2014年4月27日日曜日

少年野球

 小学校3年になった長男。かねてからの予定通り、近所の少年野球チームに入る事になった。今日は入部希望者による体験練習に参加。約3時間ほどの練習をこなしてきた。

 高校からラグビーを始め、以来ずっと「ラグビー第1」でやってきた私だが、子供にスポーツをやらせるにあたり、ラグビーに対する拘りはそれほどなかった。
「野球かラグビーか」
やらせるとしたらそのどちらか、というのが元々の自分の考えである。

 さて、そんなわけで地元の少年野球チームの練習に息子を連れていく。近所の小学校のグラウンドが練習場であるが、今日は練習前によそのチームが試合をしていた。何気なく観戦。少年野球をまともに観るのは、それこそ何十年振りかもしれない。

 いきなり、打球がライトへ飛ぶ。ボールを取った選手が一塁へ送球してアウト。そう言えば少年野球で、「ライトゴロ」は珍しくない。打者は一塁へ出ると必ず盗塁する。キャッチャーがセカンドへ送球できればまだ良い方で、ほとんど余裕で盗塁に成功する。レフト前ヒットがホームランになり、レフトフライはポロリと落とす。

 それでもそれなりに試合が成立する。ゴロをさばいたサードが、ファーストへ送球する。ボールは届かずワンバウンドでファーストのミットに収まる。これがきちんとアウトになる。あとでわかったが、そもそも“届かない”というのを前提に考えている。ワンバウンドで投げるように初めから指導しているそうである。

 最近の少年野球の様子をインプットし、息子の体験練習を見学。息子はAチームとは別の、3年生以下のBチームに入る。同級生は3人。一人運動センスが良くて、声が出ている子がすぐ目につく。ちょっと華奢だなと思っていたら、何と女の子だった。Aチームにも女の子がいて、一応、「共学」になっているようである。

 練習は基礎練習。少し走って、キャッチボール。それぞれいろいろなバリエーションをつける。ベースを使って走塁練習。そして最後はバッティング。キャッチボールやバッティングは、それなりに経験があるが、何よりベースを使った走塁練習が息子には新鮮だったようである。

 全体の練習を観ていて印象的だったのが、一人のコーチ。かなり通る声で、檄を入れている。子供たちからすると、ちょっと怖いかもしれない。最近は、学校の先生もだいぶ優しくなっており、ちょっと気になるところ。こうした“鬼コーチ”の存在は、頼もしく感じる。

 練習が終わって、息子に意思確認したところ、「やりたい!」と力強い答え。いずれラグビーの楽しさも教えたいと思うが、まずは野球。これからしっかりサポートしつつ、チームスポーツを楽しめるように見守りたいと思うところである・・・


【今週の読書】
エンジェルフライト 国際霊柩送還士 (集英社文庫) - 佐々 涼子 64(ロクヨン)(下) D県警シリーズ (文春文庫) - 横山秀夫





    

 

 

2014年4月24日木曜日

外国人観光客の増加に思う

 仕事でスイカを使って電車で移動する。消費税が上がってから、いままでの10円単位が円単位になって、交通費の清算がややこしくなった。来年、10%に引き上げられるまでは、しばし面倒なのだろう。そんな消費税の増税であるが、やむを得ないと思いつつも、その先の増税もあるのだろうなと漠然と思う。

 そんなタイミングで、3月の日本を訪れた外国人観光客が過去最高の105万人に上ったというニュースを目にした。海外からやってくる人たちに、消費税の影響はあるのだろうかとぼんやり考えてみた。おそらく、であるが、まったくないであろう(もちろん、免税品は当然である)。かく言う自分も、海外に行った時に消費税を気にしてどうこうなどと言う事はない。せっかくのチャンスだからだ。

 と考えてみると、消費税だったらこうした海外からの観光客からも税金を取れるだろうという事に思い至った。どうせだったら、たくさんもらった方がいいだろう。一方で、国内の景気対策として法人税の引き下げが主張されている。財務省は、「財源が・・・」と言って反対しているらしい。所得税の減税は、個人・法人ともに消費刺激効果や設備投資誘因効果があると言われている。いっそうの事、消費税を20%くらいにして、個人・法人税をその分下げたらどうだろうと思う。

