2013年5月26日日曜日

コミュニケーション・ギャップ

橋下氏、米軍司令官に「風俗業活用を」 沖縄・普天間
(朝日新聞) 2013年05月13日 21時12分

 日本維新の会の橋下徹共同代表は13日夕、今月初めに沖縄県の米軍普天間飛行場を訪問した際、司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と進言した、と明らかにした。市役所で記者団に語った。

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 先週は橋下さんの発言を巡っての騒動があった。橋下さんについては、特段どうこうという感情はないものの、いろいろな事を感じさせた騒動であった。そもそもであるが、米軍の普天間基地を訪問した際、司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と進言したそうであるが、もの凄く大胆な発言だ。風俗と言えば、明るい所で語るには相応しくない話題。政治家が、米軍の司令官に向かって言うなんてなかなか度胸があるところだ。

 沖縄駐留の米兵が乱暴狼藉を働く事はしばしばニュースになっている。聞くところによると、沖縄に限らず、米軍内での強姦等の事件は山のように起こっているらしい。自衛隊ならともかく、いつ死ぬかわからない米軍の場合、そもそも兵隊になろうなんて志願してくる人は、お金に困った若者が多いそうで、とてもではないが紳士とは言えない荒くれ男たちばかりなのだそうで、それは当然の帰結なのだろう。

 そんな男たちを命令で押さえつけようとするより、発散させた方が良いというのは、実はもの凄く合理的な考え方だ。ツイッターで橋下さんの弁明を読んでいたが、さすが弁護士だけあって、その主張にはきちんと筋が通っていた。それに対する反論はと言えば、概ね感情論が強かったようである。

 「理論」と「感情」が衝突した場合、双方ともに噛み合う事はなく、当然きれいな解決などあり得ない。ロジックでいくら正しくとも、やはり白日のもとに晒す内容ではない。風俗を「性的なエネルギーを合法的に解消できる場所」と橋本さんは説明していたが、そもそも例えばソープランドが合法的かと言えば、明らかに違法だ。

 売春が違法行為である事は自明の事だし、ソープランドで行われているサービスは男ならみんな知っている通りであるから、改めて議論するまでもない。言ってみれば、憲法上の都合で軍隊を自衛隊と言っているのと同じ事である。必要悪と認められているから、警察なども暗黙の了解で目を瞑っているだけなのだ。それを“合法”だと堂々と言うのはおかしな事だし、そもそも良識ある人なら、フォーマルな食事の席で下ネタなど持ちださない。内容は正しくとも、公の場で言う事ではなかったという意味で、橋下さんの負けだろう。

 それにしても、それに対する感情論には辟易するのも確か。橋下さんも「慰安婦制度じゃなくても風俗業は必要だと思う」なんて、「慰安婦」などという禁断の言葉を使うから、よけいなところからの反発も招いていた。慰安婦問題こそ、理論対感情論の衝突の見本のような問題。いくらロジックを重ねてみたところで、感情論には通用しない。

 「お前には理屈ではかなわない」と親に匙を投げられている私。親と議論をし、いくら丁寧に順を追って自らの考えを主張しても、両親は納得しない。「理屈ではかなわない」という事は、「筋が通って正しいから」と考える私に対し、両親は「頭が悪いから正しい自分の考えを説明できないだけ」と考える。橋本さんの怒涛のようなツイッターの主張を読んでいて、いくら正論を吐いたところで通用しないだろうなと感じてしまったのも、そんな自らの体験からくるものである。

 そう感じるなら、自分も親に対する接し方を変えれば良いと、頭では理解できる。だが、そのためにはどうしたらよいのだろうかと、「筋道を立てて」考え始めている。だからなのだろう、いつも両親は私に対して不満気だ。「理解してから理解してもらう」というスタンスが必要なのだろうが、まだまだ修行が足りないようである。

 今日もまた不毛な議論をしてしまい、自己嫌悪に陥っている。コミュニケーションって本当に難しいと思うのである・・・

【今週の読書】

星野リゾートの教科書 : サービスと利益両立の法則 マーケティングの教科書  天空の蜂 (講談社文庫 ひ 17-19) - 東野 圭吾





2013年5月19日日曜日

結婚の形

 いつも拝見しているブログ「Chikirinの日記」に、<婚外子の比率の変化>という数字が示されていた。これは、「全出生数に占める、婚外子の出生数比率」、すなわち「結婚していない母親から生まれた子供の比率」の国際比較である。「Chikirinの日記」の趣旨とは離れてしまうが、この数字を見ていていろいろと考えてしまった。

