2018年10月3日水曜日

論語雑感 八佾第三(その11)

【原文】          
或問禘之説、子曰、不知也。知其説者之於天下也、其如示諸斯乎。指其掌。
【読み下し】
(ある)るひと(てい)(せつ)()う。()(のたま)わく、()らざるなり。()(せつ)()(もの)天下(てんか)()けるや、()(これ)(ここ)()るが(ごと)きかと。()(たなこごろ)(ゆびさ)す。
【訳】
或る人が帝祭の内容を質問した。孔子は、「私は知りません。もしそれを知っている人がいたら、天下をここに乗せて見るようなものでしょう」と云って掌(てのひら)を指差した。
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この時代、皇帝には独特の祭事があったようで、しかもその内容は一般には秘されていたようである。そしてその内容を知ることが、皇帝としての権威の一つであったのだろう。日本でも皇室の行事について、一般の人はほとんど知らないだろうし(別に皇室の行事は秘密ではないかもしれないが・・・)、どこの国のどこの時代でもそういう独自のものがあるものなのかもしれない。

考えてみると、「祭り事」については、それこそがすなわち「政(まつりごと)」という言葉でもあることを鑑みると、昔は「祭る」ことが(神様から国を治めることを認められたという)権力の正当性の証だったのかもしれない。そうであるならば、それは政権の秘密として厳重に守られていたであろうから、孔子といえどもその内容を知らなくて当然なのだろう。それに対し孔子も知ったかぶりをすることなく、素直に「知らない」と答えている。

「秘密」には、知っているかいないかで、ある種の優越性が生じる。秘密とは甘美な香りがするもので、人が知らないことを知っているというのは、誠に心くすぐられるものがある。そして「知っている」ことが権威に結びつくこともある。それは例えば会社なんかでもそうであり、会社の上層部の考え方や動きを知っていることが、上司の権威を支えていたりすることもある。

私も小さい会社とはいえ、一応役員であるから、一般社員に比べるとある程度経営事情に通じている。会社の方針なんかについては立案そのものに携わっていたりするから、なおさらである。ただ、私の場合、それを秘していていざという時に見せびらかすようなことはしない。むしろそういう情報は積極的にオープンにしている。会社の決算状況から始まり、その期の方針だったり、その時々において役員会議で議論されていることだったりである。そうした情報をオープンにすることにより、「権威」よりむしろ「モチベーションアップ」に比重を置いているのである。

人によっては会社のそうした情報には興味なんてないのかもしれない。当然、聞いていてもスルーしている人もいるだろう。それはそれで構わないし、興味のある人に伝えるだけでいいと思っている。その理由としては、自分がやっている仕事、目先の指示された仕事に対し、盲目的に従うよりも基本的な会社の方針がわかっていて、だからそれがこの指示につながっているのだとわかる方が仕事の成果としての質が上がると思うからである。

振り返ってみると、自分自身が盲目的に従うことについて反発心を持っていることが根底にはある。意味のないことをするのは嫌だし、だからよくわからない指示をされたりするとその理由を聞きたいし、指示された内容についてもっといいやり方があると思えばそれを提案せずにはいられない。考えずに動くということが嫌いだというのがある。だから「言われたことだけやる」のは嫌いだし、人にもそれを求めてしまうのかもしれない。

概ねサラリーマンと言えば、仕事帰りに赤ちょうちんで一杯やりながら仕事の愚痴をこぼすのが相場と言われているが、その背景にはこうした「情報不足」があるような気がする。自分の考えとは相いれない指示を受けた時、上司の置かれた立場や情報からすれば当然そういう指示になるということがあるだろう。知らないからこそ、「おかしい」となるわけで、それが愚痴になっていることも大いにあるだろう。

「今、会社はこういう状況にあって、よってこういうことに力をいれていかないといけないわけで、だからあなたにはこの仕事をしてもらいたい」という流れの中で指示を受ければ、誰でも納得するのではないかという気がするし、言われなくともそのくらい考えてわからなければ上司に聞くぐらいなのが「できるサラリーマン」ではないかと思う。我が社ではそこまでの自主性は期待できないが、そう思うからこそせめてこちらから手の内を見せるのである。

 孔子の真意はともかく、現代に生きる我々について言えば、否、我が社について言えば、「もしそれを知っている人がいたら、会社の経営をここに乗せて見るようなものでしょう」などとは言われないようにしたいと思うし、むしろみんなが知っているようにしたいと思う。自分のやっている仕事が会社全体にどう生きているのか。みんな分かって働くのがいい結果につながると思う。
 そんなわけで、個人はともかくとして、会社の経営はなるべく透明な方がいいと思うのである・・・




【本日の読書】

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