2025年9月18日木曜日

どんな本を読んだらよいのか

 読書の効能はいたるところで語られているから、今さら改めて強調する事でもない。私自身これまで多くの本を読んできた。その中には読み直したいと思える本もあれば、読んだことすら忘れてしまった本もある。何で読書がいいのかと改めて考えてみると、たぶん、今の自分の思考の基礎になっているからと言えるだろう。会社で問題が起こった時、あるいは社長に何かを相談された時、その時の自分の対応、受け答えについて「何でここでそう考えるのか」と自分に問うと、その答えはたぶん「過去の読書の蓄積」としか言いようがない。読書によって積み重ねられてきたいろいろな考え方の集大成だろうと思うのである。

 今、大学生の息子はあと2年すれば社会に出て行く。その時、是非とも読書の習慣をつけるようにアドバイスしたいと考えている。ただ、どんな本を読んだらいいのかと聞かれたら、何て答えるか。それはちょっと悩ましい。と言うのも、先にも述べた通り、自分でもこの本が良かったというのは特にない(まぁ、何冊かはあるにはある)。基本的に時代も違うし、まったく同じ本を読めばいいというものでもないだろう。これから出てくる良本もあるに違いない。時代を経ても古びない本もあるから、そういうのは勧めてもいいだろうと思う。アドバイスできたらいいと思うのは、1つは「本の選び方」かもしれない。

 自分は極めて乱読である。ビジネス書から文学小説までその時々によってさまざまである。最近はもう学びつくしたというわけではないのだが、ビジネス系は減って哲学や自然科学系の趣味に走る事が多い。大まかに読書の分野を「ビジネス・仕事術系」・「思考・考え方系」・「お金・ライフスキル系」・「自己理解・キャリア系」と分けてみると、「仕事術」・「お金・ライフスキル系」・「自己理解・キャリア系」はもういいかなという気がする。「思考・考え方系」はこれから学ぶという部分もあるが、(自分の考え方が間違っていないか)確認という意味合いも強い。

 これから社会に出るのであれば、すべてまんべんなく読むべきだろう。小説だからビジネスに関係ないという事はない。物語の中での登場人物の行動によって学ぶものもあるだろうからである。そういう意味で、手あたり次第本を読んできた感のある私であるが、数撃ちゃ当たる理論でいろいろ読む中でこれといった本からさまざまな知識、思考を少しずつ身に着けてきたとも言える。息子にもそんな読み方でいいと思うが、それはそもそも私が読書好きという面もあったところもある。そうでないと絞って読むとなるが、それでも読まないよりははるかに良い。

 今は会社の採用担当(入社してからの新入社員研修期間は育成担当でもある)という立場を利用して、内定者には「入社までにビジネス書を1冊読破する」という義務を課している。それによってビジネス書に接する機会を強制的に設けている。本の購入費用は会社持ちとしている。大半の社員が初めてビジネス書を読むようだが、それによってビジネス書という存在に気づいて、できれば以後は自分で読んでほしいと思っての強制である。残念ながら、それ以後も読んでいるという社員は極めて少ないが、これはこれで続けていきたいと考えている。

 息子にも同じ事を考えている。社会人になってからというよりも、学生のうちから少しでも触れていればと思い、1冊手渡した。入学直後という事もあって、モチベーションも高かったのだろう。素直に1冊持って行ったが、入学から時間が経ち、授業や部活やアルバイトなどが始まる中で、どうやら意欲も薄れてしまったようである。まぁ、それはそれで仕方ない。それでも「就活」なんて言葉が出てくるから、もう少ししたらもう一度勧めてみたいと思う。多少なりとも読んでいれば、面接での受け答えも違うのではないかと思ってみたりする。

 自分もまだまだ学び続けたいと思うし、学び続けないといけないとも思う。当然、自分でも読み続けていこうと思うが、先にも述べた通り、これぞという分野が狭まっているのが事実。あまり興味のないまま読んでも為になるかという事もあるし、悩ましいところ。それでもいろいろな人が経験や学んだところを語ったものなどはまだまだ興味深い。いわゆる「思考・考え方系」であるが、これはアンテナを張っておきたいと思う。この分野は尽きる事がないと思う。いろいろな人がいろいろな考えを発信している。その人なりの経験から得られた考えであり、自分の狭い世界だけではなく、そういう人の経験も自分の肥しとなるのであれば何よりである。

 わずか2,000円前後の金額でこういう考え方に触れられるのなら安いものである。父親として息子に何をしてやれるか、何を残してやれるかと考えた時に、金銭的な財産は残念ながら心もとない。その代わり、自分で生き抜いていくための知恵を得る方法についてはできると思う(本人が受け入れてくれればであるが)。自分が無駄に生きていなかった証としても、是非とも実践したいと思うのである・・・


isaiah KimによるPixabayからの画像

【本日の読書】
監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  数学の世界史 (角川書店単行本) - 加藤 文元  潤日(ルンリィー)―日本へ大脱出する中国人富裕層を追う - 舛友 雄大






2025年9月14日日曜日

捨てられないのは・・・

いよいよ妻との別居にあたり、家を出るまであと1週間ほどとなった。今日は1日引っ越しの準備である。と言っても男1人であり、それほど荷物があるわけではない。よくよく考えてみると、家の中のものは大半が妻のものか共有のものである。共有とは、テーブルやソファやテレビや冷蔵庫などのものである。よって私の持ち物として実家に持って行くものは、机と本棚(とその中の本)、パソコンと愛用の枕とエアーウィーブのマットレス等々である。1人で運べないのは机だけで、車で2〜3往復すれば済んでしまう。

 と言ってもすべて持っていくのは困難である。それは労力というより受入側、すなわち実家の事情である。37年前に就職して実家を出た時には家族4人で住んでいたのであるが、今は両親だけなのに私の帰るスペースがない。そこを占拠しているのは、布団や母の服やその他諸々のもの。我が母は典型的な「捨てられない症候群」であり、とにかく捨てないので、この37年間に溜まったものが家の中に溢れかえっているのである。「ゴミ屋敷」というほどではないが、言ってみれば「モノ屋敷」なのである。

 当然ながら母に片付けを促したが、なかなか腰が重い。ならばと手伝おうとするが、それには真っ向から反対する。捨てようと思うと強固に反対する。「私がやるからいい(と言ってやらない)」と言うのである。明らかに着ない服も「着る時がある」と言うし、使わない物も「誰かにあげる」と言うし、それでここのところ毎週帰るたびに口論となっていた。そしてとうとう「捨てるのは切ない」という事になった。こうなると私ももう強くは言えない。

