2025年3月31日月曜日

論語雑感 泰伯第八 (その20)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
舜有臣五人、而天下治。武王曰、予有亂臣十人。孔子曰、才難。不其然乎。唐虞之際、於斯爲盛。有婦人焉、九人而已。三分天下有其二、以服事殷。周之德、可謂至德也已矣。
【読み下し】
舜(しゅん)に臣(しん)五(ご)人(にん)有(あ)りて、天(てん)下(か)治(おさ)まる。武(ぶ)王(おう)曰(いわ)く、予(われ)に乱臣(らんしん)十(じゅう)人(にん)有(あ)り。孔(こう)子(し)曰(いわ)く、才(さい)難(かた)しと。其(そ)れ然(しか)らずや。唐(とう)虞(ぐ)の際(さい)、斯(これ)より盛(さか)んなりと為(な)す。婦(ふ)人(じん)有(あ)り、九(く)人(にん)のみ。天(てん)下(か)を三分(さんぶん)して其(そ)の二(に)を有(たも)ち、以(もっ)て殷(いん)に服(ふく)事(じ)す。周(しゅう)の徳(とく)は、至(し)徳(とく)と謂(い)う可(べ)きのみ。
【訳】
舜帝には五人の重臣があって天下が治まった。周の武王は、自分には乱を治める重臣が十人あるといった。それに関連して先師がいわれた。「人材は得がたいという言葉があるが、それは真実だ。唐・虞の時代をのぞいて、それ以後では、周が最も人材に富んだ時代であるが、それでも十人に過ぎず、しかもその十人のうち一人は婦人で、男子の賢臣はわずかに九人にすぎなかった」またいわれた。「しかし、わずかの人材でも、その有る無しでは大変なちがいである。周の文王は天下を三分してその二を支配下におさめていられたが、それでも殷に臣事して秩序をやぶられなかった。文王時代の周の徳は至徳というべきであろう」
************************************************************************************
 人材は、国家でも企業でも重要である。大きな組織であれば優秀な人材はいくらでもいるだろうが、中小企業ではそうはいかない。我が社もその例外ではなく、どうしても育成に時間がかかるし、手間も掛かる。管理職に登用したり、経営職に登用したりする際、どうしても「選択肢」が限られてくる。私が転職する前に取締役が2名いたが、今から思うと首を傾げたくなるような方であった。それでも会社法で取締役は3名以上いないといけない。そんな中での苦肉の策だったそうである。

 最近は「転職組」が増えて経営人材は充実しつつある。しかし、生え抜き組の中には、日頃の言動から経営という観点では違和感を覚える発言をする人が目立つ。考えてみれば、これまでエンジニアとして腕を磨き評価されてきた人たちである。優秀ではないという事はない。ただ、「経営」はどうしても違う分野になる。それまでやってきた技術の世界とは違うので、なかなかそこの切り替えができないといったところのようである。野球でも「名選手必ずしも名監督ならず」という言葉があるが、それと同じかもしれない。

 その昔、銀行員時代、取引先の社長がよく「我が社には人材がいない」と嘆いていた。この場合の人材とは、いってみれば「経営人材=経営のことを理解できる人材」という意味だと思う。みんな言われた事をやる事に慣れてしまっていて、自分からやろうとはしない。社長の言葉を待っていて、自分の意見を言おうとしない。社長は結構孤独で、経営についてこれでいいのかと悩む事が多い。その時、相談に乗れるかどうか。相談に乗れるような頼もしいNo.2であれば喜ばしい。しかし、そういう人材が社内にはいない。

 我が社も経営人材だけでなく、本業たるソフトウェア開発の人材育成が急務である。ゆえに技術者人材を育成するというのが、我が社の課題の一つである。それはそれで正しい戦略であり、若手のエンジニアにはひたすら技術の向上を目指してもらいたい。ただ、管理職になったら経営の方にも考え方をシフトしてほしいと考えている。ここで語られている「人材」とは経営人材である。国家も企業と同様、「経営」がある。そういう経営人材が必要なのは国家も同様である。

 現代は、女性は数に入らないなどと言えば顰蹙を買うだろう。女性でも立派に経営人材になれる。我が社もこの4月に女性管理職が1名誕生する。その手腕には大いに期待するところであるが、少しずつそれらしい経営人材になれるよう教育とサポートが必要だと考えている。選り取り見取りの大企業と違って、中小企業は少ない選択肢の中から育成しないといけない。しかし、考えようによっては、自分たちにふさわしい管理職を自分たちで養成できるというメリットもある。

 「わずかの人材でも、その有る無しでは大変なちがいである」のは我が社でも同様。そういう人材が10人もいれば安泰かもしれない。いつの世も人材は大事。我が社では「人財」と称しているが、そういう人財を育てられるようでありたいと自分自身思うのである・・・


Kibeom KimによるPixabayからの画像

【本日の読書】

いま世界の哲学者が考えていること - 岡本 裕一朗  ヒール 悪役 (日本経済新聞出版) - 中上竜志



2025年3月26日水曜日

会社の魅力は?

