映画『愛がなんだ』を観た。ストーリーだけを追えばちょっと変わった恋愛映画という事で片付けられるような映画なのであるが、映画の主人公の2人の関係を観ながらいろいろと考えさせられた。映画の主人公は、まもなくアラサーというOLの山田テルコ。田中マモルという男と付き合っているようであるが、どうもそういうわけでもない。というのも、テルコの思いは一方的で、マモルからはそれが感じられないのである。冒頭では風邪で寝込んでいるマモルからテルコに連絡が入り、差し入れを頼んでくる。喜び勇んでマモルの部屋に向かうテルコ。甲斐甲斐しくお粥を作る。
その後、テルコは風呂掃除を始める。この時点で2人の親密度はわからないが、風呂掃除はやり過ぎのように思う。婚約しているとかならまだしも、そうでなければ「私はいい嫁になる」アピールのように思えてしまう。マモルはもういいからとテルコを追い返すのであるが、その気持ちもよくわかる。しかし、この時点で既に終電はなく(そんな時間に風呂掃除もないだろうが)、追い返すマモルももう少し気を遣いたいところ。テルコも後先考えずに行動するタイプのようで、手持ちの現金がなく、タクシーも呼べずに友達に頼んで泊めてもらう。
テルコはマモルに一途なのであるが、それがまた異常。常にいつ呼び出されてもいいように待機状態だし、呼び出されれば状況いかんに関わらず喜んで駆けつける。2人で朝まで飲んでも、マモルは1人タクシーに乗って先に帰ろうとする。私の感覚であれば、先に女性をタクシーに乗せるだろう。どうやら惚れているのはテルコだけのようだが、マモルもそんなことは嫌でもわかるだろう。しかし、惚れていなくてもそのくらいの配慮は私ならするだろう。男からすれば、自分に惚れて何でも言いなりの女は実に便利である。会いたい時に呼び出し、やりたい時にやれる。そんな女を男なら1人はキープしておきたいところである。
映画は少し大袈裟なところはあるが、好きになった相手に一途に突進するタイプは普通にいる。「好き好き」オーラを出しまくって相手に接するのである。相手も同じ気持ちならいいが、そうでない場合は(特に女性は)、便利に利用されてしまう可能性は高い。男にとって口説くハードルのない女は便利この上ない。本命の彼女がいればともかく、いなければ現れるまでの「つなぎ」にしようと思うだろう。それは決して女性にとってはいい事ではないはず。それを防ぐには、グッと気持ちを抑えて距離を保ちつつ接近するしかない。
テルコの例であれば、具合の悪い相手に差し入れはいいだろうが、用が済んだらさっさと帰るべきだろう。あれもこれもと世話を焼くのはやり過ぎである。呼び出されても3回に1回は気持ちを抑えて断りたいところだ。応じても時間を見て適切な時間に帰る事も大事である。ボクシングで言う「ヒットアンドアウェイ」というやつである。「恋愛は駆け引き」などというつもりはないが、特に女性は男に遊ばれない工夫はすべきであろうと思う。
相手を好きになったら男も女も相手に対して身も心も開いていくのだろうが、男と女ではやり方は変えるべきだと思う。男は一途にアタックするべきだし、それで相手の女性の心が動く可能性はある。しかし、男は寄ってくる女に対しては、それほど好きでなくても、気のあるふりをして便利なキープ女にしようという邪な考えを抱く可能性は高い。それゆえに女の方もガードしながら近づいていく必要がある。あまり簡単に許してはいけないと思う。
私も自分の経験を振り返ってみると、上記のように思う。それが今の若者にも通じる原理なのかどうかはわからない。ただ、こういう映画が創られるという事は、今もまだ通じる心理なのかもしれない。男は好きでなくても恋人のように女と付き合えるものなのである。そういう事は私の娘にも警告として伝えてあげたい気もするが、「若い頃に何をやっていたのか」と突っ込まれるのもまずいし、伝え方は難しい。それでも映画を観ながら考えたのは、「注意するとしたら、テルコの方だろう」という事。これは女が自衛するしかないと思う。
映画は観る者にいろいろな事を示唆してくる。ストーリーとは関係のないところで今回はあれこれと考えてしまった。ちなみに映画では男をいいように振り回す女も登場して、どっちもどっちであった。それぞれ「相手のことを考えてあげようよ」と思ってしまったが、やはりこういうことに関しては男に対して同情心は湧いてこないものである。つくづく、女性には自らを安売りをしないようにしてするべきだと思うのである・・・
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映画『愛がなんだ』 |
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