Life is Beautiful !! 日々是雑感 ~COGITO ERGO SUM~
日頃あれこれ思う事どもを思うがまま自由に綴る
2026年6月18日木曜日
論語雑感 子罕第九 (その1)
2026年6月14日日曜日
ノルマの話2
ノルマはいろいろな業種にあると思う。ノルマそれ自体が悪いものではないと思うが、それがだんだんと担当者レベルに落ちていった時にいろいろな弊害が出てくる。私も銀行員時代、クレジットカードや定期預金などの金融商品、貸出額や回収額といったさまざまなものにノルマを課された。今もそれは変わっていないように思う。つい先日、取引先の銀行の担当者に頼まれて投資信託をやらされたばかりである。その担当者にはそれ以前にクレジットカードを作らされてもいる。元銀行員として苦労がわかるだけについつい応諾してしまうのである。
あれは入行して2年目か3年目だった時の事、別の財閥系の銀行に入った後輩から電話がかかってきた。曰く、クレジットカードを作ってくれないかというもの。そしてわざわざ私が勤務する支店にまで訪ねてきた。そして差し出されたのは某クレジットカードのゴールドカード。ゴールドカードとなると、当時の年会費は10,000円。私が作ってもらっていたのは年会費無料タイプだったから、頼んだ人には手間以外の負担はかけさせていない。しかし、年会費10,000円は若手銀行員の薄給には厳しいものがあった。
断りたかったが、わざわざ困って訪ねてきた後輩を手ぶらで返すのも忍びない。ノルマがきついとこぼす後輩に覚悟を決め、さらに支店内を見回して優しかった預金課の課長さんにお願いして一口作ってもらった。その課長さんもとんだとばっちりだったが、「私の顔が立つなら」と引き受けてくれた。かくして予想外の2口の申込書を手に後輩は喜んで帰って行った。そのカードは1年で解約したのはいうまでもない。ノルマは「作成」であって「維持」ではな買ったからである(当然、預金課の課長さんにも解約をお願いした)。
そうして作ったカードが銀行の経営にどれだけ貢献しているのかと問われれば、はっきり言ってほとんど貢献はしていないだろう。作るだけで動きのないカードなど管理費の負担だけであり、経営的にはマイナスである(ゴールドカードは別だが)。そんなバカみたいなノルマなどやめればいいと思うが、中には動いて収益をもたらすものもあるのかもしれないし、やめないところを見るとトータルでは採算が取れているという事なのだろう。それでもこの程度の負担であれば、何とかなるが、モノによっては厳しいものがある。
保険なんかはおいそれとは頼まれたくないものの例である。その昔、銀行員時代の知人が某外資系の保険会社に転職した。それを聞いて真っ先に「来るな」と思った。そして案の定、彼は来た。曰く、保険に加入してくれと。保険会社の場合、まず転職に当たって知り合いの多さを聞いてくる。最初は知り合いから顧客を増やしていくためである。私もそれを聞いて保険業界に転職するのはやめたが、個人的に知り合いから勧めていくのは好きではない。「良いものだったら勧めるでしょう?」と諭されたが、「それはそうだがそれでもね」と断った。まぁ、確かに悪くはなかったので貯蓄だと思って加入した(今も入っている)。
ただ、それでも車なんて高額なものになると、さすがに頼まれても簡単に「いいよ」とは言えない(自動車会社に就職した後輩はいたが、幸いなことに頼まれはしなかった)。自動車会社の営業マンには自爆営業しないといけないような厳しいノルマはあるのだろうか。あっても数は稼げないだろう。せいぜい身内ぐらいしか頼めないだろうと思う。それでもさすがに自家用車は他のメーカーのものにはできないだろうなと思う。自社に誇りを持っている人なら問題はないだろう。それかあえて外国車にすれば角が立たないのだろうかと考えてみる。
いろいろと妄想は広がる。でもよく考えてみれば、ノルマが嫌なのは、「自爆営業」にあると思う。それがなければ精神的にも楽である。成績が上がらなくてもそれはまた別の問題である。そう考えたら、社員にノルマを貸すのは構わないが、「自爆営業禁止(あるいは許可制)」にすれば良いように思う。人は結局、尻を突かれないと動かないところはある。やり過ぎれば問題になる。プルデンシャル生命保険の不正事件はノルマというより過度の歩合制にあったようだが、ノルマみたいなものである。そこはうまくやらないと首脳陣も首を絞めることになる。