 会社では本業の財務に加え、人事も担当している。その主な業務は採用である。今の会社にきて驚いた事の1つは、新卒採用を実施しているという事である。それまでの感覚では、新卒採用などは上場企業かそれに類するような規模の企業でないとできないものであった。それが毎年複数の新卒採用を実施していると聞いて驚いたのである。とは言え、さすがに首都圏では難しく、地方の専門学校が中心であり、若干名の大卒が加わるといった感じである。それでも新卒採用は新卒採用である。

 新卒は育てて稼働するまでに時間がかかるというデメリットがある。それを補うのが、即戦力たる中途採用であるが、エンジニア市場は人手不足が顕著であり、中途採用はなかなか思うようにいかないのが実情である。そんな採用の現場では、どうしたら思うように採用ができるのかを考えているが、やっぱり一番欲しいのは「会社の魅力」だろうと考えている。わずか社員100名程度の会社であるが、規模はそれほどハンディにならないと感じているが、それも「会社の魅力」次第だろうと思う。

 「会社の魅力」と言ってもいろいろある。キーエンスのようにとにかく給料が高いというのも1つの魅力だし、上場企業というのもそうだろう(上場して採用がやりやすくなったと聞いた事がある)。純粋に仕事内容というのもあるだろうし、福利厚生もあるのかもしれない。今の時代はフルリモート可能というのも入るようである。特に中途採用だと、応募者はある程度経験を積んでわかっているから、よほど心に刺さるものがないと応募すらしてくれない。その点、新卒採用はみんな白紙なので、「働きやすい」、「人に優しい」といったキーワードでも魅力を感じてくれるが、中途では難しい。

 考えてみれば、それは恋愛と同じなのかもしれない。人を惹きつけるものは何よりもその人のもっている「魅力」であろう。女性にモテたいと思うのであれば、自分を磨いて魅力を備えないといけない。もっとも、恋愛でもその魅力がかつて言われた「三高」のようなものかもしれないので、その魅力にもいろいろある。お金持ちの男が好きな女性もいれば、イケメンがいいという女性もいる。ただ、そういう「三高」のようなものを持ち合わせない男は、やはりそれに匹敵するような魅力を備えないといけない。

 我が社は残念ながら、男の「三高」にあたるようなものはない。給料が特別高いわけではないし(業界平均は維持できているとは思う)、特別休みが多いわけでもない。大企業=金持ちのイケメンとするなら、到底太刀打ちはできない。ならばどうするか。男なら何かの夢に向けて努力している姿が眩しかったり、相手を大事にする姿勢だったりするのかもしれない。金持ちでもイケメンでもないならないで、それに代わる魅力を磨かないといけない。小さな会社であっても、キラリと光る技術や得意分野などがあったらいいのかもしれない。

 私も過去に転職経験がある。いい会社に入りたいと思うが、外からだとわからない部分もあり、見極めるのは難しい。だが、いい会社に入るより、入った会社をいい会社にすれば一番間違いがない。私はそんな考えで「居心地のいい」会社にしようとあれこれ提案している。もちろん、社員からの提案も受け付けている。その成果として、独特の休暇+休暇奨励金制度も作っている。そんなところも会社の魅力作りの1つと考えているが、やはり技術の会社だから技術の魅力が欠かせないと考えている。

 女性がお金持ちに惹かれるのはよくわかる。男も女もお金はできるだけたくさん欲しい。だが、「お金があればそれだけでいい」という女性に、それほどの魅力は感じない。それと同様、「給料がより高い会社がいい」という応募者にも魅力は感じない。もちろん、だから安月給で雇おうというわけではないが、給料+αのものを求める人に魅力を感じる。「働きを見てから給料を上げてくれ」という人であれば、個人的には大歓迎である。「大きな組織の小さな歯車よりも小さな組織の大きな歯車になれ」とは社員によく言っているが、受け入れ側も魅力ある職場作りをしたいところである。

 お金があって、イケメンであれば選り取り見取りなのだろうが、そうではない。そういう恵まれた人生は送れなかったが、あれこれ奮闘努力して成果を上げるという喜びもある。財務担当という形で入社したが、思いもかけずに担うことになった「採用担当」。楽しみながら奮闘努力したいと思うのである・・・

