2021年12月30日木曜日

2021年年末雑感

 今年もはやあと2日である。毎年のことながら、早いといえば早い。ただ、振り返ればきちんと1年365日を過ごしているわけであり、決して364日だったわけではないのでそのあたりは日々を意識していきたいと考えているところである。その365日の内訳としては、我が人生史においてもなかなか激動だったと思う。その最たるものは、失業だろう。代表取締役副社長まで任されていたのに突然社長が会社を売ってしまったのである。それで首。年初には想定もしていなかった出来事である。

 わかってはいたものの、取締役というものには保証がない。株主総会で再任されなければそれまで。従業員と違って保護されていないので、抵抗はできない。しかも雇用保険に入っていないので失業手当てももらえない。実はとても不安定な立場なのである。社長も人間性のきちんとした人であればよかったのであるが、私を含めて長年勤めていた社員も全員馘首。退職金は雀の涙。会社を売ったお金は独り占め。なければ文句も言えないが、社長は会社を売って数億円を手にしたのであるから、何ともはや。6年半も一緒にいてそういう人間性を見抜けなかったのは、私自身間抜けだったと言える。

 文句は山のようにあるが、生活もあるのですぐに転職活動を始めたが、捨てる神あれば拾う神あり。相談した人は親身になってくれて、今の会社を紹介してくれた。転職歴6回の先輩も履歴書、職務経歴書の書き方を親切丁寧に教えてくれた。そのほかの人もいろいろと気にしてくれた。ありがたいの一言に尽きる。ハローワークに行っても、転職サイトに登録しても、年齢的には厳しい。たとえ就職しても「60歳の壁」がある。60歳で定年退職して再雇用になっても65歳までで、しかも給料は大幅ダウン。これはなかなか厳しい。幸い、今の会社は役員含みだから定年も年収ダウンもないし、むしろアップする予定である。うまく切り替えられたと安堵している。

 その間のゴタゴタからタバコを吸う様になったのも年初には想定していなかったこと。もともと禁煙はしておらず、長い「休煙」であったのだが、再開後はすっかり習慣化している。ただ、健康面の問題や臭いの問題もあって、1日の本数を厳密に限定している。だから歩きタバコの様な味がわからなくなる吸い方はしないし、やたらめったら吸うのではなく、1本1本を味わって丁寧に吸っている。個人的にはストレスの発散や思考の整理の時間としての効果は感じるので、悪いことではないと考えている。

 シニアラグビーにおいては、チームの移籍があった。年初には想定していなかったが、これで試合数が激増した。試合があれば、反省も生まれ、次の課題も見つかる。これがまた面白くて練習に身が入る。やはり試合に出ることは大事だと思う。ただ、体はきつい。考えてみれば、今の「白紺」(パンツの色による年代別)の試合は、下は30代から50代までが対象。下手をすると20歳近く若い相手と試合をすることになる。コンタクトプレー(ぶつかり合うプレー)もスピードも違ってくるため、体のダメージも厳しい。そのダメージも昔と比べて回復が遅い。10月の試合で痛めた首の痛みはまだ治らない。しかし、そうではあっても、やはり心から面白いと思うのでやめられない。

 娘は何事もなく大学2年になり、サークル活動にも参加して、バイトも掛け持ちして関ジャニのコンサートにしばしば「遠征」している。楽しそうにしているのが何よりである。高校生になった息子は、残念ながらラグビーよりも野球を選択した。都立高校だからすぐにレギュラーになって、夏の東京予選はネット配信されて祖父母も観戦できた。2人とも忙しくて私の実家にはほとんど行かない。大阪の妻の実家には学校が休みのタイミングで妻とよく行っている。不公平な気がするが、もう無理に連れて行くほど子どもではない。当人たちの意識に期待したいところである。

 年初に想定していなかったのは、料理デビューというのもある。母親も年で家事ができなくなってきている。特に料理がそうで、父はこれに不満げ。そこで週末に実家に帰り、掃除や料理をすることにした。幸い、現代ではレシピサイトがある。見様見真似でもなんとか様になる。味噌汁一杯でも父が喜ぶのでやめられなくなってしまった。やってみれば料理も難しくはないということ。ただし、簡単でもない。いつも食べている家庭料理はこうやって作るのかと知ることも新鮮。将来、一人暮らしになった時に役立つだろうし、喜ぶ両親のため、そして将来の自分自身のためにも続けたいと思う。

 来年の話をすれば鬼が笑うというが、それを実感したのがこの一年。振り返れば、年初に思ってもみなかったことばかりである。しかしながら、そんな「予想外」に我ながらうまく対応してきたと思う。どれも結果オーライのところがある。将来については備えることしかできないが、その備えにも臨機応変対応力というものがある。それがあれば、何があってもなんとかできるだろうし、それこそを意識すべきではないかと思う。それに必要なのは、日々の行動。365日の積み重ね。そんな意識をこれからも続けないといけないと改めて思う。

 激動ではあったが、うまく乗り越えられた年。人生史の目次には、そんな説明が載せられる2021年であったと思うのである・・・


Arek SochaによるPixabayからの画像 

【今週の読書】
  



2021年12月26日日曜日

年下の上司

 大学に入った時に一番カルチャーショックを受けたのが、年齢による差がなくなったことである。大学には一年浪人して入ったが、同級生には現役合格した者(つまり年下)と二浪して入った者(つまり年上)がいた。しかし、「同級生」であり口の利き方もタメ口。実は二浪した同級生が高校の先輩の友人であり、私の先輩をその同級生が呼び捨てで呼ぶのであるが、それが実に違和感のあることであった。ラグビー部では当然ながら実力主義。私は3年になってようやくレギュラーの座を確保したが、1年からレギュラーになった者もいた。また、レギュラーになれないまま卒業していく先輩もかなりいた。年齢は関係ないと、大学で初めて体感したのである。