プルデンシャルのような角の歩合制は別として、単なるノルマなら「自爆営業禁止」とするだけで、かなり社員の精神的な負担は軽減できるのではないだろうか。我が社にノルマはないが、そのあたりよく気をつけて「目標設定」をしなければと思うのである・・・
2026年6月11日木曜日
ノルマの話1
『対馬の海に沈む』というノンフィクションを読んだ。長崎県対馬市にある対馬農業協同組合(JA対馬)で起こった22億円に上る巨額の不正流用事件を追ったノンフィクションである。その遠因として触れられていたのが個人のノルマ達成を最優先させる組織構造や、それに起因する無理な営業体制などである。実際のものは書かれていなかったが、職員には過酷なノルマが課されており、こなせない職員は自爆営業(営業目標を達成するために自分や家族の名義で不要な共済を契約すること)をせざるを得ないというもの。それほど多くない給料から掛け金を払うため、家計を圧迫していたという。
ノルマとは、もともとロシア語の「норма(基準・規定)」に由来し、第二次世界大戦後のシベリア抑留者によって日本に伝えられた歴史を持つらしい。私も銀行員時代、いろいろなノルマがあって大変だったのを思い出した。他の業界でも保険や証券会社なんかも大変らしいと聞こえてきていたが、どこの業界でも多かれ少なかれあるのかもしれない。私のいた銀行では「ノルマ」という言葉のイメージがよくないのか、「ガイド」と言い換えられていた。言葉が変われば変わるというものではないが、その意図は何となく理解できる。
企業であれば、当然業績目標をというものを持つ。目標を持つことそのものは悪いことではなく、むしろ必要なことである。そして当然、全社一丸となってその目標達成に向けて活動するのであるが、その目標を達成するために、目標が細分化され、最終的に一人一人の社員に目標として降りてくるということもありうること。それがすなわち個人の目標としてのノルマとなる。そう考えると、ノルマというのは実は必要なことだということになる。実際、私もそういう個人目標はあってもいいと思う。ではノルマは必要善なのか。
本来、必要なノルマがなぜ不正流用事件の遠因となるのか。それはおそらく「罰則」の有無にあると思う。達成できなくても罰則がなければ苦しむことはない。JA対馬のノルマがどんなものだったのか、罰則がどんなものだったのかまでは詳しく書かれていないのでわからないが、「できません」と言って済ませられるものではなかったのだろうと推測するしかない。家計費を圧迫されても我慢して加入し続けざるを得ないというのは、それ相応のペナルティがあるからなのだろう。
私の場合、銀行員時代に課された「ガイド」で今でも覚えているのは、「JCBカード獲得10件」というものだった。支店に割り当てられた「ガイド」を単純に職員の頭数で割ったものだが、顧客と接点の多い営業職も少ない事務職も同じ「ガイド」というのは理不尽に思えた。私は融資係だったが、直接交渉できる相手はすでに営業が頼んで作ってもらっているから実際には頼める相手などいなかった。そこで家族や友人知人に頼んで10件集めたが、女性の事務職などは明らかに嫌な顔をしていた。気持ちはよくわかった。そうして集めたJCBカードがどこまで役に立つのか疑問だったし、やればいいというものではなかったと思う。
その時は未達でも罰則はなかった。しかし、結果は支店内に公表されたし、未達者は誰だか一目瞭然だし、目に見えないプレッシャーはかなりあった。「針の筵」とはこういうことを言うのだとよくわかる状況である。罰則がなければいいと言うものではない。逆に達成したらプラス評価されるのは当然である。それに異論はない。組織として目標を追う以上、それに貢献したら評価しないとそれはそれで問題である。社員を鼓舞するのはいいが、棒グラフなどで暗黙のプレッシャーをかけるのはやはり勘弁願いたいものである。
人間は尻に火がつかないと動かないというところは確かにある。企業として目標を持つのも必要であり、それを細分化して個人に目標を与えるのも必要である。問題は未達の場合にペナルティを課すことだろう。それは目に見えるものだけではなく、無言のプレッシャーという目に見えないものも含まれる。そんなものはなくても、達成できた場合にみんなが目の色を変えるような褒賞を与えるだけで十分だと思う。ボーナスで報いればいいのである。できなかった場合に、「次こそ頑張ろう」と思わせることができるか。それが大事なのではないかと思う。
