2013年1月27日日曜日

日本核武装論

 尖閣諸島を巡っての漁船衝突事件や国有化問題に端を発し、中国とのイザコザが収まる気配がない。今も連日のように領海や領空で、中国のプレッシャーが続いている。右寄りの産経新聞は元より、中国批判の論調は強く、私の周りでも中国との本格的な軍事衝突の可能性を訴える声を耳にする。

 そんな中で、国有化問題の発端とも言うべき石原元都知事は「日本核武装論」まで唱えている。世界唯一の被爆国として、我が国の核兵器に対するアレルギーは、たぶん世界一だと思うが、そんな中でも最も極端な意見だと思う。いつの世も過激な事を言う人たちは必ずいるものであり、石原さんもそんな一人だと片付けるのは簡単である。

 しかし、よくよく考えてみると、これは真剣に検討すべき課題なのではないかという気が最近ではしている。普通に考えれば、核戦争などやったら人類は終わりに近くなるだろうし、経済の密接し合った現代で、かつてのような戦争などやっても益はないだろうし、周辺国の反発は必至だし、持つ意味などないように思える。私は基本的に「米中等距離外交論者」だし、「中国とは友好を築くべき」だと考えている。ただ、だからこそ、その前提として「核兵器の保有」が必要だとも思えるのである。

 男の感覚からすると違和感はないと思うかもしれないが、男は子供の頃から「殴り合いの喧嘩」を多かれ少なかれ意識する。「やられる」と思えば、譲歩しなければならないし、「勝てる」と思えば交渉も強気になる。殴り合いの喧嘩でなくても、例えば上司との議論を想像してみるとわかりやすい。上司と議論して論破できるか否かは、悲しいながら上司の力量次第。

 いくら立派な理屈を並べ立ててみたところで、「俺がNoと言ったらNoだ!」と言うタイプだったら、どうしようもない。中国との小競り合いも、アメリカという後ろ盾があるから「小競り合いで済んでいる」とも言える。いじめっ子に睨まれた優等生が、かろうじていじめられずに済んでいるのは先生の目があるからである。先生がいなくなれば、手も足も出ない。

 尖閣諸島に中国軍が上陸したら、日本は単独ではどうしようもない。抗議など「蛙の面に○○」というところである。では「アメリカと徹底的に仲良くして」いれば良いかと思えば、本当に大丈夫と言いきれるだろうか。

 今朝もアメリカのケリー上院議員が中国重視の発言をしていた。アメリカは限りなく国益を追求する国である。これから益々経済力をつけてくる中国である。いつまでも日本の方が重要だと思ってくれるだろうか。

 そうした時に、核兵器を保有していれば、中国もおいそれとは過激な行動がとれなくなる。日本の技術力を背景にすれば、北朝鮮の怪しげな核兵器よりもさらに強烈なインパクトを与えるだろう。アメリカの後ろ盾を失ったとしても、中国には単独で相対できるはずである。

 今の時代、核兵器は攻撃用の兵器ではなく、あくまでも「抑止力」である。使えばお互い大変な事になるから使えない。しかし、「ある」のと「ない」のとでは大きく違う。ひ弱な優等生が空手の黒帯を取れば、いじめっ子も手を出せなくなるのである。

 「使わない兵器」というのもおかしなものであるが、核武装はあくまでも喧嘩の道具ではなく、話し合いの道具と言う事もできる。石原さんが、「軍事的な抑止力を強く持たない限り外交の発言力はない。今の世界で核を保有しない国の発言力、外交力は圧倒的に弱い。北朝鮮は核を開発しているから存在感がある」という意味が、ここにあると思う。

 経済でも軍事でも外交でも、今は中国の方が一枚上手である。そんな中国が、過去の経緯もある日本と本当に友好関係を築いてくれるか、は今は相手の力量にすべて委ねられている。しかし、核武装すれば相手は一目置いて、初めてきちんと話を聞いてくれるのではないかと思う。逆説的ではあるが、本当に友好的にやろうとするのであれば、核兵器こそその有効な後ろ盾となるのではないだろうか。

 まあ結局は自分で何とか自立するか、相手の力量に頼るかの話である。相手の力量に頼るのが一番問題は少ない。中国が「理解ある上司」であれば問題はない。人任せではなく、空虚な理想論でもなく、現実的にドラスティックな国際社会で自立していこうと思ったら、やっぱり考えなければならない事かもしれないと思うのである・・・


