2022年9月28日水曜日

意識

 心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味。此謂脩身在正其心。…

(こころ)焉(ここ)に在(あ)らざれば、視(み)れども見えず、聴(き)けども聞(き)こえず、食(く)らえども其(そ)の味を知らず。此(こ)れを、身を修むるは其の心を正(ただ)すに在(あ)、と謂(い)う。

『大学』傳之七章

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 せっかくの週末なのに雨とあって、先週末の3連休のうち2日は家に閉じこもっていた。それも嫌いではないのでいいのであるが、シニアラグビーの練習も中止とあって時間も余ったので、録画してあった日本代表の試合を観ることにした。なかなか観る機会がなくてそのままにしてあったものである。試合を観ながらいつの間にか感じていた。それは試合の勝ち負けよりもそこで展開されるプレーの数々が気になってしまう自分である。特にバックスのプレーとなると、場合によっては何度も繰り返しリプレイで観てしまう。録画のいい点である。今のプレーはどういう動きで、なぜ有効だったのかを繰り返し観るのである。


 私の場合、シニアラグビーになってバックスに転向したから余計そういう視線で試合を観てしまう。アタックだけではなく、ディフェンスの動きも気になる。何せ代表プレーヤーのプレーなのでお手本としてはこれ以上のものはない。子供が生まれてから、自らがプレーすることもなくなって、ラグビーの試合の見方はずっと「全体的」な視点であった。フォワードでもバックスでもいいプレーは堪能していた。それはそれでいいのだが、今は完全に「バックス目線」である。そこには自分のプレーに生かしたいという思いがある。


 昔、何かの本で読んだのであるが、たとえば朝、「今日は赤に注目」と決めて家を出る。そしたらとにかく赤い色のものに注意を払う。郵便ポストであったり、赤信号であったり、セブンイレブンの看板の一部であったり。すると、毎日見ていた景色のはずなのに、意外に赤いものが多いと気づくという実験である。それは裏を返せば、視界に入っているのに見ていないということの証でもある。別の実験で、バスケットの試合にゴリラが横切るというビデオの例もあった。治験者は、あらかじめパスの回数を数えろと指示されており、そこに気を取られているとゴリラが堂々と横切っているのに気がつかないというものである。


 最近、髭を伸ばすようになったが、以来、視線が変わっている。先日、久しぶりに大学のラグビー部の先輩に会ったが、その先輩は学生時代から筋金入りの髭男爵。私の視線はいつの間にか先輩の髭に注がれていた。よく見てみると、生え方など意外なところもあることに気がついた。多分、自分が髭を生やさなければ気がつかなかったであろう。ちょうど手入れの仕方とか気になっていたので、よくよく見てみたのである。ずっと見ていたはずなのに、今まで気が付かなかった気づきがそこにはあったのである。


 まさに「心(意識)ここにあらざれば、見えども見ず」ということなのではないかと思う。会社では総務部に所属しているが、経理も統括する総務なので日々伝票や請求書が回ってくる。さっと見て処理を承認するが、時折間違いや要確認や修正などの指示を出す。テキパキとこなせるのは、チェックすべき点を把握しているからで、それでなければ色々な点に気づかない。仕事はともするとルーティーン化して流れ作業になってしまう。たとえ間違っていなくても、「これはコスト削減の観点からやめてもいいサービスなのではないか」と手が止まるのは、意識ゆえである。


 フィギュアスケートを見ていて、解説者がいろいろと説明してくれても私はよくわからない。誰の演技が優れていたかなど、審査結果が出るまでわからないし、出てもわからない。それは演技の見るべきポイントがわからないからに他ならず、ただ演技の全体像を眺めているだけで、専門家が見ているポイントを知らないがゆえである。おそらく大半の人がそうだと思うが、それも見るべきポイントという意識を素人は持っていないためである。


 同じ風景を見ても、絵描きや写真家は普通の人と少し違った視点を持つのだろう。気になる娘については、髪型の変化やちょっとした仕草や表情などに敏感になるのも同じ原理だろう。シャーロック・ホームズが初対面でワトソンをアフガニスタン帰りだと見抜いたのも、名探偵ならではの視点(=意識)があったからである。ことほど左様に意識の有無というのは大きいと思う。あらゆる事にそうした視点を持てばさぞかし愉快だろうと思うが、世の中のことすべてにそんな意識を持つのは凡人には不可能である。されば、少なくともこれと言ったものに限り、そういう意識を持つようにしたいものである。


 「好きこそ物の上手なれ」もこれに近いと思うが、せめて仕事とラグビーくらいはこうした意識を持ちたいと思う。そうした視点を持てているからこそ、今の会社で存在感を認められ、重宝されているのだろうと思う。あらためて、「意識」というのは重要だと思うのである・・・