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

【本日の読書】

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書) - 吉田裕 春の雪 (新潮文庫) - 三島 由紀夫






2025年3月20日木曜日

幹部合宿

 会社では何回か経営幹部による合宿をやっている。経営に関する事を徹底して話し合おうというもので、普段営業時間中にはなかなかできないので休みの日に行ってきたのであるが、最近は平日の営業時間中にもやるようになっている。話し合あう事は今後の経営のあり方などであるが、こういう時間も実に大切であるなと実感している。メンバーは社長と取締役以外にも部長クラスの経営幹部も含めている。より広く意見を募ろうという考えと、より多くに経営的な考え方を身につけてもらい、もって将来の役員育成も兼ねるためである。

 経営的な考え方という意味では、かなり効果があるように思う。これまで「自分の視点」からしか見ていなかったものが、「会社の視点」から見られるようになれると思うからである。「自分の視点」に立つと「やりたくないなぁ」とか「大変そうだ」とか「めんどくさそうだ」などという理由からなんとかやらずに済まそうとするなるかもしれない。しかし、「会社の視点」を持つことができれば、自ずと行動も変わってくる。「自分がやらないと」と思うようになる。

 視点の違いは大きな行動の違いになって現れてくる。現場でずっとエンジニアをしていた社員には、管理職になった時から「会社の視点」を身につけてもらいたいと思っている。これまで特にそれが意識されてきたことはなく、なんとなく「肩書きだけ変わって意識が変わらない」状態で来ている。中小企業ゆえに教育制度が整っているわけでもなく、仕方がなかった面もあるが、自分としてはそういう状況は変えていきたいと考えている。中小企業であっても、課長は課長らしく、名ばかり管理職ではなく大企業の課長と比べても意識面で遜色ないようにしたいと思う。

 それは当然、役員、部長ら経営幹部陣にも当然言えることである。それでもまだ意識の面で「自分視点」から抜けきれていない者がいるのも事実であるが、そういう者の視点転換も幹部合宿の意義の一つではないかと思う。考え方としては、「何も休みの日に」というのもあるかもしれない。それじゃぁまるで仕事が趣味のようで、他にやることもないのかと思われてしまうかもしれない。休みの日に仕事をさせられるなんてと思うかもしれない。しかし、強制されてやるものでもないというので、原則自由参加が我が社の基本スタンスである。

 例えば「会社のあるべき姿は」などという議論は、普段の営業時間中にのんびり話せるものでもない。かと言ってそういった考えもなく走るのは、目的もなく足元だけ見て走るようなものである。売上だってただ◯◯億円といった数字だけを掲げるのではなく、どんな事をやって◯◯億円を達成するのかというのも大事である。既存事業だけを粛々とやっていくのか、新規分野に進出するのか、それによっていろいろと変わってくると思う。自分としては、もっと技術力を高める事を一つの目標にすべきだと思っているが、次回のテーマにはそんな事も提案したいと考えている。

 それ以外にも今は一つの事業を柱としていて、新規事業として自社製品の開発を細々と始めたところである。将来的にはこの二本柱を太くするとともにもう一つの柱を育てて三本柱とすればいいのではないかと考えている。もしも同意が得られれば、「ではどうやるか」という具体論に入っていく事になる。こういう事はじっくり時間を取ってワイワイガヤガヤやるのがいいと思う。会社としてももっともっと成長していきたい。より大きな会社になって経営を安定させたいし、収入も増やしたい。それには将来を語るのは大事だと思う。

 働くのは最低限70歳までと決めている。それまではただ働くのではなく、今の収入を保って会社での今のポジションもキープしていきたい。社員の将来も担っているわけであるし、やりがいもある。幹部合宿も積極的にみんなをリードしていきたいと思うのである・・・


Jo_JohnstonによるPixabayからの画像

【今週の読書】
イスラエル戦争の嘘 第三次世界大戦を回避せよ (中公新書ラクレ) - 手嶋龍一, 佐藤優  頭のいい人だけが解ける論理的思考問題 - 野村 裕之  春の雪 (新潮文庫) - 三島 由紀夫




2025年3月16日日曜日

中学の同窓会

 中学校の同級生から同窓会をやるという連絡が届いた。前回はコロナ禍前の2017年だからおよそ8年ぶりということになろうか。前回、勇気を振り絞って行き、それなりに思い出のある面々と再会して楽しいひと時を過ごした。中には前回来ていなかったメンバーもいて、卒業以来、45年ぶりの再会という者もいた。名前を聞いても思い出せない者もいて、とうとう最後まで思い出せず、申し訳なく思った。それにしても年月は人の外見を見事に変える。指名手配写真などは月日が経てば間違いなく本人とわからなくなるだろうと思う。

