2012年1月31日火曜日

クラッシック

音楽の趣味はと聞かれると、私はけっこう“雑食”系かもしれない。
ビートルズから浜崎あゆみまで、バッハから忌野清志郎や石川さゆりまでカバーしている。
どの分野が一番好きかと尋ねられても、難しいところだ。
その時の気分次第という答えになるだろう。
Queenな気分の時もあれば、ドボルザークな気分の時もあるのである。難点を言えば、「最近の曲にはついていけていない」というところか。

クラッシックはわりと好きな分野だ。
と言っても “広く浅く”だから本当に好きな人からみたら、笑われてしまうくらい入門編的な好みだ。好きな曲はといえば、一般的にメジャー な曲ばかりだ。高校生の頃はスメタナの「モルダウ」とかがだったし、「コブラ」に影響された時はひたすらショパンを聞いた。「ノクターン」なんかは簡単でわかりやすくていい。

ドボルザークは「交響曲第9番」がいいし、エルガーの「威風堂々」も好きだ(結婚式の入場の際に流してもらった)。バッハは宗教的な匂いに満ち溢れたオルガン系が好きだ。「トッカータとフーガ ニ短調」のパイプオルガンには特に心震えてしまう。またシンプルな「G線上のアリア」なんかも好きだし、バッハはわりと好きな曲が多いかもしれない。

そんなクラッシックには難点があって、それは「じっくり聞かないと聞いた気がしないし、じっくりと聞いているヒマなどない」という事だ。以前は、サントリーホールなんかへも足を運んでいたが、最近はすっかり足が遠のいてしまっている。心の余裕度のバロメーターだとしたら、今はまるでダメな時期だと言える。

しかし考えてみたら、クラッシックというのは凄い気がする。
300年以上も前に作曲されたのが、今に至ってもまだ世界中で演奏されているのだ。
きちんとホールで演奏されているばかりではない。映画の中に挿入されていたり、CMで使われていたり、着メロになっていたりして、実はけっこう身の回りに溢れている。

パッヘルベルの「カノン」という曲がある。
バッハやベートーベンやショパンやシューベルトや、思いつくままクラッシックの作曲家を挙げよと言われて、パッヘルベルの名前を挙げられるのは、けっこう詳しい人だろう。
一般的には知らない人の方が多い気がする。

しかし、パッヘルベルや「カノン」は知らなくても、曲は誰もが知っている。
わずか5分ほどの曲だが、(少なくとも日本では)知らない人はいないだろう。
音楽だけが、時代を越えてずっと残るというのも凄い事だ。
現代のポップスなど、どのくらい“長生き”するのだろう。

ビートルズの曲などは、今ではみんながカバーしている。
ちょっと気をつけていると、至るところでオリジナル曲はもちろん、カバー曲も流されている。娘の小学校の運動会で、準備体操のBGMが「オブラディオブラダ」だったのには驚いてしまったが、はたしていろいろな人たちにカバーされて受け継がれて、いったいどのくらい生き永らえるのだろう。興味深いが、答えを知る事ができないのが残念だ。

現代音楽ももちろん好きだし(その大半が「懐メロ」になりつつあるのだが)、これからも聞き続けるだろうけど、クラッシックも同じように楽しみたいと思う。
食後の一時にコーヒーを飲みながら静かにクラッシックを聞く。
そんなゆとりあるひとときを持ち続けたいと思うのである・・・


【本日の読書】

スティーブ・ジョブズ I - ウォルター・アイザックソン, 井口耕二  1Q84 BOOK 2 - 村上 春樹





2012年1月28日土曜日

喫茶店

取引先の部長さんと話をしている時に、ふと近所にできたドトールコーヒーの話題になった。
「今の喫茶店はすっかり待ち合わせ場所になっちゃいましたねぇ」と部長さんが呟く・・・
「昔はねぇ、美人喫茶っていうのがあってね、よく銀座なんかの美人喫茶に行ったものですよ」と嬉しそうに語ってくれた。