さて、翻って我が社の現状は厳しい。目標の未達は確定的だが、下手すると前年よりも減収ということになりかねない。それは何とか回避したいが、財務担当としては直接売上に貢献できるものではなく、なかなか忸怩たる思いがする。それでも数字を押し付けるノルマは存在せず、個人ごとの目標もない。ただ各課ごとの目標があるのみである。未達のペナルティなどないが、当然達成しようとするマインドは持って欲しいと思っている。ノルマはないが目標はある(かつてガイドと言い換えられたものかもしれない)。両者は似て非なるものである。基本は社員の幸福であるし、そこは忘れずに「目標」に向けて邁進して欲しいと思うのである・・・

2026年6月7日日曜日
良い赤字と悪い赤字
現在、会社は決算に向けて非常に厳しい状況にある。売上が計画通りに伸びていかないのである。前期は最終的に黒字で終わったものの、営業利益ベースでは赤字であり、今期は何としても営業利益ベースで黒字を計上しないといけないのである。ところで、なぜ黒字を計上しないといけないのであろうか。逆に言えば、なぜ赤字は悪いのであろうか。「そんなのは当たり前ではないか」というのは簡単。だが、なぜだろうか。赤字とは、すなわち経費が売上を上回っている状態である。会社からお金が流出していく状態である。それは企業の存続に関わる問題であるから「悪」なのである。
では、企業の存続に関わらないものであれば良いのかと問われればその通りである。企業の存続に関わらない赤字とは、例えば「一時的なもの」、「金額の小さいもの」等が挙げられる。そもそもであるが、企業の存続に必要不可欠なものは何かと問われれば、私は「現金」であると思う。企業は現金があれば赤字でも存続できる。逆に現金がなければ黒字でも存続できない。いわゆる「黒字倒産」と言われる状態である。つまり、赤字か黒字かよりも現金があるか否かの方が重要であると思う。
赤字のメリットとしては税金(所得税)がかからないということがある。その昔、親父がまだ自営業をしていた頃、私が税務申告を引き受けたことがあった。それまでは税理士に顧問料を払って税務申告をしてもらっていたが、ある時決算書を見せてもらったところ、一目で「手抜き」がわかった。おそらく、事務員か何かに適当にやらせていたのだろう。私は渋る親父を説き伏せて税理士との契約を打ち切り、自ら税務申告を買って出た。まずやったのは親父の給料を下げることであった。
親父が1人でやっていた印刷業であるが、形式上は法人化していて、親父は役員報酬をもらっていたが、会社は大赤字。その主要因は高すぎる役員報酬。そこで役員報酬を引き下げて利益をトントンにしたのである。こうしたことで、親父の個人の所得税が減り、結果的に手元に入る現金が増えたのである。会社は元々赤字で法人税を納めていない。実態は個人事業主であり、会社も個人も財布は同じ。トントンになってもそれは変わらず。ただ収める税金と税理士への報酬だけが減った次第である。本当は税理士がやるべきことであるが、手抜きすれば顧問先を失うのは当然である。長年の慣れによる怠慢である。
一方、赤字のデメリットは銀行の融資を受けられないことである。逆に銀行から融資を受ける予定がなければ赤字でもいいわけである。大事なことは現金が残っているか。それがどこであってもいいわけである。親父の会社の場合は、親父個人に残るようにしたので、会社には最低限の現金があればいいのである。これがグループ経営の場合、グループ企業に現金があればグループ企業すべてが黒字である必要はない。銀行融資を受ける予定のない子会社なら赤字でも構わないわけである。
もちろん、すべての会社が黒字でウハウハなら問題はない。ただ、「とにかく赤字はダメ」という思考停止はよくない。きちんと現金があるかどうかがまず大事。それが大丈夫であれば、大事なのは赤字か黒字かではなく、企業の存続に必要な現金があるかどうか。そこを間違えないようにしたいところである。前職では経営素人の社長が自らの経営で膨らんだ赤字を指して、「親父から株を譲り受けるために相続対策としてわざと赤字にした」と嘯いていた。「ならなぜ相続が終わった後も赤字にしていたのか」という質問は(まだ入社直後であったこともあって)ぐっと飲み込んだ。