スウェーデン  39.7% → 54.7%
フランス    11.4% → 52.6%
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イギリス    11.5% → 43.7%
オランダ    4.1% → 41.2%
米国      18.4% → 40.5%
ドイツ     15.1% → 32.1%
スペイン    3.9% → 31.7%
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カナダ     12.8% → 27.3%
イタリア    4.3% → 17.7%
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日本      0.8% → 2.1%

 この表を単純に見ると、スウェーデンやフランスでは、子供二人のうち一人は未婚の母、今風に言えばシングルマザーの子供であるという事である。日本の感覚から言うと、想像するのは難しい。

 もっともよくよく定義を確認すると、「結婚していない母親」とあるだけで、「未婚の母」ではあるけれど、「シングルマザー」ではないかもしれないと気がつく。「両親とも揃って家族で暮らしているが、両親は(法的に)結婚していない」という状況も含まれているだろうからである。そうなると感覚的には少し近くなる。

 日本でも同棲は珍しくないが、それでも同棲していて子供が出来たら、自然と結婚となるだろう。「デキ婚」という言葉がある通り、日本的感覚では、「子供ができたら結婚する」というのは若い世代でも同じだと思う。それはなんでなのだろうかと言えば、やっぱり「世間の目」と「現実の生活」なのだろう。

 今でこそ、女性の社会進出もかつてよりは進んで、「女性の幸福は結婚して子供を生んで幸せな家庭を築くこと」なんて言う人は少なくなっているだろうが、それでも「結婚しないのに子供を生んで働いている女」が良いイメージでとらえられる事はない。

 それと現実的に子供を預けて働いて、男と遜色ない収入を得ていくという事を考えると、女性には限りなくハンディがある。スウェーデンを始めとした欧米諸国には、そうした社会的・経済的ハンディがないからこその、上記の結果なのだろう。それはまた離婚率という形でも表れてくる問題だと思う。

 日本では結婚して子供ができてしまうと、女性は離婚しにくくなる。それは世間体というより、今度は経済的事情が大きくなるだろう。「子供のために我慢している」という「家庭内離婚」の話はよく聞くし、ひょっとしたら我が家もそうなのかもしれないなどと青くなってみたりもする。

 婚外子の比率が低いから、あるいは離婚率が低いから、我が国は欧米よりも夫婦仲がよい幸福な社会だなどとは言えない。「子はかすがい」という言葉が我が国にはあるが、それも古くから家庭内離婚が存在していた事を表している証拠だと思う。

 女性の社会進出が進んでより一層の経済力をつけた時、欧米のように婚外子が増えるかどうかはわからないが、子供の成長によって「かすがい効果」を喪失し、離婚率が増える事は間違いない気がする。

 動物界を見まわした時、つがいが生涯添い遂げるという種は少ないようである。人類も子孫を残す時だけつがいになり、役目を終えればそれぞれ離れ離れになるという時代が来るのであろうか。それとも法律的な結婚は意味を喪失し、単に事実婚が増えていくだけの事なのだろうか。

 自分の先行きと合わせて考えてみると、何だか複雑な気分になるのは、私だけだろうかと思うのである・・・


2013年5月15日水曜日

安倍政権に思う

 政権誕生以来、アベノミクスで世の中は湧きたっている。政権支持率も高く、民主党の反動だけでなく、安部総理自身2度目の正直ともいうべきか、船出以来順調に航海を続けている。そして憲法改正にも言及し、どうやら夏の参院選のテーマの1つにもなってきそうである。

 もともと個人的には憲法改正論者だし、それはそれで悪くない。何といっても第9条は早く第2項を削除すべきだし、専門家によると89条なんかは私立大学への助成金など違憲になりそうであるらしいし、その他にもあるかもしれないし、一度現代にあった形に修正すべきである。

 だが、安倍さんの掲げている憲法改正のターゲットは第96条。最初は何かわからなかったが、憲法改正の要件を定めた条項だ。「議員の2/3以上の賛成」が必要とされるところを「1/2」に変えるのだとか。いきなり“本丸”第9条にかかるよりも、まずは外堀から埋める「冬の陣」作戦なのだろうか。たぶん、2/3を取るという事が、相当ハードだと考えているのだろう。