 母は自分でもよく分かっているが、モノのない時代に育ったため、モノを大切にしないといけないと心に染み付いている。私も本当なら気楽な一人暮らしがしたいのであるが、生活もままならなくなってきた老齢の両親を放置できずの同居である。一応、「住まわせてもらう」立場であり、偉そうなことは言えない。よってなるべく持ち込むモノを少なくしないといけない。というわけでの断捨離である。少ないといえども、片付け(捨てるものの選別)を始めるとかなりある。

 一つ一つ考えていると捨てられなくなる。それぞれに思い出があり、手に取るとその思い出が蘇ってくる。そうすると、「もう少し取っておこうかな」と思うのである。それではいけないので、「原則捨てる」と決めてゴミ袋に突っ込んでいく。古いPCや本は無料の引き取り、買い取りを併用する。学生時代から使っている辞書も捨てる。今やネットで代用できる。フロッピーディスクはもう見たくても見る方法がない。ビデオテープも同様。本もいつかもう一度読みたいと思って本棚に入れておいたが、どうしてもとあれば図書館で借りればいいと割り切って捨てる。

 次々に手放していくのは、腹を決めれば簡単。しかし、一つ一つの思い出を手放すのは、身を剥がれるような気分になる。簡単に家を出ると決めたが、そもそも初めて自分で建てた家である(建てたのは大工さんだが)。毎日、仕事帰りに遠回りして家が建ち上がっていくのを見たものである。子供たちの成長の場であり、いい思い出がたくさんある。今更ながら家を出るのは切ない思いがする(とは言え、妻とはもうこれ以上一緒に暮らすのには耐えられないので仕方がない)。

 そうして1日、身を剥がしていったら、心が疲れてしまった。まだまだ残りはある。1日では終わらない。実家に戻ったら、もうモノを増やさないようにしようと思う。それにしても一つ一つのモノを手に取ると、忘れていた思い出が不思議と蘇ってくる。人間の脳みそには限界があり、すべてを記憶して置くことは不可能である。だから一部はモノに託して外部保存するのだろう。そうしてそのモノを手にした時にその記憶が蘇るのである。という事は、モノ屋敷に溢れかえっているモノはみんな母の外付けハードディスクみたいなものなのかもしれない。

 父は先日、長年愛用したステレオを手放した。50年前に買った時は中古で35万円したそうである。たぶん、大きな決断だったのだろうと思う。そして買ってから、いろいろとレコードを聴いて気分転換したのだろう。父のそんな姿を想像する。私もそのステレオで父のレコードを聴いたりRCサクセションのレコードを聴いたものである。大きな場所を取っていたため、引き取ってもらってスッキリした。わずか500円で引き取られていったが、私の方が切ない気がした。

 断捨離も確かに大事であるが、モノにはその持ち主の外部記憶装置として機能がある。もはや単なるモノではなく、その人の記憶保管装置だとしたら、それを簡単には捨てられないだろう。建前上は実家に「戻らせてもらう」立場であり、そこはわきまえないといけないと思う。当面は狭いスペースでの不自由な暮らしを強いられるが、溢れかえったモノは母の外付けハードディスクだと思ってスペースを譲りたいと思うのである・・・


Michal JarmolukによるPixabayからの画像


【今週の読書】
 監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  数学の世界史 (角川書店単行本) - 加藤 文元  モンゴル人の物語 第一巻:チンギス・カン - 百田 尚樹 潤日(ルンリィー)―日本へ大脱出する中国人富裕層を追う - 舛友 雄大





2025年9月10日水曜日

上司は顧客

自分は会社という場所に「自営業」をするために来ているというふうに思う 

柳井正

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 どこもそうだと思うが、我が社も経営幹部人材の育成に力を入れている。しかし、「経営」の考え方をすんなりと受け入れられる者とそうでない者とがいる。自分の中にある思考のフィルターがあって、こちらの考えがスムーズに入る人と撥ねてしまう人がいるのである。スムーズに入る人は成長も早い。我が社の場合、基本的にみんなエンジニアの出身である。しかし、エンジニアとしての能力と管理職としての能力は別物。優秀なエンジニアだからといって優秀な管理職となるわけではない。ここで躓く社員も多い。その原因はその人の思考フィルターである。

 エンジニアとしては優秀で、現場で部長になり、そのまま取締役になった者がいる。しかし、頭の思考回路はエンジニアのままで、思考フィルターはエンジニアのまま。経営の思考をはねのけてしまい、最後の最後まで変わる事はなかった。そんな人物を取締役にしたのが間違いなのであるのだが、中小企業の場合、どうしても会社法で定める最低取締役人数をクリアする必要があり、しばし、そういう人物を取締役にせざるを得ないこともある。本人を責めるのも酷な話ではあるが、結果的には退任となってしまった。

 その時にいろいろ議論する中で、「社長とは意見が違う」という発言がしばしばあった。意見が違う事自体おかしなことではない。しかしながら、後藤田5訓にもある「決定が下ったら従い、命令は実行せよ」というのは取締役以下、社員すべてにあてはまることである。決定するまでは積極的に意見具申するべきであるが、決定が下ったらあとはそれがあたかも最初から自分の意見であったかのように実行に移さねばならない。「気に入らないからやらない」ではダメなのである。

 そもそも冒頭の言葉はなかなか深いと思う。我々は自らの労働の対価として顧客からお金をもらい、働いた報酬として給料をもらう。その基本は顧客も上司も同じである。なんでも言われるままにする必要はないが、そこは交渉で相手が納得すればこちらの都合の良いようにできるし、そうでなければ相手にあわせるしかない。それが嫌なら「取引しない」=「お金をもらわない」という選択肢がある。お金をもらいたければ相手にあわせたサービスを提供するしかない。

 自営業者はそうして1人で仕事をしているのであり、それはサラリーマンとして働く1人1人にも当てはめられる事。上司を顧客だと思って相手の要求するサービスを提供してその対価として「評価」=「給料+賞与」をもらうわけである。相手を否定していれば、そもそも取引は成り立たない。私は「給料は『もらうもの』ではなくて『稼ぐもの』」という言葉が好きなのであるが、自分が持てる力を発揮してその対価として給料を稼ぐという「自営業的サラリーマン」という態度が誰にでも必要であると思う。

 私の父は長年自営業で印刷業を営んでいた。誰も頼りにできない中、顧客から注文を受け、黙々とそれをこなしていた。幸い、腕が良かったせいで注文が途切れるという事はなかったようであるが、自営業は先の保証など何もないわけで、その点、仕事がなくても給料がもらえるサラリーマンとは違う。だからサラリーマンは気楽に仕事をするというのではなく(まぁ中には気楽に仕事をしたいという意識の低いサラリーマンもいるだろうが)、自営業者のように自分で給料を稼ぐという意識を持つべきである。その時に必要なのが「上司は顧客」という考え方だろうと思う。

