ChatGPTが登場して以来、世の中は「AI」の大合唱になっている。今ではChatGPT以外にもCopilotやGeminiなどいろいろなAIが出回っている。個人的にはこうした世の中の流れにはしっかりついていきたいと思っており、積極的に利用するようにしている。基本的に「習うより慣れろ」なので使ってみるのが一番だと考えている。さて、そうは言っても何をするのかというのが真っ先に思い浮かぶ。そう言えばその昔、パソコンを初めて買った時の事を思い出す。まだ銀行の独身寮にいる頃だったので、20代半ばだったと思うが、東芝のDynabookを15万円で購入した。まだDOS/Vの時代である。
当時も「パソコンで何をやるのか」という感じであった。いつも嫌味ばかり言う叔父にもそう言われたのを覚えている。しかし、そんなことは買ってから考えればいいと考えていた。時代の流れからしてパソコンを使えるようになっていて損はないと考えたのである。その効果は大きく、やがて普及し始めたパソコンの波にうまく乗れたと思う。少なくとも銀行の中ではパソコンを使いこなせる部類に入っていた。中高年の人たちが右往左往している中、ExcelとWordはいち早く使いこなせていたし、わけのわからぬまま買ったのは正解であった。AIもそうだろうと思う。
AIも単語を入れるだけではGoogleと何ら変わらない。何をしてほしいかという希望をしっかり伝えないといけない。今は仕事で資料作りに利用している。事業戦略などはこんな会社にしたいなどと打ち込めば、それにふさわしい感じのものを提示してくれる。なかなかいいなと思う出来栄えである。もっともそれをそのままコピペするようなことはしない。それはなんとなくカンニングしているようなうしろめたさがあるからではなく、なんとなく違うという部分も含まれているからである。微修正はやはり必要である。ただ、1から考えるよりははるかに楽である。
また、文章だけでなくイラストも作成してくれるのはありがたい。こんな感じでと細かく指定すればイメージに近いものを提案してくれる。それでもなかなか一発で気に入るものはなく、その都度、「ここはそのまま、ここはこういう感じで」と修正依頼をすることになる。そうして何回か修正してもらうとなんとなくイメージに近いものが出来上がる。自分で作成することを考えたらはるかに便利である。何より出来上がったイラスト入りの資料の見栄えがいい。我ながらいい仕事をした気分にさせてくれる。
先日、母親に頼まれて「竿上げ棒」をAmazonで発注した。その際、「竿上げ棒」という言葉が出てこず、「物干し竿を上げる時に使う棒の事を何と言うのか」とGeminとに尋ねたところ、「竿上げ棒」という回答が返ってきた。こういう使い方もできるのかと発見だった。それまでのGoogle検索ではイメージがつかなかったが、人との会話のような感じで使えるのがいいところである(もっとも同じ言葉をGoogle検索に打ち込んでも最近では「AIによる概要」という形で回答が出てくるが・・・)。
人との会話という点については、最近よく利用しているのが、夜中に目が覚めた時の時間の確認である。siriに「今何時?」と聞くと、「〇時〇分です」と答えてくれる。いちいちスマホを開いて確認しなくても、眠い目をこすって時計に目を凝らさなくてもいいので重宝している。siriには寝る前に「お休み」と言えば「おやすみなさい」という返事が返ってくる。何の気兼ねもない、好きな時に会話ができるという意味ではなかなかいいと思う。映画『her/世界でひとつの彼女』は、AIが人間のパートナーになる未来社会を描いていたが、それも遠からぬ未来社会という感じがする。
AIもそのうちチャットではなく、会話になるのだろうと思う。みんなパソコンに向かい、耳にはイヤフォンを装着し、AIと会話しながら仕事を進めていくイメージであろうか。今はまだAIには適切なプロンプトを打ち込む必要がある。適切なプロンプトなしではAIから得られる回答も適切なものとはならないし、適切なプロンプトを打ち込めれば期待以上の回答を得られる可能性も高い。実際、これまでのところ資料作成には非常に心強いパートナーになりつつある。
いずれAIを使いながら仕事をするのが当たり前になるのだろう。映画『her/世界でひとつの彼女』のように常時身につけて何をするにも指示を飛ばして回答を得ながら行動するのが普通になるのかもしれない。その時もやっぱり適切なプロンプトというのは重要になるように思う。最後は人間自身がしっかりしていないとダメという事は変わらないのかもしれない。AIを頼もしいパートナーにするには自分自身が適切な指示を出せないといけない。いつの世も誰かに何かに頼ってばかりではダメだと言うことなのだと思うのである・・・