 世論も今では憲法改正賛成派が過半数を越えていると言われているから、国会さえ通せば「イケル」と考えているのだろう。まあこの程度は良いんじゃないかと思う人も多いだろうし、最後は国民投票というハードルがあるし、問題は多くはなさそうな気がする。

 共産党系のように、「一文字でも変えるのはダメ」という雰囲気の人は認めないだろうが、これで絶対反対の野党を除き、ゆるやかな野党を仲間に入れて2/3をクリアしようというのだろう。「将を射んとすれば馬より」といったところだ。

 それはそれそれで理解はできるのだが、どうも個人的に諸手を挙げて賛成という気分にはなれない。確かに、家康は大阪冬の陣でうまく立ち回って外堀を埋めさせ、そして夏の陣で無敵の大阪城を落とした。そのやり方は、正面突破方式よりも、被害も少なく効率的に豊臣家を滅ぼせたのかもしれない。しかし、どうせなら錦の御旗を掲げ、堂々と正面突破してほしいものだと個人的には思う。

 そもそもであるが、ここまで順調に来て今やるべき事が憲法改正なのだろうか。私が総理大臣だったら、まずは「国会議員削減」と「公務員削減」だ。「0増5減」なんてお茶を濁している場合ではない。このテーマは「嘘つき民主党」が堂々と掲げてやらなかった「人気政策」だ。今こそ100議席ぐらい減らすと掲げて衆参ダブル選挙に打って出るだろう。「公務員削減」とセットにして、「自民党は民主党と違って言った事はやる」「いつやるか、今でしょ!」とやるのだ。

 消費税を上げたって国家財政は改善しないし、崖に向かって突っ走っている状況には変わりない。国民誰もがやれと思っていて、誰もやらなかった事をやると堂々と掲げたら、それは国民は支持するだろう。選挙対策なんて何もしなくても圧勝できるはずだ。第96条なんて言う前に、2/3の議席確保だって夢ではないだろう。そうしたら、ゆっくりコーヒーを飲みながら憲法改正議論ができるはずだ。

 民主党は、小沢さんが本来党を支えなければならない時に、自我を優先して崩壊の道を辿った。チームが勝たなければならない時に、個人記録を優先したようなものだ。荒れ狂う波間に漂う船中で、船長の座を争って民主党は坂を転げ落ちた。今自民党は順風満帆で追い風が吹いている。ならば先を急ぐ前に、もっと帆を広く張る事が、結局は早く遠くへ行く事に繋がると思うのは私だけだろうか。

 なんとももどかしく感じるのである・・・

【本日の読書】

情報調査力のプロフェッショナル―ビジネスの質を高める「調べる力」 - 上野 佳恵  舟を編む





2013年5月12日日曜日

国民栄誉賞

 先日、長嶋と松井が国民栄誉賞に輝き、ジャイアンツファンとして、そして何よりも長嶋ファンとしてそのニュースを喜んでいた。その後、ミスターは多摩川グラウンドを訪れたとニュースでやっていた。そのニュースを見て、小学生の頃、はるばる自転車を飛ばして同所へ行き、ミスターにサインをもらった事を懐かしく思いだした。

 それはそれで良いのだが、興奮が冷めてくると何だか疑問に思う事がでてきた。受賞そのものには何の異論もないし大賛成なのだが、なんでこの時期なんだろうとか、他にはいないのだろうかとか、諸々である。たぶん、時期としては松井が引退した事が大きいのだろう。だが、ミスターは何で今まで放っておかれたのかわからない。

 ONコンビの王さんは、ホームランの世界記録というタイミングだったが、ミスターは相応しいタイミングがなかったのだろう。たまたま時期に巡り合った松井が候補に上がり、「松井がもらうのにミスターがもらわないのがおかしい」となったのだろう。たぶんそれがなければ、ミスターの受賞は死んだ時だったに違いない。

 事実、過去の受賞者22人+1団体のうち12人が没後受賞だ。死んではじめて“思い出された”と言える。そういう意味では、タイミングがすべてのようだ。亡くなってから「あぁそうだ」って思いだしてもらえるか、オリンピックなどで活躍して話題になるか。

 松井は謙虚な人だから、受賞を恐縮していたようだが、プロ野球界だってふさわしい人はたくさんいる。神様稲尾、カネやん金田、野村監督、安打製造機張本、世界記録だったら金本もそうだ。野球以外でもたぶんふさわしい人はたくさんいるだろう。

