2013年11月9日土曜日

ルールは何のために

最近、仕事において「ルールの運用」で頭を煩わされている。
本来ルールとは、何か目的があって、その目的を達成するために設けられているものだと思う。
しかし組織になると、「ルールの運用」それ自体が目的となり、肝心の本来の目的がどこかへ飛んでしまうという事が起こるのである。

例えればわかりやすい。
以前北海道で、ニュージーランドから来日していたマオリ族の女性が温泉に入ろうとしたところ、「入れ墨禁止」ルールにより利用を断られたとニュースでやっていた。
この女性は民族の伝統的な入れ墨を顔にしていたらしい。

「入れ墨禁止」のルールは、こういった入浴施設やプールなどで最近よく見かける。
その目的は、「暴力団排斥」だ。
本来、「暴力団排斥」のために設けたはずの「入れ墨禁止」というルールが、いつのまにか独り歩きし、挙句にまったく関係ない外国人に適用されてしまったのである。
本来の目的をきちんと理解していれば、こんなバカな事は起こらない。

私も組織で働いている以上、ルールを守る事は当然だと考えているが、常にその「ルールの本質」を考えている。
「何のためのルールなのか」
それを見失うと、このニュースのようにおかしな事になるのである。
大きな組織になると、こういう事が起きるのである。

だが、厄介なのは、事はそんなに簡単ではないという事だ。
ルールをバカみたいに守る方にも、それなりの理由はあるわけである。
例えば「入れ墨禁止ルール」にしても、最近は若い女性でもタトゥーをしていたりする。
明らかに暴力団でないとわかる人もいる。
そういう“本来はOKな”人でも、このルールではダメとなる。
まさに、ニュースのような事が起こってくる。

ではその都度、「君はOK、あなたはダメ」と現場で判定できるだろうかと言えば無理だろう。
ダメと判定された人は当然、「何でだ!」と食ってかかるだろうし、パートやアルバイトさんではそれに対して対応できないだろう。

また、外国人なら良いかと言うと、たとえば映画など観ていていると、アメリカのヒスパニック系のギャングなど、派手なタトゥーをしている人たちが登場したりする。
そんな見るからに威圧感たっぷりのタトゥーをした人が近くに来たら、普通の人は安心して利用できないだろう。
そんな人たちには、むしろ“No”と言ってもらいたいが、「君はOK、あなたはダメ」を誰がどうやるのか、という問題が出てくる。
“一律No”もそれなりに理屈としては正しいのである。

我が職場でも、ルールの適用を巡ってしばしば議論となっているが、「では誰がOKか否か」を判定するのかという難しさがある。
上司が判定するのが一番だが、「人によって判断が分かれる」となれば、当然「ものわかりの悪い」上司の下では不満が生まれるし、その上司自身が「ルール厳格適用者」だったりする事もある。

「ルール厳格適用者」からすると、それは立派に合理的な判断。
いくら「本来の目的と違う」と言われても、ルールに従っている以上、(組織上)批判はされない。
冒険を犯してモノわかりの良い上司にならなくとも「無難」であるし、減点もされない。
自分で考えなくても良いから楽だし、傍から見てどんなにおかしくても、それは自分の責任ではなく、ルールを作った人の責任である。
こうして、「お役所仕事」は出来あがっていくのだろうと日々実感している。

どうしたら良いのだろうかと考えても、なかなか妙案は浮かばない。
ただ、自分としてはどうしたいのかと考えて実践していくしかないだろう。
自分が温泉施設の人だったら、かの女性の利用は認めるだろう。
もしそれで他の利用客から文句が来たら、受けて立つしかない。
なぜ、その客だけルール適用外とするのか、その説明をとことんするだろう。
もちろん、それで相手が納得するとは限らないが、だからといって安易にルールの陰に隠れたいとは思わない。

目を瞑ってルールを守っているのが一番楽だろう。
どちらも同じように何か言われるとしたら、「ルールに従っている」のと「ルールの適用外としている」だったら、「ルールに従っている」方が遥かに楽だ。
「文句があるならルールを作った奴に言え」と言えるからだ。
それに下手に「適用外」として、その判断が間違っていたら、というリスクも負わなくて済む。
あれこれ考える必要も手間もない。

そう考えて行動する人を悪いとは思わないが、自分がそうしたいとは、やはり思わない。
ルールの陰に隠れた方が楽だろうが、「そんなのは嫌だ」と思う性格だから仕方ない。
と言っても、安易にルールを無視しても構わないと言いたいのではない。
そもそも目的さえ外していなければ、ルールから多少外れても問題はないものである。
ならば、目的に適うような行動を取りたいと思うのである。

ルールを曲げて、かの女性の入浴を認めた結果、もしも他の2~3の客やあるいは同僚から批判を浴びたとしても、世間的に批判される事にはならないだろう。
それが「目的に適っているかどうか」であると思う。
「常に考えて行動したい」
仕事においても何においても、そうしたいと思うのである・・・

【今週の読書】

  
  

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