2015年12月31日木曜日

大晦日雑感2015

大晦日である。
もうあとわずかで2015年も終わるわけで、いつもながら時間の経つのが早いと感じる。
「光陰矢の如し」ということわざがあるが、こういうことわざがあるということ自体、昔から皆同じように感じていた証拠なのだろう。
だが、毎日つけている日記を振り返ってみるまでもなく、1日として飛ばしてしまった日はなく、確実に365日を過ごしてきているわけである。
それが証拠に、住宅ローンの残高が減っており、なんとか慰められるところである。

2015年は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』で描かれた30年後の未来に当たる年だと話題になった。
映画を観た時は、遠い未来だと思っていた時に今いるというのも不思議な気がしたが、現実としてはそんなものかもしれない。
逆に今から30年後にはどうなっているのかとも思うが、まぁまだできれば健康体で生きていて、その結果を確認したいものである。

昨年は転職に際してのブランクもあって、映画を235本観た。
自分でもゲップが出るくらい観たが、これで録画の在庫を一掃した。
今年は例年並みの週末鑑賞に終わったが、それでも今現在の「観たい映画のリスト」は軽く100本を超えている。
これは多分、今後も減ることはないだろう。

転職して通勤時間が延びたこともあって、今年は読書が増えた。
一年間で124冊は過去最高である。
通勤時間に本を読むようになって、一番のメリットは通勤時間が苦にならなくなったことだろう。
本を読むことの効能はあちこちで語り尽くされている。
別にそれを狙ったわけではないが、やはり数多く読んでいると、そのエッセンスがいつの間にか自分の中に蓄えられている気がする。
転職して、自分の会社の諸々のことを考える時、それをつくづくと実感する。
父親として、いずれ子供達が社会に出る時に、改めて教えたいことの一つである。

今年驚いたことは、やはりラグビーのワールド・カップだろう。
せめて1勝してほしいと思っていたのに、3勝したばかりか、なんと南アフリカにも勝ってしまうという驚きの結果だった。
それはそれとして、それに伴うマスコミの手のひら返しと、にわかブームだ。
南ア戦の前の無関心が嘘のようなフィーバーぶりだった。

こうなると、へそ曲がりの自分としては反発感を覚えるかと思ったが、そうはならなかった。
逆にこれでラグビーを目指す子供達が増えてくれればという期待が大きい。
近年、母校のラグビー部も少子化で人数が減り、毎年新入生の確保に必死になっている。
そうした環境が少しでも変わればと、願わずにはいられない。

年末恒例の大掃除も終わり、恒例のすき焼きを食べてお年取りの予定である。
2015年が良い年であったかと問われれば、「不幸がなかった」という一点をもって良い年であったと思いたい。
ここをベースに、来年はもう少し改善努力をしたいと思うのである・・・

   
 
  
  
  

2015年12月27日日曜日

男か女か

性同一性障害の会員が提訴 スポーツクラブで男性扱い
性同一性障害で女性への性別適合手術を受けた京都市の40代経営者が25日、男性としてフィットネスクラブを利用するよう求められ、人格権を侵害されたとして、運営するコナミスポーツクラブ(東京都品川区)に慰謝料など約470万円の損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こした。訴状によると、経営者は性同一性障害の診断を受け、昨年3月に女性への性別適合手術を受けることが決まった。しかし手術前、京都府内のクラブで男性用の更衣室以外を使えるよう配慮を求めたところ、「戸籍を変えないとだめ」と店長の意向を伝えられた。
共同通信 20151225
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最近、日本でもいわゆるLGBTの人たちの権利が認められるようになり、渋谷区では結婚に相当する証明書を発行してもらえるなど、世の中はマイナーな人たちにも住みやすくなってきているのだと思う。それにしてもこの問題はどうだろうと考えてしまう。
詳しい状況はわからないが、上記の記事を読む限りスポーツクラブの対応は当然だろうと思う。「性別適合手術」がどんなものかわからないが、手術前であったということは、外見上は男だったと考えられる。であれば、いくら「心は女」と言っても、認められないだろう。

まず本当に心は女だったとしても、体が男である以上、「他の女性がどう思うか」を無視するわけにはいかないだろう。人によっては、「かまわない」と寛大さを示すかもしれないが、「嫌だ」という意見の人がいたらどちらを優先すべきかは明らかだ。
それに「心は女のフリ」をする輩が出てくるとも限らない。それが簡単に認められるとなると、公然と覗きができてしまい、これもまずいだろう。結局、更衣室の利用については、「心よりも体」で判断するしかない。

では、手術を受けた後ならどうかといえば、これは体が女(になるのだろう)なのだから、これで判断してもいいと思う。
逆に体が女の状態では、男の方は利用しにくいだろう。
周りの利用者も戸惑うか、好奇心をそそられるか、いずれにせよ大注目の的となり、ご本人も居心地が悪かろう。
ここで「戸籍で判断」したら、スポーツクラブにとって危険かもしれない。

性同一性障害については、ヒラリー・スワンク主演の『ボーイズ・ドント・クライ』という映画を思い出す。これは主人公の女性が、自分は男だとして振る舞うストーリーであった。
男にしては華奢なのであるが、最後はバレて悲劇に見舞われる内容であった。
世の中、そもそも男っぽい女も女っぽい男もいるので、外見だけでそれとはわからないかもしれない。この映画の主人公のように、初めから男だと振る舞われたらわからないだろう。

映画の主人公は、手術はしていなくて、服装だけでごまかしていた。
こういう人は、スポーツクラブやましてや温泉などには行けないだろう。
それはもう仕方ない。
施設側だって、男用と女用しか作れないだろう。
「心は女性の男」用と「心は男性の女」用とまで作るとなったら、費用も大変だし、そもそも見分けるのすら難しい。
「心は男性の女」用を故意に偽って利用しようとする「身も心も男だが覗きのためならなんでもやる」男をどう排除するのかは、考えろという方が酷というものだ。

性同一性障害が、その名の通り「障害」であるならば、そもそも世の中は障害者にまだまだ優しくない。車椅子の人は温泉を利用しようと思っても大変だろう。
もしかしたら、人手を煩わすのが嫌で諦めている人もいるかもしれない。
本当ならそういう人が諦めなくて済む社会・施設を目指すべきであるが、費用負担も考えれば対応できない社会や施設を責めるのも酷だろう。

訴訟という手段に出た人が、一体どういう考えに基づいてのものなのかはわからない。
よほど対応が悪かったのか、それとも社会にアピールすることが目的だったのか。
いずれにせよ、今回のケースでは、スポーツクラブの方に同情してしまう。
果たしてどんな判決となるのだろうか。
マスメディアもきちんと結末を伝えていただきたいものである・・・


【今週の読書】