 受賞にあたっては何かルールがあるのかと言えばそうでもないようだ。時期もバラバラ。2000年に高橋尚子がシドニーオリンピックで金メダルを取ってもらっているが、そのあとは9年後だ。しかもその2009年は遠藤実(1月)、森光子(7月)、森繁久爾(12月)と連発。まぁもともとルールなんてないようだし、時の政権がその時々で選んでいる。だから、「政権の人気取り」なんて声も聞こえてくる。

 もう少しルールを明確にして、毎年表彰するようにしても良いのではないかという気がする。没後受賞もいいけれど、できれば生前受賞の方が良いに決まっている。「政権の人気取り」と陰口を叩かれるようなものでない事が良いだろう。毎年大晦日に発表したりしても良いのではないだろうか。

 長嶋さんが没後受賞なんて寂しい事にならなかったのは実に幸いであるが、そんな風に思った国民栄誉賞なのである・・・


2013年5月6日月曜日

GW

GWも早や最終日である。
今年は前半3日、3日間おいて後半4日という構成であった。
もっとも1日休みをもらったので、3-2-5という構成となった。
世間もまだまだ厳しいところが多い中、ありがたいことだと思う。

 考えてみれば、私が社会人になった26年前は銀行はまだ土曜日の営業をしていた。振替休日の制度はもっと早く始ったような記憶があるが、日本人の働き過ぎが海外で批判を浴び、休日が増えていったように記憶している。5月4日は、いつもカレンダーと睨めっこしてうまく休みと重ならないかと思っていたものだが、いまや堂々と祝日(みどりの日)となっている。そうした恩恵が、今回は後半の4日間に活きている。

 せっかくのまとまった休日ではあるものの、どこかに旅行に行こうなどという話は我が家では出てこない。それは金銭的な理由もあるが、一番大きな理由は渋滞・混雑だ。この時期、間違ってもディズニーランドに行こうとか、新幹線や高速を使って遠方に泊まりに行こうなどという話は、我が家では出てこない。事実、鉄道や高速道路の渋滞のニュースが、その判断に正当性を与えている。

 近場でも鉄道が繋がった横浜の中華街や川越、そしてスカイツリーなどの観光スポットも大変なにぎわいだったようだ。どうしてそうなるのかと言えば、やはり日本人の勤勉性のゆえだろうかと思う。例えばスカイツリーがオープンしたから、休みを取って行こうなどとは普通は思わないだろう。我が家も行くとしたら土日だし、それも混んでいるだろうからしばらく経ってからという有り様だ。まぁ子供の学校があるから、私が仮に休みを取ったとしても同じではあるのだが・・・

 だいぶ緩和されたとは言え、まだまだ「働く事は美徳、休むのは悪」という考え方は日本社会に広く浸透していると思う。それゆえに海外から「日本人は働き過ぎ」と批判されても休まず、わざわざ休ませるために祝日を作らないといけなかったのだと思う。祝日まで作って、ようやく“仕方なしに”“みんなが休むから”休むのであって、それゆえにみんなの休みが集中するから混雑するのであろう。

 今となっては「働き過ぎ」と批判の声は聞かないが、それはよく休むようになったためというよりも、日本の経済力が落ちてきたせいではないと思う。我が職場でも、実は休みはむしろ推奨されているが、仕事が残っていると別にそれが急ぎのものでなくとも、何となく休みを取る事に抵抗感がある。それは帰るにしても同じで、みんなが仕事をしている中、一人先に帰るのは何となく心苦しく感じる。日本人の平等意識もあるのだろうが、仲間が働いているのに休んだり先に帰ったりするのに抵抗感を覚える者は少なくないと思う。

 「働くのが美徳」という風潮は悪い事ではない。戦後の荒廃から日本が復活した原動力だと思うし、それが今でも経済大国を支えている要因だと思う。問題は、それが行き過ぎて「休むのは悪」となってしまっている事だろう。メーカーのように会社全体が休みになる所は問題ないだろうが、交代で休むとなると“実害”が出てくる。

 それは周りの同僚に休み中の対応をしてもらうという負担をかける事であるが、普通の感覚の持ち主であれば、「気兼ねなく」というのは難しい。ただそうした負担は「お互い様」と割り切れば、気兼ねがなくなるのも事実。それが証拠に、夏休みはみんな遠慮なく取れる雰囲気になっている。
それが普段にも及べば、休みも取りやすくなるだろう。