 外国人観光客が、昨年は1,000万人を越えたとニュースでやっていた。観光庁のホームページに記載されている資料によると、2013年の観光客の平均支出額(除く旅費)は、525,000円だと言う。これに伴う消費税は5%だったから、26,250円。1,000万人で、2,625億円という事になる。

 これが消費税20%になると、4倍だから1兆500億円。消費税が1%上がると、税収は2兆円増えると言われているから15%上がると30兆円増える。個人所得税と法人税の歳入が約25兆円だから、ここを税率0にしても尚5兆円税収が増える。年間の所得税が0になったら、個人的にかなり手取り収入が増える。企業も競争力が増して増益となれば、それを社員へ給与へという形で反映させられる。何だか良い循環が生まれそうな気がする。

 低所得者向けには、巷で言われているように食材を消費税の対象外にすれば、多少なりとも良いだろうし、それなら観光客もあまり買わないだろうから、消費税の税収に大きな影響はないだろう。それに観光客が100万人増えれば、単純計算で消費税は1,050億円増える。500万人くらい頑張って増やせば、5,250億円増える。

 少子高齢化対策として、移民政策を主張する人たちがいるが、これは危険な考え。外国人には定住でなく、観光で来ていただいて、たくさん消費していただくのが理想的だろう。この意味からも、観光客を国を挙げて誘致し、たくさん消費していただく。経済対策と財政再建と反移民対策とを兼ねたこのアイディアはどうだろう。

 機会があれば、専門家の方にこの妄想の感想を聞いてみたいと思うのである・・・


【本日の読書】
エンジェルフライト 国際霊柩送還士 (集英社文庫) - 佐々 涼子  64(ロクヨン)(上) D県警シリーズ (文春文庫) - 横山秀夫





 

 

2014年4月19日土曜日

カラオケ嫌い

 銀行では、異動が日常茶飯事。そして異動ともなると、必ず歓送迎会がある。一次会は大抵普通の飲食店であるが、二次会となると「カラオケ」となる事がほとんど。大の「カラオケ嫌い」の私としては、これがなかなかの苦痛である。

 カラオケが世に認知され始めたのはいつ頃からだろう。それらしき記憶を辿ると、たぶん大学に入った頃ぐらいか。当時はカラオケボックスなどなく、スナックなどで歌うタイプだった。飲んで楽しくやるための「1つの手段」だった。それが今や「目的」になっていて、飲むのはさらに楽しくやるための「手段」だ。
 
 もともと、飲んで歌うのは遥か昔からの習いだ。時代劇でも宴席で歌を歌うシーンはよく出てくる。それは海外でも同じようなものだろうと思う。それ自体悪くないし、「カラオケ嫌い」と自称していても、みんなが歌っているのを聞くだけならいくらでも楽しく参加できる。ただ、自分が「歌わされなる」のが迷惑なのだ。

 この「歌わされる」というのがミソだ。カラオケに行けば、好きな者からリクエストを入れて歌い始める。そうして次々にマイクを回していく。好意的に解釈すれば、「自分だけ歌うのは悪い」「他の人にも平等に機会を」という考え方なのだと思うが、酔いもあってか、歌うのを辞退する人に“察する”人は少ない。

 他人の歌を聞いているだけで、十分満足しているのに、そうした配慮はやがて「歌わない罪悪感」へと変わっていく。この「空気を壊す」感は、耐え難いものがある。行って「空気を壊す」か、行かずに「付き合いの悪いヤツ」となるか、この選択は悩ましい。どちらも選べない時は、「自分を殺して歌う」しかない。

 その昔、取引先との宴席で、やっぱりカラオケとなった事が多々あった。こうした時は、仕事ムードでマイクも握る。さすがにそこまで偏屈ではない。それなりにウケた時代もあって、上司の指名で必ず歌わされていた事もあったが、友達同士や気の置けない職場の同僚との間では、自分も楽しくやりたい。なかなか難しいところである。

 なぜカラオケが嫌いなのかと考えてみても、これは好き嫌いだから理由などあってないに等しい。野球が好きな人がいれば、バスケットボールが好きな人もいる。それぞれ理由を挙げればいろいろとあるだろうが、それに大きな意味はない。理由などいくらでもつけられるし、究極のところ己の感性にあっているかいなかの部分だろう。

