2013年6月1日土曜日

誕生日に思う

49回目の誕生日を迎えた。
今回は週末とあって、ゆっくり朝寝坊。
いつもと変わらぬ朝を迎えられて何よりである。

突然49と言う意味を考えてみた。
日本人的には、ついつい「4始終9苦労する」とか「四苦八苦」などと考えてしまう。
アメリカ式だと49ersだろうか。フットボールのチーム的にはカッコイイが、一攫千金を夢見たゴールドラッシュの元祖49ersはみな夢破れた人たちだと考えると、どうやら今年もまだまだ一苦労しないといけないのだろうかなどと思ってみたりする。

心配のタネは既に出ていて、母親がまた入院している。
検査入院とは言うものの、薬で症状を抑えられなくなってきているのかもしれず、心配なところである。原因の一つにストレスがあると考えているが、その最大なものは我が妻との悪関係であり、私の力ではどうしようもない。

先日も見舞いに行った際、ついつい議論してしまい、また母親を論理でねじ伏せてしまった。それがまたストレスになるかもしれないと考え、自己嫌悪の日々である。
そんなパパの心とは関係なく、娘は朝から学校の試験勉強だ。
中間試験、期末試験と、そう言えば自分も中高生の時はあったなぁと懐かしく思う。
娘からは、成績が良かったら臨時こずかいをくれと要求されている。中学に入ってから友達と遊びに行ってお金を使うようになり、毎月のこずかいでは足りないようだ。
まぁそんな目標もあって良いかもしれないと思う。

せっかくの好天気に息子を誘いだして石神井公園へと出掛けていく。
我が家からだとちょっとしたサイクリングだ。
適当なところで自転車を止め、あらかじめ持参したグローブを取り出してさっそくキャッチボール。初めの頃は固い軟式ボールを怖がっていたが、この頃では普通にキャッチボールができるようになった。

キャッチボールで大切な事は、相手が取れるボールを投げる事だと息子に説く。
自分の投げたい球を投げる事ではない。
相手が取りやすいように、胸元へ向けて投げる。
取れないボールを投げれば、相手は取り損なってボールを体にぶつけて痛い思いをするかもしれない。後逸すれば、ボールを取りに行く時間が無駄になる。

そして何よりも、きちんと投げる事は自分のコントロールの練習にもなる。
それはそのまま言葉のキャッチボールにも当てはまる、とふと思う。
論理と感情のボールを互いに投げ合って、相手のボールを受けとめようとしない。
だから母親とのコミュニケーションがうまく取れていない。
にもかかわらず、母親からは誕生日を祝うメールが届いた。

「11時42分(原文では1142分となっている)に生まれた ただ嬉しかった」
そんな言葉が綴られていた。
嫁姑問題はもう解決は無理かもしれないが、自分と母親との関係改善はまだまだ十分可能だ。
せめてそのくらいの「苦労」はしないといけないだろう。

始終苦労しても良いじゃないかと思う。
四苦八苦も避けられるものではないというのが仏の教え。
ならば、ラグビーをやっていた者として、「倒れる時は前へ」という気概で迎えなければなるまい。親や家族の想いをすべて受け止めよう。

そんな49erでありたいと思うのである・・・


【今週の読書】

 

     

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