【今週の読書】

“悪の論理”で世界は動く!~地政学—日本属国化を狙う中国、捨てる米国 - 奥山 真司 県庁おもてなし課 (角川文庫) - 有川 浩





     

 

2013年1月20日日曜日

日記

 初めて日記をつけ始めたのは、記憶にある限り小学校3年の時だ。キャラクターの絵のついた日記帳を親がくれたのである。1年くらいはつけたであろうか。その後も何度か書いては途切れを繰り返し、今のは1999年からずっと続いている。最初の3年間は市販の日記帳。その後はパソコンの中だ。市販の日記帳にペンで書くというスタイルが一番良いと思うのだが、それだと「見られる」リスクがある。そうすると、見られてまずい内容は書けない。

 よく有名人の残した日記が公開されたりしているが、自分はそんな大それた存在でもないし、残して誰かに読んでもらおうなどとも思わない。そう考えてパソコンに保存しているのである。そういう日記は、もちろん後で読み返す事に意味がある。

 高校生以後のものは今も手元にある。文章の巧拙はあるものの、テイストはあまり変わっていない。しかしながら、やっぱり10代の“青さ”が滲み出ている文章は、とてもではないが人に見せられたものではない。いつか人生の終わりに身辺整理をする時に、忘れずに処分しないといけない。

 人間の記憶というものは、曖昧であり、頼りない。過去に過ごした一日一日はほとんど忘却の彼方だ。しかし、日記に書いてあるとその時の記憶が呼び起こされる事もある。過去の日記を読み返す事は、けっこう面白いものである。

 高校生の時に初めて女の子と付き合った。こういう記述は、例え自分のものでも一層興味深い。付き合うに至る過程の心の動きもきちんと書いてある。「若いなぁ」と改めて思う。初めてのデートの時の記憶など、完璧に失われているが、日記にはその時の様子が書いてある。これぞ、日記の効果であろう。

 自分でもわりと記録に残す事は好きな方だと思う。映画館に観に行った映画は、小学校6年の時に初めて観に行った「ジョーズ」から、先日観に行った「007 スカイフォール」まで454本に及ぶ。読書はさすがにすべての記録はないが、それでも2005年からはすべてある。近年はブログにして残してあるが、もうすでに内容を忘れてしまっているものがあるから、自分の記録として重要だ。

 日記の方は、ここ10年ではやはり子供に関する記述が多くなる。それは子供の成長記録でもある。そしてやっぱり仕事についての記述も多い。その時々に携わっていた仕事。同僚に対する意見。その時食べたランチ・・・

 くだらない事もあるし、わざわざ人に見せるほどのものでもない。覚え書き程度のものではあるが、その時過ごした一日がそこにはある。年々月日の経過が早くなっていくが、日記にはそんな矢のように過ぎ去った過去が毎日きちんと記されている。当たり前だが、早過ぎる事もなく、遅すぎる事もなく確実に過ごした一日の記録がそこにはある。それを読めば、知らないうちに時間が過ぎてしまっていたという事はないのだと、改めて実感できる。

 今度はいつまで続くだろうか。もうろくして書けなくなる時までだろうか。日記にはすべてパスワードがかけてあるから、子供たちが読む事はないし、自分が死んだらそれまでだろう。それで良いと思っている。

 せっかくここまで続けたし、毎日寝る前の良い習慣になっている。時間がなくて急いで書いたら、あとで読みなおした時に何かその日は損をしたような気になってしまう。だから、日記は優先的に余裕をもって、書こうと思う。これからも、毎日続けていきたいと思うのである・・・
  




2013年1月13日日曜日

アルバイト

 近所にあるスーパー「いなげや」にはよく買い物に行く。スーパーのレジは大抵パートのおばさんなのであるが、時にアルバイトと思しき若者たちが立っている。挨拶の仕方など一連の動きがすべて同じなので、たぶんマニュアルで規定されているのだろうと思うのだが、そんなアルバイトの中に男の子がいる。別に男が悪いわけではないのだが、なんとなく自分の中でマッチしないものがある。

 自分も社会人になる前はアルバイトの経験がある。初めてのアルバイトは中学3年の時、と言っても高校に入る直前の春休みだ。近所の幼馴染みのお父さんが棟梁だった伝手で、建設現場でお手伝いをしたのが記念すべき初めてのバイトだった。そこは以後も休みのたびに働かせてもらい、こずかいを稼がせていただいた。おかげで、高校生になってからというもの、親からこずかいをもらわなくて済んだのである。