 私には父のように自営業をやる度胸などないが、かと言ってサラリーマンという立場に甘えたくはない。サラリーマンには自営業ではできない仕事もあり、サラリーマン自体悪くはないが、自営業者に対して胸を張れる働き方はしたいと思う。それが自営業的サラリーマンであり、具体的には「上司は顧客」という意識での働きだと思う(取締役は厳密に言えばサラリーマンではないのだが・・・)。それはおべっかを言うことではなく、卑屈に何でも言うことを聞くことでもない。常に自分なりの考えを持ち、積極的に意見具申し、その上で「決定が下ったら従い、命令は実行せよ」というスタンスであると思う。

 自分はそういう意識で働いているが、今後は経営幹部育成に当たってそういう意識をみんなに植え付けていきたいと思う。そういう幹部が育てば、我が社も先行き安泰である。これまでは「自分が」という意識で良かったが、これからは「自分以外」にもそれを広げていきたいと思うのである・・・


Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像


【本日の読書】

 監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  数学の世界史 (角川書店単行本) - 加藤 文元  モンゴル人の物語 第一巻:チンギス・カン - 百田 尚樹





2025年9月7日日曜日

論語雑感 子罕第九 (その11)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子疾病。子路使門人爲臣。病間曰、久矣哉、由之行詐也。無臣而爲有臣。吾誰欺。欺天乎。且予與其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎。且予縦不得大葬、予死於道路乎。
【読み下し】
やまいへいなり。子路しろ門人もんじんをしてしんたらしむ。やまいかんなるときいわく、ひさしいかな、ゆういつわりをおこなうや。しんくしてしんりとす。われたれをかあざむかん。てんあざむかんや。われしんてんせんよりは、無寧むしろさんせんか。われたと大葬たいそうざるも、われどうせんや。
【訳】
先師のご病気が重くなった時、子路は、いざという場合のことを考慮して、門人たちが臣下の礼をとって葬儀をとり行なうように手はずをきめていた。その後、病気がいくらか軽くなった時、先師はそのことを知られて、子路にいわれた。「由よ、お前のこしらえごとも、今にはじまったことではないが、困ったものだ。臣下のない者があるように見せかけて、いったいだれをだまそうとするのだ。天を欺こうとでもいうのか。それに第一、私は、臣下の手で葬ってもらうより、むしろ二、三人の門人の手で葬ってもらいたいと思っているのだ。堂々たる葬儀をしてもらわなくても、まさか道ばたでのたれ死したことにもなるまいではないか」
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 孔子と弟子との葬式に対する話である。孔子は謙虚に大層な葬儀など不要と言っている。しかし、弟子は盛大な葬儀を行うことこそが、師に対する礼だと考えている。もっとも日本人の感覚では存命中に葬儀の準備をするのはいささか礼に欠けるように思われるが、中国人の感覚ではそうではないのかもしれない。そもそもであるが、葬儀は誰のためのものかという思いはある。死者のためと言っても、当の本人は死んでいるからわからない。もっとも、霊魂か何かがそこに存在していて、それを成仏させるためというのであれば本人のためと言える。しかし、みんなそういう意識があるかと言えば疑問である。

 では葬儀は残された者のためなのだろうか。これはそういう面もあると思う。故人との最後の別れになるので、何もしないより何か形式があった方が締まりがあるというのも事実。何かにつけての「儀式」の重要性はいうまでもない。地位のある人だと参列希望が多く、盛大に執り行われるということも多い。それは「故人とのお別れがしたい」という希望に対する遺族の答えだとすれば納得もいくが、一方で「義理で」葬儀に参列するというケースもある。それだと「故人とのお別れがしたい」わけではないので、どうなんだろうという疑問が湧く。

 私は葬儀に行くのが好きではない。好き嫌いで言えば好きな人などいないだろうが、いくら親しい人でもできれば行きたくない。それは故人との最後の別れをしたくないというわけではない。1人静かに故人を思って、葬儀の後もたまに思い出したりして故人を偲ぶという気持ちはある。ただ、葬儀にだけは行きたくない。個人的に親しかったというようなケースは別として、友人のご家族が亡くなったというようなケースでは義理の部分が強い。なんとなく「行かないと悪い」という気持ちであるが、そんな気持ちで参列していいのだろうかと思う。

 大勢の人が葬儀に来てくれると、遺族としてはありがたいと思うのであればそれもいいだろう。しかし、日本の場合は葬儀ともなれば葬儀社との打ち合わせや参列者への返礼品の用意など、おちおち悲しんでいられないというケースも多い。そんなことを考えると、行かない方がいいようにも思う。故人に対する思いの表現方法であるが、それは何も葬儀に参列することだけではないと思う。葬儀に行かないというと、何やら非情に思われるかもしれないが、大事なのは形式ではなく心だと信じるので、故人に対する思いがあれば葬儀に参列する必要はないと個人的には思う。

 そんな偏屈で天邪鬼な私だから、自分の葬儀は仏教色を廃し、シンプルにと思っている。直接火葬場に身内だけで集まって最後の別れをして焼いてくれればそれでいい。訳のわからないお経もお寺の小遣いになるお布施も不要、お釈迦さまの弟子にしていただかなくて構わないので戒名も不要。ただ、焼いて骨を両親の墓に入れてくれればそれでいい。もちろん、初七日だとか三回忌だとかの儀式も不要である。気持ちがあるなら、時々思い出してくれればそれでいい。生きている人が時々思い出してくれれば、それが続く限りは私の存在感もこの世に残るように思う。

 葬儀は故人と残された者との思惑の結果決まってくるのだと思う。ただ、そうは言いつつ、自分の両親の葬儀は多分仏教形式でやるだろう。それは私も「葬儀の主役は故人」と考えるからで、特別な遺言がない限りは「普通」にやるだろう。しかし、順調にいけば私の葬儀は子供たちが喪主になるだろう。その時は戸惑わせるかもしれないが、上記の通りシンプルにやって自分がどういう人間だったを最後の最後に示したいと思う。それが自分たちの父親だと子供たちには改めて思わせることになるだろう。堂々たる葬儀でなくても、そんな自分の葬儀を想像すると頬が緩んでしまう。そのためには遺言を早めに残しておかないとと思うとともに、それによって自分の証を示そうに思うのである・・・


Carolyn BoothによるPixabayからの画像


【今週の読書】
 監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る (ブルーバックス) - 藤井一至  数学の世界史 (角川書店単行本) - 加藤 文元  モンゴル人の物語 第一巻:チンギス・カン - 百田 尚樹