美人喫茶ってどんなところだったのだろう。
世代の違う私には知りようがないが、その名の通り美人のウェートレスが働いていたのだろう。もう還暦も近い部長さんだが、その昔若かりし頃、ウキウキとそんなところへ出かけて行ったのだろう。

そう言えば、昔、大学のラグビー部の同期が「アンナ・ミラーズ」を絶賛していた事を思い出した。店員さんのミニスカートが、何とも言えないチェーン店だ。
きっとあんな感覚だったのかもしれない。
行ってみたかったな。

「行きつけの店があってね、行くといつも私の大好きなシャンソンをかけてくれましてね・・・」
それとは別に、行きつけの喫茶店があったらしい。
いつものコーヒーを飲みながら、大好きなシャンソンを聞いては至福の一時を過ごしていたという。そんな喫茶店、私にはないな。

喫茶店と言えば、今ではあちこちチェーン店ばかりである。
ドトールなんかは値段は安いが、あまりコーヒーをゆっくり飲んで、なんてくつろげる雰囲気はない。ちょっとした空き時間に、ちょっと寄ってコーヒーを飲むという感じだ。
コーヒーを飲むというよりも、時間つぶしなどのような目的が主だろう。
通いたくなるような喫茶店ではない。

そう言えば歌声喫茶なるものも聞いた事がある。
なんでもみんなで歌を歌っていたらしい。
さらに、今もたまに見かける「純喫茶」というのは、その昔風俗系の営業をしていた喫茶店との間に一線を画す意味で「純」といったらしい。
昔はいろいろあったようである。

高校の時には近所に行きつけの喫茶店があった。
「アイビー」という名前で、年取ったおじちゃんとおばちゃんが夫婦でやっている店だった。
ラグビーの練習帰りに寄って、ナポリタンをよく食べたものだ。
たばこを吸っていても、高校には通報しないでくれる良心的(?)な店だった。
大学の時も渋い喫茶店がいくつかあったが、行きつけというほど通った覚えはない。
今は、ないなぁ。

我が家族は、コメダコーヒーによく行く。
まあコーヒー目当てというよりも、シロノワールというパンケーキ目当てなのだが、食いしん坊の我が家族のような人種にはそんな利用目的もある。
子供が生まれる前は、妻と二人で近所の喫茶店に行った事がある。
ただ妻の目的は、コーヒーというよりもケーキだったりかき氷だった。
喫茶店もコーヒーだけでは厳しいのかもしれない。

でもやっぱり、静かな店内で大好きなコーヒーを飲みながらのんびり本でも読むというのが、私にとっては理想的な喫茶店の利用方法だ。今はまだ子供も小さいからなかなか難しいが、そのうちもう少し自由な時間が増えたら、休みの日には、本を持って喫茶店にコーヒーを飲みに行くという習慣ができているかもしれない。そうして至福の一時を過ごす自分を想像してみると、悪くはない未来だ。

そんな喫茶店を、今から探しておきたいと思うのである・・・


【本日の読書】

スティーブ・ジョブズ I - ウォルター・アイザックソン, 井口耕二  1Q84 BOOK 2 - 村上 春樹







2012年1月24日火曜日

スキーin湯沢2012

近年、すっかり我が家の冬のレジャーとして定着した感のあるスキー。
先週末に今シーズン初滑りに行ってきた。
昨年スタッドレスタイヤも買ったし、せっせと行かないともったいないと貧乏根性が働いてしまう。

念のためと朝5時に出発。
途中雨と雪とで速度制限もあったりして、比較的ゆっくり行ったのだが、それでも湯沢の岩原スキー場には7時半についてしまった。
板を借りたり、着替えたりしてゲレンデがオープンするのを待つ。

久しぶりの割には子供たちもすいすいとボーゲンで滑り始める。
長女は向上心が芽生えたのか、足を揃えて滑る練習を始める。
そういう気持ちを大事にしようと、2日目にNASPAスキー場でスキー学校に入れたのだが、娘曰く「ただ滑っていただけ」という結果で、どうも無駄だったよう。
子供だと思って熱心には指導してくれなかったようだ。