その後、私が入社して経営を立て直し、6年連続の増収と黒字計上、最終年度には史上最高益を達成した。だから会社の株をM&Aで高く売れて、役職員は全員解雇して悠々自適で引退できたわけである。最大限の貢献をしたのに首という結果になって忸怩たる思いがあったが、今思えば退職金規定の整備など気付いていたのだからやっておけば良かったと思う。それはそれであるが、赤字は必ずしも悪ではないということである。本質は何かということはいつも問いかけているが、企業の赤字についてもそういう本質論として捉えておきたいと思うのである・・・
2026年6月4日木曜日
論語雑感 子罕第九 (その30)
2026年6月1日月曜日
誕生日に思う
毎年6月は誕生月である。これまでの生きてきた半生を振り返り、などと言えば大袈裟であるが、そろそろ残り時間(それが10年単位であることを望むが)を意識するようになってきている。できれば70歳まであと8年間、今の収入を維持して働きたいと思う。そのあとは「毎日が日曜日」を楽しみたいと思う。70歳を超えた後も個人的には収入のためには働きたくない。しかし、社会との関わりという意味ではなんらかの形で働き続けたいと思うが、そろそろ体力も低下してきており、たぶん70歳くらいになれば気力も衰えて楽をしたいと思うようになっているような気がする。
今はいろいろな事が心理的な負担としてのしかかってきている。周りで自分よりも恵まれている人の姿を見ると、「なんで自分だけが」という気がしなくもない。特に60代になっても夫婦仲の良いところを見せられたりすると、素直に羨ましいと思う。とは言え、それも自業自得なので仕方がない。他人を羨んでも仕方がない。人はみなさまざまである。仕事でもパッとせず、結婚もせず、私と同じように老親と同居している友人もいる。彼から比べると、私はまだいい方であると思う。
下を見て満足するのはどうも感心できない、上を見なくてどうするとこれまでずっと考えてきた。それは今でも変わらない。しかしながら、自分が不幸の塊のように思うのも良くないと思う。自分にも恵まれているところはある。その一つは子供である。「一姫二太郎」と言われるが、結婚前から何となく将来は女の子とその下に弟という形で子供が欲しいと思っていた。そしてその通りになった。多額の収入を稼いで今では羨ましい名誉職について日経新聞にも名前が出る友人がいる。でも子供はいない。どちらがいいかと問われれば、子供のいる人生を選ぶ。
それでいいではないかと思う。この先離婚すれば、家は妻に渡すつもりである。離婚届で妻とは他人になれるが、「子供の母親」という関係は切れない。財産を半分に分けるという選択肢は子供たちから住む家を奪うことを意味し、それはできない。それ以外に渡すお金を考えたら、真面目に「貧困老人」になる危険性が高い。まぁ、ホームレスになって子供たちに迷惑をかけないようにはしないといけない。そのためにはまだまだ稼がないといけない。そんなことを漠然と考える。
シニアラグビーも楽しくやっているが、やはり年齢を感じるようになってきている。怪我をしてもなかなか治らないし(むしろ慢性化している)、ちょっとした運動でもすぐ筋肉に違和感が漂うし、練習が終わったあとの疲労感は昔より大きい(昔より緩い練習なのに・・・)。頭の中は老いないから、敵がボールを持って走ってくれば勢いよくタックルに行く。しかし、今ではその衝撃に体が耐えられないように思う。なので、自分よりも若い世代(50代以下)とはなるべく試合をしないようにしている。周りは「(あなたなら)大丈夫ですよ」と言ってくれるが、勘違いは厳禁だと自分を戒めている。
血液の病気が発覚し、今は経過観察中だがいつ悪化するかはわからない。体力には(病気に対する抵抗力も含めて)自信があったが、あっさりそれを打ち破られてしまっている。体力の衰えは気力の衰えにつながるし、「まだまだ」という気持ちは持ち続けていきたい。まずは息子が卒業するまであと2年。それを短期の区切り目標として頑張りたい。そのあとはまた次の短期目標を探すとしよう。あと8年、今の収入を維持して働くには、会社で自分の存在感を出さないといけない。今までのやり方に安住する事なく、常に「これでいいのか、改善の余地はないか」という問いかけは自分にぶつけていきたい。