 これに味をしめて、高校・大学に入っても当然ながらバイトでこずかい稼ぎを続けた。さすがに学費まではカバーできなかったので、教科書代や通学交通費などの学業に関わるものは親に出してもらい、こずかいは自分で稼ぐという事を貫いた。自分で言うのも何だが、随分感心な学生だったと思う。

 アルバイトは親の知り合いの本屋さんというのもあったが、自分で探す事もした。普段はラグビー部の活動があって時間もなく、家庭教師くらいしかできなかったが、今の時期などのシーズンオフはいろいろと探した。年賀用のひよこのお菓子を売った事もあったし、店頭でカメラのフィルム売りの呼子をやった事もあった。その中でも一番のお気に入りは、やはり肉体労働系であった。

 最初の建設現場もそうだったが、大学時代にやった築地魚河岸のバイトや防水工事の会社でのバイトなどがなかなかのお気に入りだった。魚河岸の朝は早く、怒声の飛び交う現場に最初は面食らったが、すぐに慣れて怒鳴り返していた。防水工事では、毎日いろいろな現場に連れて行かれ、9時から5時まで作業をした。

 10時と3時にはきっちり「一服タイム」が入る。作業が終わって事務所に帰ってきて、その日の報酬をもらって帰る。そのうち新入りのバイトから、「社員さんかと思いました」と言われるほどになった。20数年前の当時で一日7,000円前後は貰えたが、報酬にも内容にも満足していた。

 当時も選り好みするつもりはなかったが、それでもスーパーのレジというのは選択肢には入らなかった。その理由を探っていくと、何となく男がする仕事ではないという感覚がある。批判するつもりはないのだが、自分ではやらないだろうし、将来息子がやると言ったら反対するだろう。それは偏見なのだろうか。

 もっとも最近では男もお肌の手入れをしたりするようだし、それほど大げさとは言わなくても何の抵抗感もないのかもしれない。そこにニーズがあって、それを満たすのに男女差は関係ないという事であれば、誰がやろうが構わないのも事実だ。そういう意識は偏狭なのかもしれない。

 それはともかくとして、アルバイトはいいものだと思う。社会に出る前に稼ぐという体験ができるし、世の中の仕組みもなんとなくわかる。ひよこのお菓子を売った時は、当日の朝、その日付の製造日の日付判を押してから売っていた。当然製造日の表示の偽造であり、今ならまずいと思うのだが、当時は「こんなものか」と思ったものである。

 世の中数多ある職業をいろいろと体験する事は難しいが、アルバイトはそんな職業のいくつかを疑似体験できる。子供たちもいずれそんな年齢になるだろうし、その時は積極的にこずかい稼ぎをさせようと思う。どんなバイトがいいだろうか。自分の事ではないものの、今から考えても面白いかもしれないと思うのである・・・

     

2013年1月6日日曜日

我が家の子供たち

この年末年始は何と9連休だった。
無事にお正月を迎えられる上に、長く休む事もできて、つくづくありがたいと思う。
娘は受験勉強に勤しむ毎日。
塾も積極的に居残りをしている。

そんな娘に妻は厳しい。
今朝も娘は、今ハマっている「踊る大捜査線」の録画(最初のTVシリーズ)を観ようと6時半に早起き。終わってから朝の勉強。ところが妻は、そんな娘に厳しく言う。
「TV観るために早起きなんて・・・受験が終わってからにしなさい!」

合否に不安な妻は、事あるごとにこんな調子。妻の言い分もわからないでもない。しかし、普段だったら娘は8時まで寝ているところ。それをTV観たさに早起きする努力は認めてあげないといけない。8時に起きてそれから顔を洗って準備して勉強するのと、TVを観て終わって7時半から勉強するのとどっちが良いのか、考えるまでもないのだが、妻にはその判断もつかなくなっている。

かつて受験生がいる家では、「すべった」とか「落ちた」とかは禁句だといったものがあった。非常に滑稽だと思っていたのだが、それくらいピリピリしていたのだろう。だけどそうしなければ受からないというものでもない。まだ小学生だという事を考えれば、もっと考えてあげないといけない。私はと言えば、眠い目をこすりながら6時半に起きて一緒にTVを観てあげた。趣味は一緒に楽しむ人がいれば尚更楽しいし、当然ながら娘もそれを喜んでいるようだった。そういう応援をしていきたいと思うのである。