2025年9月3日水曜日

1人旅

 夏休みは結局、家族と行動を共にする事はなく、1人で自由に過ごした。子供も大きくなると親とは遊びたがらなくなる。不仲の妻とはなおさらであり、これから迎える老後もおひとり様を前提に考えていく事になる(まぁ、離婚後に新たなパートナーを見つけるかもしれないが)。子供が小さい頃は、沖縄やグアムといったところをはじめとして毎年国内外にいろいろと家族旅行に行っていたが、それ以外にも週末は近所のプールへ行ったりとよく子供たちと過ごした。いま改めて思い返してみれば、そういう時間を持てて良かったと思う。結果はともかく、結婚して良かったと思えるところである。

 それはそれとして、今後のおひとり様の生活であるが、1人で過ごすのはまったく苦にならない性分なので、悲観はしていない。むしろ楽しみでもある。やってみたい事の1つは、やはり旅である。独身時代は何度か海外へ1人旅をした。香港、シンガポール、フィリピンであるが、いずれも現地に友人、先輩がいたので、それを訪ねて行ったのである。しかし、彼らも日中は仕事があるので、むしろ夜合流しただけで、日中は1人で見知らぬ土地を1人で歩き回ったのだが、なかなかいい経験であった。寂しいという感覚はなく、むしろ誰かと一緒だと行動が制限される部分もあるから、1人は自由で気楽であるのがいいと思っている。

 今年の夏休みは母と叔母を連れて恒例の万座温泉に行ったが、ふと見れば温泉宿に1人で来ている人を何人か見かけた。食堂では部屋単位でテーブルにつくため、1人だけで座っている人はそれとわかるのである。母もいつまでも連れていけるわけではない。いずれは1人で来るのもいいなと、見ていて思ったのである。湯治と称して4〜5日逗留してもいいかもしれない。それは何とも贅沢に思える(それで贅沢に思えるのだから庶民的であると改めて思う)。考えてみれば、1泊なら普段の週末でも行けるわけであり、これからはそういう自由もあるのだと改めて思う。

 海外旅行にもまた行きたいと思う。とりあえずのターゲットは2027年のオーストラリアだろう。ラグビーのワールドカップがあるので、それにかこつけて行くのもいい。おそらく知り合いも何人かは行くだろうから現地で一緒に観戦すれば、ラグビー談義に花を咲かせ、その後はまた1人で楽しむという過ごし方がいいだろう。もちろん、現地集合、現地解散のパターンである。オーストラリアには大学の卒業旅行で行って以来である。また行くとなると、いまからワクワクする。

 他の人はどうなんだろうかと考えてみる。何となくであるが、あまり1人で過ごすのを好む人は少ないように思う。旅行に行くにも友人を誘ってというパターンが多い気がする。見知らぬ土地で観光をしたり、地元のおいしいものを食べたり、そういう体験を共有して楽しむために誰かと一緒の方がいいとみんな思うのだろう。それを否定するつもりはないし、私も子供が小さい頃は家族で行くのが一番だと考えていた。それは今でも変わりない。ただ、できないのであればセカンドベストを追及するのが筋であり、それが私にとっては1人旅なのである。

 旅先は海外に限るわけではなく、国内も然り。また旅とは言わなくとも近距離でも同じである。この夏は群馬県立自然史博物館に行ってきたが、途中で予定を変更し、昼食も臨機応変。予定外に買い物までしてしまったが、一々同行者の意見を聞く必要もなく行って帰ってきた。1人の自由を改めて実感したところである。そう言えばシンガポールに行った時も、インド人街に行き、入った飲食店で日本人だと名乗ると珍しがられた。ガイドブックにも載っていないところで、地図を見ていてふらりと行ってみたくなったのである。おそらく同行者がいたら行けなかっただろう。

 同行者がいる旅行もそれなりにいいとは思う。独身の友人は何人もいるし、そういう友人と旅行に行くというのもあるかもしれない。ただ、海外へ行ったなら、ホテルで朝食を食べるよりもふらりと街中に出て行ってローカルの人たちが行くようなところでその中に混じって食べてみたいと思う。香港に行った時は毎朝泊まっていた先輩の家の近所の町中華?で地元の人に混じって飲茶した。夕食も然り。ガイドブックに頼らず、今だったら現地のSNSで調べたところに行ってみるとかしたら面白そうな気がする。いずれそういう旅をしようと思う。

 結婚した時に漠然と想像した老後の生活とはだいぶ違ったものになるが、それはそれでいいように思う。とは言え、両親の現在の姿を見ていると80代後半になるともう1人旅は無理かもしれないと思う。健康と体力次第だろうか。猛烈な勢いで減っている気がする「残り時間」であるが、それを意識して自由気ままな1人旅を楽しみたいと思うのである・・・

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【本日の読書】
 監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る (ブルーバックス) - 藤井一至  モンゴル人の物語 第一巻:チンギス・カン - 百田 尚樹






2025年8月31日日曜日

管理職を鍛える

 管理職になったのであれば、そろそろ「経営」を意識してほしいと考えている。管理職から経営は始まる。管理職(我が社は課長からであるが)となれば、「課」単位で、収益と人事労務管理をやってもらっている。すなわち、「課」を小さな「会社」と考える意識である。各課には収益目標を課している。なかなか高い目標であるが、それは「現状の延長線上に目標をおいてはいけない」と言われている事にも則っている。各課長には、なぜ「現状の延長線上に目標をおいてはいけない」のか、その理由を噛み砕いて説明して高い目標にチャレンジしてもらっている。

 そうして少しずつ、「経営マインド」を身につけていってもらおうと考えている。大事なのは納得性で、要は「出来もしない高い目標を押し付けられた」という意識を持たないようにする事である。それは最初にきちんと説明しておかないといけない。そして各課の目標は当然会社の目標に結びついていくのであるが、しかし、「各課の目標の合計=会社の目標」としてはいけないと考えている。もしもそうすると、目標未達の場合、その責任は課長が負う事になってしまう。当然、「各課の目標の合計<会社の目標」でないといけない。その差額は部長の責任範囲であり、部門担当役員の責任範囲である。

 そうした各課の経営を行いつつ、「会社目線での思考」を心がけていってもらいたいと考えている。みんな最初は「自分目線」である。主語が「自分」であるので、それを「会社」にしてもらわないといけない。「自分はこれだけ頑張っています」ではなく、「会社にはあと◯◯が必要だ」、「そのためには□□をしないといけない」という発想である。そういう発想ができると、会話の中での意見も違ってくる。自分のPRではなく、「自分は目一杯やることがあって忙しい」ではなく、「どうやって□□をやったらいいのか」という発想になる。

 「できる人は問題の中に解決策を見つけ、できない人は解決策の中に問題を見つける」という。まさにその通りで、面白いくらい「問題指摘型人間」は多い。「それはそうかもしれませんが、現実的には難しいんですよ」とか、「今私はこんなに仕事を抱えているんですよ、これ以上まだやれって言うんですか」とか、問題指摘型発言は我が社では随所で見られる。我が社には、現在次の部長候補と考えられている課長がいるが、これが残念ながら「自分目線」で、一度指摘して話をしたが、まだまだ治っていない。意識とトレーニングで修正できると思うのだが、それは私の勝手な思い込みなのだろうかと思ってしまう。