 社会人になったのは、長年日本社会を覆っていた「年功序列」が崩れていく時代だった。始めに配属された支店にも、支店長より年上の銀行員はいたし、それはどちらかというと「学歴」の差ともいうべき要素が大きかったが、やがて出世のスピードの違いもハッキリとしてきたし、最初の昇格に漏れてそのままずっと管理職になれないままの同期も出てきた。既に年功序列は崩れていたが、やはり年下の上司の下にはつきたくはないという考えは、一種の「恐怖心」として身にまとっていた。そのまま銀行にいれば避けられなかったと思うが、なんとか逃げ切った今となってはホッとするばかりである。

 しかし、銀行のラグビー部では既にそれが実現していた。ラグビー部には様々なメンバーがいたが、私の在籍中に既に若手がキャプテンを務めるようになっていた。もちろん、実力で選ばれるわけであるが、それはそれで「屈辱感」のようなものは微塵も感じることなかった。しかし、仕事だとそういうわけにはいかなかっただろう。若手でもキャプテンシーが備わっていれば、十分キャプテンは務まる。中には学生時代にキャプテンを務めていた者もいるだろうし、周りもそもそも「実力主義」を理解しているので協力体制には問題ない。何の違和感もなく過ごせていたものである。

 年下の上司であっても、転職して配属された職場となれば、自分は後から入ってきたという「説明」が自分自身にもつけられるので気にならないかもしれない。しかし、後から入社してきた者が自分より下の地位から始めて「追い抜かれる」と心中は穏やかではない。水戸黄門の主題歌でもその悲哀が歌われている通りである。そこには「実力で抜かれた」という言い訳がきかないものがある。人間はどうしても「酸っぱいぶどう」で生きているところがある。年下の上司は言い訳のできない「ぶどう」である。

 シニアラグビーの新チームに移籍して2ヶ月が経過したが、居心地はいい。キャプテンはまだ40代の元気のいい「若手」。チームのメンバー一人一人に目配りをしていて、年上のメンバーには敬意を持って接してくれる。仕事は何をやっているのかわからないが、たぶん仕事もできる人だろうと思う。年下のキャプテンだが、ラグビーの世界ではもう慣れっ子なので気にならない。むしろ冷静に観察できているが、それゆえにキャプテンとして実に相応しいと思う。試合中も臨機応変でチームに戦術の指示を出している。私もやりやすい。同時に自分にはできないなと思うが、だからと言って変な感情は抱かない。

 新しい会社では、役員の1人は年下であるが、引け目は感じない。「後から入った」という言い訳もあるが、実はそれだけではない。お互い違う経験を背景としており、私は私の経験の範疇でしっかり上回れるものがあると思うからである。やはり、そうした「核」があると、「酸っぱいぶどう」に頼らなくても自信を持っていられる。そういうものも大事だと改めて思う。結局のところ、年下の上司が嫌だと思う心の底に自分自身に対する自信のなさがあるのかもしれない。「これは負けない」という「核」があれば気にならないのかもしれないという気がする。

 働き方改革も単なる早帰りだけではなく、在宅ワークも含めて多様な働き方がこれから出てくるのかもしれない。上司も部下もいろいろな人がなるのだろう。その時に自分に核となるものがしっかりあるかどうかは非常に大事だと思う。小さな会社ではあるが、いつ役員のポジションを打診されてもいいように、準備と実績とを積み重ねておきたい。相手が上司だろうと部下だろうと同じように接し、自分のできることをしっかりとやりたい。そして周りの人の信頼を集めながら、1日でも長く働きたいと思うのである・・・


Tú NguyễnによるPixabayからの画像 

【今週の読書】
  



2021年12月23日木曜日

残業

 残業と言うと嫌なイメージがつきまとう。それは当然であり、誰でも仕事はさっさと切り上げてプライベートの時間を確保したいと思うものだろう。ただ、一方で残業をすれば「残業手当て」という収入が得られるのは確かであり、この収入がわずかであってもバカにならないものであり、その点ではしっかり「残業で稼ぐ」ということをしたいというのも正直なところであろう。最も管理職になると、残業をしても残業手当てはもらえなくなるのでこの限りではない。私ももう何年も残業手当てというものをもらっていない(残業をしていないわけではない)。

 私が大学を卒業して銀行に入ったのは1988年。昭和で言うと63年。つまり昭和最後の世代である。当時は、「新人が早く帰るのはもっての外、少しでも仕事を早く覚えるために先輩より早く帰ることはあり得ない」という時代。さらに「収益に貢献していないのだから、残っていても残業代などもらえなくて当たり前」ということが加わる。いわゆるサービス残業というものであるが、私もこれが苦痛であった。当時は残業は申告式であり、今のようにパソコンの起動時間で否応無く記録が残るということはない。自分で書かなければそれまでである。当時は毎晩ため息とともに寮に帰ったものである。

 しかしながら、若い頃に遅くまで仕事に没頭するということが必要なのも事実である。ワタミの渡邉会長やユニクロの柳井会長などは、若い頃の苦労を推奨しているが、自分の経験を振り返ってみてもそれはある程度必要だと思う。身体を壊すほどのものは「過ぎたるは及ばざるが如し」であるが、残業=悪だとばかりに決めつけるのも良くないと思う。そんな考えからだからでもあるが、今の会社でも新人が遅くまで残って残業をしているが、ついつい暖かい目で見ている次第である。

 しかしながら、最近、我が社の一部の新人の残業にはちょっと問題感を感じたのも事実である。彼は端から見ると毎日遅くまで残業をしていた。勤務報告書を見ると、前月の残業時間は60時間に達していた。三六協定で定める月45時間を優に超えていたのである。しかしながら、現場の評価は低い。曰く、「無駄な作業が多い」ということである。年末の賞与の評価は同期からはワンランクダウンとなっていた。遅くまで頑張ってもそれが報われていない。そこで彼と話をした。

