2010年4月29日木曜日

GWだ!

GWが始まった。
私の場合、暦通りの出勤なので本日は飛び石の初日という事になる。家族そろって出かけた先は、国立科学博物館。だいぶ昔に行った記憶があるが、ほとんど忘れている。フーコーの振り子があった事だけが記憶に残っている程度だ。最近5歳の長男が恐竜にハマっていて、それじゃあ化石の実物でも見せてやるかと行く事にしたのだ。

 上野駅から歩いてすぐ。中に入るといきなりフーコーの振り子があった。前の日に娘に説明しておいたが、果たしてどれくらい理解していたのだろう。ちょうどガイドツアーがスタートするところで、便乗して1時間くらい案内してもらう。日本館では日本にかかわる事柄。地球館では地球に関する事柄という具合に分かれている。

 興味深かったのは、日本とイギリスとニュージーランドとの比較。同じような島国であるが、大陸とより長く地続きだった事と、緯度の微妙な差異により何と我が国の動植物は他の2国に比べて圧倒的な種類を誇っているという事だった。鮮やかな四季といい、改めて我が国は恵まれた環境にあったようである。

 縄文・弥生時代の人々の暮らしぶり、江戸時代の巧妙な時計にからくり人形、ゼロ戦などの展示物は大人であっても楽しめる。特に縄文・弥生時代の暮らしぶりには、娘はかなり心に残ったようである。「車もなかったんだよね~」という発言には、今度は江戸東京博物館にでも連れて行こうかなという気にさせられた。

 長男お楽しみの恐竜コーナー。これまで図鑑でしかお目にかかっていなかった恐竜の化石を目の前にして、やっぱりその大きさに圧倒されたようである。「この家と同じくらい」と言ったところで、やっぱりそこは幼稚園児の想像力。実際に目にするのとは大違い。

 大好きなテイラノサウルスの大きさは圧巻だったようである。「目の前に現れたらどうする?」と聞いたところ、「逃げる」と答えた。そりゃそうだよな、この大きさだもんなぁと思う。以前は恐竜絶滅の原因は諸説あったと思うのだが、今は隕石説に統一されたのか、ほぼこの説明に終始していたのが印象的だった。

 1階下がるとそこにはもっと歴史を下って哺乳類の歴史となる。ナウマンゾウやマンモスなんかにも子どもたちは興味を引かれたようである。そして人類の歴史。地球の歴史からすると、一瞬なのであるが、人類の歴史もなかなかだ。リアルな人類の模型たちが展示されている。もっとも子どもたちは「おち○○んが見えてる!」とそっちにしか興味がいかなかったみたいだが・・・

 閉館までたっぷりいたら、すっかり疲れてしまった。明日は仕事だから頑張らないといけない。そのあと5日間。休むんだか疲れるんだかよくわからないが、奥様の機嫌を損ねないよう気を配りながら楽しく過ごしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
なし
   
   


2010年4月28日水曜日

わからない事々

 ニュースを見ていてもよくわからないなと思う事はけっこう多い。
以前ならいざ知らず、今であればわからないならちょっと検索すればかなり調べられるとは思う。だが、いちいちそんな事している暇はないし、ついついわからないままにしてしまう。だからいっそうわからないままである。

 今日は検察審議会が、先ごろ政治資金規正法違反を問われた民主党の小沢一郎を不起訴とした事を「起訴相当」と判断したとやっていた。そもそも小沢一郎の何が悪かったのか、これがよくわからない。虚偽記載と言われているが、「だったらどうなの?」と思ってしまう。

 確かに虚偽記載はルール違反といえばそうなのだろう。だが、それだけだったら、「ちゃんと記載しろよな」という話だ。せいぜい罰金レベルの問題ではないか。虚偽記載して何をごまかしたのか、賄賂なのか何かのマネーロンダリングなのか?何がこれだけ大げさに騒ぎ立てるほどの問題なのか?ロッキード事件やリクルート事件などはわかりやすかったが、今度のはよくわからない。どこかから得たお金を不正にちょろまかしたという事なのだろうか・・・

 次にわからないのは検察審議会の考え方だ。市民目線で不起訴はおかしいという事は、何らかの証拠があるのだろうか。少なくともその道のプロ中のプロである東京地検が一旦起訴を諦めたのだ。という事は、有罪にするだけの材料が揃えられなかったという事だ。「おかしい」という感情論と「有罪にできるか」という技術論は相容れない。法律には、「疑わしきは罰せず」というルールがある。「知らなかったはずはない」という「疑わしき」だけでは罪には問えないのである。いったいどういう議論が尽くされたのだろう。