 一人の時に音楽を聞いていて合わせて鼻歌を歌ったりはするし、湯船につかってと言う事もある。歌が嫌いというわけではないが、全体的な雰囲気みたいなものなのかもしれない。ただカラオケが好きではない事は確かだし、仕事以外で本来一人一人が楽しむべき時であるなら、他のところへ行きたいと思うのである。「歌わないヤツがいても気にならない」という仲間となら、カラオケに行っても楽しめるだろう。

 ただ世の中、「好き」派が圧倒的多数だろうから、なかなか少数派としては苦しいところだ。いつか廃れるだろうと思っていたカラオケブームだが、もうそれに期待するのは無理そうだ。それなら仕方ない、うまく「空気を壊さない」様、「付き合いが悪くない」様立ち回っていくほかない。そうしたうまい立ち回りを研究しつつ、世の中を渡っていきたいと思うのである・・・

【今週の読書】
「勇気」の科学 〜一歩踏み出すための集中講義〜 - ロバート・ビスワス=ディーナー, 児島 修 64(ロクヨン)(上) D県警シリーズ (文春文庫) - 横山秀夫





        

 

 

 

2014年4月13日日曜日

練習再開

 昨年思い立って大学のラグビー部のシニアチームに参加。“諸先輩”と混じって、練習する事にした。ところが、急激に運動したためかアキレス腱が炎症を起こし、そしてそれがなかなか治らないまま半年以上。ついにまるまる一年の“休部”となってしまった。

 捲土重来。
今回は前々日に軽く近所を走ってから、練習に臨む。何せまともに走るのは一年振り。ちょっと走っただけなのに、軽い筋肉痛が体に残る。それでも春の穏やかな日差しの下、人工芝のグラウンドに立つ。

 集まったメンバーは12名。最高齢は72歳。参加者の中では、たった二人の40代メンバーの一人だった。かつては、「タックルができなくなったらラグビーはやらない」と考えていた。年寄りがよれよれのまま“ラグビーもどき”をやるなんて“みっともない”と考えていたのだ。

 しかしだからと言って運動そのものを否定したわけではなく、ジョギング代わりだと思えばいいかもしれないと考え直した経緯がある。それに、もともと黙々と走る長距離走が大嫌いときている。ボールを持って、強弱つけて走る運動だと考えれば、むしろ好ましい。

 やってみれば、昔取った何とかで、パスは思った通りのところに行くし、パント(ラグビーのキックだ)もイメージ通りに行く。イメージ通りでないのは走る事だけで、頭の中の自分が遥か先を走っている状況は変わらない。ボールを持って走って、パスして、蹴って。何だか楽しいのは、たぶん子供が遊ぶのと同じ感覚かもしれない。

 途中でコンタクトプレーの真似ごとが入る。ボールを持って軽く相手にあたるのである。ラグビーの神髄は、このコンタクトプレーにある。「相手に(意図的に)あたる」という行為は、数あるスポーツの中でもそんなに多くない。相手を倒すのがルール上認められているのは、アメフト・ラグビー系だけではないかと思う。それだけにやはり重みのある行為である。

 現役の頃は、シーズンオフになると、この「相手にあたる」という感覚がまず鈍ったものである。相手にあたった衝撃で、体にコンマ何秒かの空白ができる。ふだん十分練習していれば空白はできない。この「空白感」で、己の体の鈍り感がわかる。今は相当なものである。

 続いて軽くスクラムの形をとる。本来の押し合うような事はしないが、お互い体重をかけるだけでもだいぶ違う。走るだけに比べると、あちこちの筋肉にかなり負荷がかかると思う。その効果があり過ぎたのか、ここで左足に違和感。現役の頃の感覚では続けてやってしまうのだが、去年の教訓もあってここで練習をストップする。急激にやるのはよくない。

 練習後に部室の風呂に入って帰る。次回は一ヶ月後。まずは最後まで練習できるところからだろうか。少しずつ家でも走ろうと決意して帰宅。

「せっかくおしゃれな国立まで行ったのにケーキの一つも買わずに帰ってきたの?」
帰るなり妻に言われてしまったが、他の人にはおいしくもなんともない収穫があったのは事実。来月からまた汗を流す楽しみを味わいたいと思うのである・・・