 喩えとして、毎日定時で帰るA君と毎日残業しているB君を挙げ、2人の仕事量が同じだった場合、A君は基本給のみで、B君はそれに残業手当てがつく。仕事量が同じなのに収入が違う。これに対し、感想を尋ねると、彼は「不公平だ」と答える。A君にしてみれば、同じ仕事量なのであれば給料が多い方がいい。となれば、必然的にA君はわざと仕事をゆっくりとこなし、残業をするようになるだろう。それは会社にとっては好ましくない。そこで賞与で差をつけ、翌年の昇給あるいは昇格で差をつけることになる。目先ではB君はA君より収入は多いが、すぐにその差は逆転する。

 彼にはそんな話をし、仕事のやり方を見直してみるように伝えた。上司や先輩のアドバイスを求め、工夫をしてみたらどうだろうかという感じである。彼もバカではないので(実際、同期よりもボーナスが少なかったのである)、きちんと理解してくれた。「ゆっくり働いて残業代を稼ごう」という文化が社内に育つことのないようにしないといけない。その昔、経営コンサルタントの大前研一氏は、日立製作所に入社し、仕事を終わらせて毎日定時に帰っていたそうである。あの時代だから周囲の目も厳しかったと思うが、今は(会社によるかもしれないが、我が社なら)できる。仕事があるならハードワークを厭わず、終わったならさっさと定時で帰るようにしたらいいと思う。

 今は、私もほとんど残業をすることなく帰っている。残業をしても残業代がつかない立場であるということもあるが、無駄に残る必要性も感じないし、それより「手を動かしてナンボ」という仕事でもない。風呂にゆっくり浸かりながら仕事のことを考えていたりするといろいろとアイディアが湧いて来ることも多い。出勤している時だけが就業時間ではない。成果主義でもあり、ワークライフバランスとも言えるが、求められていることを(求められている以上に)きちんとこなしているので、仕事が(大変ではあるが)面白いと言えるし、とても満足している。

 残業も連日に渡って遅くまで続けば疲労も溜まる。そうなれば「楽しい」などと思えるゆとりは無くなるが、ある程度であれば苦にはならない。それが自分でコントロールできればいいが、できないと辛い。自らやる仕事であれば残業も苦にならないし、やらされ仕事だと苦痛だろう。私の新人時代のように。若手は必死に目の前のことをこなすのに精一杯であるが、上の立場に立てば、「なぜ残業しないと終わらない」のかを考え、それが取引先との契約なのかオペレーションのどこかに問題があるのか、それを見極めて仕組みとして残業を減らさないといけない。立場によっては考えることも違う。

 残業の捉え方も一律ではない。私の場合は、どうやって我が社の社員の残業を減らすかが当面の課題の一つである。昭和の感覚は捨て、令和の時代に合わせた残業のあり方を考えたいと思うのである・・・


mohamed HassanによるPixabayからの画像

【本日の読書】
  


2021年12月20日月曜日

時間論

 時間というのは、まことに不思議なものだと思う。昔はドラえもんではないが、過去から現在、そして未来へという時間の流れがあり、遠い未来世界ではタイムマシンが発明されて時間を自由に行き来できるようになると無邪気に考えていた。しかし、哲学的な観点からは、「過去は場所ではない(だから行くことはできない)」という考え方(【「時間」を哲学する】中島義道)に触れたり、アインシュタインの相対性理論で時間がゆっくり流れたり早く流れたりするという説明に触れたりしてだいぶイメージが変わっている。

 アインシュタインは、重力によって時間が流れる速さが変わるという体感できないことを考え出しているが、これは本当に凄いと思う。映画【インターステラー】では、これが見事に説明されていて、主人公の宇宙飛行士が地球を救うために泣く泣く幼い娘を残して宇宙へと旅立つが、ようやく帰還した時、年老いて家族に付き添われた娘と再会する。自分よりも老いた娘と再会するという感覚がどんなものか想像もつかないが、それが時間なのだというのはかなり衝撃的なことだと改めて思う。「時間の流れが違う」というのは実に不思議である。

 しかし、その不思議な出来事を実は最近身をもって体験している。それはシニアラグビーでの体感である。最近、移籍したチームでは試合をマメにビデオに撮ってYouTubeで後悔している。我々はアップロードされた試合のビデオを観て、それぞれ次への反省に生かすのである。グラウンドで動いている時の主観ベースでの記憶と、ビデオで客観的に観るそれとは随分と違う。高く上がったボールをキャッチしたと思っていたが、実はそれほど高く上がっていない。右へ行けば敵も少ないのにまっすぐ走っている。タックルで鮮やかに倒したつもりが、それほどでもない。ビデオで自分自身のプレーを観ると、どうにも嫌になってしまう。

 そしてそれ以上に衝撃的なのはそのスピードである。パスのスピード、走るスピード。自分では若かりし頃とそれほど変わっていないつもりだが、ビデオで確認すると随分とスローモーである。それは私自身だけではないが、全体的にスピードは遅い。いつも観戦している後輩の学生たちの試合と比べるとその差は歴然としている。やっている時はわからない。グラウンドでの時間の流れと、端からビデオで捉える時間の流れとが明らかに違う。昔、若い頃にシニアのラグビーを観て、「こんな無様な試合するくらいならやらない方がマシ」だと不遜にも思っていたが、それに近い試合を今自分がしているのである。

 その時間の流れの違いは、年代の違う相手と相対するとよくわかる。前のチームは60代が中心で、一緒に練習していても50代の私からすると60代の人たちのスピードは遅く、バックスにパスが回っても一番外側の選手にボールが回るのについていける。普通は追いつけない。走っているのを捕まえるのもたやすい。しかし、たまに学生と一緒に練習すると、まったくついて行けない。個々の選手のスピードが違い、振り切られてしまったり追いつかれてしまうのもしばしばである。単に個人的に足が速い遅いという問題ではない。チーム全体のスピード感が違うのである。

