2017年12月31日日曜日

2017年大晦日雑感

2017年もいよいよ最後の1日。毎度のことながら一年が経つのは早い。大晦日は例年、玄関周りの掃除をする。1階、2階、外回りのシャッターに洗車と3日間に分けて行った大掃除の最後の仕上げである。綺麗好きの妻を持つと大掃除も楽ではないが、その分気持ちよく一年を終えられると言えなくもない。昼は恒例の年越しそばを食べ、後は夕食のすき焼きまで好きな時間を過ごすことになる。

今年は映画もかなり時間を作って観たため、今夜観るものを入れると189本となった。特殊要因があって最高を記録した2014年を除けば、過去最高である。ツタヤディスカスの動画配信サービスがあって、これを利用したため本数が増加したのである。昨年比20本増加し、ほぼ2日に1本のペースである。今年最高の1本としては、『ちはやふる』であった。それを聞いた知人は意外そうな顔をしていた。モノによっては自分も観ようと思ったらしいが、躊躇しているようである。

躊躇する知人の気持ちもよくわかる。「高校生モノ」「競技かるた」という内容は、自分もまず抵抗感があったし、何もなければたぶん観なかっただろう。それを覆して観たのは、映画好きの友人が絶賛していたからに他ならない。私は基本的に人が良いと言うものは試してみるタイプである。それが必ずしも自分にとっても同じ評価になるかどうかはわからないが、試して損することはない。それが予想外に心にヒットしたのであるが、やはり食わず嫌いはよくないと思う。このスタンスは維持して行きたい。

読書は、昨年と同じ130冊。数は多いが、なんとなく「片っ端から読む」のも限界感が出てきた。リストは長くなるばかりであるし、急いで読んでも内容はすぐに薄れてしまう。それよりじっくり読むことも大切だと改めて思う。今後は事前に少し内容を吟味して選別してから読むようにしようかとも思う。それに三島由紀夫など一度読んだ本を読み直すこともしていきたいと思う。

今年の大きな出来事は、ラグビーのシニアチームに入ったことだろう。これまでも母校の大学のシニアチームに属していたが、練習が月1回であり、内容も軽いので、もう少し負荷が欲しくなったのである。知人の伝手を頼り、別の大学のシニアチームに入れてもらった。こちらは練習が週1回。練習時間もほどほどに長く、毎週気持ちの良い汗を流している。体も心も鍛え続けなかければすぐに衰えてしまう。来年はもう少し体を作って試合にもチャレンジしたいと思う。

仕事は順調。経営改善三年目となる今期だが、なんとか目標利益を達成できそうな感じである。来期はまた次の段階へとステップアップするための大事な三年となる。しっかり計画を立てて、何より働く仲間がみんなハッピーになる仕組みを作り上げていきたいと思う。その一環として受験したマンション管理士の試験はどうやら後ちょっと届かなかったみたいである。記憶力は年々衰えていくし、得意のコツコツ努力も追いつかない。めげることなく再チャレンジである。

妻との関係や娘の心配など、家庭内は相変わらず不安要因がある。両親も年々衰えていくし、心配のタネは尽きない。こればかりは自分の努力だけでもダメな感じがする。だからと言ってさじを投げるのではなく、何かできないか、それを探る努力は続けていきたいと思う。どこまで何ができるのかはわからないが、諦めることなく出来る限りの事はしたいと思う。

今年は年初の会社の初詣で、新品の靴を間違われ持っていかれると言うアクシデントがあった。しかし、「新年から悪運にあって今年はいいことがあるかもしれない」と考え、起こった事実を受け入れることができた。その通りであったと言えば言えなくもないが、新年から気分を害することなく、心の平穏を維持できた。物は考えようではないが、「禍福は糾える縄の如し」。こういう心の平安も保っていきたいと思う。