ゲレンデは相変わらず空いていて、昔のようにリフト待ち30分などという事はない。
食堂もすんなり座れて快適。
道路もリフトもゲレンデも混みまくっていたあの時代。
昔はよくあんな状況を我慢していたものだと、改めて思う。
昔だったら少しでもと欲張ってガンガン滑るところだが、今は子供たちのペースに合わせてゆったりと滑る。それでも空いているゲレンデでは、「元が取れない」といった焦りは感じない。

長男は雪遊びをしたがる。
食事もそこそこに外で穴を掘ったり、雪をこねたり。
せっかく来たのだからと、スキーに誘うも、「もうちょっと」と渋る。
考えてみれば東京では雪遊びなどできないし、何より子供を楽しませようと思ってきているわけだから、と考えて遊ばせる事にした。一緒に雪合戦もする。
仕事に行くのは大変になるが、子供のためには、たまには東京に雪が積もってもいいんじゃないかと思ってもみる。

夜はバイキングで腹いっぱい食べて、温泉につかる。親はこれが目的。
湯けむりの中、流れるお湯の音を聞き、時々桶のぶつかる音が響く中で湯船に浸かる。脱日常・・・
気がつけば昼間の疲れも出て、子供たちと一緒に寝てしまう・・・

2日目はNASPAスキー場。
ここも初心者には優しいゲレンデ。
山頂に立つと、遠くの山々に遥か下界には車が走る街並み。絶景かな・・・
大昔にこの景色を見た人たちは、今日のこの有り様は想像できなかっただろうなどと思ってみる。今はつくづく良い時代だ。

子供たちもエンジンがかかり、ガンガン滑り出す。
妻と二人限界を感じ、やがてリフトの終了時間をカウントダウンして待つ始末。
体力的に下り坂にある身と上り坂にある身の違いを感じる。
本当なら、ゆったり余裕の一泊スキー旅行なのだが、これなら日帰りの方が楽かもしれないと感じる。

夕方5時にゲレンデを出発し、途中夕食を食べて9時半帰宅。
渋滞もあったが、まあこういう感じで往復できるのなら、悪くはない。
あと1~2回、今度は日帰りとなるが行きたいと考えている。
しかし、帰ってきたあとは洗車が大変なんだな。
今度の週末はまずそれからとなりそうなのである・・・


【本日の読書】

僕は君たちに武器を配りたい - 瀧本哲史 スティーブ・ジョブズ I - ウォルター・アイザックソン, 井口耕二




2012年1月19日木曜日

中国から見た日本2012

先週末に、母校の財団法人で主催する社会人向け勉強会「寺子屋小山台」があった。
今回の講師は、東洋学園大学の朱健榮先生。
毎年お招きしている方なのだが、テーマとしては中国について語ってもらっている。
文化・習慣の違いといった手軽な話題から、政治経済のお堅い話までいろいろと熱く語っていただいた。

その中で中国人の「お礼」についての話があった。
中国人は、実はお礼を言わないそうである。
と言っても「謝謝」という言葉はあるから、まったく言わないというわけでもないだろう。
あくまでも日本の感覚とは違うお礼感覚という意味である。
それは「大恩、不言謝」という言葉に表れていて、日本式のお礼とは異なるもののようである。

例えば最近、妻が私にお菓子を勧めてくれた。

黒糖入りの珍しいゴーフルだった。
普段そういうものは、私のいないところで子供たちと食べてしまうようなのだが、その時は機嫌が良かったのかもしれない。
あるいは、手紙の効果かもしれない。

どうしたのかと聞いたところ、「ママ友にもらった」とのことだった。
何でも子供の服だか何かを貸してあげたら、お礼にくれたのだと言う。
日本人の感覚では不思議でもなんでもないこういう行為だが、中国人から見れば違和感があるらしい。