 なんでこんな疑問が出てくるのか、と言えばそれは新聞報道がそうした素人レベルだからだ。私だったら、検察審議会がどういうメンバーで構成され、どういう議論を経て不起訴となったのかを報道するだろう。小沢氏にマイクを向けたって、「そんな事いまさら言われてもねぇ~、コメントしようがないよ」というのが本音だろう。検察審議会のメンバーにこそマイクを向けてほしいものなんだけどなぁ・・・

 「何が問題なんですよ」という視点でニュースを報道してくれるのなら、たぶんもっとニュースはわかりやすいと思うのだ。今、民主党はかなり批判を浴びて支持率を落としている。しかし市民の問題に対する理解度ってどれくらいなんだろうと、本当に疑問に思う。

 子供手当がバラまきだと批判するなら、過去のバラまきがどれだけ無意味だったか説明してほしい。1,000円高速道路はどれだけのメリットとデメリットがこれまで出ているのか。ゆうちょの預け入れ限度額を2,000万円に引き上げるのは、増え続ける国債を買う資金を集めるためだとか、アメリカの国債を買うためというのが本音らしいが、どうなんだとか。

 普天間問題では、集会に集まった何万人という人はその多くが活動家で、基地によって潤っている地主や地元商店などの人たちは声を出せずにいるが、本当は移転してほしくないというサイレント・マジョリティの姿なのだとか。もっとそういう風に問題にスポットライトを当てて、真の報道ってものをやってほしいなぁという気がする。

 これでも一時はマスコミ志望だった事もある。カメラ一つ担いで人の行かないところを取材してみたい、というイメージに憧れを抱いたのだ。湾岸戦争でCNNのガッツのあるスタッフが、最後までバクダットに残っていたのを見て感動したものだ。日本人は真っ先に引き上げてきていたのを知って、やっぱりその道に進まなくてよかった思った。下手したら「エリカ様」の取材に行かされていたかもしれないものな。

 やっぱり、もう少しわからないなりの努力というものをしないといけないように感じるのである・・・


【本日の読書】
「資本主義崩壊最終ラウンド」船井幸雄
「自由への長い道(下)」ネルソン・マンデラ

         

2010年4月25日日曜日

他人の事を考えようじゃないか

 最近通勤電車が混んでいる。いつもの電車が心なしか混みあっているのは、たぶんこの春から通勤・通学で新たにこの時間帯の人が増えたからかもしれない。それはそれで仕方ないのであるが、どうしてもこうした電車で自分の事ばかり考える輩が出てくる。

 先日も満員の車内で吊革につかまっている腕を鋭角に突っ張っている奴がいた。その先端が私の背中をぐりぐりと押す。力を入れているので私が押されて後ろに体重が移動すると肘がいっそう背中に突き刺さる。私としては誠に不快な気分になった。力を抜いてくれればそんな事にはならないのだから、意図的にやっているわけである。

 どうしようかと迷う。振り返るにも満員の車内ゆえにそれも大変。あえてやって苦情を申し立てるのも人目を引くし、そういう事は好きではない。それに相手が逆ギレしてきたら、こちらも引けないからひょっとしたら朝から殴り合いという事態になるかもしれない。スーツだし、仕事前にそんな事は勘弁願いたいし・・・

 それでも我慢の限度を超えたため、あえてわざわざオーバーアクションで振り向いて相手を睨みつけた。そこにいたのはしょぼいサラリーマンで(これなら喧嘩になっても勝てると)安堵したが、相手も力を抜いて目をそらしたので事なきを得た。不愉快さは残ったが、そのまま飲み込む事にした。

 10年くらい前にもやっぱり混み合う終電で同じような事があった。注意したらその相手の返事に我慢できず、次の駅で引きずりおろした。酔ったサラリーマンだったが、相手が体制を整える前に先制攻撃をかましたところ、あっという間に周りにいた6~7人のサラリーマンに制止された。何より見ず知らずの人たちの突然の連携に驚いた。相手の男はやられたまま反撃する間もなく取り押さえられ、怒り狂っていた。

 満員電車で不快な気分になるのはみな同じ。自分も相手を不快にさせているのだという事を認識しないといけないのだが、そんな事は思いもしない。自分の都合だけで判断する。

 会社でもスタッフの人に雑事や簡単な事務仕事をお願いする。出来上がって一言声をかけて持ってきてくれる人もいれば、黙って机に置いていくベテランさんもいる。その人は説明してもつっけんどんな態度と事務的な対応しかしてくれない。仕事はきちんとやってくれているが、自分の仕事だけをやるというスタンスで、そこには「誰と」という姿勢が入っていない。

