 やはり「君子危うきに近寄らず」は第一であるが、「義を見てせざるは勇なきなり」もまた事実である。まずは冷静に周りを見渡すことを教えるだろう。あえて火中の栗を拾えとは言わなくとも、降りかかる火の粉は払わねばならない。例えば彼女と一緒にいる時に絡まれたらどうすべきか。男子たる者こういう場合は、たとえ負けても立ち向かっていかなければならないが、下手にやって大怪我を負う場合もある。男であれば殴り合いの喧嘩ぐらいできないと、とは思うが、息子にそれをどこまで求めるかは難しいところである。

 私も中学生の頃までは、喧嘩におびえるか弱い少年であったが、高校に入ってラグビーを始め、なんとか恐怖心を取り除くことができた。学生時代は血気盛んで、街で喧嘩をしたこともある。今でもちょっとした喧嘩ぐらいであれば怖くはない(ただし、冷静に勝てる相手かどうかは見極める)。されどそれも怖いところはある。下手に喧嘩して、お互い鼻血くらいで済めばいいが、打ちどころが悪くて昇天などとなれば、たとえ生き残った方だとしても社会的な制裁は人生を破壊する。

 暴力などなければいいが、悲しいかな人間は本質的に暴力的な本能があるのだと思う。よほど相手が屈強な男でない限り、喧嘩っ早い人間はすぐに暴力という手段に訴えるものである。ちなみに「屈強な」というのは、別の言葉で言うと「抑止力」となる。国家間の喧嘩と言える戦争が、核兵器という「抑止力」が登場したことによって収まったのと同じ理屈である。宇都宮線の男も相手が高校生ではなく、ガタイのいい筋骨逞しい男だったら絡まなかったかもしれない。

 息子には何か格闘技を習わせようかと思ったこともあったが、結局させぬまま来てしまった。それで良かったのかとは改めて思う。積極的に世の中の悪を断つようなことはしなくてもいいが、「降りかかる火の粉は払え火事の空」で、身に降りかかる理不尽な暴力に関しては、自ら身を守れるだけの力は備えていたい。いずれどこかで息子もそういう事態に遭遇するだろうし、その時理不尽な悔しい思いをすることがないようにしてあげたいとも思う。それが具体的にどうすることかは今のところハッキリとはわからないが・・・

 優しい男であることは必要であるが、いざとなったら喧嘩ができるという度胸は、暴力だけではなく仕事の場でも有効だと思う。上司の理不尽なパワハラを跳ね返せるのも一つはこの度胸でもあると自分の経験上思う。実際に手を出したらまずいが、「いざとなれば」という自信が堂々と意見を述べる力になるのもまた事実である。「喧嘩ができる」というの自信は、実際に殴りあうという意味ではなく、男に勇気を奮い立たせる原動力になるのである。

 これから老いて力が衰えていく我が身ではあるが、それでもやはり「喧嘩ができる」という気持ちは維持していきたいし、息子にもどこかでそういう男になるように教えたいと思うのである・・・

Iván TamásによるPixabayからの画像 

【本日の読書】
 


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