2015年10月10日土曜日

難民移民に思うこと

安倍晋三首相は930日(日本時間)、米・ニューヨークで開かれている国連総会の演説で、シリアやイラクの難民・国内避難民に対し、約81千万ドル(約970億円)を支援することを明らかにした。昨年の支援額の3倍にものぼる額で、セルビア・マケドニアなどの「EU周辺国で難民の受け入れと格闘する諸国」に対しても経済支援をしていくと発表した。
THE PAGE 930()120分配信
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ヨーロッパでは、シリア難民の受け入れが大きな問題になっている。
当のシリアは、ロシアがいよいよアサド政権支援のための空爆を開始し、アメリカはそれを非難しているが、ロシアが空爆しているISは欧米にとってもテロ組織として由々しき存在。
アサド政権を支持できないアメリカは、批判はすれど苦しいところだ。
「敵の敵は味方」ならぬ「敵の敵はまた敵」な状況は、もうぐちゃぐちゃだ。
そんなシリアから、人々が逃げ出すのは当然ともいえる。

うした難民を受け入れようと、ヨーロッパでは16万人をEU加盟国で分担することを決めている。
中心となるドイツは総数で80万人受け入れを表明し、力が入っている。
しかし、一方でEU加盟国では国境警備を強化しているとも伝えられ、「受け入れるにも限度がある」ということを暗に示しているのだろう

さて一方で、我が国で昨年認定された難民数は、申請のあった5,000人のうちなんと11人。
シリア難民は、約60人の申請者のうち3人の受け入れにとどまっているという。
直接的には、認定手続き等の困難さがあるようだが、その根底には我が国の「排他的なポリシーがあるように思えてならない。
だが、それが問題かと言うと、個人的には「やむなし」というところだ。

来る少子高齢化に向けて、「移民を受け入れるべし」という声が随分前からある。
民主党などは、「移民1,000万人受け入れ」を表明しており、個人的に「移民受け入れ反対」な立場としては、実現したら大変だと危機感を抱いている。
ゆえにこうした排他的な事務手続きは「黙って続けてほしい」と考えている。
難民も気の毒だとは思うものの、だからと言って受け入れるのもいかがなものかと思う。冷たいようだが、お金で支援できるものなら、それで済ますというのが正解だと思う。

「何でも金で解決するのか」という声が聞こえてきそうだが、日本は既に湾岸戦争時にこれをやっている。突然イラクの侵略を受けたクウェートをアメリカ中心となった多国籍軍が武力で解放した戦争である
不当な暴力に苦しむ人々に対し、「平和」を盾に直接手を貸して助けようとはしなかったのである。「平和憲法」の意味する「平和」とは、「日本の平和」という意味なのだと認識した瞬間である。

あの時、日本はお金を出すことによって、「責任」を果たした。
ならば今回だってそれも悪くはないだろうと思う。
なにせ、世界に類まれなるデリケートな文化を持つ我が国。
「被災地で暴動が起こらず整然と行動できる文化」は、「グローバルスタンダード」の「暴動が起こる文化」が流入したらひとたまりもない。
心を鬼にして、デリケートな文化を守るべきだと思う。

さり気ないニュースだったが、今後もちょっと気にしていたいと思うところである・・・

【今週の読書】

  
     

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