 そうするとこちらも笑顔で対応などと言う事もしなくなるし、よそよそしい関係に終始する事になる。なんでそうなのかよくわからない。仕事自体が厭なのか(でも仕事しないわけにはいかない)、ひょっとしたら私の事を嫌いなのか(その可能性もある)、もともとの性格なのか(だとしたらとても損している)・・・

 いつも気持ちよく手伝ってくれている人に対しては、こちらもなるべく負担のかからないようにと気をつかうし、そういう相互関係は相乗効果で結果として負担も減るし、気持ちのいいものになる。何よりも自分が一番助かるものだと思う。

 およそこの世の中は人間関係なくしてはあり得ない。自分の周りには常に人がいて、やっぱり自分と同じように考えているわけで、自分の事を考えて欲しかったら自分も相手の事を考えないといけない。それはそのままいつも自分に言い聞かせている事でもある。

 明日から通勤は少し早く家を出て、比較的空いている各駅停車に乗る事にした。時間はかかるが、不快な思いをしなくてもいいし、させる事もない。ゆっくりと本を読んで快適な通勤時間を楽しめる。やっぱりゆとりは大事なのだ。良い仕事をして、良い一日を過ごすためにもそうしようと思うのである・・・


【本日の読書】
なし
       
     



2010年4月24日土曜日

集合!

 高校時代のラグビー部の同期で久々に集まった。
13人いた同期が10人集まったわけで、地方在住1名を考慮するとなかなかの出席率だ。もっとも前回集まったのは、10年くらい前のような気がする。そう考えると仲が良いのか悪いのかよくわからない。何人かは学年の同期会などの機会に会っているが、ほとんど20年振りくらいのものもいた。

 卒業以来27年。入学して初めてラグビーのボールを持ってからなんと30年の月日が経っている。髪型や体系の変化は人それぞれだが、笑ってしまうものがある。たぶん16歳の春に30年後の自分の姿を見せられたら、こいつらは絶対ショック死するなというのが何人かいた。私はと言えば幸い「変わっていない」という評価を受けた。

 卒業以来の歩みは本当にバラバラだ。今だ独身もいれば、2年前に高校時代のクラスメートと結婚したという奴もいた。海外に行っていたやつもいれば、癌に罹って手術したという奴もいた。サラリーマンもいれば会社を経営しているやつもいる。子供が我々の通った母校に入っている奴もいる。酒を飲み、語り合ううちに空白の時間が埋まっていく。

 姿形は変わっても、変わらないのが人の心。酔いが回るうちに時間は逆行していき、いつの間にやら高校時代に戻った錯覚を受ける。たわいない与太話やえげつない会話は、高校時代の会話そのまま。周りから見たらやかましい中年オヤジの恥ずかしい集団だったに違いない。

 辛かった夏合宿に参加しなかったやつはいまだにそれを非難される。たぶん終身刑だ。一生言われ続けるだろう。最後の試合(当時は最後になるなんて思っていなかった)についての思い出もバラバラだ。「ああそう言えばそうだった」と思うエピソードがいくつもあった。あの試合、今でも勝てたチャンスはあったし、みんなの話を聞いていてやっぱり勝ちたかったなとあらためて思う。1回戦負けだったものな・・・

 みんな満足して散会となった。「毎年やろうぜ」という声が自然と出てきた。時間は元に戻せないし、みんなでもう一度試合をする事ももうないだろう。残ったのは思い出と絆だけだが、それはそれで大事にしたい。練習でみんなに「集合!」と声をかけるのは私の役目だったが、今度は久々にその役目を果たそうかなと、そんな風に思いながら帰ってきたのである・・・


【昨日の読書】
「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド
「自由への長い道(下)」ネルソン・マンデラ




      

2010年4月20日火曜日

クラブ活動

 長女はこの春から小学校の4年生。4年生になるとこれまでと一つだけ大きく異なる事がある。「クラブ活動」が始まるのである。
 長女が入ったのは「手芸調理クラブ」。何のアドバイスをしたわけでもないが、自分で面白そうだと選んだのである。

 メンバーはさすがに女の子ばかり。それでも5年生の男の子が一人だけいるそうである。そういえば先日の面談で、趣味=家庭科という高校生の男の子がいた。「時代だな」と感じたのであるが、たった一人で女の子の間に交じってどんな気持ちなのだろうかとちょっと興味深い。

 そういえば私も4年生で確か囲碁クラブに入った記憶がある。将棋はすでに爺様の手ほどきを受けてかなりイケていたので、この際囲碁もと考えたのだ。そして5・6年生では卓球クラブだ。ずいぶん地味な小学生だったのだ。この卓球には強烈なエピソードがある。

