2017年5月24日水曜日

意思の力

最近、仕事でいろいろと議論をしていて考えた。「意思あるところに道は通じる(“Where there's a will, there's a way.”)」というが、それはとても大事な考え方だということである。きっかけとなったのは、これからやっていくことについての議論だった。正直言ってやるのは難しい。でも何かやらないと会社の業績発展はない。現状は下りのエレベーターに乗っているようなもの。停滞は死を意味する。では何をやって下りのエレベーターを駆け上がるか。

「冷静に分析して、できる可能性が低かったらやってもしょうがない」という意見を言われた。それを聞いて瞬間的に嫌悪感を感じたが、感情的になるよりも実際のところどうだろうかと冷静に考えてみた。確かにそれは一理ある。世の中、無駄な努力など数多くあるだろうし、何でもやってみればうまくいくというものでもない。だからと言って冷静に分析してやっても無駄と言っていて平然としてもいられない。

しかしながら、よく考えれば「冷静な分析」というのも実はアテにならないと思う。それは頭の中で空想しているだけだったり、「運」と言ってもいい想定できない要素を含んでいないからである。経営の神様松下幸之助は、人を採用する際、「運がいいかどうか」を基準にしたという(【運命を開く】)。その運とはとどのつまり考え方らしいが、その通りだと思う。

ある営業マンが取引を取ろうとある企業に日参していたが、担当部長はけんもほろろ。来ても無駄と取りつくシマもない。頑固そうだし、「熱心に来ても無駄」と言い切る姿勢からは突破口を開く道筋が見えない。一日の終わりに疲れて帰る道すがら、それでも今日も行ってみようと足を向けた。ところが部長はその日は風邪で休みで、代わりに出てきた社長が暇をいいことに話を聞いてくれ、面白そうだとその場で契約してくれた。たとえの作り話であるが、似たような話はこれまでも耳にしたことがある。まんざら突飛な作り話でもないはずである。

では、そうした「偶然」を予測できるかと言えば、いくら「冷静に予測」したところで予測できない。そうした「偶然」を呼び寄せたのは、「諦めなかった心」であり、それは「執念」とも「情熱」とも言えるが、結局は「意思の力」に他ならない。そういう意思の力をもって何かをやろうとして奮闘していれば、たまたまそれを見ていた人が協力の手を差し伸べてくれるかもしれない。そういうものだと思う。

「できるかできないか」ではなく、「やるかやらないか」。
目の前の道は舗装された平坦な道ではなく、曲がりくねった砂利道が上り坂になっているようなものだと思う。次々に出てくるハードル。それを乗り越えたりくぐったり蹴とばしたりしながら目的地に向かって進んでいかないといけない。そこで必要になってくるのは、もう「意思の力」しかないと思うのである。

目の前にあるLong and Winding Road。意思の力をもって突き進んでいきたいと思うのである・・・






【本日の読書】
 
    

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