2025年11月2日日曜日

論語雑感 子罕第九 (その15)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、出則事公卿、入則事父兄。喪事不敢不勉。不爲酒困。何有於我哉。
【読み下し】
いわく、でてはすなわ公卿こうけいつかえ、りてはすなわけいつかう。そうえてつとめずんばあらず。さけみだれをさず。われいてなにらんや。
【訳】
先師がいわれた。
「出でては国君上長に仕える。家庭にあっては父母兄姉に仕える。死者に対する礼は誠意のかぎりをつくして行なう。酒は飲んでもみだれない。私にできることは、まずこのくらいなことであろうか」
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 一読してなんとなく自分の事であるように感じたのである。外に出ては会社で社長に仕え、家庭にあっては父母に仕え、祖父母の仏壇には一日一回手を合わせ、酒は飲みに行っても生ビールとハイボール一杯くらいでやめてしまうし、当然酔い乱れることはない。ごく普通の人間であると思う。考えてみれば、大半の人がそうではないかと思う。もっとも、人によって微妙な違いはあるだろう。会社経営者であれば会社で仕える人はなく、独身者であれば両親とは別居だし、仏壇もないのが普通だろう。酒を飲んで失敗するのは若いうちにはありがちである。

 そう考えると、会社勤めで家族持ちで、ほどほどに身内に鬼籍に入った人がいて、酒に飲まれることもなくなるような人となると、ある程度年齢のいった人ということになるのではないだろうか。上記は孔子がいくつの時のものかはわからないが、若かりし頃の言葉ではないように思える。ある程度年齢がいってさまざまな経験を積んでくると、大体の人は「落ち着いてくる」し、そうすると先の孔子のような境地に立てるのではないかと思う。

 若い頃はそれなりに野心のようなものはあったと思う。銀行に入って頭取になろうとは思わなかったが、そこそこ恥ずかしくない程度に(可能な限り)出世はしたいと思っていた。涎を垂らすほどではないが、垂らさないほどにはと思っていた。ただ、それを目的に上司に媚を売るようなことはしなかったし、己を貫いていたからあまり覚えめでたくはなかったと思う。それは今も基本的に変わっていないと思う。仕えると言っても、奴隷ではないし、上司の顔色ばかりを伺うようなことは決してなかった。

 「仕える」というのは、隷属を意味しない。高校生の頃、将来はサラリーマンになりたくはないと漠然と思っていた。それはサラリーマン=社畜というイメージがあったからで、実際に就職してみると、時代もあって最初は滅私奉公を強いられた。それに対して必死に抗ってきた20代であった。実際には周りはみんな隷従していたように思う。休みの日の行事にも面従腹背で参加していた。日本的と言えば日本的。今は極めて仕事を楽しんでいるし、形の上では社長に仕えているが、自分は「いないと困る存在」であることを自覚しているから、隷属ではない。

 両親と同居しているが、それはむしろ老いて危なっかしくなった両親の生活を支える意味合いが強く、それは日々の食事や週末の掃除、洗濯、買い物といった「世話」的なものであり、「仕える」と言っても従属的なものではない。毎日、仏壇に向かって手を合わせるが、おそらく祖父母のことをそうやって思うのは私までで、祖父母を知らない私の子供たちは何も思わないだろう。死んだ人はその人たちを思い出す人がいなくなると、本当に世の中から存在しなくなるように思う。数少ない思い出と共に、祖父母を思い出すのが私にできる誠意である。

 「仕える」のも「死者に対する礼」も従属的なものではなく、主体的なものである。孔子がどんなことを念頭に置いて語ったのかはわからないが、そこにあるのは自分なりの生き方であるように思う。人間もある程度の年齢になれば自分なりの生き方に対するこだわりのようなものができてくると思う。人に誇るようなものである必要はないが、自分にとって居心地の良い、それでいて卑屈になることなく、胸を張って人に語れるような生き方である。孔子にとって、それがここで挙げていることなのだったのだろうと思う。

 自分も主体的に「仕える」ことによって、誰かの役に立てるような存在であればいいと思う。自分のできることの範囲内で、自分のありたいようでいられたらと思うのである・・・


Kelli NuttallによるPixabayからの画像


【今週の読書】
 全体主義の起原 新版(1) ハンナ・アーレント  一度読んだら絶対に忘れない生物の教科書 - 山川 喜輝  黛家の兄弟 (講談社文庫) - 砂原浩太朗