 その日はクラブ紹介で、4~6年生が体育館に集まる中、なぜか私が模範試合に出場した。相手はなぜか一つ年下の女の子。どういう経緯でこういう対戦になったのか、もう覚えていない。覚えているのは、目のくりっとした可愛いその子に、事もあろうに大観衆のただ中でなんとその試合に私は負けたのである。その子が別に福原愛みたいな天才少女だったわけではない。二人でのどかにピンポンパンポンしていて、気が付いたら負けていたのだ。(当時の)人生最大の屈辱だった。

 私はただでさえ勝負事で負けると心中穏やかではいられない。それが相手が女の子で、しかもみんなの見ている前となると尚更だ。その後、あるところで「オセロ三連敗」も経験したが、この二つは今もって悔しい。今頃あの子はどこで何をしているのだろうか。たぶん、今会ったら懐かしがって一緒にグラスを傾ける前にきっとラケットを差し出して、何が何でもリベンジマッチへと誘うだろう(オセロだっていつかリベンジしようと思っている)。そういう性格なのだ。

 中学に入ってバスケット、高校に入ってラグビーと激しいスポーツへとその後進んでいったが、さすがにスポーツでそういう屈辱を味わう事はなかった。もしかして心のどこかで女の子には負けないスポーツを、無意識のうちに求めていたのかもしれない。

 振り返ってみると、長い学生時代の思い出にクラブ活動が占める割合はかなり多い。特に親しい友人はといえばクラブの友人である事が多い。授業や運動会などの行事なども大事だが、クラブ活動もそういう意味では大事だ。受験だからやらない、とか大検受けるから高校へは行かない、とかそれはそれで一つの考え方だが、随分損しているなと思わざるをえない。学校というところは、勉強のためだけに行くところではないのだと改めて思う。

 過ぎてみればあっという間だったが、幸せな学校生活を送れた要因の一つは間違いなくクラブ活動だ。家に帰ると私のもとにさっそく「今日ポップコーンを作った」と嬉しそうに報告しにきた我が娘。これから楽しいクラブ活動ができるといいなと思うのである・・・


【昨日の読書】
「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ

           
   

2010年4月17日土曜日

もしも願いが叶うなら

 ある日しっぽにトゲのある悪魔がやってきて、「お前の願い事を3つかなえてやろう」と言われたら、みんなは果たして何を望むだろうか。

 そんな事が昔、寺沢武一のコミックで著者の一言として書いてあった。男であれば、金と女と不老不死といったありきたりの三大欲望であろうか。実際、そんな機会がやってこないものかと本気で考えなくもない。

 しかし、相手が悪魔となるとちょっと考えてしまう。何せ相手は悪魔だ。望みが叶えられたとしてもその対価に何を要求されるかわかったものではない。だからすぐに飛びつくのではなく、まずは取引の全体像を確認すべきだろう。「願い事を叶える代わりに俺の望むものをほんの少しだけいただくとしよう」などと言われたら警戒警報発令だ。

 相手に最初に要求するものを確認してから取引したいものだが、「まず取引するかしないかを決めろ」と言われたら、どうするかだ。願い事をかなえてもらったあとで、『では苦しみを味わってもらおう』などと言われたらたまったものではない。山のような現金と美女を侍らせておいて、自分はベッドの上で微動だにできない、その苦痛を不死の身で永遠に味わうなんて事になったら目も当てられない。

 「君子危うきに近寄らず」が、一番なのかもしれない。しかしそれだと面白くない。ひょっとしたら警戒しすぎでチャンスをみすみす逃してしまうのかもしれない。そうするとここはひとまず相手の考え方を知るのが先決。第一の願いは、「相手(悪魔を含めて)の考え方を読める力をくれ」だろうか。

 それで相手の考え方がわかったとして、何も問題なければ残り二つは欲望のまま進めばいい。だがもし3つの願い事のあとに来る相手の要求がとんでもないものだとしたら・・・二つ目の願い事は、「あと50年願い事を待て」になるだろうか。50年たったらあとはもういいだろう。また、その間不死となったら逆に儲けものだ。

 そして50年後となったら、もう欲望も消えているに違いない。子孫繁栄でも願って残り少ない人生を差し出すか。こうしてみると何だか得したのか損したのか・・・結局、悪魔との取引なんて割に合わないって事だろう。願い事は地道に努力して自分で叶えるしかなさそうである。

 でももし相手が天使だったら・・・妄想は膨らんでいくのである・・・


【昨日の読書】
「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ

    