Stefan KellerによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

  




2022年9月25日日曜日

役員合宿

 転職して1年で役員になった。ありがたいことに私の働きを認めてくれたのである。自分でも少し誇らしいところがある。小さい企業だから役員と言っても大したことはないが、それでも同じ会社の中でも役員になれる人なれない人がいるわけであるから、少しは違うというところであろうと思う。そして最近、「役員合宿」をやろうかという話が社長から出てきている。休みの日にどこかの宿に泊まり込んで1日議論しようというのである。私は迷うことなく賛成している。

 休みの日に仕事仲間で集まるという事は、実は銀行員時代に何度か経験がある。あれはたぶん、56年目くらいの若手時代のことである。支店内の男(総合職)全員が支店の近くの会議室を借り切って朝から議論をした。内容はもう忘れてしまったが、翌期の業績目標達成のための施策についてあれこれ議論したように思う。と言っても、下っ端だったから議論を仕切るでもなく、むしろ聞き役中心で、たまに問われるがままに意見を言うくらいだったと思う。積極的姿勢など皆無で、はっきり言って嫌々ながらの参加であった。

 当時の私は、休みの日はプライベート100%という考え方で、従って休みの日に昔はよくあった運動会だとか、新人歓迎のバーベキュー大会だとかが嫌で仕方がなかった。仕事なんて平日の勤務時間中にやるものだろうと。何が悲しくて休みの日にまで会社の人間と顔を合わせないといけないのだと考えていた。仕事に対する考え方も今とは随分違っていて、金曜日の夜はハッピー、日曜日の夜は憂鬱という日々であった(今は金曜日の夜も日曜日の夜もハッピーだ)

 そんな私がいつの間にか休みの日に積極的に合宿をやろうと言っているのだから、あの頃の私が今の私を見たら腰を抜かすかもしれない。まぁ、遊びたい盛りの若者と落ち着いてしまった中年男との違いは大いにあるだろうが、仕事に対する考え方も随分変わっている。何より、「やらされている」感が100%なくなっていることが大きい。すべて自分から動いているので、自分が必要性を感じる以上、休みの日であろうと関係はないのである。ただ、気になるのはシニア・ラグビーの試合日程との関係だけである。試合は仲間にも迷惑をかけるし、休みたくない・・・

 なぜ、平日にやらないかと言うと、それは「そんな時間がないから」である。そもそも合宿の必要性を感じたのは、役員間での考え方の違いによるもの。考え方の違いそのものはあっても構わないが、正確に言えばよって立つところである。そもそも「取締役とは」という考え方が互いに違っていたら、議論が噛み合わない。それはボクサーとレスラーとが試合をやるようなもので、互いのルールが違うまま同じリングに立っても試合が成り立たない。試合として成立させるためには、まずルール会議を開かなければならない。今回の役員合宿も、言ってみればそのルール会議なのである。

 取締役とは、会社の経営者であり、1人ひとりが社長という意識を持っていないといけない。社長であれば、誰かに指示されて仕事をするのではなく、自ら方向性を決めて指示を出さなければならない。それに社長に仕事の範囲などない。俺は製造出身だから営業なんて知らないなんて言っていたら経営なんてできない。自分でやる必要はないが、責任をもってやらさないといけない。もちろん、取締役として担当分野というのはあって然るべきだが、会社に起こる事象にはすべて関心を持たなければならないのは間違いない。

 ところが、叩き上げの取締役となると、指示されることに慣れてしまって、「決めるのは社長」という意識から抜けられない人がいる。特に部長兼務の取締役となると、思考が部長のままで、自分の部署だけが責任の範囲内という意識から抜けられない人もいる。そうなると、隣の部署が目標達成できなくてもそれは自分の責任ではないという意識になってしまう。それが原因で会社としての目標を達成できなければどうするのか。「経営者としての意識」があれば必然的に「自分の問題」として考えることになる。

 そうしたことは、そもそも目標自体をどう考えるのかとか、3年後に自分達はどうなっていたいのかだとか、そうした「ルール=土台」が共通でないと議論が噛み合わない。同床異夢ならいいが、異床異夢ではダメなのである。そしてそうした土台作りは、とても会議室で12時間の会議で決められるものでもない。トコトンじっくり時間無制限の一本勝負でないとダメであると思う。そういう場は職場の会議室では難しく、やはり合宿のような仕事を気にしない環境が必要である。