 されど一度言ってダメなら二度、二度言ってダメなら三度言わないといけないのかもしれない。三度言ってダメなら本当にダメなのかもしれない。ただ、私も思い返してみれば、30代の頃、このあたりの考え方で随分怒られた記憶がある。直接「経営マインド」という言葉ではなかったが、要は経営マインドのことだと今ではよくわかる。人のことを偉そうに言えたものではない。ただ、私自身もそうして指導してもらったのであり、今度はそれを返す番だとも思う。私の場合は、丁寧に言ってもらえず、禅問答のようでよくわからなかったが、私はわかりやすい言葉を選んでいるつもりである。

 中小企業は大企業と違い、経営人材は限定されている。「あれがダメならこれ」というわけにはいかず、「あれ」を根気よく育てるしかない。それと同時に、課長になりたての若い課長には、今から少しずつ経営マインドの何たるかを教えていかないといけない。今から鍛えていけば、次の次の経営人材は複数の選択肢からの候補者選びとなる。そうなれば競争原理も働くし、一層経営感覚を磨いてくれるかもしれない。そうなると、我が社の経営もより安定し、より高みを目指せるかもしれない。

 今はそんな種蒔きの時だと思う事にしている。まずは目先の部長候補から鍛えたい。それが会社の未来に通じるとして頑張りたいと思うのである・・・


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【本日の読書】
土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る (ブルーバックス) - 藤井一至 おきざりにした悲しみは - 原田 宗典







2025年8月27日水曜日

若手を育てる

 どこの会社でもそうであるが、人材の育成は重要な経営課題である。しかし、経営側としてはそういう認識でいても、実務を担う現場ではその熱が必ずしも伝わっていないように思う。もちろん、熱量は人から人へ伝播する際、下がっていく傾向がある。それは仕方ないのだろうかと思ってみるが、どうしたらいいのだろうかと悩ましい部分でもある。我が社は伝統的に「育つ奴は育つ」と揶揄したくなる有様である。有能な社員はいるが、それは誰かが育てたのではなく、「育った」というもの。「育てた」と言いたいところなのである。

 我が社に入社してくる社員は専門学校卒が約8割を占めている。高校を卒業し、ITの専門学校で2年、ないし3年勉強して入社してくる。専門学校生が悪いというわけでは決してないと思うが、やはり首を傾げたくなる社員もいる。面接で見抜けなかったと言われればそれまでであるが、なかなかそこまでは見抜けないと自分に言い訳している。そのくらい常識だろうと言いたくなる事もしばしばある。しかし、それでダメ出しをしていたらせっかく採用したのに無駄になる。何とかそういう社員でも育てないといけない。

 それにも関わらず、教える方の問題も露出している。優秀な社員の場合、「1を聞いて10を知る」的なところがある。普通の社員であれば、「1を聞いて1を知る」というところか。しかし、そうではない社員の場合、「1を2回聞いて1を知る」というところがある。「だからダメ」としていてはそうではない社員を育てられない。イメージとして「優秀:普通:並下=2:6:2」とすれば、育てて「優秀:普通=3:7」にしたい。本当は「優秀10」にしたいところであるが、当社の場合はなかなか難しい。「7」で御の字としたい。

 その際、重要なのは「覚悟」だろう。「並下」の者を育てるのはなかなか大変である。「自分が育てる」という覚悟がないと、途中で諦める事になる。先日、その並下の社員が無断欠勤した。朝、出社しないし連絡も取れないとなって、その話が私にも届いた。午後になってようやく連絡が取れ、体調不良で休ませてほしいという事であった。現場の担当者もあきれ顔。どうも仕方のないダメな奴という判断である。私は翌日、本人に話を聞いた。問題は体調不良による休みではなく、連絡をしなかった事である。

 すると、本人曰く、会社支給の携帯が充電が切れて使えず、社内連絡ツールによる連絡ができなかったとの事である。「普通」であれば、私用の携帯で本社に電話するところだろう。直接上司に連絡取れなくとも、伝言は頼める。しかし、そこが「並下」なのだろう。私がなぜそうしなかったのかと問うと、きょとんとしていた。「ああ、そうか」という反応である。つまり、そこまで思い至らなかったのである。「だからダメ」としていては、そこで終わりである。本人も連絡しなければという意識はあったので、そこを頼みとし、次回からは代替手段を考えようと教えた。

 確かにそこは頭の痛いところである。しかし、そこが「並下」なのである。上司はあきれ顔で終わりである。だが、それでは上司にも感心できない。なぜ、私のように翌日本人に聞かないのか。事情がわかれば本人が躓いた状況もわかる。そうすれば指導もできるし、次回からは同じ間違いはしないだろう。もしそれでも同じ事を繰り返したら、それは本当にダメなのかもしれない。しかし、これで治ったのであれば、彼はその部分で「普通」のレベルに達したのである。1つ1つそうして×を消していけば、「普通」になるだろう。それが育成である。

 忙しい中、そこまでしなければならないのかと言われれば、そこまでしてほしいというのが回答となる。かつて勤務していた銀行は、さすがに各大学から人材が集まっていた。「並下」とも言うべき者はほとんどいなかった(皆無ではないが)。それと比べると見劣りするのは致し方ない。それを嘆いても仕方ない。できない事があればその場で指摘し、1つ1つ×を消していくしかない。それで「普通」に育ててその先に期待することになる。その労力を支えるのは何よりも「自分が育てる」という「覚悟」である。

 若手の1〜3年目くらいの社員を見ていて思うのは、我が息子の事。今は大学生活を謳歌しているが、やがて社会に出て行く。身贔屓ではあるが、「並下」ではないだろうと思う。今の同世代の若者を見ていると、自然と親の気持ちになってしまう。息子が簡単にダメ出しされて放り出されたら切ないだろうと思ってしまうのである。そうすると、ダメ出しする気にはなれない。「何とかしたい」としか思わない。そのあたりが担当上司との「覚悟」の差だろうと思う。自分にできることを常に問いかけつつ、自分の熱も伝えたいと思うのである・・・


GoldBJJによるPixabayからの画像

【本日の読書】

 草枕 - 夏目 漱石 ビジュアル図鑑 昆虫 驚異の科学 - デイヴィッド・A・グリマルディ, 丸山 宗利, 中里 京子 監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹 土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る (ブルーバックス) - 藤井一至 おきざりにした悲しみは - 原田 宗典