2010年4月15日木曜日

ヤマアラシのジレンマ

 寒さの中、二匹のヤマアラシが暖め合おうと近づく。しかし、近づきすぎるとお互いの体の針が相手に刺さってしまう。かといって離れると寒くなる。二匹は近づいたり離れたりを繰り返し、ようやくお互いに傷つかず、寒くも無い距離を見つける。哲学者ショーペンハウエルの寓話を元に心理学の大家フロイトが考えた話。
 お互いが体中にトゲを持っていることに気づかず、近寄れば相手の体を傷つけることに気づいていない。そして自分も相手を傷つけているのも知らずに、相手だけが自分を傷つけると思い込んで、怒ったり、攻撃したり、ストレスを抱えたりする。
 人間関係のストレスとは、このヤマアラシの関係のようなもので、自分が相手を傷つけているとは知らないで、自分だけが傷つけられると思い込む。傷つけあうのが嫌だからと人間関係から逃れようとするのだが、人間関係から逃れてみるとさびしくて仕方がない。また誰かとつながっていたいと思うようになる。
 人と接触したくないけど、人とつながっていたいという心の矛盾を心理学では「ヤマアラシジレンマ」と言うそうである。
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 そんなヤマアラシジレンマの話とはちょっと違うかもしれないが、改めて思う事がある。『自分が相手を傷つけているとは知らないで、自分だけが傷つけられると思い込む』というくだりがどうにも心に引っ掛かるのである。私も実はそういう経験をする。

 気がつけば妻の機嫌が悪い。思い当たる節はない。後で聞けば、何気なく発した私の一言が原因だったりするが、こちらにそんなつもりは毛頭なく、「なんでそんなひねくれた受け取り方をするのか」と、腹立たしくさえ思う。家庭内だけでなく、外でも同じである。

 意図的に発した悪意ある発言に相手が気分を害するのは気にならない。だがこちらに悪意がない場合は困惑してしまう。しかも相手の態度でわかればいいが、表面上は平静を装われた日には最悪だ。だが気をつけたくても無理がある。

 「自分の背中」が見えないのと同様、相手が自分の言葉や行動をどのように受け取ったかまではわからない。ひょっとしたら、このブログを読んで気分を害している人だっているかもしれない。心配ならば何も言わなければいいのかもしれないが、現実的にはそれも難しい。

 だから最近はせめて相手の言葉にカチンときても、すぐに腹を立てるのではなく、なるべくその真意を探ろうとするようにしている。相手もきっとなんらかの思いがあって、そういう発言をしたのだろうと思うようにしている。

 今日も同じ職場のベテランさんにグサリと嫌味を言われてしまった。その人はいつも棘のあるモノの言い方をするので私も苦手にしているのだ。だがよくよく考えてみればその人だって自分の仕事をしているわけで、その人からすれば私のやった事が仕事の効率化の妨げになっていたのだと思う。私がまったく気にも留めていなかった事を、その人は気にしていたのだ。嫌みの一つも言いたくなるわけだ。

 ここでまともに腹を立てていたら憎しみの応酬になってしまう。考えてみれば、以前はそんな事が原因のイライラが多かった気がする。「申し訳ない」と明るく言ってお終い。相手の針も受け止め方を変えるとこちらも心穏やかに過ごせる。

 最近、そんなやり方ができるようになった。自分にも針があるって事をいつも意識していたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「日本で一番大切にしたい会社2」坂本光司
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
     


2010年4月12日月曜日

海外派遣の面接官をした

 我が出身高校の卒業生で運営している財団法人がある。その事業の一つである「国際交流事業」では、母校の高校生、卒業生である大学生および卒業生の親族を対象として、海外研修派遣を行っている。昨年に引き続き今年も面接官として選考会に参加した。

 総勢80名。昨年よりも3名多い。面接をしてそのあと合否判定までやるので、けっこう大変である。でも現役の高校生、大学生と、面接とはいえ相対して話を聞けるというのはなかなか貴重な経験だ。

 あらかじめ用意した同じ質問を投げかける。3~5人一組で面接を実施するのだが、昨年とはまた違った雰囲気の面接となった。昨年は始めの子の回答にあとの子が引っ張られる傾向があったが、今年は比較的ばらばらだった。例えば「最近印象に残った事」という質問に関しては、5人が5人すべて違う回答となったりしてちょっと驚いた。緊張して思考回路が働かず、前の子と同じ回答になるという事にはならなかったということだろうか。