曰く、「貸し借りをその場で清算してチャラにしている」ような感じに映るのだと言う。
中国人は、その都度の「お返し」という感覚はなく、次の機会にもっと大きくして返すのだと言う。それまでは親密な関係でいられる感覚らしい。

そう言えば、かつて日本は中国にかなりのODAを貸与していた。
それに対して、中国は感謝の意を表明するわけでもなく、それをマスコミは随分と批判して取り上げていた。あれも中国式ではむしろ当然なのだと言う。
なかなか我々日本人には馴染まない感覚だ。

また、家族間では「おはよう」などという挨拶もしないらしい。
親しくなればなるほどそうらしい。
これなんかは、「いくらなんでも挨拶くらいするべきだろう」と思ってしまう。
しかし、考えてみれば日本人だって夫婦間では「愛してる」なんてほとんど言わないだろう。
まあ新婚カップルやよっぽど仲の良い夫婦なら別だろうが、一般的にはそうだろう。

だがアメリカでは、映画を観ていてもわかるが、常に“I love you”と言っている。
聞くところによると、夫婦間・家族間ではいつも互いにそう言いあわないとダメらしい。
そんなアメリカ人から見れば、「愛してる」と言わない日本人は奇異に映るのかもしれない。

どのスタイルが優れているというわけではない。
ただそれぞれ違うという事だ。
要は異文化間では、自分の物差しで相手を見ない事が大切なのだ。
そんな事をいつも感じさせる朱先生の講義である。
マスコミの報道からは伺い知れない中国の話を伺えて、いつもいい機会だとありがたく感じている。

しかし思い起こしてみれば、我が妻も新婚時代は、毎日のように「私の事愛してる?」と聞いてきたものだ。今となってはもう遠い過去の話となってしまったが、当時とは別人のような今の妻を見ていると、やっぱり家族の間では、中国式よりも日本式よりもアメリカ式の方がいいなぁと、つくづく思うのである・・・


【本日の読書】

スティーブ・ジョブズ I - ウォルター・アイザックソン, 井口耕二  どうする? 日本企業 - 三品和広



2012年1月15日日曜日

イラン情勢

アメリカとイランの緊張が高まっている。
何気なく読み過ごすニュースであるが、専門家の分析によると、アメリカの国家戦略の一端としての動きらしい。

アメリカの国力を支えているのがドル基軸通貨体制。
全世界で米ドルが貿易決済の手段として使われている。
これがあるから、世界最大の赤字国アメリカも破綻しないで済んでいる。
これが崩れれば、国家財政破綻という事にもなりかねない。

これに反発するのがロシアや中国などの国々。

かつてイラクが石油の決済通貨をドルからユーロへと変更。
ドル基軸通貨体制への抵抗を見せた。その結果がイラク戦争。
アメリカが主張した大量破壊兵器はとうとう発見されず、戦後石油取引はドルに戻されている。

今イランがこれに続く動きを見せていて、すでに石油取引の決済をドル以外にしているらしい。アメリカは、石油や天然ガスなどの資源も豊富なイランを支配下に置きたいという意向は常々もっており、このまま放置すると他の湾岸諸国も追随しかねない状況を危惧しているという。という事でアメリカはイラン潰しに出ているのだという。

そんな事は新聞のどこを探したって出ていないし、本当なのかと思わずにはいられない。
しかし言われてみれば、核開発疑惑どころか実際に作って地下実験までやっている北朝鮮に対しては、アメリカは何にも言わない。グリーンスパン元FRB議長も確かに自伝の中で、イラク戦争は石油利権のためだったと書いている。とすれば、そういう面もかなりあるのかもしれないと思ってみたりする。

我が国はイランとの関係も深く、原油も輸入している(円建なのかリヤル建なのかは知らないが・・・)。アメリカの手前制裁措置に協力せざるを得ないのだろうが、どうなのだろう。イランは対抗措置としてホルムズ海峡封鎖を示唆しているし、そうくるなら軍事的に排除するとイギリスは息巻いている。