 その昔、『ゾウの時間、ネズミの時間』という本があったが、年を取るとグラウンド内での時間の流れが異なってくる感じである。もちろん、その正体は体の老化である事はわかっているが、老化によって体感する時間の流れが異なるのである。本人は全力疾走しているつもりでも、若い人から見ればその動きは遅く、容易に捕まえられる。逆の立場からすると、若い人の動きにシニアはついて行けない。たまに人が足りなくて60代以上の試合に駆り出されることがあるが、ゆっくりと流れる時間の中で、自分だけがサイボーグ009の加速装置をつけたが如くに動けるのは誠に快感である。

 自分自身のスピードは変わっていないどころか、ますます時間が早く過ぎて行くように感じる。お正月から花見の季節になり、拭っても拭いきれない汗をかいたと思ったら、紅葉に包まれ、はや年の瀬。一年が目まぐるしく過ぎて行く。つい先日50代に突入したと思ったら、もうあと2年半で還暦である。よちよち歩き、無邪気に「パパぁ!」と言っていた子供たちもいつの間にか高校生と大学生である。それでも端から見るとゆっくりと流れているのだろうか。

 いつの間にか2021年も残り2週間。もう少しゆっくりと自分の時間を過ごしたいし、子供たちもゆっくり成長してほしいと思う。このままのスピードで過ぎゆく時間の中で、やり残していること、あとで後悔しそうな事はないだろうか。【「時間」を哲学する】では、現在は一瞬にして過去になって行くと説明されている。そんなスピードに圧倒されることなく、今という瞬間を大切にし、ゆっくりと生きたいと年の瀬を控えて思うのである・・・



【本日の読書】
  




2021年12月17日金曜日

論語雑感 雍也第六(その8)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
季康子問。仲由可使從政也與。子曰。由也果。於從政乎何有。曰。賜也可使從政也與。曰。賜也達。於從政乎何有。曰。求也可使從政也與。曰。求也藝。於從政乎何有。
【読み下し】
季(き)康(こう)子(し)問(と)う、仲(ちゅう)由(ゆう)は政(まつりごと)に従(したが)わしむべきか。子(し)曰(いわ)く、由(ゆう)や果(か)なり。政(まつりごと)に従(したが)うに於(お)いてか何(なに)か有(あ)らん。曰(いわ)く、賜(し)や政(まつりごと)に従(したが)わしむべきか。曰(いわ)く、賜(し)や達(たつ)なり。政(まつりごと)に従(したが)うに於(お)いてか何(なに)か有(あ)らん。曰(いわ)く、求(きゅう)や政(まつりごと)に従(したが)わしむべきか。曰(いわ)く、求(きゅう)や芸(げい)あり。政(まつりごと)に従(したが)うに於(お)いてか何(なに)か有(あ)らん。
【訳】
大夫の季康子が先師にたずねた。
「仲由は政治の任にたえうる人物でしょうか」
先師がこたえられた。
「由には決断力があります。決して政治ができないことはありません」
「賜は政治の任にたえうる人物でしょうか」
「賜は聡明です。決して政治ができないことはありません」
「求は政治の任にたえうる人物でしょうか」
「求は多才多能です。決して政治ができないことはありません」
************************************************************************************
 何が政治家に必要な要件かと問われると、「公共奉仕精神」とか「リーダーシップ」とかありきたりなものなら思い浮かぶが、正直言ってよくわからない。ただ、身近なものとして「経営者」ということでは、ある程度の考えはある。上記で例示される「決断力」や「聡明さ」、「多才多能」ということはもちろん必要なことではあろう。それはすべて必要な要素であろうかとよくよく考えてみると、「聡明さ」も「多才多能」も結局、「決断力」に行き当たるように思う。聡明ゆえに決断できるのであり、多才多能であるがゆえに決断力のある経営者になれるという具合にである。

 そもそも「決断力」とは、「決断することができる」ことである。これに対する言葉としては「優柔不断」となるだろう。優柔不断は一方で「慎重」という見方もできるわけであるが、それは美化した言い方であり、実態として優柔不断は「慎重」とは相異なり、結局「決断できない」ということに他ならない。どちらがいいのか判断がつかず、迷いに迷って決断ができないだけであり、それは「慎重」とは異なるものである。端からみていれば誠にもどかしい限りであり、これがリーダーであれば実に頼りないと思わざるを得ないものである。

 決断力とは、聡明さに支えられた判断力でもあるし、「やってみなければわからない」という類のものであれば、リスクテイクに他ならない。最悪のリスクを見極めて、あとはそれを覚悟で「えいや!」とばかりにやるのである。会社の意思決定であれば、それは社長に属することであるが、社長でなくても自分に与えられた権限の範囲内で決断できることであれば、部課長レベルでもできることである。逆にこれができない人であれば、たとえ最終決定権者である社長になってもできないだろう。

 決断力の肝になるのは、リスクをどこまで取るかというリスクテイクであり、それは単なる度胸ではなく、冷静な判断力に他ならない。最悪の事態を想定し、その事態に陥った時にどうするか。それに対処する方法を念頭に置けば、あとは自らの責任で実行するだけである。そうした冷静な判断力が決断力を支えることになる。そしてその冷静な判断力には、もちろん聡明さが求められる。持っている知識によって、リスクに対する対処方法の選択肢が広がるかも知れず、結果としてリスクを軽減できる。リスクを軽減できればリスクテイクもしやすくなる。

 そうしたリスクテイク力がすなわち決断力であるが、さらに突き詰めると、その決断力とは、「責任感」でもあると思う。「何かあれば自分が責任を取る」という覚悟である。この責任感が薄いと、「指示待ち族」になる。「間違ったことをして怒られるのは堪らない、だから言われたことだけをしよう」というサラリーマンにありがちな考え方である。「間違えるかもしれない」というリスクを取りたくないから、「間違える心配のない行動」=「指示されたこと」になるわけで、実に簡単な理屈である。