 同じニュースについても、高校生と大学生とでは回答が異なっていたのはさすがだなと感じさせられた。高校生は、(考えてみれば1年生は先月まで中学生だったのだ)喜怒哀楽的な回答が多かったが、大学生ともなるとそこから発展して自分の問題意識にまで展開したりする。しゃべる量も大学生の方が総じて多い。

 それに今回はグループ単位での優劣もはっきりとした。合格者をみてみると同じグループの子が固まっていたりする。受かるグループと落ちるグループという色分けができた。一人二人積極的な子がいると、それに負けじと追随するパターンが見られたのだ。みんな緊張している中で、うまく引っ張られて持ち味を出せたという子もいたと思う。

 やっていて一番大変なのは合否判定だ。面接官5名で採点するのだが、問題は当落線上の子をどうするか、だ。僅差で並んでいる中から選ぶのは難しい。そうなると点数以外の要素がかなり働く。今回は昨年落ちた子がこの当落線上に入ってきた。「どうしても行きたくて今回も応募した」と言われると、さすがに連続で落とすのは忍びない。という意見で一致して見事合格。喜ぶ顔が目に浮かぶようである。

 高校生の中には定時制の子もいる。昼間は働いているその子は、さすがに社会に出ているだけあって同世代の子からするとしっかりした内容の話をする。家族構成をみると大変な事情が伺えて、考えさせられてしまった。自分はあまりにも恵まれた学生生活を送れたのだと改めて思う。その子には手心を加える必要はまったくなく合格したが、何がしかの手助けになれたかと思うと嬉しく思う。

 自分たちの頃にはなかった制度であるが、こうして縁あって関われるのは喜ばしい限りだ。この夏、彼ら彼女らは3週間、イギリスとドイツに分かれてそれぞれ行くことになる。いい経験になると思うと嬉しいやら羨ましいやらだ。この面接官であるが、機会をもらえる限りは続けていきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「日本で一番大切にしたい会社2」坂本光司
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
       


     

2010年4月10日土曜日

罪と罰

 中国で日本人が死刑になった。容疑は麻薬密輸罪。日本の感覚でいけばとても死刑になどなるほどの犯罪ではない。とはいえ、中国には中国の事情がある。一概に批判するのは難しいかもしれない。

 そもそも世界の大半の国で、すでに死刑そのものが廃止されている。それらの国々からみれば、死刑がある日本だって奇異に見られているかもしれない。中国の事情はよくわからないが、麻薬による犯罪が危機的レベルにあってやむを得ないのかもしれない。

 思い起こせば法学部に在籍していた学生時代、ある時「心神耗弱」について議論したことがあった。殺人を犯しても心神耗弱の状態にあると無罪になる事がある。「麻薬を使用し心神耗弱状態にあった者が殺人を犯しても無罪になる」事について、それはおかしいのではないか、と担当教官に疑問をぶつけた。「もしも、やむを得ないとしても麻薬使用の罪で(殺人と同様の)刑を適用できないのか」と問うたのだ。

 教官は穏やかに笑っておられた。当時の私が今日の中国の制度を知ったら、きっと我が意を得たりと納得していただろう。とは言っても当時ですら、「結果として重犯罪を犯した場合」を想定していたので、「所持していた」だけで死刑とまではさすがに考えなかったのも確かである。

 罰則を強化すれば犯罪は抑制される。もしも日本でも麻薬取締法違反=死刑となったら、次から次へと捕まる芸能人だってさすがにビビって手を出さないだろう。あれだけ社会問題となっているにも関わらず、相変わらずなくならない飲酒運転だって、死刑となればピタッとなくなるのではないだろうか。

 そもそも麻薬も飲酒運転も本気でやめようとしないからなくならないのだ。心のどこかで「ちょっとぐらい構いやしない」と思っているのだろう。麻薬も飲酒運転も即死刑としたっていいではないか。そうなったとしても、私自身は何とも思わない。要は犯さなければ良いわけで、麻薬だって飲酒運転だってこの先やらないで生きていく事は十分可能だ。もしも反対する人がいたとしたら、それは「犯罪を犯す」事を前提にしているわけで、それがそもそもおかしいとさえ言える。中国の法制度も問題があるとは言えない。

 そんな罪など犯すはずはないから全然怖くないと言っても、それでもやっぱり恐ろしさが脳裏を過ぎる。それはきっとそんな罪状で簡単に死刑としてしまう発想の怖さだろう。中国では一人当たりのGDPと同様、命も日本人よりは遥かに軽い。

 なんでも死刑は銃殺が普通で、頭を打ちぬかれたあと体は臓器移植とか医療用の検体に提供されるようだ。もちろん本人の承諾などいらない。今回日本人は薬物注射による死刑だったようなので、中国もそれなりに我が国に配慮したのだろう。死刑になった一人は、日本でも強盗で指名手配されていたようであるから、自業自得なのかもしれない。