 中学の時は、いわゆるツッパリグループがいて、変に絡まれないかと目を伏せてなるべく関わり合いにならないようにと過ごしていた。今回、同窓会でもできれば会いたくないし、たぶんみんなに嫌われていたから来ないだろうと半ば安心していた。ところが、来たのである。初めはそれとわからず、普通に「誰だろう」と思って話をしていたが、なんと会いたくない筆頭メンバーだったので驚いてしまった。内心の動揺を隠しつつ、表面上は穏やかに話していたが、外見からして羽振り良さそうで、聞けば会社経営者ということであった。

 意外な気もしたが、よくよく聞けば高校にもきちんと行き、頭は悪くなかったようで、社会に出てから真面目に頑張ったのであろう。中学時代は確かに喧嘩番長的なところがあったが、道を間違えずに成長したということなのだろう。一方で、その取り巻きだった者は、高校も定時制に行き、まともに卒業せず消息不明。まともな道には進まなかったらしいという話も聞いた。同じように悪い仲間にいても、まともに社会に出る者と道を外れてしまう者との差は、やはり考え方、意識の違いだろう。その会社経営者は私もよく知る同級生の女性と結婚したと聞いて2度驚いた。

 小学校から好きだった女性とは今回も再会できて感慨ひとしおであった。孫も5人いて、それなりに幸せそうであった。小中学校でかわいかった子は、大人になっても美人になるのだろう。当然と言えば当然。そうでなかった子も大人になればそれなりに綺麗になるものだとは思うが、還暦を迎えても見惚れてしまうのはやはり元がいいという事に尽きるだろう。聞けば私がまだ学生の頃に早々に結婚したと言う。交わる事のなかった互いの人生が何となく恨めしい気もする。

 訃報も一件あった。前回も来ていた者だった。同じように生きてきて、途中でそれが終わってしまう。本人もそういう未来は予想もしていなかっただろう。人の寿命はそれぞれだから不思議ではないが、その運命の違いに何とも言えないものがある。本人もたぶん8年後の同窓会に自分が参加できないとその時は想像もしていなかっただろう。考えてみれば、そういう自分も未来は永遠に続くわけではないが、いつになるかわからないが、次にやる時も出席したいし、親よりは長生きしたいと思うだけである。

 今は便利な時代。好きだった子とは2人で記念の2ショットを撮らせてもらい、LINEを交換し、LINEグループにも招待してもらった。次回があればまた誘ってもらえるだろう。それにしても話しかけられ、親しげにあれこれと思い出話をしてくれた友人がいたが、名前を聞いても最後まで思い出せなかった者がいた。名前を聞くとだいたい昔の記憶が蘇ってきたのだが、その者だけはどうしても思い出せなかった。帰ってきて卒業アルバムを引っ張り出して探してみたら、何とクラスメイトだった。昔の顔を見たら何となく思い出したが、考えてみればそれほど仲良くしていたわけではないから無理もない。

 中学時代に仲が良かった者とはさすがに話が弾んだ。卒業後の人生はそれぞれ。毎日のように遊んでいたのに、卒業してプッツリと関係が途切れてしまったのも寂しい気がする。もっとも高校に行って新しい友人ができ、ラグビーも始めてそれなりに充実した日々だったから無理もない。共学だったからそこにはまた魅力的な女の子もいたし、初めて彼女ができたのも高校に入ってからだった。ツッパリグループもいなかったし、楽しい毎日だったからそれはそれで良かったと思う。

 それにしても時を経てこうして昔の同級生に会うというのもいいものだと思う。仲の良かったメンバーとはまた別に飲みに行こうと約束をして別れた。自分の過ごした時間を共有した仲間だし、また会いたいと思う。会いたくなかったツッパリグループの一部のメンバーとも握手して別れた。自分の歴史の一部でもあるし、これからも大事にしたい繋がりだと思うのである・・・

congerdesignによるPixabayからの画像

【今週の読書】
頭のいい人だけが解ける論理的思考問題 - 野村 裕之 世界は経営でできている (講談社現代新書) - 岩尾俊兵 〈他者〉からはじまる社会哲学 - 中山元





2025年3月13日木曜日

親父の運転免許証

 父は今年で88歳になった。今のところ特に大きな病気を抱えているわけではないが、やはり年齢によるものなのか、認知的なところで衰えが目立つようになってきた。伝えた事も一晩寝れば忘れてしまうという事は日常である。この冬、家の中でも寒いからと言ってダウンを着ているのを見かねてユニクロのフリースをプレゼントした。温かいしちょうどいいと言ってさっそく着ていたが、翌週行くとまたダウンを着ている。フリースは気に入らないのかと聞くと、その存在を忘れていた。