 思えば、学生時代に経験したラグビーの合宿は楽しいものであった(大学の場合だが・・・)。合宿と言えば、1日練習漬けで嫌がる者もいたが、私は気に入っていた。死ぬほど練習がキツいといわけでもなかったということもあるが、仲間と同じ空間・時間を共有する一体感が良かったのである。今の会社の役員でどこまで親密にやるかという問題はあるが、まぁ一度はいいかもしれないと思う。少なくとも、銀行員時代の何の主導権もないものと違い、何より主体的に参加できる。他の役員には嫌がられるかもしれないが、結果としてきちんとした土台が作れればそれでいい。

 ちょっと楽しみにしたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

  





2022年9月19日月曜日

深淵をのぞき込む

 ここのところ『時間の終わりまで』という本を読んでいた。著者はアメリカの理論物理学者。大雑把に言うと、宇宙の始まりから時間に関する話、そして生命に関するあれこれといった話なのであるが、この手の話が好きなこともあって、よく関連する本を読んでいる。読んでも果たして本当に理解できたのかどうかは難しいところなのであるが、それでも読まずにはいられないところがある。

 そもそも宇宙はビッグバンによって始まったというのは、一般的によく知られている。しかし、ではそれ以前はどうなっていたのかはわからない。まったくの「無」だったのだろうか。そうだとしたらまったくの「無」からどうしてビッグバンが生じたのだろうか。ビッグバンというのはかなりのエネルギーの爆発(という表現が正しいのかわからないが・・・)だと思うが、いきなり「無」から生じるのか、それともそれ以前に何かがあったのだろうか。

 クリスチャンならそこに旧約聖書を持ち出して、「神が光あれと告げたから」ということで納得するのかもしれないが、実に不思議でたまらない。話は量子物理学の世界にも及び、そこでは粒子の話になるのであるが、そもそもそういう粒子はどうやって生まれたのだろうかと不思議に思う。おおよそこの世の物質はすべてミクロの世界では原子から成り立っているというが、そういう原子や物質そのものはどうやって生じたのだろうか。科学は恒星や惑星の成分は分析してみせるが、どうして物質が生じ、それが集まって恒星になり、惑星になるのかは明らかにしてくれない。

 地球に目を転じると、無機物の集まりの中からどうして有機物が生まれ、生命が誕生したのかも不思議なこと。いろいろと説明はしてくれるが、そこには結局、これでもかという奇跡の積み重ねによる結果であり、『生命の謎 ドーキンス「盲目の時計職人」への反論』という本では、とうとうそれを「神の御技」としてしまっている。考えてみれば、今この瞬間、自分自身が存在し思考していることすら不思議なこととしか思えない。我々は「自分の意志」で生きることができないのである。

 本はさらに先に進み、宇宙の終わりをも語る。「ビッグリップ」というそうであるが、ビッグバンからおよそ1,000億年後だそうであるが、1,000億年という時間単位も想像の範囲を超えてしまう。人類(ホモ・サピエンス)の歴史だって10万年くらいだろうから、まるでスケールが違う。ましてや1人の人間などせいぜい80年ちょっとであるから、想像すらできない時間感覚である。それに時間の進み方は一律ではないとされているので、もう何を基準にしていいのかもわからない。

 こうしたことは、著者のような専門の学者さんが日夜研究しているのであり、我々一般人はその恩恵にあずかるしかない。しかし、私ならもしもそんな専門家になっていたら、気が変になっていたかもしれない。確か映画『アビス』で知った言葉であるが、「深淵(Abyss)をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」というのがある。ニーチェの言葉らしいが、そんな果てしのない世界を覗き込むと、そこに落ちていってしまいそうな感覚になる。

 そんな「深淵」などのぞき込まないのが一番である気もする。そんなことなど考えなくとも日常生活は送れるし、何も困らない。しかし、のぞき込みたくなるのが人間なのではないかと思う。この世の始まりはどうやって起こったのか、は誰でも疑問に思うだろう。昔の人はそれを神様に集約した。この世の不思議はすべて神様にお任せできたのは、ある意味幸せだったのかもしれない。しかし、今や神様の領域は随分と縮小してしまったし、「深淵」をのぞき込んでしまった以上は仕方がないと思う。

 それにしても宇宙の果てはどうなっているのだろうとやはり思う。それがわかる日がいつかくるのであろうか。宇宙の広さは「観測可能な」範囲で半径約465億光年だそうである。人類が火星まで行くのに約8ヶ月かかるそうだが、光の速さだと13分。その光でさえ465億年かかる広さって一体何なんだと思う。まさに「果てしない」としか言いようがない。始まりだ果てだ、終わりだと言っても、想像が及ばないのも無理はないかもしれない。