 「間違えたら怒られてやろう」という覚悟が取れれば、リスクも取れる。そういう人が決断力があると評価され、昇進する。そうした決断力の積み重ねが、トップへと導くと言える。政治家も同じだと思うが、現代の政治家は人気取りも考えなくてはいけないようだからなかなか難しい。世間の人気を常に気にしながらだと思い切ったことはできにくい。だから支持率が高かったりすると、そういうリスクテイクもしやすくなり、そういう政治家はさらに支持率が上がる。

 いろいろと考えてみると、聡明さも多才多能も決断力には繋がるが、最終的に決断できなければ意味はない。聡明さがあってもリスクテイクできなければダメであり、多才多能であっても同様。結局のところ、行き着くところは「決断力」ということになる。自分にはこの決断力があるだろうかと考えてみると、少なくとも優柔不断には思われないくらいにはあるようには思う。過去には優柔不断というか自分の中に判断基準を持っていない上司に仕えて苦労した経験がある。同じ苦労を少なくとも自分の部下にはさせたくはない。独断専行はもっての外だが、必要な決断はきちんとできる上司でありたいと思うのである・・・


Maddy MazurによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

  



2021年12月12日日曜日

自分の性格

 週末にはシニアラグビーで汗を流しているが、つい最近チームを移籍した。もともと先輩を頼ってのチーム加入だったが、続けて行くうちにどうにも思わしくないことになってきたのである。それはまたコロナ禍の影響でもあるし、年代別チーム構成と言うシニアラグビーの特徴でもある。加入していたチームは、60代以上が中心のチーム。我々50代は人数が少なく、試合ができるだけの人数がいない。コロナ禍でグラウンドを失った人たちが集まって来て練習に参加するようになったが、そうなると常に新顔が入れ替わる有様で、どこのチームに所属しているのかわからない状態になってしまったのである。

 そうした中で、満足いく練習もやりにくくなってしまい、チームの移籍を決断したという次第である。移籍といっても、同じグラウンドを半分ずつ使っていた「親密先」のチームであり、角が立ちにくいという事情もあった。それに50代以下が中心のチームであり、移籍の理由も説明のしやすいこともあった。世話になっただけに遺恨を残したくはないし、そういう意味では環境が良かったという事情もある。ただ、それを決断したのは、やはり「変える」より「変わる」方を選んだということである。

 もともと私自身、自ら積極的に人の先頭に立って行動すると言うタイプではない。50代のメンバーが少ないなら、(試合をできるだけの)人数を集めて来てチームを作るという選択肢だってある。それをしないのは、わざわざそこまで手間をかけてやるだけのエネルギーが自分にはないということ。人によっては、そういう手間を惜しまないリーダータイプの人もいるが、自分はそうではない。これは単純に好みの問題であり、性格の問題である。そしてそういう性格であるのに加え、嫌な環境を放置できないという性格もある。

 嫌な環境なら変えてしまえばいいというのが一つの解決策。しかし、自分の性格はそうではない。人を、あるいは組織を変えるよりも自分が変わる方を選択してしまう。入れ替わり立ち替わりいろいろな人が来て、その都度コンビネーションの練習をするというのも面白くない。やはり日頃から同じチームメイトと何度も練習を繰り返したい。そういう希望があるなら、自分がそういう環境に移動すればいいと考えたのである。それであれば自分1人の考えで簡単に動ける。他人を変えるよりも簡単である。これもまた私の性格である。

 この傾向はかなり強い。不平不満を抱えてブツブツ言っているのは好きではない。不満があれば自ら動いて解消するようにすればいいし、できないのであれば不甲斐ない自分を恥じて文句を言わないようにすればいいし、それが嫌ならその場を去ればいい。チームを移籍することにしたのはそういう自分の性格からのものである。もちろん、「そのまま止まる」という選択肢もあったわけであるが、我慢するより自ら動く方がいいという考えである。それが裏目となることもあるだろう。それで変化を躊躇する人もいるだろうが、裏目となったらなったで、後悔するより「次どうしよう」と考えればいいわけで、それもまた自分の性格である。

 「後悔するより次どうしよう」は仕事でも基本的な考え方である。いろいろと新しい試みがあるが、基本的に「やってみればわかる」と考える。事前にあれこれと想定することも大事だが、何事も「やってみないとわからない」というのは共通している。ならば「やってみればいい」と思うのである。サントリーの「やってみなはれ」と同じである。それで、思うような結果が出なかったら、その時は「次どうしよう」と考えればいいのである。多大なコストがかかる場合はもちろん慎重を期するが、基本は「とりあえずやる」である。

 性格は人それぞれ。自分のこの考え方は、自分にとっては常に正しいが、他人にとってはそうではない。「仕事がつまらない」という人は、そういう仕事の仕方、仕事に対する考え方だと思うが、それを悪いとは言わない。それがその人にとっての考え方だからである。性格に関するところでもあるし、それをとやかく他人が言うべきものではない。自分のこの性格、自分ではよくないと思うところも正直あるが、それも含めて自分の性格、まぁ最後までこの性格で生きていくわけであるし、自分にとっては良いものとして付き合っていきたいと思うのである・・・


ElisaRivaによるPixabayからの画像 


【今週の読書】

 



2021年12月4日土曜日

最近のニュースに思う

外国人就労「無期限」に 熟練者対象、農業など全分野
2021年11月17日日本経済新聞
出入国在留管理庁が人手不足の深刻な業種14分野で定めている外国人の在留資格「特定技能」について、2022年度にも事実上、在留期限をなくす方向で調整していることが17日、入管関係者への取材で分かった。熟練した技能があれば在留資格を何度でも更新可能で、家族の帯同も認める。これまでの対象は建設など2分野だけだったが、農業・製造・サービスなど様々な業種に広げる。
************************************************************************************

