心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味。此謂脩身在正其心。…
心(こころ)焉(ここ)に在(あ)らざれば、視(み)れども見えず、聴(き)けども聞(き)こえず、食(く)らえども其(そ)の味を知らず。此(こ)れを、身を修むるは其の心を正(ただ)すに在(あ)り、と謂(い)う。
『大学』傳之七章
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せっかくの週末なのに雨とあって、先週末の3連休のうち2日は家に閉じこもっていた。それも嫌いではないのでいいのであるが、シニアラグビーの練習も中止とあって時間も余ったので、録画してあった日本代表の試合を観ることにした。なかなか観る機会がなくてそのままにしてあったものである。試合を観ながらいつの間にか感じていた。それは試合の勝ち負けよりもそこで展開されるプレーの数々が気になってしまう自分である。特にバックスのプレーとなると、場合によっては何度も繰り返しリプレイで観てしまう。録画のいい点である。今のプレーはどういう動きで、なぜ有効だったのかを繰り返し観るのである。
私の場合、シニアラグビーになってバックスに転向したから余計そういう視線で試合を観てしまう。アタックだけではなく、ディフェンスの動きも気になる。何せ代表プレーヤーのプレーなのでお手本としてはこれ以上のものはない。子供が生まれてから、自らがプレーすることもなくなって、ラグビーの試合の見方はずっと「全体的」な視点であった。フォワードでもバックスでもいいプレーは堪能していた。それはそれでいいのだが、今は完全に「バックス目線」である。そこには自分のプレーに生かしたいという思いがある。
昔、何かの本で読んだのであるが、たとえば朝、「今日は赤に注目」と決めて家を出る。そしたらとにかく赤い色のものに注意を払う。郵便ポストであったり、赤信号であったり、セブンイレブンの看板の一部であったり。すると、毎日見ていた景色のはずなのに、意外に赤いものが多いと気づくという実験である。それは裏を返せば、視界に入っているのに見ていないということの証でもある。別の実験で、バスケットの試合にゴリラが横切るというビデオの例もあった。治験者は、あらかじめパスの回数を数えろと指示されており、そこに気を取られているとゴリラが堂々と横切っているのに気がつかないというものである。
最近、髭を伸ばすようになったが、以来、視線が変わっている。先日、久しぶりに大学のラグビー部の先輩に会ったが、その先輩は学生時代から筋金入りの髭男爵。私の視線はいつの間にか先輩の髭に注がれていた。よく見てみると、生え方など意外なところもあることに気がついた。多分、自分が髭を生やさなければ気がつかなかったであろう。ちょうど手入れの仕方とか気になっていたので、よくよく見てみたのである。ずっと見ていたはずなのに、今まで気が付かなかった気づきがそこにはあったのである。
まさに「心(意識)ここにあらざれば、見えども見ず」ということなのではないかと思う。会社では総務部に所属しているが、経理も統括する総務なので日々伝票や請求書が回ってくる。さっと見て処理を承認するが、時折間違いや要確認や修正などの指示を出す。テキパキとこなせるのは、チェックすべき点を把握しているからで、それでなければ色々な点に気づかない。仕事はともするとルーティーン化して流れ作業になってしまう。たとえ間違っていなくても、「これはコスト削減の観点からやめてもいいサービスなのではないか」と手が止まるのは、意識ゆえである。
フィギュアスケートを見ていて、解説者がいろいろと説明してくれても私はよくわからない。誰の演技が優れていたかなど、審査結果が出るまでわからないし、出てもわからない。それは演技の見るべきポイントがわからないからに他ならず、ただ演技の全体像を眺めているだけで、専門家が見ているポイントを知らないがゆえである。おそらく大半の人がそうだと思うが、それも見るべきポイントという意識を素人は持っていないためである。
同じ風景を見ても、絵描きや写真家は普通の人と少し違った視点を持つのだろう。気になる娘については、髪型の変化やちょっとした仕草や表情などに敏感になるのも同じ原理だろう。シャーロック・ホームズが初対面でワトソンをアフガニスタン帰りだと見抜いたのも、名探偵ならではの視点(=意識)があったからである。ことほど左様に意識の有無というのは大きいと思う。あらゆる事にそうした視点を持てばさぞかし愉快だろうと思うが、世の中のことすべてにそんな意識を持つのは凡人には不可能である。されば、少なくともこれと言ったものに限り、そういう意識を持つようにしたいものである。
「好きこそ物の上手なれ」もこれに近いと思うが、せめて仕事とラグビーくらいはこうした意識を持ちたいと思う。そうした視点を持てているからこそ、今の会社で存在感を認められ、重宝されているのだろうと思う。あらためて、「意識」というのは重要だと思うのである・・・
Stefan KellerによるPixabayからの画像 |
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