上司がAと言ったら「A+B」の仕事をこなさなければならない
(大前研一)
能力の差は5倍、意識の差は100倍
(永守重信)
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それはそれであるが、どちらも「今の自分より高い位置から考えろ」という意味では同じである。一つ上のランクどころか「経営者」となれば、文字通り「トップ目線」という事である。なぜそのようなことが求められるかと言えば、それは記事にあるように「残業せずに働け」という経済的理由ではなく、「サラリーマン根性」からの脱皮という考え方からの理由に他ならない。
サラリーマンは、与えられた仕事をして給料をもらっているが、ともすると「与えられた(言われた)仕事しかしない」という事になりがちである。また、極端な話、成果が出なくても(=何もしなくても)給料がもらえるという立場でもある。
それは通常意識の差となって表れるものであり、それはそのまま働くスタンスにつながる。経営者は成果が上がらなければ、寝ても覚めても真剣にあれこれ考えるだろうが、従業員の立場からすればそこまではしないだろう。
そこからは、もちろん個人の働き方の問題で、どちらがいいという事ではない。東洋経済の記事も、「経営者目線など会社にとって都合のいい精神論」だと主張する。私などは、「プロのサラリーマン」という意識を持っているから、自分が何をなすべきかは会社の立場からも当然考えている。そして意地でも自分に求められる成果を上げようと思っているし、仕事のヒントになることを探して常に意識のアンテナを張っている。だからと言って、「社畜」であると言われる筋合いはなく、言ってみれば、プロのサラリーマンとしての意地である。
もちろん「安い給料でそこまでやってられない」という意見もあるだろう。ただ、大体そういう意見を言う人ほど、「では高ければ高いなりに成果を出すのか」と言うと、そんなことはないだろう。なぜかと言えば、「給料にあわせて成果を出す」などという意識の人間が、成果など出せるわけがないからである。安い給料だろうと、高い意識で仕事をしている人間は、経営者の目に止まり引き上げられるものだし、経営者に見る目がなければ見る目を持つ経営者のところへ出て行ってしまうだろうからである。
結局、「経営者目線」を持つという事は、働く従業員自身のために必要なことだと言える。もちろん、「そこまでしたくねぇよ」という人は別である。「経営者目線」で働いていれば、それが自然と自分自身の働く力となる。どこへ行っても困ることはないであろう。もしも、そういう意識で働いているにもかかわらず、「経営者目線を持て」と言われたら、それは「傍から見るとモノ足りない」というメッセージに他ならない。自分自身が「自分の経営者」と考えて、「経営者目線」を意識するのも良いかもしれない。
それでもまだ、東洋経済の記事にあるように、「従業員目線」で働くというなら別に構わないと思うが、自分はそうはありたくないと思うのである・・・