そんな事が昔、寺沢武一のコミックで著者の一言として書いてあった。男であれば、金と女と不老不死といったありきたりの三大欲望であろうか。実際、そんな機会がやってこないものかと本気で考えなくもない。
しかし、相手が悪魔となるとちょっと考えてしまう。何せ相手は悪魔だ。望みが叶えられたとしてもその対価に何を要求されるかわかったものではない。だからすぐに飛びつくのではなく、まずは取引の全体像を確認すべきだろう。「願い事を叶える代わりに俺の望むものをほんの少しだけいただくとしよう」などと言われたら警戒警報発令だ。
相手に最初に要求するものを確認してから取引したいものだが、「まず取引するかしないかを決めろ」と言われたら、どうするかだ。願い事をかなえてもらったあとで、『では苦しみを味わってもらおう』などと言われたらたまったものではない。山のような現金と美女を侍らせておいて、自分はベッドの上で微動だにできない、その苦痛を不死の身で永遠に味わうなんて事になったら目も当てられない。
「君子危うきに近寄らず」が、一番なのかもしれない。しかしそれだと面白くない。ひょっとしたら警戒しすぎでチャンスをみすみす逃してしまうのかもしれない。そうするとここはひとまず相手の考え方を知るのが先決。第一の願いは、「相手(悪魔を含めて)の考え方を読める力をくれ」だろうか。
それで相手の考え方がわかったとして、何も問題なければ残り二つは欲望のまま進めばいい。だがもし3つの願い事のあとに来る相手の要求がとんでもないものだとしたら・・・二つ目の願い事は、「あと50年願い事を待て」になるだろうか。50年たったらあとはもういいだろう。また、その間不死となったら逆に儲けものだ。
そして50年後となったら、もう欲望も消えているに違いない。子孫繁栄でも願って残り少ない人生を差し出すか。こうしてみると何だか得したのか損したのか・・・結局、悪魔との取引なんて割に合わないって事だろう。願い事は地道に努力して自分で叶えるしかなさそうである。
でももし相手が天使だったら・・・妄想は膨らんでいくのである・・・
【昨日の読書】
「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
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