 死刑制度自体は存続してしかるべきだが、社会が荒んでくれば重罰をもって対処するのもやむを得ない。そんなものに頼らなくてもきちんと社会のシステムが維持していけるのが一番望ましいことだ。かの国のようにならないようになってほしいものだと思うのである・・・


【昨日の読書】
「シンプルでうまくいくコミュニケーションの技術」天野雅晴
「自由への長い道」ネルソン・マンデラ
       
     

2010年4月6日火曜日

どうにもならない

週末に実家に行って両親と話した事をもう少し。
ダブル入院を凶事と捉え、原因はリフォームと家相ではないかと心配する親父。
いまだ原因がはっきりせず、体調も思わしくない母親。
二人から出てくる言葉はネガティブで、雰囲気は明るくない。

医者でもない私にはどうする事もできない。
「そのうち良くなるよ」と、何の根拠もない気休めを言う事も性格的にできない。
できる事といえば、「物は考え様」という話をするだけだった。
半分水の入ったコップを見て、半分「しか」入っていないと捉えるか、半分「も」入っていると捉えるか、同じ現象でも捉え方によって気持ちは随分と違う。

交通事故で車に撥ねられた親父は確かに不運だ。
入院して手術までしたわけであるから当然だ。
だが車に撥ねられて半身不随になる人だっている。
ひき逃げされてしまうケースだって時折ニュースでやっている。

入院中、母親の隣のベッドに寝ていた患者さんは末期癌だったらしい。
手術しなければいけないかもしれないと按ずる母に、「手術するって事は可能性があるってことよ、私はもうダメみたいだから」と語って、その後間もなく「退院」していったそうである。

コップに水が溢れんばかりの状態が当たり前だと考えていれば、半分「しか」なくなれば一大事だ。
だが、空っぽの状態からみれば、せめてわずかなりともと渇望していた期間、半分「も」入っている状態はありがたくて仕方がない。
両者ともコップの水の量は同じなのに、である。

「人生良い事ばかりではない」という事に疑問を持つ人はいないだろう。
必ず凶事はあるのである。
それを「こんなに酷い」と捉えるか、「この程度で良かった」と捉えるかで随分と結果は変わってくるに違いない。

「そりゃそうだ」と頷く親父に無言の母親。
「理屈はそうだが・・・」と言いたげな様子。
受け止め方の違いは心の余裕の表れだろう。
一方は良くなるだけで希望が見えているが、もう一方はまだトンネルの中。
理屈はわかっていても今現在の体調が気持ちを下に引っ張る。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」ではないが、やはり健康な肉体があってこそ前向きな考え方につながるのだろう。かく言う自分も同じ立場になっても尚、半分「も」と言えるだろうか。やはり健康ってとても大事な事なのだ。早く出口の光が見えればと思うのである・・・


【本日の読書】
「シンプルでうまくいくコミュニケーションの技術」天野雅晴
「自由への長い道」ネルソン・マンデラ

      

2010年4月3日土曜日

親父心配する

仲良くダブル入院していた実家の両親も今は退院している。
膝の怪我の親父は、びっこを引きながらもあとは治るのを待つだけ。
母親の方はちょっと厄介で、一時退院という位置づけ。
通院しながら原因究明と治療法探しを続けないといけない状態である。

週末を利用して実家に顔を出した。
ここぞとばかりに親父が私に頼んできた事は、「実家の間取り図を書いて欲しい」という事だった。
これまでもよく文章を書いてくれとは頼まれていた。
私はまったく苦にならないが、親父は文章を書くのが苦手。
よく頼まれていたものであるが、今回の依頼はこちらも面食らった。
図面とか絵とかになるとこちらも苦手だ。

理由を聞いてみたところ、どうやら家相を見てもらうとの事。
何せ昨年リフォームをした途端、両方揃っての入院騒ぎである。
さては何か家相的に良からぬリフォームをしてしまったのではないか、というのが親父の心配事であった。

昔の私だったらこの手の「迷信」は笑い飛ばしていた。
そんなものが影響するはずがないからである。
その考えは今でも変わらない。
変わったのは、そういう考え方に対する「態度」である。
私は快く引き受けて図面を書いた。

家相は昔から信じられている。
でも大事なのは「実際どうなのか」という事ではなく(そんな事は証明できないし100年議論しても結論は出ない)、「信じている人にどう接するか」だ。
信じている親父に、「そんなの迷信だ」など言っても始まらない。
見てもらって気が済むならそれに越した事はない。