 昨年は何度も財布をなくした。最初の時は銀行のキャッシュカードやクレジットカード、運転免許証が入っていたので大騒ぎ。キャッシュカードとクレジットカードは喪失再発行手続きを取り、免許証は諦める事にした。翌週、実家に行き、確認すると再発行されたクレジットカードは届いていたが、同じカードが2枚ある。運転免許証もある。よくよく聞いてみると実はなくしていなかったのである。

 その後、また財布をなくしたと言うが、今度は知らん顔をしていた。なくした免許証はどうすればいいかと何度も聞かれ、キャッシュカードも止めたと言う。それがまた次に行くと、「キャッシュカードが使えない」と言う。銀行に停止連絡をしたのを忘れていたらしい。もちろん、なくしたはずの財布も手元にあった。私も幾度か付き添って銀行に手続きに行ったが(その前にも使わなくなった口座の解約手続きがあったのである)、とうとう窓口の担当者に私の顔を覚えられてしまった。

 そんな騒ぎもあり、運転免許証は返納することにした。付き添って近所の警察署に行く。手続きは簡単で、運転経歴証明書が必要なら写真と手数料を持って行けば良い。父もそれを申し込んだ。警察署の担当者は「長い間ご苦労様でした」とねぎらいの言葉をかけてくれた。一律、こういう対応なのか、この担当者が個人的にそうなのかはわからないが、ちょっといい気持になれる対応である。父が運転免許を取得したのは私が生まれる前だから60年以上前という事になる。当時の教習車は(国産車がなかったのか)左ハンドルだったらしい。

 当時、父はたまたま失業中だったという。印刷工として腕一本であちこち渡り歩いており、「何もしないなら運転免許でも取れば」という母の声に背中を押されて取りに行ったそうである。のどかな時代で、教習所で何時間か運転したところ、「あなたはうまいからもう受けに行ったら」という教官の言葉を受け、試験場に行って試験を受けたそうである。今なら教習所も商売だからきっちり30時間以上乗って実技免除資格を取らせるだろう。そんなわけで直接試験場に行った父は、実技も一発合格で晴れて免許を手にしたそうである。

 父は腕のいい印刷工で、どこへ行っても重宝されたらしいが、勤め人だったら自家用車は買えただろうかと思う。幸い、自営業として商売をはじめ、腕がいいからいいお得意さんもでき、おかけで我が家に自家用車がやってきた。それまで車に乗ると言えば親戚の伯父の車に乗せてもらうのが関の山で、我が家に自家用車があるというのは、なんだかものすごく贅沢になった気がしたのを何となく覚えている。父はスカイラインを何回か乗り替え、最後はハリアーと長く日産車を愛用していた。

 70歳で商売を終了し、工場をたたんだ。年金生活に入り、そろそろ運転はやめるべきだと家族は進言したが、運転をやめようとはしなかった。ちょっと心配していたが、最後のハリアーを手放す後押しをしたのは、都内の高い駐車場代だった。さすがに年金生活では無理だと諦めたのである。それでも免許だけは手放さず、5年ごとに更新を続けた。まだ乗る機会はあると思っていたようである。それがとうとう、「もう乗る事はない」と自ら言って、免許更新のタイミングでの返納となったのである。

 自家用車がきたからといって家族で頻繁にドライブに行ったという記憶はない。私も高校ぐらいから家族と行動をともにしなくなったのでよけいである。私が免許を取ると、父の愛車も私が頻繁に借り出すようになった。父はよく愛車の手入れをしていて、いつもぴかぴかだったが、新米ドライバーの私がちょこちょこ傷つけてしまった。父が怒ることはなかったが、今にして思えば申し訳なかったように思う。最後は故郷へ母を乗せて行くくらいが唯一の遠出だっただろうか。

 警察署へ向かう道すがら、「免許証は提出したら返ってこないのだろうか」とぽつりと父が呟く。運転はしないが、免許証は記念に取っておきたいらしい。「穴をあけて返してくれるんじゃない」と私は答えたが、やはり未練は残るのだろうかと思ってみたりした。免許証は簡単な記念のカードケースに入れて返してくれた。もう父が運転する車に乗る事はないんだなと改めて思う。父の運転する車に最後に乗ったのはいつだっただろうか。愛車の廃車を決めた時、最後に父とドライブでもすれば良かったなと改めて残念に思うのである・・・