2025年8月24日日曜日

論語雑感 子罕第九 (その10)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
顏淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人。博我以文、約我以禮。欲罷不能。旣竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之、末由也已。
【読み下し】
顔淵がんえんぜんとしてたんじていわく、これあおげば弥〻いよいよたかく、これれば弥〻いよいよかたし。これればまえり、忽焉こつえんとしてしりえり。ふう循循じゅんじゅんぜんとしてひといざなう。われひろむるにぶんもってし、われやくするにれいもってす。めんとほっすれどもあたわず。すでさいくせり。ところりてたくたるがごとし。これしたがわんとほっすといえども、きのみ。
【訳】
顔淵がため息をつきながら讃嘆していった。「先生の徳は高山のようなものだ。仰げば仰ぐほど高い。先生の信念は金石のようなものだ。鑚れば鑚るほど堅い。捕捉しがたいのは先生の高遠な道だ。前にあるかと思うと、たちまち後ろにある。先生は順序を立てて、一歩一歩とわれわれを導き、われわれの知識をひろめるには各種の典籍、文物制度をもってせられ、われわれの行動を規制するには礼をもってせられる。私はそのご指導の精妙さに魅せられて、やめようとしてもやめることができず、今日まで私の才能のかぎりをつくして努力して来た。そして今では、どうやら先生の道の本体をはっきり眼の前に見ることができるような気がする。しかし、いざそれに追いついてとらえようとすると、やはりどうにもならない」
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 孔子は2,500年ほど前に生きていた人物であるが、論語はその言行を弟子たちがまとめたものである。それは現代にも残って読み継がれており、孔子という人物が偉大な人物であったことは間違いない。その後も偉人はいろいろと歴史に登場しているが、歴史に埋もれることなく残っているのはすごいことだと思う。我が国でも孔子のような思想系に影響するの偉人を輩出しているが、幕末から明治初期に多いように思う。吉田松陰や福沢諭吉、渋沢栄一、二宮尊徳などである。それらの偉人はなぜ今も受け継がれて世に広まっているのだろう。

 その最大の理由は、その考えが陳腐化しておらずに今でも通用するからと言える。人生の真理はそうそう変わるものではないから不思議ではないが、それだけではなく、「神格化」もあると思う。亡くなってしまった人の言行はもうリニューアルすることはない。うっかりした失言で炎上することもない。もちろん、人間だから負の部分もあっただろうが、時間が経つとそういうものは消失してしまう。そうすると否定できない真理だけが後に残る。偉大な師匠の教えとして。

 弟子としては、師匠を超えるというのは僭越なこと。これがスポーツであれば、記録という形で明確に超えることができる。しかし、思想的なものはそうはいかない。それに「師匠を超えた」などと公言すれば反発を買うだろうから、勢い謙虚になる。すると後に続く者はもう誰も師匠を超えられなくなる。もちろん、それはそれで自分なりに師匠とは別の人生の真理を説いてそれが受け入れられれば、師匠に続く師匠として名を残すことはあるだろう。それが今に残るもう一つの理由であるように思う。

 考えてみれば、吉田松陰などは29歳でこの世を去っている。幕末の激動期にあって高い志を持って幕末の志士を指導したのは事実であるが、29歳の若者の思想である。成熟度もまだまだであるし、生きていればもっとはるかに大きな影響を残したであろう。高い志と熱き思いは、年齢に限らず人に影響を与えるものであるから、現代の安定した社会でのほほんと生きているサラリーマンなどは、たとえ100年生きても追いつけぬ境地であるとも言える。

 つまり、そうした根本にある確たる信念が言葉になり、後に残る。同じような心に熱いものを持った人間ならそれ以上のものを生み出す事も可能だろう。師匠を尊敬するのは弟子として当然であるが、それが行き過ぎると神格化につながり、師匠の言葉を伝えるのが自分の役割であるかのようになってしまう。そうなるとそれ以上の成長はなくなってしまう。師匠を道標とすることはいいと思うが、そこが到達点、あるいは永久に到達できないところとしてしまうと、それ以上の進歩はなくなる。

 しかしながら、一方で「師匠を超えた」と考えるのはどうかと思う。それは驕りであり、傲慢でもある。目の前の人参ではないが、「自分はまだまだ」という謙虚な心が継続的な努力を生む。師匠の熱き思いと弟子の謙虚な心とが相まって、後世にその言行が伝えられる理由になるのだと思う。変な神格化は良くないと思うが、目指すべき道標として永遠に後を追う気持ちでいるのは正しい姿勢であると思う。そんな師匠を持てたということは、それだけでも幸せなことだと言えると思うのである・・・


Mohamed HassanによるPixabayからの画像


【今週の読書】
 ビジュアル図鑑 昆虫 驚異の科学 - デイヴィッド・A・グリマルディ, 丸山 宗利, 中里 京子  監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  カラー図説 生命の大進化40億年史 中生代編 恐竜の時代ーー誕生、繁栄、そして大量絶滅 (ブルーバックス) - 土屋 健, 群馬県立自然史博物館  片想い (文春文庫) - 東野 圭吾





2025年8月21日木曜日

お盆に思う

 お盆と言えば、東京では7月だが両親の実家のある長野県では8月である。子供の頃、東京の自宅で母が迎え火を焚き、部屋にはお供えを飾り、送り火を焚いて一連の儀式を終えた。ご先祖様が戻ってくるという話を聞き、「どんなご先祖様なのだろうか」と想像を膨らませたものである。そして夏休みに入り、母に連れられて里帰りするとまたそこでもお盆であり、子供の頃はそういうものだと思っていた。お盆がなぜ全国一律同じでないのか。考えてみればおかしいのであるが、子供心にはそういうものだと素直に思い込んでいて不思議には思わなかった。

 なぜ東京と長野県ではお盆の時期が違うのか。調べてみれば、それは明治期に時の明治政府が旧暦から新暦に切り替わった当時、これを徹底させようとしたため、そのお膝元であった東京やその周辺の地域、都市部などは令に沿って対応せざるを得なく、新暦7月15日にお盆を行なうようになったと言われているそうである。何となく東京は地方出身者が多く、7月をお盆とすると里帰りできないから8月にしたのかという気がしていたが、そういう経緯があったようである。

 迎え火を焚いてご先祖様をお迎えし、来るときはきゅうりの「馬」で早く来ていただき、帰りは送り火を焚いて茄子の「牛」でゆっくり帰っていただく。子供の頃は家で母がしっかりやっていたが、就職して家を出てからはそんな事をする事もなく(寮生活だったからそういう事を1人でやる事はなかった)、結婚してからは私も妻もそういう事は念頭になかったから一度としてやった事はない。それゆえ、ご先祖さまも我が家には来ていただいた事はない。当然、子供たちもそういう習慣を家で経験していないのでこの先もする事はないだろう。