 もしもこの世を創造されたのが神様であるのなら、広大な宇宙のほんの片隅の小さな惑星に暮らす人間のことなど気にもしないのではないだろうかと思う。それは我々が自分の体の細胞のことなど気にもとめないのと同じである。そう考えると、神頼みなどしてもやはり意味はないと思う。「神仏は尊ぶが神仏に頼らず」という宮本武蔵の精神はやはり有効である。

 たまにはこうやって「深淵をのぞき込む」のもいいのではないかと思う。そうして一晩寝たら、また明日から現実に足をつけて仕事を頑張ろうと思うのである・・・


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【本日の読書】

 


2022年9月14日水曜日

論語雑感 雍也第六(その24)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「齊一かはいたかはいた道。」

【読み下し】

いはく、せいひとたびかはらば、いたらむ、ひとたびかはらば、みちいたらむ。

【訳】

先師がいわれた。

「斉が一飛躍したら魯のようになれるし、魯が一飛躍したら真の道義国家になれるのだが。」

『論語』全文・現代語訳

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 ここでは「斉」と「魯」という二つの国が採り上げられる。内容からすると、道義国家とは孔子が理想的と考える国家であり、魯はもう一飛躍すればそこに至る国。そして斉はもう一飛躍すれば魯のようになれる国というようである。それぞれがどんな国だったのか興味深いが、ここではわからない。だが、一体どんな国が孔子は良いと考えたのだろうかと思う。


 そもそも私はあまり「理想の国」的な考え方を持たない。だから孔子がどんな国を道義国家と考えたのかはわからないが、そうしたものを考えない。なぜなら、国のように多くの人が住む以上、そこには善人もいれば悪人もいる。道義国家がどんな国家であろうと同じであり、そこには道義的な人もいればそうでない人もいる。非道義的な振る舞いを受けた人にとっては、そこは道義国家とは言えないだろうと思う。そういうものだろう。


 我が国も世界の中ではいい国だと思う。日ごろ暮らしているとわからないが、海外との比較では治安はいいと言われているし、落とし物が届くとか、自動販売機が壊されないとか、我々には当たり前だと思うことが当たり前でない国があるのだから、それはいい国なのだろう。しかし、そんないい国でも、格差が問題になったり贈収賄があったり、もちろん殺人事件なども普通にある。「いい国」と言ってもそれは「相対的に」という但し書きがつく。


 私は昨年会社を首になったが、それは社長が1人で会社を売却してしまったため。従業員も皆首になったが、雀の涙の退職金が支払われただけで、社長は億単位の金を1人手にして悠々自適のリタイア生活を送っている。赤字会社を立て直したのは私であるが、そんな貢献度は無視されてしまった。道義的には問題行為であるが、法律には触れていないため、社長が罪に問われることはない。みんな泣き寝入りである。


 法律がすべて正しく機能し、正義と悪とを分かてればいいが、そうではない。人の数だけ正義があり、だから裁判所に裁判が絶えない状態になる。道義と言っても結局は本人が道義的だと思っていれば、それを判定する仕組みはない。おそらく孔子の時代もそうであっただろう。そしておそらく孔子も「絶対的な道義国家」など意図しなかっただろう。「より道義的な」国という意味だったであろうことは想像できる。


 すべては相対論ではあるが、だからダメとは思わない。やはり「よりいい国」はあり、そういう国に住みたいと思うし、我が国はそういう「よりいい国」であると思う。朝、いつも同じ時間に家を出ると同じ時間の電車に乗れるし、同じ車両に乗っていれば顔見知りもできてくる。隣の駅で降りる人を覚えたので、いつも一駅乗った後に座って通勤している。毎朝同じ時間に苦もなく出勤できる。それは我々日本人が「概ね」真面目に働いている結果である。


 外出時に特に警戒しなくても安全に暮らしていられるのも「概ね」みんな平和に暮らしたいと思って他人に迷惑をかけないようにと心掛けている結果であろう。元首相が白昼堂々射殺されるという物騒な事件が起こったりするが、それでもそれは日常の一コマではなく、異例な出来事である。そういう比較的相対的にいい国に住むためには、生まれただけではダメで、そういう国を維持しようとしないといけない。それは「誰かが」ではなく、「自分が」である。自らそういう風に振る舞わないといけないと考えている。


 「非道義的なことをされたから自分も誰かにそうする」ではなく、せいぜいそれは「目には目を」に止め、他人には常に道義的に振る舞い、お年寄りには席を譲り、エレベーターでは最後に降りる。ささやかながらそういう一人一人の積み重ねが大事であろうし、自分もそういう一隅を照らしたいと思う。理想の国家も大事だが、それを求めるのであればまず我が振る舞いよりと思うのである・・・


