2022年1月3日月曜日

2022年新春雑感

 今年は例年と異なり、私は実家で年を越した。妻と子供達は妻の実家に帰省。いよいよ家族もバラバラである。本当は家族揃ってと思うところだが、自分の考えを押し通すのも良くない。それがたとえ家族でもと思い、妻の提案を受け入れた次第である。子供が社会人になったら、たぶん単身生活となるだろう。両親がその時健在なら一緒に住むかもしれない。そんな将来を見据えて今から行動していくつもりである。

 毎年元旦に行っていた近所の氏神様への初詣は帰宅した本日となった。神頼みはしないが、神聖なるルーティーンとして欠かせない行事である。心を鎮めて手を合わせ、首を垂れる。破魔矢を買って境内を後にする。数えてみればこの地に越してきて26年。初詣は25回目である。メジャースポットに初詣に行きたいとは微塵も思わないが、人生で一番長く住んでいる街であり、この地にいつまで住むかはわからないが、住み続ける限りは折に触れて参拝したいと思う。

 昨年は、年初に想像もしていなかったことがいろいろとあった。誰もがそうであると思うが、「人生に大きなインパクトを与える」という意味で、である。そういうことがまた今年も起こるかもしれない。想像もできないことゆえにあらかじめ準備しておくこともできないが、起きた時にうまく適用するためには心のあり方も大事だろうと思う。誰もが自分がかわいいのは当然であるが、「他人から見た自分」も意識したい。自分勝手な振る舞いはやはりカッコ悪い。そういう「見た目」を重視したいと思う。

 最近思うのは、他人の行動に怒りを覚えたりもどかしく思ったりするのは、突き詰めると「自分の考えと違うから」である。本人はそれでいいと思うからそういう行動を取っているわけで、そこを理解しないといけない。「自分と他人は違う」というのは、誰でも知っていると思うが、だから行動も違うのである。自分の思う通りに行動しないからと言って腹をたてるのもおかしい。たとえそれが自分勝手な行動であろうと、本人にとっては正しいのである。そこを理解した上で、それに対して自分はどうすると考えればいいだけである。

 昨年、そういう怒りを覚えたが、今は淡々として「ではどうするか」と考えている。一矢報いて溜飲を下げて、それでノーサイドにすればいい。もどかしく思える他人の行動も、ぐっと堪えて相手の気持ちを理解するように努め、できることをすればいい。仕事においては、新しい職場に入り、そこでもいろいろもどかしく思うことが多い。しかし、イライラするのではなく、そういう状況において自分のできることをするだけである。「前へ前へ」と猛進するのではなく、「まわりを見てゆっくりと進む」。これを今年の行動目標にしたいと思う。

 年齢的には今年58歳。会社で言えば定年年齢まであと2年半。幸い、今の会社では役員になれそうだし、働きたいと望み、そしてそれなりの実績を上げられれば、最低限の目標である70歳まで今の給料を維持したまま(おそらくそれも上がるはず) 現役で働けるだろう。そのためにも自分だけのためではなく、みんなのためにというのも意識して働きたいと思う。与えられた線路の上を漫然と走るのではなく、自分で線路を引きながら走りたい。どこまで線路が続くかは、自分次第である。

 さらにそろそろ自分の考えを他人に語るということもしていきたいと思う。自分もいろいろな考え方を身につけてきた。思い返せばいろいろな人の言葉に影響も受けてきた。自分もそろそろ人に影響を与えるようにしたいと思う。もちろん、強制したり押し付けたりするものでもないが、語ることによってそれが響けばその人の中に残るし、響かなければそれまで。娘や息子はもちろんであるが、身の回りにいる若い人にも臆すことなく語りたいと思う。

 2022年という新たな年がスタートした。そろそろ「残り時間」というのも意識させられる。焦ることなく、ゆっくりとまわりを見ながら前へと進んでいきたいと思うのである・・・


TumisuによるPixabayからの画像 

【今週の読書】


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