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

   【本日の読書】
世界は経営でできている (講談社現代新書) - 岩尾俊兵頭のいい人だけが解ける論理的思考問題 - 野村 裕之

2025年3月10日月曜日

目標達成に向けて

 我が社では3年スパンの中期経営計画を立ててそれを目標に経営を行っている。今期その最終年度であるが、半年を過ぎようとしている現在、その達成が危ぶまれている。それなりに高い目標を立てているのである程度は未達でも仕方がないが、それでも来期は次の3ヵ年計画を立てる必要があり、そこに臨む「勢い」というものがあった方がいい。しかし、その「勢い」がないから問題意識を持っている。ここで言う「勢い」とは「意識」と言い換えてもいいかもしれない。

 高い目標に向かうには、高いモチベーションがないといけない。そのモチベーションは肝心の収益部門の幹部には見られない。財務担当の私は、直接収益を生み出せる立場にはない。ゆえに側面サポートにならざるを得ない。先日読んだ『ユニクロ』には、柳井社長が読んで感銘を受けた書籍として、ハロルド・ジェニーニンの『プロフェッショナル・マネージャー』が紹介されていたが、そこに「現実の延長線上に目標を置いてはならない」と書かれていたという。我が社の目標はまさに「現実の延長線上」にはない。ならばどうするか。

 基本的に、今やっていること以外、これまでやってきた事以外のことを何か考えないといけないわけで、なのに現場の幹部はこれまでやってきた事を一生懸命やっている。一生懸命やっているのはわかるのだが、それだと「現実の延長線上」にしか行けない。それをわかってやっているのかというと、おそらくわかっている。わかってはいるが、他のやり方を知らないから今までの方法で頑張るしかないと思っている。私からは新たな方法を現場に提案してはいるものの、受け入れてはもらえない。

 受け入れてもらえない理由については、明確な回答をもらえないのでよくわからない。門外漢の私が的外れな事を言っているのかもしれないし、的外れではないが手間暇を面倒に思っているのかもしれない。人間誰しも新しい事に踏み出すのは億劫なものであり、それが自ら進んでやるなら勢いよくやれるが、人から言われた事に対しては腰が重くなる。私の提案は、同業他社と提携してやろうというもので、それほど的を外しているとも思えない。たぶん、心理的抵抗感であると思う。

 「ならどうするか?」、ここのところそれを考えているが、妙案は浮かばない。「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」というイギリスの諺があるが、まさにその通り。目標達成に向けてモチベーションを高くと思っても、それが伝わらなければ意味がない。今のところ「面従腹背」状態である。たぶん心の中では「こんな目標はそもそも達成するのは無理」と思っているのかもしれない。目標も自分で立てないと意味がない。与えられた目標なら、一旦それを自分の目標に落とし込む必要がある。

 銀行員時代、私も高い目標を与えられていたが、内心「無理だろう」と思っても、やらないと成績に(つまりボーナスに)関わるからやらないわけにはいかない。それゆえに心がけていたのは、それを「自分の目標」に転換する作業。与えられた目標を自分で立てた目標に切り替えていたのである。単に気持ちの問題であるが、「やらされ感」が軽減されるだけでも気分はだいぶ前向きになれたものである。それは今に至るまで変わっていない。たとえ収益部門に属していなくても、「何かできないだろうか」と常に考えている。

 「こんな目標できるわけがない」という考え方は、それまでの発想からきている。それこそ「現状の延長」の発想である。現状の延長で考えるから「できるわけがない」と思う。現場に詳しければ詳しいほど、その発想にずっぷりと浸かり逃れられなくなる。一旦、現場の発想から離れ、今やっている事、今までやってきた事以外に何かできないかと考えてみないと「現状の延長」線上の思考からは逃れられない。「人の振り見て我が振り直せ」とは昔から言われている言葉だが、他人の行動は客観的に見るからよくわかる。

 間接部門の財務担当の立場からどこまで考えられるかはわからないが、初めてM&Aで会社を買収するというチャレンジを成功させたのは私の一つの功績であり、これからもいろいろとアイディアを出していきたいと思う。「自分の立場で何ができるか」を考え、幹部に「勢い」をもたらしていきたいと思うのである・・・


Beat WormstetterによるPixabayからの画像

【今週の読書】
刑事捜査の最前線 (講談社+α新書) - 甲斐竜一朗  世界は経営でできている (講談社現代新書) - 岩尾俊兵 傲慢と善良 (朝日文庫) - 辻村 深月 頭のいい人だけが解ける論理的思考問題 - 野村 裕之





