先週末、『オデッセイ』という映画を観た。マット・デイモン主演のSF映画で、火星探査メンバーの主人公が、アクシデントで一人火星に取り残されるというドラマである。映画は映画で大変面白く、満足いくものであったが、さて、自分だったらどうするだろうとふと考えてみた。
物語の舞台は火星。そこにたった一人取り残されてしまった主人公。置かれた状況は以下の通り。
1.
食料の残りは1か月分
2.
NASAとの連絡は取れない
3. 宇宙へ飛び出せるロケットは3,200キロの彼方にある
4.
次の火星探査計画は4年後
サバイバルに必要なのは何だろうと考えてみた。まずは「生き残ろう」とする強い意思だろう。何はともあれ、困難に立ち向かうのに必要なのは強い意思だ。これなくしては何事もなしえない。そして2つ目に知識だろう。「知は力なり」と言われるが、知識の補完なくして気合だけで成し遂げられるというものではない。どう頑張っても竹やりでB-29は落とせないのである。
その昔、勤めていた銀行の研修でサバイバルを題材にしたものがあった。乗っていた飛行機が墜落し、砂漠に不時着した。その時、生き残るのに必要なものを考えるというものであった。その研修はグループで話し合うことに重点を置いたもので、サバイバルは単なる題材だったのであるが、その時ほとんどの者が「水」を一番に上げたのであるが、講師の解説で教えられた答えは「鏡」であった。砂漠で遭難した場合、動いても助かる可能性は低く、この場合は「救助を待つ」というのが最善の策で、「鏡」は捜索機に合図を送るために必要という内容だった。その意外な内容と説得力の強さで今でも印象に残っている。
『オデッセイ』でも、地球に帰還するには軌道を離れるロケットだけではダメで、そこから地球までの宇宙船が必要である。となると、主人公は「救助を待つ」しかない。次の火星探査計画は4年後なので、主人公は現地で4年間生き残る方法を考えることになる。するとまず問題になるのは水と食料。幸い主人公は植物学者で、備蓄倉庫からジャガイモを見つけ、これを栽培して食つなぐことを思いつく。
ということは素人でも思いつくが、火星上には水も空気もなく、微生物もいない。穴を掘ってジャガイモを埋めれば、自然と芽が出るというものではない。植物学者であり化学の知識もあった主人公は、土は火星の土を使うものの、水素と酸素から水を生成し、施設のトイレから人糞を取り出して肥料にする。そして見事に栽培に成功するのだが、一見簡単そうなことであるが、知識なくしては到底なしえないことである。私だったら、というか普通の人だったらまずこんなことできないし、となると1か月かせいぜい2か月でアウトだろう。まさに、「知は力なり」である。
さらに主人公のみならず、救助するNASAにも困難が山積する。火星まで行く宇宙船をどうするかもあるし、主人公の機転で何とか連絡が取れるようになるが、救助にあたりどのような手段を取るか。最終的に火星軌道上へと主人公を誘導するのだが、重量問題も生じる。そしてそこで重要なのは、「常識にとらわれない発想」である。打ち上げロケットから軽量化のため窓を取り外してしまうなど、普通の考えからは出てこない。
自分はまず間違っても火星に取り残されるようなことはないだろうが、裏を返せば今後どんな困難に出会おうとも火星に取り残されるほど酷くはないとも言える。強い意思と知恵と常識にとらわれない発想とがあれば、大抵は乗り越えられるだろう。そんなことを考えてみたのであるが、そうしてみると、この映画は面白くてそしてタメになる映画だと言える。たとえ娯楽の映画であろうと、こんな風に何かのヒントを得られれば、何かの役に立つかもしれない。娯楽も「真剣に」楽しみたいと思うのである・・・
【本日の読書】