一方でイランはIAEAの査察受け入れを表明し、あくまでも開発は原子力発電所だと自らの正当性を主張している。イランとてイラクの経緯を隣で見ているだけに、アメリカの武力行使を牽制しているのだろう。

日々のほほんと平和に暮らしていられる我が国だが、海の向こうでは熾烈な水面下の戦争が始っているのかもしれない。いざ戦争となっても、イラク戦争の時のように我々には大して影響がないのかもしれない。だからどうだと言う事もないのだろうが、個人的には大いに関心を持っていたいと思うのである・・・


【昨日の読書】

日本の未来について話そう -日本再生への提言- - マッキンゼー・アンド・カンパニー どうする? 日本企業 - 三品和広





2012年1月10日火曜日

記憶力

週末、子供たちと一緒に風呂に入ると、「クイズ出して」とせがまれる。
お風呂ではいろいろ話もするが、クイズは割と子供たちに好評である。
と言っても、何でもいいわけではない。長女はハリー・ポッターシリーズ、長男はウルトラマンシリーズに関したクイズを要求するのである。つまり、今自分が最も関心の深い事柄について、なのである。

長男の方はまだまだ対応できる。
だが、長女の方はお手上げだ。
何せこちらは1巻しか読んでいない。
今最後の7巻の下巻を読んでいる長女とは知識の量が違う。
もうついていけないのであるが、先日は思いあまって「ハリー・ポッターに出てくる登場人物をあげよ」という問題を出した。

15人挙げなさいとしたのだが、こうすると答えはわからずとも、娘にしばし答える時間をかけさせられるので、我ながらナイスな問題だと悦に入っていた。私も取りあえずハリー・ポッターや、ハーマイオニー、ロン、ダンブルドア、スネイプなど頑張れば10人くらいは挙げられる。本は読んでなくても映画は観ているのだ。

さて、嬉々として登場人物を挙げ始めた長女。
あれよあれよという間に課題の15人を楽々突破。
そうすると私もついて行けない。
20人を越え、30人を越える。
詰まったところで私もヒントを出す。
「ほら、トイレに出てくる女の子の幽霊」と言った具合だ。
(と言っても私は名前を忘れてしまっている)

やがて40人を越え、50人を越える。
この辺になると「おいおい本当かよ」と思い始める。
私がわからないと思って適当に言っているのかな、との思いも脳裏をよぎったが、楽しそうに数えあげている娘の純粋な表情には、そんなズルのあとは微塵も感じられない。
結局57人でギブ・アップ。呆気に取られてしまった。

まずそんなに登場人物がいるのかとの疑問が湧いた。ただ全7巻だし、それも上下巻セットという巻もあるから、全体としてはかなりの長編ということもあって、どうやらそれ以上いるようである。次にそんなによく覚えているなという驚きだ。あらかじめ問題を出された上でならともかく、普通に読んでいてそんなに登場人物の名前を覚えるか、と。

私でも小説を読んでいて、ほんの何人かの登場人物であってさえ、「この○○って何の人だっけ」と前のページをめくるなんてしょっちゅうだ。それを普通にストーリーを追い掛けながら読んでいて、脇役の名前までしっかり覚えてしまうなんてと、呆れてしまう。当の本人は、本の裏を見ては、「ああまだ、○○と○○と○○がいた~」と悔しそうにしている。子供の記憶力って凄いなぁとあらためて思ってしまった。

そう言えば昔は向かうところ敵なしだったトランプゲームの「神経衰弱」でも、この頃娘に勝てなくなってきた。映画を観ていて、友人と話をしていて、「あの映画に出ていた俳優なんだっけ、ほら・・・」なんて事はいつもの事だ。声をかけてきた知人の名前を思い出せない事だってザラだ。

年をとれば脳細胞だって劣化するし、仕方ない事だとは思うが、目の前に娘の記憶力を見せつけられるとあらためて愕然としてしまう。たまに日記を読み返してみるが、完全に忘れてしまっている事もけっこうある。その時その時のちょっとした喜びなんかは、忘れてしまっていたりする。嫌な事なら良いのだが、良い事ならみんなずっと覚えていたいと思うが、実際はかなり忘れているようだ。この先、そうした事がもっと増えるのだろう。