2025年3月8日土曜日

論語雑感 泰伯第八 (その19)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、大哉、堯之爲君也。巍巍乎、唯天爲大。唯堯則之。蕩蕩乎、民無能名焉。巍巍乎、其有成功也。煥乎、其有文章。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、大(だい)なるかな、堯(ぎょう)の君(きみ)たるや。巍巍乎(ぎぎこ)として、唯(た)だ天(てん)を大(だい)なりと為(な)し、唯(た)だ堯(ぎょう)のみ之(これ)に則(のっと)る。蕩蕩(とうとう)乎(こ)として、民(たみ)能(よ)く名(な)づくること無(な)し。巍巍乎(ぎぎこ)として、其(そ)れ成功(せいこう)有(あ)り。煥(かん)乎(こ)として、其(そ)れ文(ぶん)章(しょう)有(あ)り。【訳】
先師がいわれた。「堯帝の君徳はなんと大きく、なんと荘厳なことであろう。世に真に偉大なものは天のみであるが、ひとり堯帝は天とその偉大さをともにしている。その徳の広大無辺さはなんと形容してよいかわからない。人はただその功業の荘厳さと文物制度の燦然さんぜんたるとに眼を見はるのみである」
************************************************************************************

 孔子はしばしば過去の君子を褒めたたえる。しかし、それがどんな様子だったのかまでは明らかにされていないので、何がどれほど素晴らしかったのかわからない。「大きく荘厳な君徳」とはいったいどんな君主だったのかと興味深い。そもそも名君の条件とは何であろうか。前回も同様の話であったが、世の君主は誰もいい点と悪い点があり、無条件で名君とは決めかねるように思う。ある人にとっていい施策が別の人には不利益である事も珍しくないだろう。名君の条件とは何であろうか。現代に置き換えれば、さしずめ「良い政治家とは」という事になるのだろうか。

 先日、就活の学生に何気なく「日本の総理大臣は誰だか知っている?」と聞いたところ、驚いたことに答えられなかった。家に帰って恐る恐る息子に同じ質問をしたところ、「石破茂」と、なんでそんな当たり前の事を聞くのかと言いたげな怪訝な顔をして答えてくれた。ちょっと安堵したが、知らない方が悪いのか、知られていない方が悪いのか、微妙なところであるが、どちらにしろ日本の総理大臣は、日頃何をしているかよくわからないし、我々の生活に直接の影響を及ぼしているように思われないせいかもしれない。

 戦後の日本の総理大臣は何人もいるが、メジャーなところでは、吉田茂、岸伸介、佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三といったところが挙げられる。みなそれぞれに功績があり、優れた宰相だとは思うが「名君」かと聞かれると答えに窮してしまう。そもそも「名君」の条件がよくわからないし、表に現れない人となりもわからない。ただ、日本のトップの地位に上り詰めたわけであるから、それなりに優れた人物であることは間違いない。民主主義のリーダーは独裁者ではないから、すべて1人で決めるわけでもない。名君かどうかはよくわからない。

 歴代の総理大臣の中には、女性問題でわずか3か月ほどで辞任せざるをえなかった人もいる。小沢一郎のように力があっても総理大臣になれなかった人と比べてどうなのかと思う。総理大臣がすべてではないが、「名君」を考えるなら総理大臣の立場にあった事が必要になるだろう。それにしても総理大臣になった時には得意絶頂だっただろうに、わずか3か月で辞任せざるをえなかった心境はいかばかりだっただろう。「英雄色を好む」ではないが、みんなそれぞれにそういう相手はいただろうにと思う。

 名君と言っても、人間である以上、完全無欠で非の打ちどころのない人物などいないだろう。であれば、女性問題くらいどうという事もないように思うが、「男には2種類しかいない。浮気をする男とそれがバレる男」(ドラマ『夫婦の世界』)という言葉を鑑みれば、バレる時点でダメとも言える。芸能人なら袋叩きにされる問題であるが、「名君」の条件はやはり政策面であるだろうし、浮気の有無は「する、しない」ではなく、「バレる、バレない」であるのだろう。

 政策面も後から評価されるという事もある。田中角栄など、金権政治で最後はロッキード問題で批判一色になったが、後に復権ともいうべき再評価がされている。安部総理も批判勢力がすごかったが、歴代最長の在任期間に現れているように、特に外交面で優れた実績があったと思う。想像でしかないが、総理大臣にまで登り詰めた人であれば、あと求めるのは名誉だけだろうから、善政を敷いて「名君」の評価を得られるようにするのではないかと思える。結果はともかく、みんなそれなりにいい政治を心掛けるのではないかと思える。