一方息子はここのところ日本の歴史にハマっている。特に戦国武将にご執心だ。『そーなんだ!歴史編』という歴史漫画を、本当は歴史に苦手意識を持つ娘のために購読したのだが、逆に息子がハマってしまったという有り様。せっかく47都道府県を覚えたと思ったら、今度は「尾張の国」だとか「美濃の国」だとか、そっちが気になるようだ。徳川15代将軍の名前を知りたがったり、家系図にも興味が派生しているようである。

挙句の果てに、「我が家の家紋は何か」と尋ねて来た。良い機会だと思って「おじいちゃんに聞け」と答えたら、さっそく実家に連れて行った時に質問し、「丸に根笹」と教えてもらい、さらにそのキーホルダーまでもらってご満悦。
「お姉ちゃんはお嫁に行くから、僕が名前を継ぐんだよね」
と涙ぐましいセリフまで吐いてくれた。「お嫁に行ってくれればね」というセリフをぐっと呑み込み、「そうだね」と答える。

それぞれに、それぞれの子供たち。
今年は子供たちにとってどんな年になるのだろうか。
自分のばかりでなく、子供たちの一年もしっかりと見守りたいと思うのである・・・

丸に根笹


【本日の読書】
完全なる経営 (日本経済新聞出版) - アブラハム・マズロー, 金井壽宏, 大川修二 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか - 増田俊也






2013年1月3日木曜日

2013年新春雑感

「君が当たっている大きな壁は、重いけど扉かもしれないよ」
(『ブラック・ジャックによろしく』7巻)
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2013年が始った。
今年はいつもと違うスタートだ。
まず長女が受験という事もあって、大阪の妻の実家訪問はなし。
長女は元旦のみ休んで、2日から塾だ。
塾の先生も娘の話によると連日終電帰りという事。
先生たちも書き入れ時らしい。

元旦はいつも家族そろって近所の北野神社へお参りに行くのだが、例年よりも遅めに家を出る。長女は起きてこないので置いて行った。家族そろって行くものだという意識はあったが、いずれ子供たちもバラバラとなってそうもいかなくなるだろう。そんな事を考えて、敢えて置いて行ったのだ。いずれ夫婦二人でのお参りとなるのだろう(それとも一人だろうか)。

そのあとは恒例行事として、私の実家へ。妻と母は表面上は穏やかな会話。母親も年末のゴタゴタについては気に病んでおり、体調も悪いらしく、そのあたりは大分気になっていたが、また改めて様子伺いをしようと思う。嫁姑問題が少しでもデタントに向かうよう、今年はこの問題に諦めずに対応していきたいと思う。

さらに気になるのは、祖父母と孫との関係だ。妻の両親と子供たちは会話が多いが、私の両親とはあまり会話が続かない。その最大の要因は、接触時間の長さが影響している。妻は年間にして約1ヶ月実家に帰省する。それに対して私の実家へは年間数回だ。この差は大きいと思う。これも今年は少しでも改善したいと思うが、妻の顔色を見ながらという事になるのだろう。

2日から長女は塾に行く。
正月特訓である。
我が娘ながらよく頑張る。
受験は親がやかましく言ったところでどうなるといったものではない。
何よりも本人のモチベーションが重要。
幸いな事に本人がやる気になっているところが、良いところ。
塾通いは親の懐には優しくないが、そこは親も耐えないといけない。

長女が塾へ行って勉強する間、私はテレビでラグビーの大学選手権を観戦。
これも恒例行事。結婚前は、毎年国立競技場へ行っていたものであるが、結婚してからは大阪への移動日になるため、半分くらいしか観られない。
仕方がないと諦めてはいるが、今年はじっくり観る事ができた。

特にする事もない三が日。あれこれと今後の事を考えてみる。常に、「昨日より少しだけ良い今日、今日よりも少しだけ良い明日」と考えて生きている。しかしながら、このところ停滞しているようにも思う。仕事でも家庭でもその他でも、これまで割と自分なりに努力しているつもりなのだが、あまり成果は上がっていない。正直言って辛いところではあるが、かと言ってやめるわけにもいかない。成果を焦らず必要な事を続けていくしかない。

嫁姑問題も含めて、今年はネバー・ギブアップ~できるまでやる~をテーマとして頑張ろうと思うのである。

【本日の読書】

完全なる経営 (日本経済新聞出版) - アブラハム・マズロー, 金井壽宏, 大川修二 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか - 増田俊也