【今週の読書】
ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上) - マイケル サンデル, NHK「ハーバード白熱教室」制作チーム, 小林 正弥, 杉田 晶子  ライス回顧録 ホワイトハウス 激動の2920日 - コンドリーザ・ライス, 福井 昌子, 波多野 理彩子, 宮崎 真紀, 三谷 武司




     

 

 

2014年4月8日火曜日

Point of No Return

 先日、輸入業を営むある会社の社長さんにお話しを伺った。海外に知己の多いその社長さん、何人かの知人に資産を海外に移した方が良いと言われているらしい。近年、シンガポールあたりに移住するお金持ちが増えているらしいが、単に税金が安いというだけでなく、日本の財政破綻に備えるという意味もあるようである。

 日本の財政赤字については、もうかなり国民の間に浸透していると思う。だが、危険性が主張される事はあっても、ではどうしようという事にはならない。平成26年度の予算も50兆円の収入(歳入)に対し、96兆円の支出(歳出)という状況。今月から消費税が上げられたが、今年度はそれによる税収増を見込んでのものだから、せっかくの増税も「焼け石に水」という気がする。よく例えられるように、「年収500万円の人が、960万円の支出の生活をしている」状況である。

 普通に考えれば、このままいけばどこかで必ず破綻する。「日本には家計金融資産が1,600兆円あるから大丈夫だ」というような声もあるが、それは「破綻しても外国に迷惑をかけない」という意味で、「破綻しない」という意味ではない。言ってみれば、銀行から借金しているのと、身内から借金しているのとの違いみたいなものであろうか。「大丈夫」という意味は、「いざとなれば国民に負担を押し付けられるから外国には迷惑をかけない」という事なのかもしれない。

 では、破綻したらどうなるのだろう。社長さんは、「資産を外国に移せ(例えばドル資産など)」と言うが、移すほどもない身としては、そんな事言われてもどうしようもない。沈みゆく船と運命を共にするしかない。一体どうなるのだろう。

 まず国債がデフォルトとなれば、元金の償還と利息の支払いがストップする。国債を持っている銀行などは、預金の払い戻しが困難になるのだろう。仮に潰れないとしても、預金の一部しか下ろせないという事になるのかもしれない。まぁそれで困るのはお金持ちくらいかもしれないが、銀行もお金を貸せなくなるから、借りられなくなった中小企業への波及効果となると、測り知れない。

 何せ税収は50兆円しかない(50兆円を維持できれば、の話だが・・・)。借金ができなければ、この範囲内でやりくりするしかない。社会保障費が今年度は30兆円だから、やっぱりここが一番大きい。地方交付税16兆円は無しにしたらどうなるのだろう。必要な財源は地方税の増税で、となると人口の少ない地方は大変だろうか。6兆円の公共投資は、全体から見ると意外と少ないと感じる。最低限の投資に抑えたらどうなるのだろう。

 国債がデフォルトとなると、その波及効果もあるだろうから、素人にあれこれ想定するのは不可能だが、年金や医療費などは半減くらいは覚悟しないといけなくなるのだろう。生活できない人だって出てくるだろう。終戦直後よりはマシかもしれないが、かなり酷い状況になるに違いない。

 そうなったら、“第二の敗戦”とも言うべきで、そこから底力を発揮してまた復活できるだろうか。今だったら、頑張って家族の為、国家の復活の為、何でもやって働こうという意欲はあるが、問題は「その時がいつになるか」だ。人生50年と言われた時代ならもう終わりの年齢になると、不安なのは「その時体が動くかどうか」だ。場合によっては、自ら「食い扶持を減らす」事を考えないといけないかもしれない。

 もういい加減、どこかで引き返してほしいと思うが、どうなんだろう。ひょっとして、“Point of No Return”はもうとっくに過ぎてしまっているのだろうか。政治家にどうのこうのと言うのではなく、もう自分達で止めないといけない気がする。「アメリカと戦争をしても勝てない」とわかっていたのに、その道を進んでしまったかつての我が国。今度は違う道で同じ事をしてしまうのだろうか。そろそろ何とかしなければ、と強く思うのである・・・