 現代の名君とはどんな政治家になるのであろうか。名君であるかどうかはともかく、みんなそういう名君を目指してほしいと思うのである・・・

malstによるPixabayからの画像

【本日の読書】

世界は経営でできている  傲慢と善良 (朝日文庫) - 辻村 深月






2025年3月2日日曜日

結局は「意識」の違いなのだろう

 人はみなそれぞれの考え方をもっていて、それに従って行動する。必ずしも同じように行動するのではなく、同じ現象を前にしても人によって違う。当たり前ではあるが、自分では当然のようにやる行動を同じ立場の人ができない、やらないと違和感を禁じ得ない。どうしてそうなのか。人によって考え方や行動が違うのは当たり前ではあるが、なぜそうなのかとよくよく考えてみれば不思議である。部下に仕事をやらせるにしても、同僚のTとはそのやり方が私とは違う。

 業務でとある社員の残業時間が月の上限の45時間を超過した。会社は従業員といわゆる「三六協定」を結んでいて、月間の上限を45時間としている。もちろん、一か月だけ超えたからといって直ちに問題となるわけではない。ただ、それが続くと問題になりうるものであり、管理者としては現状を把握し、場合によっては対策を指示しなければならない。Tがその対応について社長に問われていた。Tの答えは「部下(の管理職)に任せてある(のですぐには答えられない)」というものであった。

 当然、社長としてはその答えに納得はできない。当然ながらすぐに確認しろという事になった。私であればそもそも社長に言われる前に確認していただろう。一応、総務担当役員として全社員の残業については確認しているが、総務でなくても自分の部署の社員については確認するのが当然であり、言われなくてもやるのが当然な事である。認識が甘いと言えばその通り。おそらく、「サービス残業が当たり前」の「社会人昭和デビュー世代」の感覚が邪魔をしているのかもしれない。

 考え方の基には興味・関心の違いもあるのかもしれない。本業の責任者であるがゆえに業績推進の方に関心が行っていて、残業管理に対する関心が薄いのかもしれない(それではいけないのだけれど)。役員ともなれば幅広く目を向けなければならないわけであり、それは言われてやるものではなく、自ら関心を持ってやるものである。ただ、Tにはそこまで考えが及ばないのであろう。そういう関心の有る無しはどこからくるのだろうかと思うも、それはなかなかわかりにくいものである。

 週末、私はシニアのラグビーチームで汗を流している。練習時間は基本的に2時間であるが、私はたいてい、その前後30分くらいを自主練に当てている。本当はもっとやりたいのであるが、借りているグラウンドの時間の都合上の制約があってそれくらいしかできない。ただ、そういう自主練をやっているのはほぼ私1人で、みんなは全体練習だけである。自主練は個人的に強化したいところをやるのであるが、私の感覚では「もっと上手くなりたい」と思えば自然とそういう行動に出ると思うのだが、みんなにはそこまでの気持ちはないのだろう。

 趣味でさえそうなのだから、仕事となればもっと関心が低くなるのもやむを得ないのかもしれない。結局のところ、「どこまで気がつくか」の問題であり、それは興味関心の領域に入るものであり、それはとどのつまり、その事に関して「どれだけ気持ちが入っているか」になるのではないかと思う。学校の勉強ができなくても、ゲームなら得意という子供は五万といるだろう。それは学校の勉強よりもゲームの方が面白いからであり、「気持ちが入る」からのめり込む(だから得意になる)。

 この週末、『BLUE GIANT』という映画を観た。主人公は世界一のサックス奏者になる事を夢見る高校生。ジャズに魅せられ、自らサックスをやりたいと思い、毎日毎日地元仙台の河原で練習する。「一念岩をも通す」という諺があるが、人間そこまで入れ込んで夢中になると、自然と実力もついてくる。それは一般的に「才能」と呼ばれるものの正体であるが、そこまでやると、他の人には見えないものも見えてくるのかもしれない。「好きこそ物の上手なれ」という諺も同様である。

 人の事はとやかくいうものではないが、同僚のTを見ていると、一方で自分のやる事も見えてくる。Tは私にとって「他山の石」的な存在とも言える。住宅ローンを払い終え、年金をもらい始める70歳までは今の地位と給料を維持したい(と言うよりもっと上げたい)と思うが、それには実績も示さないといけない。人はともかく、自分は頑張らないといけない。仕事も趣味もやるならきっちりとやりたい。そういう心意気を維持したいと思うのである・・・

Stefan KellerによるPixabayからの画像

【本日の読書】
「悩まない人」の考え方 ── 1日1つインストールする一生悩まない最強スキル30 - 木下勝寿 傲慢と善良 (朝日文庫) - 辻村 深月