2020年7月26日日曜日

論語雑感 里仁第四(その26)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
〔 原文 〕
子游曰。事君數。斯辱矣。朋友數。斯疏矣。
〔 読み下し 〕
ゆういわく、きみつかえて数〻しばしばすれば、ここはずかしめらる。朋友ほうゆう数〻しばしばすれば、ここうとんぜらる。
【訳】
子游がいった。――
「君主に対して忠言の度がすぎると、きっとひどい目にあわされる。友人に対して忠告の度がすぎると、きっとうとまれる」
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 銀行員時代、初めて役付者に昇格し、勇んで臨んだ支店で初めて持った部下は少々曰く付きの男だった。前任者から注意点等引き継ぎを受け、スタートしたが、その問題はすぐに露呈した。「文句」が多いのである。当時(今もかもしれない)、銀行は仕事が多く、一方で人員は限られている。勢い、1人あたりの負担は大きい。彼は常に「人が足りない」「業務量が多すぎる」と私に訴えてきた。「なんとか人員を増やしてもらえないのか」と。

 当時の私にしてみれば、そんなのはわかりきっていることで、その中で「どうしたらできるのか」という工夫をする必要があると考えていた。事実、やりようはいくらでもあった。後日、しびれを切らした支店長が人事に掛け合い、彼の同期を転勤させてきて彼の後釜に据えたら、仕事はスムーズに回り始めた。彼は預金係への係替えという屈辱人事に男泣きしたが、後の祭り。実際、仕事が回っているのを見せつけられるとぐうの音も出ない。可哀想だとは思ったが、どうにもできない。

 今から思うと新米上司の私にも反省点はあった。彼には悪いことをしたなと今でも思う。考えてみれば、彼の「文句」は「文句」ではなかったかもしれない。「ああ言えばこう言う」的なやり取りはずいぶんあったが、彼にしてみれば「意見具申」だったのかもしれない。「こうしたらスムーズに業務が回りますよ」という提言だったとも言える。客観的に(私から)見ればそうは見えなかったが、彼の視点からだとそうだったとも言える。

 本人から見れば立派な「意見具申」も、上司からすれば「ただの文句」。双方で意識の違いは大きい。そんな「意見具申」も繰り返せば、「いい加減にしろ」ということになる(実際なった)。もしも、彼の「意見具申」がその通りだと同意できるものであり、他に手がなければ私も支店長にその意見を具申していただろう。そこにあるのは「同意」である。「同意」がなければ何度繰り返しても「しつこい」と反目を買う。「同意」を得られれば評価される。

 それはビジネス上で上司と部下の間だけではなく、プライベートな友人関係や恋人同士や夫婦関係でもそうかもしれない。「タバコをやめなよ」とか「お酒を控えたら」と心配した奥さんが夫に訴えるが、夫は聞き入れない。繰り返せば「うるさいなぁ」となるだろう。ここでも「同意」があるかないかだ。健康診断に引っ掛かって「肺に影がある」と分かった時の夫婦の会話なら、夫も「うるさい」とは言わないだろう。一般論で体に悪いことなんか十分わかっているが、個別具体論で自分の体のこととなれば話は別だろう。

 孔子は「数々(しばしば)すれば(=度がすぎれば)」と表現しているが、「頻度」というよりもその内容であると思う。そこに「同意」があれば反目を買うことはないだろう。同意できても実行できない事情があるという場合も同じ。その場合、「ではどうすればいい」というところまで踏み込めないと真の「同意」は得られない。基本的に「意見具申」も「忠告」も相手(あるいは組織)のためを思ってのことだろう。であれば、もう一歩踏み込んで相手の考え方を理解する必要がある。

 (自分から見れば)ごく真っ当な忠告を相手がなぜ受け入れないのか。そこには相手の隠された真意があるわけで、言う方はそれを知る必要がある。それを知らなければ、相手がなぜ真っ当な自分の意見を受け入れないのか不満に思う。その不満は雰囲気に表れるだろうし、それが一層同意を得ることを困難にする。そうなれば、繰り返す忠告は「度の過ぎた」ものになり、したがって相手の不興を買うことになる。こうなるともう事態はいい方向へと進まない。

 あの時、自分に何ができただろうかと今でも思う。人員に対して業務が多すぎるのはみんな分かっていた。しかし、人員はコストの関係もあって簡単には増やせない。であればその選択肢はない。さすれば業務内容を見直し、1つ1つの業務に優先順位をつけ、時に一部の業務は後回しにすることも必要だろう。たとえそれが支店長の突然の指示であっても「優先順位」を確認し、後回しにする了解を得るようなこともできただろう。事実、彼の後任はそうしてうまく仕事を回す優秀な男だった。それを指導できなかったのは私の責任である。

 その後の彼は、風の噂ではあまりいい待遇は得られなかったようである。それはそれで彼の責任ではあるが、自分自身のためにも何とかしたかったなと思うのである・・・


mlprojectによるPixabayからの画像
【今週の読書】
 



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