ある木登り名人は、弟子が木に登る姿を黙って見つめ、降りてきてあと少しというところで気をつけろと注意をしたという。その理由を問われた名人は、「一番気が緩みやすいところだから」と答えたという。今の自分は「あと8年」というところでそれを感じている。あと8年。健康と仕事での存在感。どちらも維持していきたいと思うのである・・・
2026年5月27日水曜日
考え方は変わらない
人の考え方はそう簡単には変わらないものだとつくづく思う。我が社で将来の幹部候補生がいるのであるが、その言動がどうも個人中心で、経営に必要な「会社視点」での考え方ができていない。すなわち、「会社から見たらどうなるか」という視点である。ある問題が発生する。「自分は直接の担当ではない。だから担当すべき人がやればいい」というのは「自分視点」の考え方。それだとその問題は誰が解決するのかとなる。「会社視点」であれば、たとえ自分が解決できなくても解決できる人に頼むとかしかるべき人に相談するとかの「自主的な」行動に出るはずである。
この「視点」は重要である。経営とはすなわち「問題を解決すること」でもある。会社が目標に向けて進んでいく段階ではさまざまな問題が発生する。それを1つ1つ解決していくのが経営である。その時、「自分視点」で「これは私の担当ではない」と考えていたら問題は解決できない。それを「自分の問題」と考える事こそが「会社(経営)視点」であり、幹部にはこの「視点」が求められる。それを丁寧に説明しているが、なかなか本人の意識が変わらない。
私も今では偉そうに言うものの、そう言えばかつては同じ状態にあったなと思う。ちょうど銀行員時代の30歳になった頃の私がそうであった。当時は仕事も覚え、自分の考えで仕事をどんどん進められていた。しかし、それは当然ながら「自分の仕事」であり、他の人の事はどうでも良かった。支店の成績という事が求められているのは知っていたが、それは「上の人」が考えればいいことであった。「上の人」ももどかしかったに違いない。そんな私に直属ではなかったが、隣の課の役席者が指導してくれた。
ある日、飲みに行こうと誘われたが、当時の私はマイペース。業務時間外に仕事の話などしたくはなく、平気で断った。それで別室で話をしたが、「お前は何をやりたいんだ」と聞かれて面食らった。「仕事でやりたいことなんて・・・」というのが正直な感想だったが、何も答えられずにいると、滔々と話をされたが内容は覚えていない。覚えていないという事は心に刺さらなかったという事であるが、まだ準備ができていなかったのだろう。
その後、私は迷走状態に入っていく。仕事はきちんとこなしているのに評価されない。なぜだかよくわからない。今にして思えば、「上の人」の評価基準がわかっていなかったという事である。年齢的にもそろそろ経営的な視点から行動してほしかったのだろう。それに気づくまでだいぶ時間がかかってしまった。自分に足りないものは何かと考えていたが、なかなかわからなかった。今に至るまで悪戦苦闘しながら自分で答えを探してきたが、だから考え方も変わったのだと思う。
人の考え方は自分で変えるしかない。人に言われてなかなか変わるものではない。それはわかるが、もどかしいのは確かである。今、あの頃の自分に会えたら何と説明するだろうか。「仕事は仕事、プライベートはプライベート」と割り切るのはかまわない。ただ、仕事に関しては自分中心ではなく、会社中心に考える。ラグビーで言えば1プレイヤーではなく、キャプテンになって考えると言えばわかりやすいだろう。ただ、それでも考え方が変わるかどうかはわからない。
当時の私は、仕事において興味の中心は給料であり、そのために必要な昇格であった。そのあたりを刺激すれば少しは聞く耳を持ったかもしれない。今思うのは、やはりもう少し丁寧にわかりやすく話してほしかったと思う。勝手な言い分だが、せっかく私の事を思って指導してくださったので、当時の私にも理解しやすい言葉で説明していただければ良かったのにと思わざるを得ない。そういう思いもあって、我が社の「期待の星」には丁寧に説明したつもりである。かつての自分に言い聞かせるように。
それでもやはり自分で壁にあたって苦しまないと、外部の考え方は心に入らないのだろうかと思う。特に自分の中で固まっている考え方はなかなか変わらないのだと思う。それを嘆いても始まらない。そういうものだと思うしかない。そして、変化を望む以上、こちらから諦めずに働きかけるしかない。根気強く働きかけていきたいと思うのである・・・
2026年5月24日日曜日
日本史がいい