来年も映画をたくさん観て、本をたくさん読んで、ラグビーに汗を流し、仕事に邁進し、資格試験に合格し、そして少しでも幸せ感を得たい。しばらく会っていない友人とも会って、これまで築いてきたものを大切に維持したい。さらにもっと言えば、自分の幸せ感と同じだけ人にも幸せ感を得てもらえるようにできたらと思う。

新しい年がもう間もなくスタートする。ゆく年を静かに送り、そして期待を込めて新しい年を迎えたいと思うのである・・・





【今週の読書】
 
    

2017年12月28日木曜日

ベストパートナーになるのは難しい

以前、『ベスト・パートナーになるために-男は火星から、女は金星からやってきた-』という本を読んだ。男と女の精神構造の違いを分かりやすく解説していて、それで思い当たるところ多々あり、大いに膝を打った一冊であった。その中でも特に納得感が高かったのは、「問題に対する態度」である。

『男は女が話す「問題」について、しばし独善的な解決策を押し付けようとする。男は“ミスター・フィクサー(調停屋)”の本領があり、これはこれで男なりの思いやりなのであるが、実は女の方に必要なのは、「解決策」ではなく、「感情移入」であったりする。男には問題をくどくどと並べ立てているだけという状況は理解できない。問題は解決するためにあるからであるが、この認識のズレが男女間のギクシャクになったりする。』

実は以前から、ある知人の女性と会うたびに「職場の問題」とやらを聞かされてきた。なかなかできの悪い上司に仕えているということで、話を聞くにそれはそれはなるほど大変な様子である。大いに同情するところであるし、私も上記の本で学んでいた通り、「それは大変だね~」などと取りあえず相槌を打って聞き役に徹していた。それが功を奏したのか、会うたびに、そして時折やり取りするメールでも彼女はその「苦悩」を訴えてきた。

私の聞き役ぶりも、それはそれで当初はよくできていたと思う。しかしながら回数が重なると、だんだん私もイライラしてくるようになった。何せ私の頭は常に「問題解決志向」的に働いている。「問題」を言われるたびにその解決策が頭に浮かぶ。自分だったらすぐに対処するだろう。私も銀行員時代には、お世辞にも仕事ができるとは言い難い上司に仕えたことがあるが、それでも不平不満を言っているくらいなら、「ではどうするか?」を考えた方が早いと思っていた。

当たり前だが、人は簡単には変えられない。みんな自分が正しいと思って行動している。部長の顔色ばかり窺っている上司もいたが、ある意味上司の意向に沿って仕事を進めるのはサラリーマンとして当然の事である。決断ができないのも慎重な性格ゆえだと思えばあきらめもつく。それならそれで自分がどう動けば上司はより早く決断できるようになるのか。偉そうだが、自分が上になってそれとわからぬようにコントロールしなければならない。それが出来なければ、自分の出来が悪いと思ってあきらめるしかない。

そんな私だから、「こんなへまをした」「こんなことをしでかした」「仕事を握り込んでいた」等々、ああでもないこうでもないと上司の不備をあげつらい、その上の部長に訴えたが聞き入れてもらえないなど、聞いているだけでうんざりしてくる。私の我慢にも限度というものがある。女は取りとめもなく愚にもつかぬことをしゃべってすっきりするのかもしれないが、そんな毒を受け入れるのも体に良くないというものである。

それが男のメンタリティだというのであれば、つくづく男に生まれて良かったと思う。「問題」は常に解決するものであって、「おしゃべりしてうっぷんを晴らしながら長く付き合うもの」ではない。これからもそのスタンスは維持していきたいと思う。
かの知人女性とはしばらく距離を置き、どこか他の女同士で(もう既にだいぶあちこちでそうしてる様であるが)、ぺちゃくちゃおしゃべりし合ってもらいたいものである。

男と女がベストパートナーとなるのは、理屈で言うほど容易くはない。いい本だと思っていたが、現実はなかなか理屈通りにはいかないものだと思うのである・・・





【本日の読書】