Michael SiebertによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 





2022年9月11日日曜日

100年

 我が母校の大学のラグビー部は今年創部100周年を迎えた。先日、それを祝う式典があり、日頃OB総会などにはとんとご無沙汰している私も参加してきた。「100年に一度、すなわち一生に一度」という誘い文句に誘われたところもあるが、自分の居場所の一つでもあるから大事にしたいという思いもある。我が部の創部は関東では4番目の古さであり、実力的には強豪校の足元にも及ばないが、歴史だけは肩を並べているのである。何か一つでもそういうものがあると誇らしく思うものである。

 100年前と言えば大正11年。イギリス発祥の紳士のスポーツであるラクビーなどほとんど誰知るというスポーツだっただろう。それをやろうと言って仲間を集め、部を創ったわけである。練習はできても試合相手は3校しかないわけであり、当時どんな様子だったのか想像もできない。そもそもコーチなんかいなかっただろうし、ルールブック片手にいろいろと試行錯誤したのかもしれない。やがて続々と各大学にラグビー部が創設され、「対抗戦」が始まる。当時は「優勝」なんて概念もなく、ライバル校との「定期戦」が晴れ舞台であったという。

 以来、100年。連綿と後輩たちに受け継がれて本年を迎える。今は鬼籍に入った創部メンバーの先輩たちはこれを知ったらどう思うだろう。私が入部したのは1984年。創部から62年が経っているが、当時はあまりそんな歴史認識は持っていなかった。年配のOBがたくさんいるなという程度である。関心と言えば自分達の成績がすべてであり、夢中になって4年間を過ごした。今は人工芝に覆われたグラウンドだが、人工芝の下の土の地面には私の汗と思い出とが染み込んでいる。部室には私が使っていたロッカーが今でも使われている。

 時間が経てば100年経つだろうというのは、実は大いなる過ちである。部員が減れば試合ができなくなるし、当然廃部という危機も訪れる。創部メンバーに続いて入部者がいて、それが途切れることなく続いたからこその100年である。特に我が母校は国立大学ゆえに推薦というものがなく、すべて試験に受からなければならないという「壁」がある。私の高校からは、私以降入部者がいない。受験した後輩はいたのであるが、残念ながら合格できずに終わり、「壁」に阻まれてしまった。そうした「壁」を突破した者が続いた末の100年なのである。

 まず試験を突破しなければならないという壁があり、次にラグビーをやろうという意志がないといけない。実はせっかく壁を突破しても、高校でラグビー経験があるにも関わらず、同好会に流れてしまう学生も多い。それはそれで個人の趣味であるから文句は言えないが、体育会に入ってまでやりたいと思わないのは残念である。私も早慶明といった強豪校に入学していたら、多分体育会ではやらなかっただろうから、なんとなくその気持ちはわからなくもない。だが、強豪校とは違った良さもあり、それを知っているからこそ残念にも思う。

 強豪校には、高校の強豪校から猛者たちが集まる。私など経験者といってもレベルが違うし、もしも入部したなら、大学時代のすべてをラグビーだけに集中しないとついていけない。そこまで大学生活のすべてを注ぎ込みたくはないという思いもあり、強豪校に行ってもラグビー部の門は叩かなかっただろう。我が母校はその点、程よいレベルだったと言える。逆にだからこそ初心者でも気楽に入れてレギュラーを目指せるというのも我々の特色でもあると言える(もちろん、強豪校に初心者で入ってレギュラーになる猛者もいるが・・・)

 4年間など振り返ってみればあっという間であった。それ以後のOB生活は34年に及ぶ。もはやOBが主であると言っても過言ではない。式典には特に誘い合う事もなく赴いたが、そこで顔を合わせたのは久しぶりに会う先輩後輩と同期の面々。友人の少ない私だが、ここではあちこち声をかけるのに忙しい。来賓の中には高校のラグビー班のOBもいた。昨年70周年を迎えた高校のラグビー班もまた歴史のある存在である。どちらも自分の居心地の良い居場所であり、そういう居場所があるのが何よりも自分の喜びである。

 少子高齢化が深刻な世の中であり、これからも150年、200年と存続していくのかは不安に思うところである。たとえ続いたとしても150周年の記念式典には私はおそらく出られないだろう。式典でもらった100周年記念史にはしっかり自分の名前があった。自分は間違いなく、100年の歴史の1ページに名前を連ねている。そう思うと感慨ひとしお。それは私の2度とは経験できない4年間の証である。

 後輩たちはライバル校の中で苦戦を強いられている。昨年は全8校中の7位という成績であった。一つでも上を目指して欲しいと思いつつ、2度とは経験できぬ4年間をしっかり堪能して欲しいと思う。いつまでも歴史が続いていくのをOBの立場から応援したいとつくづく思うのである・・・