学生時代、特に中学高校時代に「好きな科目は?」と聞かれると、「世界史」と答えていた。私の性分として基本的に歴史好きであり、それはいわゆる「歴史」の範疇には入らないかもしれないが、宇宙誕生から地球の誕生、そして生物史と言えるところまで網羅するものである。『生命の大進化40億年史』シリーズは最近のお気に入りで、昨夏にはシリーズの監修に携わった博物館を訪れたほどである。学生時代はそこまではいかず、授業で習う世界史がお気に入りで、大学受験も選択科目として世界史を迷わず選択した。
当時は歴史といっても日本史よりも世界史であった。日本史はどうにも面白みが欠ける印象で、あまり食指が動かなかったのである。ところが、近年はずっと興味の対象は日本史である。そのきっかけになったのは、井沢元彦の『逆説の日本史』シリーズである。どういう経緯だったか覚えていないが、記念すべき第1巻を購入したのは1993年か1994年である。まだ結婚前の妻と付き合っていた時に話をした覚えがある。「逆説」とある通り、それまでの日本史の「定説」に異論を唱えた内容にグイグイ引き摺り込まれたのである。
衝撃の第1巻に書かれていたことで印象深いのは、出雲大社に関する記述。建設された当時、出雲大社は日本一の高さを誇っていたという。しかし、権力の主流である天皇系の祖先神天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀った神社であるならばともかく、そうではなくて非主流の大国主神(オオクニヌシ)を祀ったものであること。それは国譲りという伝説の影に戦いがあって、敗れた大国主が怨霊化するのを恐れて鎮魂のために立派な神殿を作ったというものであった。この怨霊鎮魂というのがその後に続く日本史の根底に流れる考え方だとするが、こうした歴史の見方に衝撃を受けたのである。
それまでは歴史とは何となく事実(事件)の積み重ねであり、それが面白くもあったのであるが、その事実(事件)の積み重ねに、現代に生きる我々にはわからない考え方が流れていたのかもしれないという意見は斬新であった。さらに出雲大社では大国主神は正面を向いていないとか、しめ縄も他の神社とは逆向きであるとか、そこには現代の感覚では説明のつかない謎がある。その理由も著者は怨霊鎮魂の考え方から説明する。それが事実かどうかはわからないのだが、一つの考え方であることは確かであり、(私にはすっきりと納得のいく)面白い考え方だったのである。
この考え方が、私をして世界史から日本史への興味の転換をもたらしたものである。日本人は無宗教だとよく言われるが、実はしっかりと宗教に染まっている。例えば箸と茶碗の例えなど目から鱗であった。家庭では家族それぞれ専用の箸と茶碗がある。誰も父親の箸と茶碗でご飯を食べないが、ナイフとフォークにその区別はない。それも宗教の一種だという考え方には納得する。藤原道真が学問の神様になったのも源氏物語も鎮魂の結果だというのも実に面白い意見である。
第1巻以来、30年以上にわたって続くシリーズは、現在最新刊の29巻に入っているが、20世紀初頭の日本史はもともと興味深い時代であるし、当時の人々の心境を分析した見方はなるほどと思わされる。根底にあるのは、常識にとらわれない発想と歴史を部分ではなく、人間の営みの連続として捉える考え方にあると思う。そのあたりは自分の考え方もかくありたいと思わされるところである。この後、現代史に入ってくるが、どんな「逆説」があるのか楽しみである。
それにしても歴史に出てくるのはほんの一握りの人間だということが改めてわかる。それ以外の一般市民は歴史の中に埋もれていく。名を残すとしたら、よほどの偉業を達成するか、大きな犯罪を犯すかしかない。歴史に名を残そうなどと大胆な思いはかけらもないが、自分の子供や(生まれてくるなら)孫くらいには少しは影響を与えられるようでありたいとは思う。密かな趣味として歴史探究は続けていきたいし、著者の著作にはひときわ興味を持って読んでいきたいと思うのである・・・
2026年5月20日水曜日
改めて印鑑について思う
昨年、我が社では社内の書類に関して原則捺印不要にした。もう役所でも印鑑不要となってきており、印鑑の意味を考えて「やめるべし」となったのである。それ以前は、入社時に総務部で印鑑を預かり、必要に応じて社内文書に限り「代印」していたのである。それに何の意味があるのかと異を唱え、印鑑廃止に至った次第である。その他、社内稟議の電子化もあり、印鑑を使う機会は少なくなっている。とは言え、まだ社内には一部「紙」の回覧が残っており、それに対する専用の(日付の入った)承認印は使っている。
