そもそも「決断力」とは、「決断することができる」ことである。これに対する言葉としては「優柔不断」となるだろう。優柔不断は一方で「慎重」という見方もできるわけであるが、それは美化した言い方であり、実態として優柔不断は「慎重」とは相異なり、結局「決断できない」ということに他ならない。どちらがいいのか判断がつかず、迷いに迷って決断ができないだけであり、それは「慎重」とは異なるものである。端からみていれば誠にもどかしい限りであり、これがリーダーであれば実に頼りないと思わざるを得ないものである。
決断力とは、聡明さに支えられた判断力でもあるし、「やってみなければわからない」という類のものであれば、リスクテイクに他ならない。最悪のリスクを見極めて、あとはそれを覚悟で「えいや!」とばかりにやるのである。会社の意思決定であれば、それは社長に属することであるが、社長でなくても自分に与えられた権限の範囲内で決断できることであれば、部課長レベルでもできることである。逆にこれができない人であれば、たとえ最終決定権者である社長になってもできないだろう。
決断力の肝になるのは、リスクをどこまで取るかというリスクテイクであり、それは単なる度胸ではなく、冷静な判断力に他ならない。最悪の事態を想定し、その事態に陥った時にどうするか。それに対処する方法を念頭に置けば、あとは自らの責任で実行するだけである。そうした冷静な判断力が決断力を支えることになる。そしてその冷静な判断力には、もちろん聡明さが求められる。持っている知識によって、リスクに対する対処方法の選択肢が広がるかも知れず、結果としてリスクを軽減できる。リスクを軽減できればリスクテイクもしやすくなる。
そうしたリスクテイク力がすなわち決断力であるが、さらに突き詰めると、その決断力とは、「責任感」でもあると思う。「何かあれば自分が責任を取る」という覚悟である。この責任感が薄いと、「指示待ち族」になる。「間違ったことをして怒られるのは堪らない、だから言われたことだけをしよう」というサラリーマンにありがちな考え方である。「間違えるかもしれない」というリスクを取りたくないから、「間違える心配のない行動」=「指示されたこと」になるわけで、実に簡単な理屈である。
「間違えたら怒られてやろう」という覚悟が取れれば、リスクも取れる。そういう人が決断力があると評価され、昇進する。そうした決断力の積み重ねが、トップへと導くと言える。政治家も同じだと思うが、現代の政治家は人気取りも考えなくてはいけないようだからなかなか難しい。世間の人気を常に気にしながらだと思い切ったことはできにくい。だから支持率が高かったりすると、そういうリスクテイクもしやすくなり、そういう政治家はさらに支持率が上がる。
いろいろと考えてみると、聡明さも多才多能も決断力には繋がるが、最終的に決断できなければ意味はない。聡明さがあってもリスクテイクできなければダメであり、多才多能であっても同様。結局のところ、行き着くところは「決断力」ということになる。自分にはこの決断力があるだろうかと考えてみると、少なくとも優柔不断には思われないくらいにはあるようには思う。過去には優柔不断というか自分の中に判断基準を持っていない上司に仕えて苦労した経験がある。同じ苦労を少なくとも自分の部下にはさせたくはない。独断専行はもっての外だが、必要な決断はきちんとできる上司でありたいと思うのである・・・
Maddy MazurによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
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