 最近、日経新聞の記事にはなかなか考えさせられるニュースが多いように思う。外国人就労制限が一部緩和されることになったという上記の記事。事実上の移民解禁である。個人的には移民には反対であるが、現実的な人手不足を前にしてはそうも言っていられないのかもしれない。それでも「特定技能」だとかわかるようでいてわかりにくい言葉を使ってオブラートに包んでいるのは日本的だと思う。はっきり「移民」と言ってしまえば、炎上するだろうから、表向き移民解禁とはせず、「在留資格の無制限更新可能」という表現にしているのである。

 こうした例の代表格は憲法第9条の解釈であるが、あれも戦力の保持禁止という条文を言葉巧みに骨抜きにしている。本音と建前ではないが、これがいいのか悪いのかはいまだによくわからない。個人的には昔から「本音と建前の一致」が信条で、曖昧決着は大嫌いだったが、最近ではそれもまた仕方がないのかもしれないとも思うようにもなっている。白か黒か決着がつくまで喧々諤々の議論をしてなかなか決まらないよりも、うまくごまかして現実の必要性に対応するというのもやむを得ないのかもしれないとも思う。自分が丸くなったのかどうかはわからないが、白黒つけるのだけがいいわけではないのかもしれない。

 賃上げ税制もここのところよく目にする。従業員の賃金を上げた企業に対し、税金を優遇するというものである。とにかく企業に給料を上げさせないとデフレ脱却できないという考えなのだろう。ただ、我が社のように赤字だとそもそも税金を払わなくていいので意味はない。そして日本の中小企業は7割が赤字と言われているが、となるとどこまで実効性があるのかは疑問である。赤字であれば、必然的に賃金上昇にはブレーキがかかる。それに税額控除は一時的だが、賃上げは永続的である。「税金を免除するから賃金を上げろ」というなら、消費税の方がインパクトがあると思う。

 そもそも各種マスコミでも「日本の平均賃金が欧米と比べて低いのが問題だ」という議論をよく見かける。1997年を100とすると、日本が89.7なのに対し、アメリカが115.3、最高のスウェーデンが138.4であるのでその通りである。しかし、一方で消費者物価で見ると、1995年を100とすると、日本は102弱であるのに対し、アメリカは114強である。つまり賃金と同時に物価も上がっているわけであり、日本ではワンコインでランチが食べられるが、アメリカでは1,000円を超えてしまうというイメージである。そうなると単純比較はできない。

 あくまでも素人の考えなのであるが、賃金が上がっても物価が上がれば意味がないように思えてならない。そしてそこを踏まえてそれでもなお「賃金上げるべし」と主張する意見は今の所耳にしない。たとえ給料が3%上がったとしても、年収800万円の人で月2万円である。それがすべてこずかいに回ることはない。せいぜい5,000円も上がればいい方であろうか。しかし、その代わり昼食費が300円上がると月6,000円アップであり、こずかいはマイナスになる。年収400万円の人ならもっと悲惨である。政府が企業にただ「賃金上げろ」と迫るのも本当にそれでいいのかと思わずにはいられない。

 また、ここのところ円安傾向にあり、さらに原油価格の上昇から国内のガソリン価格も上昇しており、政府は備蓄を放出してこれを抑えると発表したようである。供給が増えれば価格が下がるのが経済原理であるが、放出するのは145日分の備蓄のうち「数日分」だと言う。「数日分」でどれほどのインパクトがあるのかわからないが、何となく効果が薄そうな気がする。たとえば3日分だとして、単純に考えれば3日経てば元に戻るわけであり、それでどれだけ効果があるのだろうかと、素人である私は疑問に思う。なんとなく一家庭に2枚配布されたアベノマスクを彷彿とさせるものがある(先日会社の備品棚に手付かずのものが眠っているのを発見した!)。

 そしてコロナ禍でようやく落ち着いて来たと思ったらオミクロン株の出現である。先日読んだ【生命の謎ドーキンス『盲目の時計職人』への反論】という本では、生命はその複雑さゆえに神が作ったとしか思えないという衝撃的な退行的意見の本であったが、これだけ短期間に変異するウィルスの様子を見ていると、理屈抜きに生命は自然発生したという意見の方が正しいように思えてならない。あっという間に全世界に広がる勢いは、やはり生命の不思議さを実感させてくれる。

 そのオミクロン株の出現に際し、さっと外国からの入国を止めたのには感心した。最初の頃のドタバタが嘘のようで、さすがに喉元過ぎていないから対応が早い。と思っていたら、すぐに「例外措置」が発表された。ウィルスの侵入を防ぐという目的を意識するなら、そこに一切の例外は設けるべきではないが、政府も人気商売、あちこちからの批判に例外を設けざるを得なかったのだろう。もちろん、ウィルスはそんな例外を特別扱いはしてくれない。「なんだかなぁ」と思わずにはいられない。あれやこれやという意見が飛び交う中での意思決定は難しいが、妥協というのも仕方ないのかもしれない。

 世の中はいろいろと動いているが、自分には関係ないと思っていても、いつの間にか身近なところに来ているのが世の中のニュース。いずれ我が社の職場にも外国人が来て、ワンコインでランチが食べられた時代が懐かしくなっているのかもしれない。その時、懐が少しでも暖かくなっているように来週も頑張りたいと思うのである・・・


Hands off my tags! Michael GaidaによるPixabayからの画像 

【今週の読書】
  



2021年11月27日土曜日

将来の夢

 子供には夢を持って欲しいというのは、親であれば誰でも思うだろう。かく言う自分も娘と息子それぞれには夢を持って欲しいと思う。子供も小さい頃は、夢を語る。「大きくなったら何になりたい?」と問えば、なんの屈託もなく、「パイロット」とか「お嫁さん」とか答えてくれる。しかしながら、中学、高校と成長するにつれ、そういう夢を語らなくなる。我が家の子供達も例に漏れず、今ではたとえ聞いたとしても「別にない」という答えが返ってくるのは聞くまでもなくわかる。