記憶とはその人そのものと言える。
57人もの登場人物を覚えていなくてもいいから、せっかくの日々の楽しい記憶はずっと持っていたいものだ。それでもいずれは一つ一つ忘れていくのかもしれない。
まあ仕方のない事なんだろうけど、そんな危うげな記憶の補助として、せめて日記やブログはずっと続けていきたいと思うのである・・・


【本日の読書】

夫婦ゲンカで男はなぜ黙るのか - タラ・パーカー=ポープ, 古草秀子  無花果の森 (新潮文庫) - 小池 真理子







2012年1月7日土曜日

妻への手紙

妻とのギクシャクした関係に頭を悩ませていた昨年暮れ。自分の中では最悪の想定もした。このまま冷たい態度を取り続けられて、ずっとそんな関係を続けていくのは無理な相談。人生を新しく始めるなら早い方が良い。子供たちには母親が必要だから親権は妻に渡し、一人実家へでも戻って親と暮らそうか・・・

されど子供たちと離れるのは何より辛いし、子供の成長過程を見守りたいし、何かあれば相談の一つにも乗ってやりたい。子供の精神的成長にも悪影響を与えたくないし、家庭内離婚状態でも自分が我慢すれば良いのだろうか。「子はかすがい」と昔から言われている言葉がふと思い出される。そんな葛藤が心の中で渦を巻いていた。

そうした中で、やっぱりもう少し自分なりに関係改善に努力してみるべきではないか、と思い至った。せっかく結婚したのだし、失敗した部分があるとはいえ自分が選んだ相手でもあるし。ダメならダメで仕方がないが、やれる限りの努力はするべきではないか、と。とは言え、話し合いの提案は拒絶されておりうまくない。そこであれこれと考え、手紙を書くことにした。

妻への手紙などと言うと、結婚前に新居の鍵を送るついでに書いた程度で、あまり記憶にない。現代人らしくラブレターなども妻には書いていない。そう考えると、何をどう書くべきかと言う迷いもあったが、取りあえず書き始めた。日頃の思い、考え、喧嘩の原因となった事についての自分の考え・・・

まずは自分がどんな事を考えているか、それを説明し、できれば子供たちのためにも自分達のためにも、仲良くやっていきたいと。「家族とは一緒に幸せになるためのチーム」と何かで読んだ言葉も添えて、そんなチームとしてうまくやっていきたいといった内容を書きつづった。
朝、それをテーブルの上に置いて出勤した。

その手紙についての妻からのコメントは何もない。
ひょっとしたら返事でも来るかと淡い期待を抱いてはみたものの、何もない。
ただ、うまく気持ちは伝わったような気がする。
それはその後の妻の言動に表れているように感じるのである。
相変わらず、私のやる事に口うるさい。
表面的な態度は何も変わらない。
ただ、言葉に“とげ”がないのである。
それが妻なりの返事なのかもしれない。

大掃除も年末年始も、妻の言葉や態度にそれまで感じられた“とげ”がなくなった。
単なる気のせいかもしれないが、私にとっては大きな変化だと感じた。
その昔、終末時計なるものがあった。核戦争の脅威が高まる中、その時計の針が世界の終末までの時間を表示しているのをテレビでみた事がある。
我が家の終末時計については、大きく針を戻した気がする。

お正月、長女と風呂に入って、今年の目標や希望などについて話しをした。
ついでに「パパとママに望む事」を聞いてみた。
「夫婦喧嘩をしないでほしい」というのが、娘の回答。
我々が喧嘩するたびに、どうしてよいかわからなくなり泣きそうになると長女は言う。
まあそうかもしれない。

