2016年12月4日日曜日

幽霊は本当にいるのだろうか

 習慣となっている週末の映画は、『死霊館』であった。ちょっと前の映画であるが、最近(といっても公開はとっくに終わっている)続編が公開され、それが有名なポルターガイスト事件「エンフィールド事件」を題材にしているものだけに興味があって、そちらを観る前に観ておこうと思った次第なのである。この映画も実話に基づいているということであり、これはこれで興味をそそられたのである。
 
 この手のオカルト話には、基本的に私は懐疑的である。どう考えても人間は死んだらそこで終わりだと思っているからである。思考は脳細胞の活動の結果であるし、それが消滅したあとに尚残るなどとどう考えても理解できない。その考え方は、以前も書いた通りである。心霊体験というものは、きちんと(霊魂以外の)原因があるものだと思っている。たとえば「金縛り」など、私もよく「これがそうか」と思う体験は何度も経験しているが、それはただの睡眠現象の一つだろう。
 
 しかし、たとえば『死霊館』や、懐かしの映画『エクソシスト』に代表される怪奇現象は、いわゆる「悪魔」が原因である。人間以外のものとなると、これは一概に否定するのも乱暴な気がする。基本的に神様と一緒で人間が考え出したものだと思うが、否定するには個人的にはもう少ししっかりした根拠が欲しい気がする。ただ、神様は「いるという前提で」行動できるが、悪魔はねぇというところがある。

 もちろん、いるならいるとして考えることは可能だが、それが人間に憑依したり、空中を浮遊させたり、映画『エクソシスト』のように天井を這い回ったり、首が360度回ったりするようなことはないだろうと思うのである。「エンフィールド事件」では、空中浮遊もあったとされているが、実際の映像なりなんなり見てみないと信じる気にはなれない。浅原彰晃の空中浮遊と「いい勝負」だと思うのである。

 とは言え、この手の話が尽きる事がないのは何でだろうという気もする。もちろん、「死に対する恐怖」という人間の普遍的な感情に根差していることは間違いないであろう。洋の東西を問わず、およそ人間が思考を身に着けて以来の普遍的感情だろう。それはエジプトのミイラにも表れているし、日本でも天変地異があればそれは怨霊の仕業と考えられたし、古の人の知識からすれば、それも無理からぬところがある。ただ、これだけ科学技術の発達してきた現代となれば、そろそろ卒業しようよと思うのである。

 冷静に考えてみれば、幽霊などというものは、やはり存在すると考えるのは無理がある。なら説明のつかない怪奇現象はどうなるのだと問われても答えようがないが、「幽霊以外」の原因を探った方が正しい気がする。映画の中でも、専門家であるウォーレン夫妻が調査した結果、「温度変化で音がしているだけ」と答えているシーンが出てくる。大抵、そんなところなのではないかと思えてならない。

 もしも200年前の人が現代を訪れたら、世界の変化に目を回すと思う。かつては想像もできない世界ではないかと思うのである。しかしながら、そんな夢のような世界に生きている我々が、幽霊に関しては200年前とほとんど変わらない議論をしているとしたら、どう思うであろうか。この点に関しては、同じレベルで話が盛り上がるのかもしれない。

 機会があれば、心霊スポットなるところに出かけて行って、是非とも怪奇現象なるものをこの身で経験してみたいと思わずにはいられない。案外、江戸の世でも言われていたように、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というのが真実だと思えてならないのである・・・




【今週の読書】
  
 

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