 なぜそうなるのかと言えば、大きくなるに従ってだんだんと世の中というものがわかってくるからかもしれない。その昔、子供がまだ小さい頃、キッザニアに行ったことがある。そこで子供達に人気があったのは、制服系の仕事。消防士とか宅急便のドライバーとかガソリンスタンドの店員とか。子供のうちは無邪気に楽しんでいられていいが、やがてなんとなく世の中というものがわかってくる。高校生にもなれば「将来ガソリンスタンドの店員さんになりたい」などとは言わなくなるだろう。言われたとしたら、親としては愕然として必死に説得を試みなければならない。

 親としてはまことに寂しい限りであるが、致し方ない。
しかしながら、では自分はどんな夢を持っていただろうかと考えてみると、実は夢などというものは持たずにこれまで生きてきている。小さな目標程度であればいろいろとあったが、長期的な夢などというものは持ったことがない。子供達に夢を持って欲しいと思う前に、自分自身「お父さんはな」と語れるものがない。これでは「夢を持て」などと子供には求められない。寂しいのは、むしろ自分自身である。

 夢のない人生と言うと何か虚しいもののように思うが、ではこれまでの自分の57年の人生を振り返ってみると、それは惨めなものであったかと問われると、否である。それなりに充実していたし、今でもそうである。夢などなくてもそこそこ満足いく人生を送ることはできる。あればあったで良いのだろうが、なければいけないというわけではない。それに、そもそも夢とはなんだろうかと考えてみると、人それぞれ定義は異なるかもしれないが、「人生において達成したいこと」だと言えるだろう。自分にとってそれはなんだろうか。

 自分にとって「人生において達成したいこと」とは、何かの偉業のようなものではない。それは何かと問われると難しいが、あえて言えば「満足いく人生」だろう。ではどうすれば満足できるのだろうか。今の生活を基準に考えてみると、仕事はそれなりに面白く、毎日仕事に行くのが楽しいと言える。強いて言えばもう少し収入を増やしたい。それは決して不可能ではないから、今は日々そこに向けて頑張っている。週末はラグビーが楽しいし、深夜の映画も楽しい。通勤電車の読書も然り。夫婦関係だけが玉に瑕だろうか。

 年に何回かは温泉に行きたいし、たまには海外旅行にも行きたい。もう少しコロナが落ち着いたら、友人たちと頻繁に飲みに行きたい。ささやかな欲求であるが、そうしたささやかな欲求を満たした1日1日の積み重ねが人生であろうと思う。すなわち、それが私にとって満足のいく人生に他ならない。実につまらなく思えるかもしれないが、本人がいいと思うのだから、他人につまらなく思われようと気にはならない。それが突き詰めると私の夢なのかもしれない。

 数日前の日経新聞にある詩が紹介されていた。
「一個の人生といえるものにとって必要なのは、達成や完成という人生の時間ではなくて、よい1日という人生の時間だ」
実に共感できる内容である。大きな偉業を達成するということはできないが、満足にみちた小さな1日をずっと過ごせていけたのなら、それで良しとしたい。子供たちそれぞれにも、大きな夢を持たなくても構わないので、満足のいく人生を歩んで欲しいと思うのである・・・

Gerhard G.によるPixabayからの画像 

【今週の読書】
  



2021年11月21日日曜日

論語雑感 雍也第六(その7)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】
子曰。回也。其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、回(かい)や、其(そ)の心(こころ)三月(さんげつ)仁(じん)に違(たが)わず。其(そ)の余(よ)は則(すなわ)ち日(ひ)に月(つき)に至(いた)るのみ。
【訳】
先師がいわれた。
「回よ、三月の間、心が仁の原理を離れなければ、その他の衆徳は日に月に進んでくるものだ」
************************************************************************************

 何事であれ、3ヶ月間続けるとそれは習慣になり、何がしかのものになるということを聞いたことがある。「ローマは一日にして成らず」ではないが、コツコツと続けていくうちに、振り返ればそこに長い道ができているということであろう。しかし、「三日坊主」という言葉がある通り、一つのことを根気強く続けるというのは簡単なようでいてなかなかできないものであるのも事実なのだろう。

 私はと言えば、小学生の頃よりコツコツやるタイプであり、長い期間続けるのを苦にしないところがある。むしろ一気にやるよりも少しずつやる方が得意かもしれない。過去には大学受験もこれで宅浪生活を乗り切ったし、不動産会社勤務時代はこれで資格試験をクリアした。1日で10時間勉強するよりも、1日1時間勉強して10日間かける方を自分は選ぶのである。もしかしたら、飽きっぽくて一つのことを長時間続けられないというところがあるのかもしれないが、私はそういうタイプなのである。

 3ヶ月間何かを続けることは、私にとっては実に簡単なことで、それは最初にまず決めてしまうことである。決めたらあとはただひたすら実行するのみ。ただ、「続ける秘訣は無理なことはやらない」ことも事実である。1日1時間の勉強ならできるが、2時間だと少々きついし、3時間だと無理である。無理なく長く続けるのなら、1日1時間と設定する。それだと時間がかかるゆえに、早く着手するのも工夫の一つである。資格試験の場合、落ちたとわかった翌日から再チャレンジをスタートしている。

 体が鈍り、衰えるのが嫌で、平日家に帰ると軽く筋トレをしている。もう10年以上に及ぶ習慣であるが、毎日やっているわけではない。基本は月水金の週3回。これも毎日にすると続かないから、週3回にしたわけで、それでは意味がないと言われそうな気もするが、まったくやらないよりはマシであるはず。今も多少、筋肉が維持できているのは、この筋トレの成果であると信じている。

