2019年3月4日月曜日

我が子に望むこと

子供ができたとわかった時、たいていの親が望むのは、「無事に生まれてきてほしい」という事だろう。そして無事に生まれてみれば、そう望んでいたことは忘れて、「丈夫に育ってほしい」と思い、寝返りはまだか、ハイハイはまだか、言葉を話すのはいつか、立つのはまだか、歩くのはと次々に気になってくる。そして幼稚園、小学校となると人によっては、「お受験」となる。どの親も我が子を思ってのことだから悪いとは思わないが、個人的に我が子にとなると違和感を覚える。

自分の子供に対しては、自分自身「お受験」などさせるつもりはなく、娘も息子もこだわったのは、幼稚園から小・中学校と「地元」ということだけ。「歩いて通える」ということを重視したのである。よく朝の通勤電車に小学生が1人で乗っていたりするのを見かけるが、いかがなものかと思わざるを得ない。何かあったらどうするのだろうと思ってしまう。そこまでして通わせる価値のある学校があるとは思えないのである。

娘は中学を卒業して都立高校へと進学したが、その先は未定である。中学生の息子は、我が意に反して塾に通っており、成績もトップクラスである。だが、本当は今の時期に必要なのはスポーツに夢中になる事(これは野球で実現している)であり、漫画を読んだり小説を読んだり、テレビを見たりすることだと考えている。学校の成績はテストで70点くらいとれていればよく、トップクラスになどいる必要はまるでない。70点くらいの成績であれば塾へなど通う必要はないのであるが、妻の意向に素直に従う我が子にもどかしい思いがする。。

我が子に望むことはただ一つ。「自分の人生を親よりも長く過ごして欲しい」ということ。それ以上望めばキリがないし、最低限それだけできれば親としては満足である。高校へは行った方がいいと思うし、大学も然り。しかし、どうしてもという事であればそれにはこだわらない。大企業に就職できるならそれも良いだろうが、できなくてもきちんと生きて生けるならいいだろう。ストリートミュージシャンだってやりたければやったらいいと思う。

今の時代も相変わらず「良い高校」「良い大学」「良い会社」という信仰がまかり通っている。特に毒されているのが世の奥様族。「どこの塾がいい」などという話はママ友間で飛び回っているようである。しかしながら、良い高校に行ってもいじめに遭うかもしれないし、受験で失敗して挫折するかもしれない。引きこもりになったり、良い会社に入っても鬱になったり過労死したりするかもしれない。東大を出て大手広告代理店に入ったのに自殺してしまった若者もいる。基本的に先の奥様族は、「入れたら終わり」だ。そこまで考えていない。世の中をきちんと生きていくには、困難・苦難・挫折の嵐は必ずあるものであり、その時それをどう耐え凌ぐかが大事であり、それをどこで学ぶべきだろうかが大事だと考えている。

自分の場合、それは間違いなく漫画であり、また映画やテレビドラマや小説だったと思う。塾へ通って勉強ばかりしていて、そういう「心の基礎体力」がつかないまま成長すれば、ちょっとした困難ですぐにへこたれてしまうと思う。今や精神医療はなんでもそれらしい病名をつけてくれるし、薬も処方してくれる。基本的に「鬱は病気ではない」と考える身からすると、どうにもいただけない世の中である。そんな中で、必要なのは「精神的なタフさ」であると思う。そしてそれは塾に行っても身につかないものである。

人生に試練はつきものであり、それは「良い高校」「良い大学」「良い会社」へ行っても避けられるものではない。ならば、それに対してどう備えるか。「これをやれば大丈夫」というものは思い浮かばないが、何となくその都度語って聞かせたい事は多々ある(聞いてくれるかはわからないが・・・)。いたずらに他所と比べてどうのこうのというのは論外。いかにして自分の人生を困難に負けずに歩んでいくか。そういう親の思いを子供には伝えたいと思う。

 走り方ではなく、転んだ時にすぐに起き上がることの方が大事だし、それをこそ教えられる親でありたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 
   
    



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