そもそも印鑑の意味は何かと考えると、広く世の中では「実印」と「銀行印」とが「本人確認」という意味の不動の役割を担っている。本来はそういうものだろう。なのでいわゆる「認印」にはあまり意味がない。我が社でも認印を預かって総務部で必要に応じて「変更届」などに代印していたが、本人が押さないものに何の意味があるのか。例えばトラブルになった際、「自分で認めたでしょう」とは言えない。否、書類を本人から提出を受けた時点で本人も認めているわけであり、印鑑のあるなしは関係ない。廃止も当然である。
我が家では(だいぶ認知能力が衰えた老親ゆえに)、銀行印が見当たらないと言う父に母が「そこにある印鑑を持っていけば」と言っていたが、何の印鑑でもいいというわけではないのは当然である。取引の最初に銀行に届けることによって、「その銀行でのみ」本人が確実に(例えば出金などの)意思表示として行為したという証になる。認印では「本人の行為」と銀行も言えない。実印は役所に登録することによって国がそれを認め、正式な証拠として「印鑑証明書」を発行してくれる。
そうした本人確認以外に本来印鑑の意味はないはずである。印鑑がない場合、よく指紋を押すことがあるが、これの方がまだ「本人確認」の証にはなるが、どこでも手に入る三文判にはまったく押す意味はない。最近は郵便物の受取に印鑑を求められることが少なくなってきたが、我が家では長く玄関の靴箱の上に受け取り用の印鑑を常備している。しかし、それだといざ(届けた、届いていないという)トラブルになった時、「受取印があるから手渡した証拠だ」という抗弁になるのだろうかと思ってみる。たぶん裁判になったら勝てないのではないかと思う。「その印鑑はうちのではない」と言われればそれまでであるからである。
仕事で迷うのは社判だろう。我が社には「実印」「銀行届出印」「角印」とがある。「角印」はいわゆる認印であり、気軽に押している。しかし、「実印」と「銀行届出印」については押した記録を残している。しかし、本来「銀行届出印」は銀行取引だけに使用すべきものだが、角印では何となくかっこつかない時に(そして実印を押すほどではない時に)押している。いつも疑問を感じつつ、それでもうまい解決策を思いつかないまま現状を続けているが、考えれば考えるほど迷ってしまう。
我が国最初の印鑑と言われる「漢倭奴国王」印以来、我が国には印鑑文化が根付いている。それは悪いことではないと思うし、個人的には欧米のサイン文化よりいいと思う。しかし、どうも「認印」だけは意味がわからず、悶々としてしまう。個人的には実印と銀行印と認印とを持っている。初めて手にした自分の印鑑は、高校の卒業記念にもらったもので、何か大人になった気がしたものである。それを銀行印にし、今もそれ以外には使っていない。
実印を作ったのは社会人になってからで、母が知り合いか何かに頼んで作ってくれたものである。「象牙と木製(材質は忘れてしまった)とどっちがいい?」と聞かれて木製を選んだのである。当時まだ象牙取引は禁止されていなかったが、何となく象の事を考えて嫌だったため木を選んだのである。それは今でも実印として利用していて、考えてみれば使ったのは車を買う時と家を買う時、そしてそのためのローンを組んだ時、それと役員になった時くらいで、あまり使用していないなと改めて思う。
実印も銀行印も使う機会は少ないものの、持っていたいとは思う。昨年引っ越した時も印鑑登録の変更は忘れずに行った。自分のアイデンティティの1つであると思う。認印も唯一、仕事では役に立っている。取締役会の議事録などには自分が手元で管理している認印を使っているが、それは唯一、「自分が間違いなく押した」と「自分でわかる証」としてである。数えてみれば印鑑は全部で4本ある。世の中的には意味のわからない認印ではあるが、自分としてはそれにきちんと意味を持たせつつ、押す機会が少なくなろうと、意味を持って印鑑を使い続けたいと思うのである・・・
2026年5月17日日曜日
論語雑感 子罕第九 (その29)
子曰く、与に共に学ぶ可きも、未だ与に道に適く可からず。与に道に適く可きも、未だ与に立つ可からず。与に立つ可きも、未だ与に権る可からず。