 考えてみれば、豆まきはやっている。子供も小さい頃は元気よく「鬼は外!、福は内!」とやっていた。クリスマスにはクリスチャンでもないのにツリーを飾っている。豆まきよりもクリスマスよりもお盆の方が重要な気もするが、なぜ私も妻もそういう事をやらなかったのか、考えてみればおかしい。豆まきもクリスマスも子供にとっては遊び心が満たされて楽しいからかもしれない。そう言えば祖父母の家に行くと祖先の写真が飾ってあったが、我が家にはない。そうしたところから「祖先」に対する思いも違うのかもしれない。

 さらに考えてみれば、母方の祖母は私が生まれる前に亡くなっている。母にとっては自分の母親であり、また、母の祖父母も亡くなっていたから、祖先とは自分の身近な家族という思いがあったのかもしれない。逆に私には最後に祖父が亡くなったのは30歳の時であり、祖先とは会った事もない人たちという感覚がある。そういう意味では我が家の子供たちはまだ祖父母が3人健在である。実際に身近に接していた祖父母であれば、もう少し死者に対する思いも違っていたのかもしれない。

 映画『リメンバー・ミー』は、メキシコの「死者の日」の祝祭を背景にしたものであったが、ところ違えど一年に一度亡くなった祖先が帰ってくるというコンセプトは同じである。調べたわけではないが、同じような行事は他の国、地域にもあるかもしれない。亡くなった身内に会いたいという思いは万国共通だろうし、目には見えないけど帰ってくると思いたい気持ちから始まったのだろう。ただ、お盆に祖父母の家に帰るのは、「祖先が帰ってくるから」という事で家族が集まるのは理解できる。しかし、東京の家には祖先も来たことがないわけであるし、何となくしっくりこないものがある。

 そういう理屈はともかく、亡くなった親族を思う気持ちは私にもある。私には産声を上げることなく亡くなった姉がいるというし、30歳の時になくなった祖父との思い出は多い。ただ、そういう気持ちは「来てもらう」よりも「こちらから行く」気持ちが強い。なので墓参りの方が気持ちが入りやすい。結婚した年の夏休み、妻を連れて墓を守る伯父の家にはよらずに(結婚の報告のため)祖父母と姉の墓参りをしたものである。目に見えぬ祖父が家に来るというよりも、物理的に骨が埋まっている墓の方がしっくりくる。

 いずれにせよ、亡くなった親族を弔う気持ちは私にもあり、実家に行けば両祖父母の仏壇にご飯を供えて線香を立て、手を合わせる。お盆でなくても毎週やっている。来るとか来ないとかではなく、両祖父母に対する気持ちから抵抗なくやっているが、個人的にはそれでいいと思う。亡くなった者に対する気持ちは、送り火やきゅうりと茄子という形でなくても十分あるし、それでいいのではないかと思っている。この先もお盆の行事をやる事はないだろうが、だから祖先をないがしろにしているというつもりはない。

 実家の母はこの頃認知能力があやしくなり、今年のお盆は迎え火は焚いたが、送り火は焚来忘れたと嘆いていた。きゅうりの馬と茄子の牛はどうでもいいらしい。「まだ帰っていないならそれでもいいんじゃない」と慰めたが、大事なのはどう思うかである。亡くなっても折に触れて思い出す事が供養のようにも思う。子供の頃、お盆で祖父母の家に親戚一同が集まって賑やかだった。少子化も進んでそういうお盆は少なくとも私の親族ではなくなっている。ご先祖様は寂しいかもしれないが、両祖父母とは実家の仏壇を通じて繋がっていると考えたいし、それでいいと思うのである・・・


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【本日の読書】

 ビジュアル図鑑 昆虫 驚異の科学 - デイヴィッド・A・グリマルディ, 丸山 宗利, 中里 京子 カラー図説 生命の大進化40億年史 中生代編 恐竜の時代ーー誕生、繁栄、そして大量絶滅 (ブルーバックス) - 土屋 健, 群馬県立自然史博物館  片想い (文春文庫) - 東野 圭吾





2025年8月17日日曜日

出場辞退に思うこと

 夏の全国高校野球選手権が行われているが、先日、1回戦を突破した広陵高校が大会途中で出場辞退という異例な事になった。大会前からネットで部内のいじめ問題が指摘され、出場に疑問の声が上がっていたが、個人的には今は昔ほどでもないので辞退するべきとも思わなかった。昔は何かあるとすぐ出場辞退で、野球部員でない生徒の不祥事の責任まで取らされて気の毒であった。最近はそういう辞退をあまり聞かなくなっていたのでいい傾向だと思っていたが、経緯を見れば出場の判断はおかしいと思わないし、その後の炎上を受けての辞退もやむを得ない気もする。

 大学ラグビーの世界でも今年は関西の雄、天理大学が選手の不祥事(大麻所持)で無制限活動自粛になっている。ちょっと寂しいがやむを得まい。ラグビー部で大麻と言えば、かつての関東の雄、関東学院大学がやはり部員が大麻の所持(部屋で栽培していたとか)と吸引とで逮捕され、名物監督が辞任し、以後凋落して今では関東リーグ戦1部と2部を行ったり来たりという状況である。天理大学も同じような事になると寂しいように思う。一旦、凋落してしまうと持ち直すのも難しいのかもしれない。

 学生スポーツは卒業によって選手が入れ替わる。当然ながら毎年、新しい学生の確保が大事であるが、不祥事を起こすと有望選手は入学を避けてライバル校へ行くだろう。チームが弱くなれば、強いチームでやりたいという選手はますます敬遠するだろうし、歯車の逆回転が止まらなくなる。天理大学も活動を再開したとしても、そういう影響が出るのではないかと思えてならない。その分、新興勢力が出てくるという見方もあるからなんとも言えないが、何より真面目にやっていた学生は気の毒である。

 関東学院大学の事件からもう18年経っている。天理大学のラグビー部員も関東の事件を知らなかったのだろう。誰でも大麻を吸ってみたいという興味はあるだろうから、ちょっとぐらいという誘惑に駆られたのだろう。本人もこういう事態になるとわかっていたら絶対に手を出さなかっただろう。広陵高校の野球部員もイジメは悪い事だとは知っていただろうし、その時は自分の行為がイジメに当たるという意識もなかったのかもしれない。当然、今日の事態が予測できたらやらなかっただろう。「後悔先に立たず」というやつである。

 もしも、自分が指導者だったらどうするだろうと思う。相手は若気の至りの特権のある若者であり、監視するにも限度がある。ゆえにそこは教育しかないだろう。他校の不祥事を例に取り、ちょっとした事がどんな事態を招くのか。それを語って聞かせるしかない。今は飲酒や喫煙も厳しくなっている。私の頃は高校生でも居酒屋で酒が飲めた。今でも覚えているが、クラスで運動会の打ち上げを蒲田の居酒屋でやったものである。1人高校生が混じっているなどというレベルではない。大らかな時代であったとつくづく思う。

