2013年6月16日日曜日

父の日に思う

自分自身に欠けていたものが
息子に実現されるのを見ようとするのは、
すべての父親の敬虔な願いである

ゲーテ
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今日は父の日。
実家の父には昨日、ワインを渡してきた。
ここのところ、甘口フルーティなワインを嗜んでいるとの事で、まぁ何にしようか選ぶのも大変なので、手っ取り早く決めてしまった感もある。

自宅に帰れば今度は自分が父親。
されど子供たちからは何もなく、ごく普通の週末であった。
中学生の娘は午前中から友達とカラオケに行き、小学校2年の息子こそ家にいたものの、取り立てて何をするという事もなかった。

幼稚園の頃は、子供たちも幼稚園でお父さんの絵を描かされたりしていたから、それをプレゼントしてくれていたが、小学校はさすがにそんなものはない。
そのためには、わざわざ何かをしないといけない。
さすがに娘は5年生までは絵を描いてコメント付でプレゼントしてくれたが、息子はもうしてくれない。

もっとも息子に言わせれば、学校の宿題や子供チャレンジの課題や、週末に録画してママと観る「八重の桜」や、レゴで遊ぶので「とても忙しい」らしい。まぁ仕方ないのだろう。
子供たちからの絵のプレゼントは2011年でストップという事になりそうだ。

そもそも父という漢字は、手に斧を持った男性を指すそうで、家族を守り、養い、率いる役割の象徴という事らしい。「母なる大地 父なる太陽」という言葉があるが、父親には近寄り難く、それでいて必要な時には必要な光を授け、時には雷も落とす存在という事らしい。
我が身を振り返ると、だいぶ違うようである。

自分の父親と比較すれば、子供たちと接触する頻度は遥かに高いと思う。
父が私の授業参観に来た記憶はないし、わずかにサイクリングをしたり、海に連れて行ってもらったりした記憶がある程度である。時代も「男は仕事」の雰囲気に満ち溢れていたし、裸一貫で田舎から出てきた両親は、それだけで生活も大変だっただろうから仕方がないと思う。

その点、今の自分は時代にも恵まれ、子供たちとより多くの接点を持てるのはありがたい事である。そんな現代において父の役割とは何だろうかと考えてみる。
やはり自分の経験から、「自立して生きていける力」、「考え方」を身に付けさせたいと思う。
その鍵は、勉強する事とコミュニケーションだ。

勉強は学校の勉強だけに留まらない。
社会人になっても、その時その時必要な勉強を継続できる力だ。
帰りの電車で漫画を読み、帰宅しても晩酌をしながらお笑い番組を観て寝るだけというような社会人にはなってほしくない。

コミュニケーションも重要だ。
これは友達との関係でも、今から実践で十分学べる。
社会へ出ても恋人や上司や同僚たちとうまくやっていくには、コミュニケーション力が必要である。自分が初めに躓いた所でもあるし、しっかり教えてあげたいところだ。

そしてそんな教えを素直に聞いてもらうためにも、まさにコミュニケーションが大事だろう。
今でこそ実家の父には何の遠慮もなく話ができるが、子供の頃はやはり何かあればまず母親だった。父に何かを相談すると言う事がなかったのは、やっぱり接点が少なかった事が大きい。
自分としては、あまり「近寄り難い存在」にはなりたくないと思う。

これから子供たちもますます大きくなる。
話題もより大人の話題になっていくだろう。
人生の岐路に悩む事もあるだろう。
そんな時に、「必要な光」を与えられる父親でありたいと思う。
そのためには、まだまだ日々是修行だと思うのである・・・

【今週の読書】

   

    
 
 

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