 どうせやらないといけないことや、やりたいと思うことは「ルーティン化」することだと思う。月水金は帰宅後筋トレをする。勉強するなら1日1時間と決める等々である。朝起きてから出勤するまでの行動をルーティン化するのも別の意味で重視している。毎日の行動を決めてしまえば考えずにできる。朝の通勤電車は読書に集中したいから毎朝同じ電車の同じ車両に乗る。そうすれば、考えずに動けるから、その間脳みそは他の事に集中できる。

 毎朝、同じ電車の同じ車両に乗っていると、「顔なじみ」が出てくる。その人たちも同じ考えなのかどうかはわからない。もしかしたら座れるパターンを会得しているだけなのかもしれない。そうした顔なじみがいつの間にかいなくなる。転勤なのか、出勤時間が変わったのか、そんな観察ができるのもこちらが同じパターンで通勤しているからである。私は、前職でもそうであったが、勤務条件が変わらなければ(あるいはダイヤ改正でもない限り)今の通勤パターンが何年も続くと思う。

 孔子の時代にすでにそんな考え方が浸透していたのだろうかと思うも、それが人間の習性なのかもしれないとも思う。次は何かやろうかとも思うも、帰宅してからの時間を割くのはだんだんと抵抗感を覚えるようになってきた。それではいけないと思いつつ、何か新たに習慣化するようなものを始めてみようかと思うのである・・・


Art DioによるPixabayからの画像 

【今週の読書】
  



2021年11月14日日曜日

プロのあり方

 先日、ある市民ホールでの無料クラッシックコンサートのサポートをしている人の愚痴を聞いた。そのコンサートでは中学生の演奏に加え、プロのピアニストをゲストに迎えたそうである。そのプロのピアニストは、ピアノはスタインベックのピアノを使うとし、当日の調律を要求してきた。ところが低予算のコンサートだからそんな余裕はない。さらに会場の都合で搬入できるピアノは1台だけ。つまりスタインベックを搬入するともう入れられない。すると、前座の中学生も調律済みのスタインベックをプロが弾く前に使う事になるが、プロご本人はこれに難色。これらの対応に知人はてんやわんやなのである。

 知人はブツブツ文句を言っていたが、そもそもプロである以上、自分の演奏の質にこだわるのは当たり前であり、要求はすべてその質を保つものである限り正当だと思えた。しかし、一方でプロである以上、与えられた環境でベストを尽くすのも必要なのではないかという思いもある。「どんな時でもベストパフォーマンスを発揮する」か、「状況に応じて与えられた環境の中でベターなパフォーマンスを発揮する」か。プロに必要なのはどちらなのだろうかと、話を聞きながらしばし妄想に耽った。

 プロと言っても、無料の市民コンサートに呼べるほどであるからまだ無名の人だそうである。「そのくせに」という気持ちが知人にはあるようであるが、私からすれば「それなのに」と思わなくもない。偉くなってから拘るよりも偉くなる前からそういうスタンスを貫いているとも言える。将来そのピアニストが有名になったとしたら、「若い頃からすでに確たるプロ意識を持っていた」と評されるかもしれない。どんなピアニストなのか、会った事もない私にはわかる由も無いが、今の時点で評価するのは時期尚早だろう。

 私の感覚からすると、「現有戦力で戦う」というのが私の主義であるから、スタインベックでなくても、調律をしてもらえなくてもその場の状況に応じてプロとしての演奏をしてみせようとするだろう。それこそ、中学生と同じ環境でその歴然とした違いを素人にもわかるようなパフォーマンスをすることに喜びを見出すだろう。ただ、それは私の考え方であって、もちろんそれこそがプロとしてのあり方だというつもりはない。たとえ無料のコンサートであったとしても、自分のベストな演奏を聴かせるという考え方も正しいと思うからである。

 もしかしたらそのプロのピアニストの方も全部要求が叶えられないなら演奏はしないとゴネているわけではないのかもしれない。できるか否かは別としてとにかく言うだけ言ってみるという考え方かもしれない。現に知人はブツブツ文句を言いながらも調律師の手配はできないかとか、ピアノの搬送問題をなんとかできないかとか、一応あれこれ動いているのである。できるかどうかはわからないが、とにかく実現に向けて動いているわけで、もしかしたら全部できてしまうかもしれない。そうしたら、当日はプロのピアニストによる満足いく演奏が来場したお客さんに披露されるかもしれない。

 もしもそういう結果が実現されたなら、それはそのプロによる拘りが功を奏したと言えるわけである。たとえ無料コンサートであろうと、有料コンサートと遜色ない演奏を披露してみせるというプロの拘りかもしれない。だとすれば、大したプロ根性だと言える。それがプロの望ましい姿なのかもしれない。知人も本来はプロを呼ぶということはそういう事なのだという認識を持つべきなのかもしれない。

 2つの考え方のどちらが正解かと問われれば、どちらとは言えないと思う。そこは考え方の違いで、どちらが正解かという問題ではない。ただ、私の場合は、その場の状況でベストパフォーマンスを目指すという考え方を取るだけである。ビジネスの現場では、「あれがない」「これがない」の連続である。「条件がすべて満たされれば」誰だってできてしまうだろうと思ってしまう。今の会社でも「〇〇が△△だったら良かったのに」と思うことばかりである。そうでないから、知恵と工夫が求められるわけである。

 ビジネスとピアノの演奏とは違うかもしれないが、求めれば叶えられる要求と、ないものねだりしても仕方ないというものの違いはあるかもしれない。しかしながら、今日も明日も「現有戦力で戦わないといけない」状況にある身としては、やはり「今あるものでなんとかする」という信念を大切にして、明日も頑張ろうと日曜日の夜に思うのである・・・


Robert PastrykによるPixabayからの画像 

【本日の読書】