 痴漢もセクハラもなくなりはしないのだろうが、かなり「やってはまずいもの」という認識は世に広まっている。私の若き銀行員時代は、営業担当の課長さんにお客様だけではなく、 行内に対する営業として、女性に対してもたまにはお尻を触ってやらないといかんと諭されたものである(さすがにやらなかったけど・・・)。今はそんな事をしたら大問題になるだろうが、そういう事を気軽に言える雰囲気だったのは確かである。それで世の中は、大らかだったかつてより世知辛くなったのかと言えば、それはいい方向へ改善したという事だと思う。

 これからもルールから逸脱する若者はなくならないだろうが、指導者はひたすら教育するしかないだろう。練習だけさせるのが指導者の役割ではない。野村監督も語っていたが、「人間的成長なくして技術的な成長はない」だろうから、練習以外にも教え諭す必要があるだろう。広陵高校の辞退という事態を受けて、甲子園出場を狙える学校の野球部監督はもちろんであるが、そうでなくても、まずは指導者たる者は今回の例を採り上げて生徒に話してみるくらいはするべきではないかと思う。

 学生スポーツの場合は、何よりも勝負の前に教育があるべきであろうし、それは学業もさりながら勝負に臨む前の姿勢という事でもある。また、指導者にしてみれば「リスクコントロール」という面もある。広陵高校の監督さんは、野球部の出場選手全員から「尊敬する人」とされていたようであるが、野球以外の指導に漏れがあったのは確かであろう。私には無縁の世界であるが、指導者にしてみれば「対岸の火事」ではなく、「他山の石」とすべきであると思うのである・・・


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2025年8月13日水曜日

和解は難しいのか

ロシア軍、ウクライナ東部ドネツク州で10キロ以上前進…米露首脳会談で主導権の確保狙いか
ロイター通信は12日、ロシア軍がウクライナ東部ドネツク州の前線地帯の一部で、急激な進軍を見せたと報じた。数日間で10キロ・メートル以上前進したとしている。15日に予定される米露首脳会談でプーチン露政権は、ウクライナ軍に同州からの撤退を求めていると報じられており、交渉で主導権を握ろうと攻勢を強めているとみられる。
2025/08/13 10:10日本経済新聞
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 米露首脳会談が予定され、そこでウクライナとの和平が協議されるという。ロシアとウクライナの戦争も気づけば3年5か月になろうとしている。日米間の太平洋戦争が3年9ヶ月であったことを考えると随分長く続いている。日米間では戦力差が圧倒的であり、日本は無条件降伏を選ぶしかなかったが、ウクライナは欧米の支援もあって善戦しているから、戦争終結の形としては今のところ和平合意しかないだろう。ただ、双方に思惑があるだろうから簡単にはいかないのかもしれない。

 以前、電車の中でどこかの酔っ払いサラリーマンと喧嘩になった事がある。次の駅で下りて先制パンチをかましたところで周囲にいた人たちにあっという間に引き離された。一人二人ではなく、見知らぬ者同士の連携に私自身驚いてしまったが、こんな喧嘩みたいに紛争当事者を上回る仲裁者がいれば強引に和解させる事も可能だろうが、大国ロシアが相手ではそれも難しい。どうしても話し合いにならざるを得ないが、ウクライナも意地と思惑があるから簡単には妥協しないであろう。特にどちらかが優勢だと確たるやめる理由がない限り、仲を取り持つのは容易ではない。

 裁判などは法律というルールがあるので勝ち負けははっきりとわかる。それでも判決ではなく途中で和解というのはよくあるケースで、と言うより判決を書くのは大変なので裁判官は和解を勧めたがるらしいが、その場合も双方にメリットがないと和解には至らない。私も2年前に裁判を経験し、内容的には敗訴に等しい和解となった。苦渋の決断の要因はそのまま続けて判決に行って、たとえ勝っても次の訴訟を起こされれば時間的、精神的苦痛が続くし、最終的にはどこかで負けると考えられたからである。

 日本も日露戦争ではアメリカの仲裁を受けて「判定勝ち」したわけであるが、日露双方に戦争継続が困難な事情があったからこその和平成立だったわけで、いまだ体力のある段階での和平は難しいのであろう。一方、ガザではイスラエルの戦力がハマスを圧倒しているが、こちらも停戦の見通しは経たない。それはイスラエルが戦力的に優位であり、ハマス殲滅という目標が可能であると考えるからやめる理由がないのであろう。国際世論を気にしないイスラエルを止めるとしたら、イスラエル兵の犠牲が増えるとか、国内の反戦ムードの高まりとかがないと難しいのかもしれない。

 ボクシングでは既定のラウンドが終われば判定となり、裁判では原告被告よりも強力な力を持つ裁判官がいるから無期限の争いとなることはない。だが、戦争はそうではない。英仏100年戦争という歴史もあるくらいである。もっともウクライナもガザの戦争もそう長くは続かないと思うが、どのような形で決着がつくのであろうか。ウクライナは欧米の支援があって戦争を継続できている。そうすると、見方を変えれば欧米はウクライナに戦争を継続させているわけであり、それによって双方に戦死者を増やし続けさせているとも言える。それは果たしてどうなのかと思う。

 かと言って支援をやめればウクライナは屈辱の敗北を喫する事になる。ウクライナからの視点とロシアからの視点、人類全体からの視点とでいろいろ考えは変ってくる。人類全体が譲り合いの精神を持って共存できればいいと思うが、武器を突きつけ合って「抑止力」の形でしか平和を保てないというのはつくづく残念である。首脳の思惑はいろいろとあるのかもしれないが、命を懸けて戦場で戦うのは名もなき兵士だし、被害を受けるのは市民だし、早くどこかで手打ちになればいいと思う。

 我が国も台湾で火の手が上がれば対岸の火事ではすまないだろうし、人類もそろそろ共存という事ができるようになってほしいと思う。自分もそうだが、これから我が子たちの世の中になっていく。生きて行く上でいろいろと苦難はあるだろうが、何より平和な世の中にあっての苦難であって欲しいと思う。平和共存という人類の叡智を駆使した世の中を実現できる日は到来するのであろうか。できれば自分の生きている間に、そんな世界に少しでも近づいて欲しいと思うのである・・・

NoName_13によるPixabayからの画像

【本日の読書】
 ビジュアル図鑑 昆虫 驚異の科学 - デイヴィッド・A・グリマルディ, 丸山 宗利, 中里 京子  監督の財産 (SYNCHRONOUS BOOKS) - 栗山英樹  日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書) - 小熊英二  片想い (文春文庫) - 東野 圭吾