 夏休みだって、子供がいれば無理だろうが、そうでなければわざわざ夏に取る必要もない。そういう意識が我が職場だけでなく、日本人のDNAに刷り込まれれば、お盆や正月、連休にどこもかしこも混雑するという状況が少しは改善されるのではないかと思う。

 まあ現状でも工夫次第のところはある。遠くへ泊まりで行かなくても、我が家は江戸東京博物館へ行き、恒例の森林公園に行き、近所に新たにオープンしたイオンを買い物がてら見に行き、『夜更かしデー』と称した家族での映画鑑賞は子供たちに大好評であった。もともと天の邪鬼だから、人とは反対の行動を取りたがるところがあるのだが、おかげで渋滞や混雑のストレスはほとんどなかったし、これはこれで楽しい過ごし方だったと思う。

 子供たちももう少し大きくなってくると、またGWの過ごし方の変わっていくのかもしれない。子供たちが社会に出る頃には、働く事と休む事のバランスがどのようになっているのだろう。「働く事が美徳」というDNAは是非残していってもらいたいが、「休む時は(みんな一緒でなくても)休む」という賢い選択ができるようになっていればいいだろうにと思う。

 まあ定年まであと10数年。「毎日が日曜日」となるまでは、工夫をこらした休みを過ごしたいと思うのである・・・



2013年5月3日金曜日

ジパング

 以前は毎週金曜日に漫画喫茶に行くのを習慣としていた。一週間の仕事の対価に、リラックスして漫画を読むのが気に入っていたのだ。その習慣がここのところしばらく絶えていたのは、忙しいのもあったが、これといった漫画がなかった事もある。それが最近復活しつつある。その理由がこの漫画。

ジパング 超合本版(1) (モーニングコミックス) - かわぐちかいじ 実はかなり前に連載を終わっているものなのだが、その存在を知らないままでいたのである。偶然知るところとなり、読み始めたら面白そうだとなった次第である。

 ストーリーは、海上自衛隊のイージス艦「みらい」が、太平洋を航行中、なぞの気象現象により1942年6月にタイムスリップしてしまうというものである。何だか、その昔映画(『ファイナル・カウントダウン』)にあったようなストーリーである。『ファイナル・カウントダウン』は米海軍の原子力空母だったが、それがここではイージス艦である。

 太平洋戦争当時の軍事力と比べたら、原子力空母の威力は凄いが、イージス艦もまた然り。世の中の人がどのくらいイージス艦の事を知っているかわからないが、これがかなりのシロモノ。見かけは昔の軍艦などから比べると劣るものの、近代装備で武装した戦力は相当なものらしい。

 かつて韓国軍と日本軍が戦ったら、というシミュレーションがなされたらしいが、韓国海軍は1時間足らずで壊滅したという。その原動力となったのがイージス艦である。優れた電子装備とミサイルやら魚雷やらを搭載し、空からでも海の中からでも、「どこからでも来い」という感じらしい。

 その昔、『亡国のイージス』という映画化もされた本を読んだが、そこでもその優れた戦力は説明されていたし、だからこそ物語に取り上げられるのだろう。それは価格にも表れていて、海上自衛隊のイージス艦「こんごう」クラスだと、1隻で1,244億円するらしい。それが今日本には6隻あるという・・・

 韓国海軍を1時間で壊滅させられるほどの戦力が果たして必要なのだろうかと考えると、それは必要なのだろう(「どこの国にとって」必要なのか、はあえて言うまい)。それだけの高性能の軍備となると、アメリカもやたらな国には売れないだろう。下手したら、自分の所の空母の脅威になる(ちなみにアメリカの原子力空母ニミッツは3兆円するらしい)。持たせても安心で、しかも黙ってポンと買ってくれる同盟国はそうそうないだろう。

 そんな破格な高装備なわけであるから、せめて映画や小説や漫画の中ぐらいでは活躍してもらわないといけない。第1巻では、さっそく米海軍(太平洋戦争時の、だ)の潜水艦と遭遇。その突出した能力で米潜水艦を手玉に取った。2巻、3巻と続き、いよいよ“現地の海軍将校”と接触したみらい。どんな展開になるのだろう。歴史のパラドックスは?

 この先、金曜日の夜がまたちょっと楽しみになりそうである・・・