【本日の読書】
「自分年金」はこの3つの銘柄で作りなさい! - 北浜 流一郎 オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 2つの世界大戦と原爆投下 - オリバー ストーン, ピーター カズニック, 大田 直子, 鍛原 多惠子, 梶山 あゆみ, 高橋 璃子, 吉田 三知世 ライス回顧録 ホワイトハウス 激動の2920日 - コンドリーザ・ライス, 福井 昌子, 波多野 理彩子, 宮崎 真紀, 三谷 武司




  

 

 

2014年4月1日火曜日

新年度雑感

 何だかあっという間に春になった気がする。そろそろと思っていた桜がもう満開。この時期の朝は、いつも若干遠回りして、あえて桜の木のあるところを通って通勤しているが、その桜もすでに咲き乱れていると表現して間違いない状態である。

 そしていつもの時間に銀行の本部ビルに着くと、新入行員が大挙して入口から入ってくるところだった(こちらは職員用の通用口から入ったが、彼ら彼女らも明日から通用口だ)。また1年、社会人としてのキャリアを積み上げた事になる。

 昼食時、行員食堂に行ってメニューを見ると、全品値段が10円上がっている。消費税アップを実感した最初の体験だ。当然、中味はいつもと変わりない。何だか損した気分がしたからというわけではないが、思わずご飯大盛りにしてしまった(ご飯の量によって値段は変わらない)。

 妻はスーパーで混乱したらしい。何せ値段表示がスーパーによってバラバラ。新税価格での表示に税抜き価格表示に両方併記とあり、いつもなら瞬時に「どこが安い」と判断するコンピューターが、働かなかったようである(妻のコンピューターは価格比較は早いが暗算機能はついていないのである)。

 さて、せっかく(?)上がった消費税であるが、どうも気分はよろしくない。政府は、「増税分はすべて社会保障に充てる」と宣伝しているが、そんなのはまやかしだ。全体の収入があって支出があるわけであり、消費税を社会保障にまわしたところで他の税収を無駄に使っていたら意味はない。それに増税しても(全体で)赤字には変わりないんだし・・・

 財政改善にはやはり「支出削減」が“いの一番”に行われるべきだ。近所では娘の通う中学校のど真ん中を通る道路計画がスタートした。話題となっている「マッカーサー道路」くらいの規模ならわからなくもないが、何で我が街の住宅地に道路を通す必要があるのか?この分、少しでも予算を削減できると思う。

 そもそも税金の使い道に、「必要か」という観点から考えるのは正しくない。答えはみんな「必要」となるのに決まっている。我が街の道路計画だって、必要な理由ならいくらでも説明してくれるだろう。そうではなくて、「無くても済ませられないか?」と考える事が必要だろう。そうすれば、「何とでもなる」となるだろう。道路計画については、住民からの希望を募ってもいいだろうと思う。

 たかだか小さな街の道路だが、武蔵小山の我が実家も道路拡張で立ち退きの話が出ている。ちょっと足を伸ばした隣の保谷でもいつのまにか新しい道路ができている。「ちりも積もれば山となる」ではないが、こういう道路一つ一つについて、「無くても済ませられないか」と問うていけば、随分削減できそうな気がする。

 消費税以外にも社会保険料やガソリン税、配当課税なども「こっそり」増税になっており、サラリーマンの懐にはじわりじわりと影響がきそうである。これで最後にどかんと「国庫破綻」となったら、どうするのだろう。まあ大海原で、船が沈没する時に自分だけ助かろうと思っても無理だろう。「みんなで沈めば怖くない」のだろうか。

 新年度入りして気分新たに行きたいところだが、何となく悶々としたスタートとなった感じがする。せめて気持ちだけでも明るく行きたいものである。当分は、夏休みのハワイ旅行に向けて、明るく頑張ろうと無理やり思う事にしたのである・・・
 

 【本日の読書】
オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 2つの世界大戦と原爆投下 - オリバー ストーン, ピーター カズニック, 大田 直子, 鍛原 多惠子, 梶山 あゆみ, 高橋 璃子, 吉田 三知世 ライス回顧録 ホワイトハウス 激動の2920日 - コンドリーザ・ライス, 福井 昌子, 波多野 理彩子, 宮崎 真紀, 三谷 武司