Forest WhiteによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

 



2022年9月8日木曜日

円安

 円安が止まらない。ついこの間、130円を突破なんでやっていたと思ったら、とうとう140円を超えてしまった。一体、どこまで行くのだろうかと興味はそそられる。それにしても、記憶の中には、過去1ドル80円を超えて円高になった時にも、大騒ぎしていたことがある。円高の時も大騒ぎしていたし、今回の円安もまた大騒ぎしている。「大変だ」というマスコミの論調はどちらも同じ。一体、円安と円高、どちらがいいのだろうか、そしてどちらが悪いのだろうか。

 そもそもであるが、円高になれば海外のものが安くなる。円安になればその逆。となると、海外から物を買う人は円高が良くて、海外に物を売る人にとっては円安がいいということになる。逆に海外から物を買う人は円安は悪く、海外に物を売る人は円高が悪いとなる。なんのことはない。円高の時は海外から物を買う立場で「大変だ」と言い、円安の時は海外に物を売る立場で「大変だ」と言っているに過ぎない。「大変だ」と言えば、ニュースらしくなる。つまりマスコミが適当に騒いでいるということに他ならない。

 円安で輸入に頼る石油や天然ガスが割高になる。ただでさえ戦争の影響で価格が上昇傾向にあるからダブルパンチである。しかし、逆に輸出している企業は潤っているわけである。我が社でも先日、銀行とのお付き合いで導入していたドル建ての仕組み債が償還期を迎えたのであるが、想定以上の円安で思わぬ為替差益が出た。個人でも外貨建ての保険に加入しているが、ドル建ての解約返戻金の評価額は大きく上がっている。その分、保険料は高くなっている(ドルベースでは定額だが円換算額が引かれるのである)が・・・

 この円安下でホクホク顔の人たちはいるが、そういう人の笑みを載せてもニュースにはなりにくい。だから、円安で打撃を受けている分野を取り上げて、「大変だ」とやっているわけである。それが証拠に今度また円高に触れたら、そこでまた「大変だ」とやるだろう。もうだいぶ前からマスコミのニュースなど斜めからしか見ていないからそんな冷めた目で見られるが、日経新聞をまじめに読んでいるサラリーマンは注意しないといけない。冷静にいい悪いではなく円安を捉えないといけない。

 では、そんなマスコミのことなど無視して、日本にとって果たして円安と円高はどちらがいいのだろうか。これは正直言って、その人の立場によるだろう。海外から物を輸入する仕事をしている人なら円高がいいし、輸出しているなら円安がいいとなるだろう。実に明快である。日本全体にとってもどちらがいいとは言いにくいように思う。ただし、個人的にははっきりしていて、私は「円高信者」である。円安より円高がいいという考えは昔から変わらない。

 なぜそうかと問われれば、「国の通貨が高く評価されるのが悪いわけがない」と思うからである。実にシンプルである。海外旅行に行った時は、円高だと割安になる。お土産も余分に買える。円安より円高の方がいいに決まっている。円安になったら国内で過ごし、円高になったら出かけて行くという風にしたいものである(と言ってもここ10年近く海外に行く機会がないが・・・涙)。円安は国の通貨が安くなってしまっているわけであり、今の「大変だ」の方が本来は正しいのである。

 というわけで、本来正しい円安危機に晒されている現在、何より物価の値上がりは深刻である。いつも買っていた近所のお弁当まで値上がりし、サラリーマンの乏しい財布は大打撃を受けている。それで物価も上昇しているが、「デフレが問題」と称して「2%のインフレ誘導」と言っていた日銀の見解はどうなんだろうと思う。こういう形の物価上昇は満足なのだろうか。個人的には「デフレの何が悪い」と思っていたから、物価の上昇はとんでもないという一言に尽きる。

 日本経済にとってどうだとかは関係ない。マスコミに踊らされることなく思うことは、個人としてはあくまでも「円高、デフレ」歓迎である。その両方に反する現状は、やはり早く改善されてほしいとつくづく思うのである・・・




【本日の読書】

 



2022年9月4日日曜日

仕事はなぜ辛いのか

 ビジネスマンも50代後半となると、そろそろ「定年後」を考え始めるようになる。もっとも、私もそうであったが、もっと早くから考え始める人も当然いる。先日、大学時代のラグビー部の集まりがあったが、誰彼ともなくそんな話題となった。大企業に勤める者は60歳で定年となり、65歳まで雇用は保証してくれるものの、給料はガクンと落ちる。今相当もらっているという関係もあるが、年収が1/5になる者もいる。当然、そこからどうするとなる。