親父には、「見てもらって『ダメだ』と言われてもやり直すわけにもいかない、田舎の広い家なら可能かもしれないが、東京のこの狭い家で台所の位置が悪いと言われても移すところなんてないだろう、だからいっその事お祓いしてもらったら」とアドバイスした。

いくら「家相なんて何の根拠もない」なんて説得したところで、人間は不安な動物だ。
心のどこかで、「それでもやっぱり」と心配してしまうものである。
それを笑い飛ばしたところで、親父の心の問題は解決できない。
親父の信心は大事にしないといけない。

実は私も自宅を新築した時、家相の問題が出てきたが、それ自体は無視してお祓いしてもらう事で解決した。外野の声をそれで抑えたし、「まったくバカにしてもしかしたら」という私自身のわずかな不安もそれで封殺した。近所の神社の神主さんに来てもらったが、いつも初詣だけは欠かさないし、そういう気持ちも大事にしないといけないと思ったからだ。

幸いお祓い案は良かったようだ。
あの調子だとお祓いしてもらうのかもしれない。
私の書いた図面を見た親父だが、「そんな感じで書けばいいのか」と自分で書く事にしたようである。間接的にお前の絵は頼りにならないと言っていた事に、どうやら鈍感な親父は気付かなかったようである・・・


【本日の読書】
「最後の授業」ランディ・パウシュ
「姫椿」浅田次郎
    
     

2010年4月1日木曜日

新人たちよ

今日から学校は新学期、企業は新年度。
今日から社会人という人も多かったであろう。
それらしき若者を多数見かけたが、残念ながら新人なのか就活学生なのかはよくわからなかった。

思い起こせば、もう就職して22年だ。
気がつけば定年までの期間の方が短くなってしまった。
あれからもう22年も経ったのかと思うと、感慨深いものがある。

私が就職した頃は、超売り手市場。企業回りなどすれば熱烈大歓迎で、うっかり気軽に企業訪問などしようものならあとで断るのが大変だった。嬉しいやら困惑やらで、美人の気持ちってこんなだろうかなどと思ったものである。

ただ入ったあとは酷かった。銀行も本部あたりだとスマートな人ばかりであったが、最初に配属された東京郊外の支店ではまったく人種の違う人達がいた。「仕事は盗むもの」という価値観の人達が、飲みに行けば酒の注ぎ方まで文句を言われ、箸の上げ下ろしまでとやかく言われた。仕事で厳しくされるなら何ともなかったが、それ以外のことでのストレスに、とにかく毎日腹を立てていた。

辞めなかったのは、やっぱり体育会ラグビー部で鍛えられて、「根を上げる」という事を知らなかった事と、いずれ転勤すれば何とかなると思った事と、嫌でも5年間はとにかく勤めようと一番初めに決めていたからだ。最初の支店は人間関係というものを大いに学ばされた。

今振り返ってみれば、あれはあれなりに良かったと思っている。酒の注ぎ方だってそのあと接待の時に役立ったと思うし、何より自分で仕事ができるようになると心のゆとりができてきて、自然と考え方も変わる。

初めてボーナスをもらった時、「仕事もしていないのにボーナスもらうのか」と言われて一日中気分が悪かったが、今なら「○○さんの時はもらえなかったんですか?」と笑顔で切り返せるだろう。もし今の自分があの頃に逆戻りしたら、もっと楽しくやれただろうと思うと、あの時衝突した人達に何だか申し訳ない気がする。

一頃、今時の若者は3年で辞めると言われていた。就職氷河期の今はどうなのだろう。エントリーシートなるものを何通も提出し、一生懸命企業訪問し、ようやく内定を取ったと思ったら内定取り消しなんて事もあり、今の学生さんは大変だ。今日社会人デビューした人達は、これから職場でどんな経験を重ねていくのだろう。

もし何かアドバイスを求められたら、社会人22年目の自分は何て答えるだろう?
「勉強しなさい」って事だろうな。
今は会社に頼っていてはいけない時代だ。
上場企業だって倒産する時代だ。
船が沈没して荒海に放り出されたら、溺れないようしっかり泳がないといけない。
しっかり泳げるかは日頃の鍛錬だ。
電車の中で漫画なんか読んでる場合ではない。
とにかく進んで経験を積ませてもらう事だろうな。

直接アドバイスする機会は少ないと思うが、自分自身いつ彼らに盗まれてもいいようにそんなスタンスを心掛けていたいものだと、今日改めてそう思うのである・・・


【本日の読書】
「最後の授業」ランディ・パウシュ
「姫椿」浅田次郎