2015年6月21日日曜日

そもそも論をしないと・・・

このところ、安全保障法案の議論が新聞紙上等を賑わしている。
個人的には政治には興味を持っているし、しかも自分たちの国のことだし、いいかげな気持ちではいたくないので、常にマスコミの報道はウォッチしている。
反対派は、「日本がアメリカの戦争に巻き込まれる」としてこれを「戦争法案」と呼んでいる。街頭でもよく目にし、耳にする意見である。
だが、どうもどちらの考え方、やり方もしっくりとこない。

そもそも、自衛隊は憲法第9条に違反している。
それは成り立ちからして、日本に再軍備させまいとしたアメリカの意向によるものだ。
それが日本が危険な存在でなくなり、かつ冷戦構造の中で、「友軍」としてアメリカが日本軍を必要としたため、自衛隊を発足させたのである。
この時、本当なら憲法も改正すべきだったと個人的には思う。

そして自衛隊が憲法違反かどうか問われ、最高裁に判断が委ねられた時、最高裁は判断を避けている。なぜ避けたかと言うと、法律的には違憲であるが、政治的に違憲と言ってしまうと大問題となるから、判断を避けたのである。
簡単に考えても、法律的に合憲だったら、そう判断しているだろう。

従って、今の自衛隊も安保条約も、関連法制もすべて本質的な問題を覆い隠し、解釈改憲という都合のいい理屈で自衛隊を合憲とし、その後の関連法案も合憲としてきているのである。
だからそもそも自衛隊が必要か否かという議論から始め、「必要なら憲法を改正する」というのが、一番正しいやり方なのである。

憲法改正に反対する人も、その多くが「自衛隊は必要」だと思っているだろう。
国民の意識も戦後から変わってきている。
だから、「解釈改憲」というやり方で、その時代にあった自衛隊のあり方を認めてきているのである。なので今さら「ここまではいいけどここまではダメ」というのはおかしいのだ。
「解釈」は人によって異なるもの。それを認めている以上、「今回の安全保障法案が憲法違反である」という主張を聞いても、ちっとも心に響いてこない。

それに、湾岸戦争のような事態が発生したら、我が国はどう行動するのかという問題もある。
イラクによって一方的に軍事侵攻されてしまったクゥエートを、世界が救おうとアメリカを中心に多国籍軍が編成された。日本は「平和憲法」があるから、当然自衛隊を派遣しなかった。
それで良かったのかと、今でも疑問に思う。

他国の軍事進攻により、占領されてしまった国を助けるために軍事力を使うことは悪なのだろうか。「平和憲法」の「平和」とは、「日本の平和」という意味で、「世界の平和」ではないということだろうか。湾岸戦争後、クゥエート政府は多国籍軍に参加した国々に対する感謝の新聞広告を出したが、その中に世界で一番お金を出した我が国の名前はなかった。
お金だけ出して、汗もかかず血も流さず、遠く離れたところで見ていた金持ちの国が、「平和国家」として、世界の尊敬を集められるのだろうか。

結局、軍隊をどういう目的でもって保有し、どういう時に使用するかをきちんと憲法で決めることこそが、一番だと思う。
小手先の解釈改憲でごり押ししようとする政府も、「戦争法案」とレッテル貼りして、自ら矛盾を抱えつつ憲法違反だと叫ぶ反対派も、どちらの主張にも与し難い気がする。

そろそろ本質的な議論をすべき時なのではないかと、思えてならないのである・・・





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