 外資系企業の社長をしている者は、60歳でキッパリ辞めるという。収入も十分もらっているし、あとはその時ゆっくり考えるという。再雇用制度を利用して嘱託社員になるしかないという者もいるが、仕事は面白くなくて本音は辞めたいと語る。贅沢と言えば贅沢であるが、本人にすれば切実な悩みなのであろう。そんな中で、私も定年後のことを聞かれた。否、「いつまで働きたいと考えているのか」と問われ、「70歳まで」と日頃考えている通り即答した。

 私は幸いにして、今の会社で役員に昇格したので、定年による年収ダウンはない。働きが悪ければもちろんクビになるが、とりあえずは大丈夫であろう。あとは会社がきちんと存続するかであるが、それは頑張るしかない。それはともかく、70歳まで働きたいと思うのは、収入面の問題(何せ住宅ローンは70歳まで続く)もあるが、たとえ十分な蓄えがあっても、やはり働きたいと思うだろう。それは働くことは、収入だけではなく、何かをやろうとする時、仕事ほど刺激に溢れるモノはないと思うからである。

 現在も会社では次々に生じる問題にどう対処するかで満ち溢れている。ちょうど決算期にあたるが、来期の事業計画はどうするか、役員間での意見の不一致や社員のモチベーションアップ、営業戦略等々問題は山積している。仕事とはこうした問題を解決していく連続だと考えているので苦にはならないが、まるで問題のモグラ叩きにいささか閉口しているのも事実。すべて思い通りに行ったら仕事もさぞや楽しいだろうと思うが、思い通りにいかないのが仕事でもある。

 仕事が辛い、あるいはつまらないというのは、考えてみればそれが自分の好みに合っていないからに他ならない。学校の勉強もそうだが、人間嫌なことをやらされるのは誰でも苦痛である。だが、勉強でも仕事でも面白いと思っている人間がいるのも事実。だから「やりたいことを仕事にしよう」などという意見が出てくる。それはその通り。仕事をやりたいことと一致させれば、仕事は辛いこと、つまらないことではなくなる。生活のために仕方なくやるモノではなくなるから仕事も楽しくなる。

 しかし、誰もがそういうやりたい事を仕事にできるはずもない。先日の集まりでも昔話で就活時の話になったが、当時は真剣に考えいるつもりでも今から思うといい加減だったと思う。学生の限界でもあるが、そんな学生が「やりたい事」を仕事に選ぶのはかなり難しい。かくいう私も、最初は仕事を好きになれなかったのも事実である。されどそんな私も、いつの間にかやる仕事を好きになることを覚えてからは変わったと思う。と言うより、正確に言えば、「与えられた仕事を好きなようにやる」あるいは「与えられていなくてもやりたければやる」ようにしてからだと思う。

 今の会社では総務部の部長という役職を与えられていて、そのメインの仕事は財務である。日々の会計記帳をチェックしたり、銀行と交渉したり、計画と実績をまとめてフォローしたりという仕事を与えられたが、今はそれにとどまらず、今までなかった経営計画を作ったり、役員会議のやり方を改めたり、誰も手を出していなかった人事の仕事に手を広げたり、総務の仕事も気がつくそばからどんどん変えたりしている。営業の話にも現場の話にも顔を突っ込んで意見を述べている。

 そうして気がつけばいつの間にか頼られる存在になって、役員にも引き上げられた。仕事は問題のモグラ叩き状態であるが、それを片っ端から叩いている。モグラ叩きも考えようによっては、叩いても叩いてもモグラが顔を出すという嫌なモノであるが、それをゲームにしているから楽しいのである。仕事もそんな感じでやっているから、大変ではあるが楽しくもある。できればずっと続けていきたいし、できれば役員報酬ももっともらいたい。もっともらうためにはそれなりの実績を出せばいいだけで、このモグラ叩きはお金をもらえる楽しいゲームである。

 みんなの話を聞きながら、ようは考え方次第だと改めて思う。60歳でリタイアできるほど高収入を得ているのは羨ましい限り。されど人を羨んでも仕方がない。自分は自分が置かれた環境の中で、楽しんで働くしかない。悠々自適の生活には程遠いかもしれないが、働かざるを得ない現役生活も悪くはないと思う。明日からまた仕事。憂鬱な日曜日の夜とは無縁の生活。楽しい1週間をまた迎えたいと思うのである・・・


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【今週の読書】

 



