2018年6月6日水曜日

富士見にて

先週末、法事で父の実家のある長野県富士見町へ行ってきた。両親も年老いているし、車も廃止しているので、私が運転手兼用である。今は中央道を使えば片道2時間半ほどで行き来できる。父が15の春に上京した時は汽車で6時間ほどかかったというから、今は随分故郷も近くなっているわけである。

そんな富士見ではその名の通り、祖父母宅からちょっと行った畑に出ると富士山が実に美しく眺められる。今回は拝めなかったが、かつてその美しさに感動したのを記憶している。全国各地に「富士見」の名がつく地はあると思うが、この富士見も本物だと思う。一方で、ここは何といっても八ヶ岳のおひざ元。よく晴れた先週末は八ヶ岳も鮮やかであった。

法要は若くして亡くなった従兄の連れ合い。実家は真言宗であることから、僧侶がきて読経していただく。変わったことと言えば、事前に経文を渡され、一緒に読経したことだろうか。調べてみたら唱えさせられたお経こそが「真言」であり、23文字の短いものながら、一心に唱えるとすべてのわざわいを取り除くことができるというものらしい。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう
まかぼだら まにはんどま
じんばら はらばりたや うん」
読んでいて何がなにやらわからないシロモノである。さらに卒塔婆には不思議な文字が描かれていて、気になって調べたらこれも梵字(サンスクリット語)であるとわかった。

 もともと理屈を大事にする私にとっては、「唱えるだけですべてのわざわいを取り除くことができる」なんて眉唾以外の何物でもない。やはり宗教って怪しいと思うのは、仏教と言う世界的宗教でも変わらないと思う。お釈迦様ももしかしたら今の日本における仏教の現状を見たらびっくりされるかもしれない。

 法要は一周忌であったが、お坊さんによると来年は三回忌だという。なぜ一周忌の翌年が三回忌かと言うと、「周忌」は普通に数えるが、「回忌」は「数え」と一緒で亡くなった時を「一回忌」と考えることによるものらしい。あまりにも来年の三回忌の話をするので、伯父たちも「来年もやって自分を呼べ」ということなんじゃないかと囁き合っていたが、たぶんそれは間違っていないと思う。この数え方は、年齢の「数え年」と同じである。数え年は生まれた時を一歳とするわけで、まさかゼロの概念がなかった故ではあるまいなと思ったりする。インドからゼロの概念がいつ伝わって来たかはわからないが、とても興味深い。

 法要の最後は墓参りをして終わり。祖父母も眠る墓地にはいつの間にか墓石が建てられていた。祖父母の記憶はあるものの曾祖父母となるともう写真でしか見たことがない。合間合間に父がいろいろな思い出話を語ってくれたが、貧しかった子供の頃の話がやはり印象的だ。田を借りて米を作っていたが、地代と年貢で手元にはほとんど残らず、米の飯を食べられたのは年に一度、大晦日だけだったとか。祖父母はどんな思いで子育てをしていたのであろう。今はもう聞くこともできない様々な人生がこの地に埋まっている。間違いなく、自分のルーツの地なのである。

近くなら頻繁に訪れたいと思うが、こういう機会でもないとわざわざ来るのも億劫である。自分もいずれはこの地にという思いがなくもないが、次男の父は本家筋ではなくこの墓に入る予定はない。しかしその本家も一人っ子の従兄に子はなく、跡を継ぐ者はいない。いずれ訪れる者のない寂れるばかりの墓地となることは確実であることを考えると残念な気もする。

 翌日は両親とともに蕗を取りに行く。「スポット」があるということで、林の中に入っていき、自生している蕗取りをした。今は農家でもない限りこんなことはしないだろうが、昔は当たり前のようにしていたという。考えてみれば、人間はみなこうして自然の恵みを「直接」得ていたわけであり、そんな自然の行為からかけ離れてしまった現代人の生活が果たして良いのか悪いのか。かつてない「いい時代」に生まれた自分には良くわからない。
 
 年老いた両親とこうして両親それぞれの故郷を訪れる機会もそう多くは残されていないだろう。時間の許す限り、できるだけ時間を割いて付き合いたいと思う。本当にいい季節を迎えている富士見の地で、改めてそう思ったのである・・・


曾祖父母からの祖先が眠る墓地と八ヶ岳



【本日の読書】
 
   
    

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