その昔、自分も両親が喧嘩をした事を覚えている。
かなり大きな喧嘩だったが、子供だった私は、その時それを布団の中でなす術もなく聞いていた。大きな喧嘩はそれ一度だったと思うが、そのすぐあと母に「お父さんとお母さんとどっちが好き」と聞かれた。当時はちょうど男の子として、いつまでも「ママ、ママ」というのは恥ずかしいと思い始めていた頃だったから、私は思わず「お父さん」と答えてしまった。その時母は寂しそうに、「じゃあお前はお父さんのところに行きなさいね」と言った。

子供心にも「しまった」と思ったものである。
あの時、母は離婚を考えていたのだと思うが、今考えても子供には酷な質問だ。
さて、そんな質問を我が子にする心配も遠のき、年始から何とか水平飛行に移れそうな我が家。まだまだ油断大敵だと思うから、パイロットとしてしっかり安定飛行を心掛けていきたいと思うのである
・・・
                

2012年1月4日水曜日

新春雑感2012

また新しい年が始った。
昨年は母親の体調が悪かったため、一人実家で3日間を過ごしたが、今年は母親も少し体調が回復したので、またいつも通りの正月を過ごした。今年は私と娘とがそれぞれ年男と年女。
娘も初めての年女という事で、いつもとは違った気分で年を迎えたようである。

初詣は毎年恒例の近所の神社。この街に住み始めてもう16年。今年で15回目の初詣という事になる。年に一回しかお参りしないものの、地域の氏神様としてこれからも欠かさずに参拝したいものである。

元旦に私の実家に行き、弟家族とともに新年を祝う。
高校2年の甥(兄)はすっかり雰囲気が大人びている。
中学3年の甥(弟)も社交性を身につけてきた。
「たかいたかい」をしてやると、よだれを垂らして喜んでいたのがつい最近のような気がする。我が家の子供たちにとっては、たった二人しかいない従兄であるが、従兄弟たちと遊んだ自分の経験から比べると、やっぱり少子化というのは子供たちにとってもかわいそうな気もする。

2日から大阪の妻の実家へ移動。
昨年行っていないので、2年振りという事になる。
人の家ながら、着く早々気になっていたラグビーの大学選手権準決勝にチャンネルを合わせる。昔はだいぶ待遇が良かったものだが、最近は普通に扱われるようになってきた。
それに合わせて、私も我が家並みに遠慮がなくなっている。

3日には義妹夫婦も交えて道明寺に初詣。おみくじは小吉。
辰年ゆえに大きな飛躍とでも書かれていれば、幸先よいスタートだったのだが、「思ったよりも伸びない」と書かれていた。まあ今年は、大きな飛躍よりもきちんと守るものは守り、守りながら前進するというイメージでいきたいと思っていたから、ちょうどそれに合っているのかもしれない。ラグビーでも良いディフェンスというものは、タックルで相手を止めるばかりでなく、少しずつ相手を後退させていくものである。今年はそういうイメージで行きたいと考えている。

夜はみんなでトランプゲーム。
ウノをやったのだが、みんなでわいわいできるのが、こういう昔ながらのゲームの良いところ。Wiiも良いとは思うが、老若男女7人が一緒に楽しめるこういうゲームはこれからも続けたいものである。みんなの笑顔の対価だと思えば、なぜか一人連敗して罰ゲームとしてアイスを買いに行かされたのも愛嬌というものだ。

毎年恒例の通り、今日は一日休みをもらって一人帰宅。
妻と子供たちは学校と幼稚園が始る前日まで大阪に滞在。
さすがに大阪へ一泊二日というのは忙しない。
こうして休みを取って二泊できる環境にはひたすら感謝だ。
例年通りの正月を過ごして思う事は、やっぱり毎年同じような正月を過ごせるというのはありがたい事だということ。そういう正月を、これからも過ごしたいと思う。

一日遅れて明日から仕事始め。
良い一年が送れるように、しっかりと頑張りたいと思うのである・・・

【本日の読書】
夫婦ゲンカで男はなぜ黙るのか - タラ・パーカー=ポープ, 古草秀子 無花果の森 (新潮文庫) - 小池 真理子