2022年9月1日木曜日

論語雑感 雍也第六(その23)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】

子曰、「智者樂水、仁者樂山。智者動、仁者靜。智者樂、仁者壽。」

【読み下し】

いはく、さとものみずよろこび、よきひとなるものやまよろこぶ、さとものうごき、よきひとなるものしづかなり。さとものよろこび、よきひとなるものいのちながし。

【訳】

先師がいわれた。

「知者は水に歓びを見出し、仁者は山に歓びを見出す。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽み、仁者は永遠の中に安住する。」

『論語』全文・現代語訳

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二つの相対立するものを比べて論じるのはよくあること。ここでは知者と仁者が比較されている。どちらがどうかというのは判断がつかない。知者は知者でいいと思うし、孔子一押しの仁者も然り。どちらが優れているというより、ここでは相異なる両者という意味で捉えたいと思う。水と山、動と静の比較はよくあること。さらにその場の楽しみと細く長く生きるという対比なのだろうか。

 

それにしても、知者と言えば、どちらかと問われれば知者こそ静のイメージがある。落語でも慌てものは「大変だ、大変だ」と騒ぐが、知恵のある御隠居は落ち着いている。知恵のないものは体を動かす方が優先で、知恵者は落ち着いている。静かなのは知者の方だと思うが、孔子がどういう意味で言ったのか、興味のあるところである。ひょっとしたら「智者」には今とは異なった意味があったのかもしれない。その真偽は学者ではないのでわからないが、ここではこのまま受け入れるとする。

 

静と動。自分はどちらだろうかと考えてみるも、すぐに答えは出ない。個人的には静かな性格で、あまり騒ぐのは好きではない。何か大変な事態が起こっても、多分あたふたするよりどうするかじっくり考える方である。過去の実体験でも意外と自分はジタバタしない人間だとわかっている。総じて、自分としては「静」の方だろうと思う。しかし、シチュエーションによっては異なると思う。

 

例えば山で遭難したとする。じっと静かに助けを待つか、自力で活路を見出すかの判断を迫られる。その場合、自分だったら、基本的に動く方を選ぶと思う。じっと誰かの助けを待つより、自助を選ぶのが私の性格である。しかし、それが雪山なら動き回るよりじっと待っているだろう。無駄に動けば体力の消耗を招くことになる。飛行機が砂漠に墜落した場合など、どう考えても自力ではどうにもならないとなれば静かに助けを待つが、そうでなければ基本的に自ら動くと思う。どちらのタイプかと問われれば、自分は静よりも動の人間であると思う。

 

しかし、だからと言って自分は活動的な人間だとは思わない。休みの日にはラグビーの練習に出かけて行って汗を流しているが、基本的に家で過ごす方が好きである。何も予定のない休みだと至高の喜びを感じる。だが、若い頃は、「休みの日に家にいるなんて信じられん」と考えていた。休みの日に何もすることがなくても、部屋に閉じこもっているということはなく、あてはなくともとにかくどこかへ出かけていた。だが、今はどこかへ出かける必要がなければ喜んで家にいる。もしかしたらそれは年齢による体力の劣化、および嗜好の変化なのかもしれない。

 

最近、会社で新卒採用に利用する会社のプロモーション・ビデオの制作を依頼した。相手は創業から間もない若い会社。社長も当然若い。熱意がこちらまで伝わってくるセールスで、こちらにも需要があったのでお願いすることにした。メール連絡でも返信は早いし、勢いを感じる。自分にはとても真似ができない。だが、事業が順調に推移して会社もそこそこ大きくなって軌道に乗ったら、多分今のエネルギーは衰え、静かな巡航速度に移るのだろうと思う。

 

実家で飼っている猫も、子猫の時はとにかく忙しく家の中を駆け回っていた。じゃらしたりすると大変で、目を見開いて追いかけていたが、年老いた今はじゃらしても見向きもしない。反応してもせいぜい「お付き合い」程度である。猫も歳をとれば動かなくなる。年齢による静から動への変化は自然の摂理でもある。そう考えると、自分も年齢を経て静へと変化しているのかなとも思う。

 

孔子の唱えた知者も、きっと歳を取れば活動的ではなくなるだろう。水よりも山を好むようになるだろう。知者だから、仁者だからというのは、少なくとも今の文脈では当たらないと思う。基本的に静だとは思うが、必要に応じては動の人間になる。自ら進んでということはないが、仕事や人間関係の必要に迫られればそうなるだろう。強いて言えば、柔軟対応だろうか。それが一番しっくりくる感じがする。とは言いつつも、週末に雨ならば、程度によってラグビーの練習も中止になる。それはそれで嬉しかったりする。雨が降っても晴れても、静と動を使い分けて楽しむのが自分という人間であると思うのである・・・


MustangJoeによるPixabayからの画像 


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