2024年12月31日火曜日

2024年末雑感

2024年も最後の1日である。
1年に365日あるが、大半の日々は日常生活の中に埋もれていく。しかし、この日は世の人々は明日の元旦と合わせて穏やかに神妙に過ごすような気がする。この366日を振り返ってみると、大半の日々を同じように平穏に過ごせたと思う。毎年思うが、大きな不幸がなく過ごせたという意味で良い1年であったと思う。人生60回目の大晦日を穏やかな気持ちで過ごせるのは幸せであると思う。

仕事も思う通りにやって、それなりの実績は示せている。自分が思いついて提案し、実行した事は「自分ならではの仕事」と言える。自分がこの会社にいなかったらやっていなかった事であり、自分の存在価値そのものである。転職フェアへの出展を提案し、また別の新たな採用手法を提案し、採用の実績に繋げた。私がいなければ、2人の人間が我が社に入社しなかったと考えると、足跡を残せたかなと思う。

採用のために今年も出張に行った。北は札幌から、新潟、鹿児島と定例のところに加え、沖縄と富山が加わった。基本的に出張はあまり好きではないのであるが、夜、ホテルで1人過ごす時間は気に入っている。出張に行く限りは何か成果を残さないとと考えているが、そんな成果を振り返りつつ、映画を観たりして1人くつろぐ時間は結構好きである。あまりに気に入ったので、夏休みに1日家族に内緒で都内のアパホテルに泊まりに行ったほどである。これも気に入ったので、これからしばしばやろうと思う。

昨年、母方の従兄弟と会った際、「来年は親戚会をやろう」と約束した。実行が伴わない空約束は嫌なので、積極的に従兄弟たちを中心に連絡を取り、夏に実行した。叔父叔母と従兄弟たち4家族総勢10人だったが、夜遅くまで飲んで歌ってみんなに喜ばれた。基本的に幹事は好きじゃないし、面倒なので嫌なのだが、最後まで気持ちを押し殺してやり切った。もう親世代はいつまで会えるかわからない。これが最後かもしれないし、やって良かったと思う。

一方、夏に父方の叔父が亡くなった。父よりも先に逝った事も驚いたが、最後に会ったのはいつだったか思い出そうとしても思い出せなかった。同じ東京に住んでいながら、30年くらい会っていなかったかもしれない。遺影の叔父は確かに私の記憶している叔父であったが、遺体の叔父はどこかの知らない人であるかのようだった。そう言えば、昨年亡くなった父方の伯父も亡骸は別人のようであった。突然、道で会ってもたぶんわからないだろう。老いて死ぬという事の現実を改めて見たような気がした。

娘は就職し、息子は大学に進学した。娘は公務員になったが、初任給もボーナスも我が社の大卒の新入社員よりもいい。何となく複雑な気がする。娘の父としてはいいが、会社の役員としては何とかしないといけない。初任給で何かプレゼントしてくれるという事は残念ながらなかったが、まぁ良いだろう。それなりの大学に進学した息子を誇らしく思う一方で、父として今のうちに語っておきたい事もたくさんある。来年は少し息子と語り合う時間を作りたいと思う。

早いようでも366日もあればいろいろな事があった。ラクビーも楽しくできたし、親と過ごす週末も良かったと思う。早いと感じるのは振り返るからであり、その時々ではゆっくりと時間が過ぎている。人生も何となく2/3が過ぎたという気がしているが、まだまだ1/3が残っている。過ぎゆくひと時ひと時を味わいながらこれからも過ごしていきたい。そして大晦日にはゆっくり振り返ってみたい。そしてそこで良い年だったと満足したい。今日この大晦日、366日が凝縮された2024年も良い年だったと思うのである・・・


Sookyung AnによるPixabayからの画像


【今週の読書】


運 ドン・キホーテ創業者「最強の遺言」 (文春新書) - 安田 隆夫三体2 黒暗森林 下 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 立原 透耶, 上原 かおり, 泊 功

2024年12月29日日曜日

あざなえる縄とは言うものの・・・

「辛いという字がある。もう少しで幸せになれそうな字である。」
星野富弘
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その昔、「一瞬の幸福のために辛い人生を生きる価値はあるのだろうか」と考えた事がある。「禍福は糾える縄の如し」という言葉がある通り、人生は幸と不幸が混じり合っている。幸福だけの人生であればいいが、不幸な事もある。人によってその過少過多はあるが、その割合は10:0にはならない。どちらかと言えば辛い事の方が多い。大学受験は現役の時に志望大学に受からず浪人した。予備校に通わず暗い宅浪生活を1年間送った。受かるかどうかもわからぬ不安の中での1年間は、精神的になかなかきつかった。さらに1年と言われたらとても無理であった。

そんな思いをして合格を勝ち取ったが、喜びは一瞬。大学生活の日常の中に喜びは埋没していった。社会人になっても、仕事は人間関係を中心とした忍耐生活であった。プライベートでも好きな女の子に思いは通じず、「自分の人生ってなんだろう」と思う事、しばしば。そんな中だったから、「一瞬の幸福のために辛い人生を生きる価値はあるのだろうか」と考えてみたりしたのだと思う。その時の結論としては、「たった5分間だとしても、そのために生きる価値はある」と思ったのである。

翻って今はどうだろうかと思う。幸い、辛い事はあまりない。かと言って大きな喜びがあるというわけでもない。しいて言えば「凪のような生活」と言える。幸と不幸との間のジェットコースターのような人生からすると、凪いだ海のような生活は好ましいのかもしれない。幸と不幸の大きな山と谷の人生と凪いだ海のような幸も不幸もない人生とどちらがいいだろうかと考えてみる。年齢的なものもあるかもしれないが、大きな幸運とともに大きな不運がある人生とともにない人生とでは、ともにない人生の方が好ましいのではないかと思ってみたりする。

凪いだ海のような人生と言っても、よく見れば小さなさざ波はあるもので、日々の生活の中に小さな幸福を見つけたりすることが多い。週末はシニアのラグビーに通っているが、仲間と練習で汗を流すひと時は何とも言えない小さな幸福感を感じさせる。試合の緊張感、いいプレーができた時の満足感、試合に勝ってみんなと飲み、負けてみんなと飲む。そこでわいわいとくつろぐ瞬間は、小さな幸福感を味わえる瞬間である。

仕事でも、一応役員という立場で、自由に思ったようにできる。好き勝手と言ってもそこは仕事の範疇なのであるが、それでも自分で考えた事が会社の役に立ったり、自分の意見で会社が動いたりする。人に言われて言われた仕事をするよりも自分で思う通りにできる仕事はこの上なく面白い。「仕事が面白い」というと、奇異な目で見る人もいるが、仕事の面白さを知らないのは不幸だと思う。

その楽しい仕事でも、実は日々いろいろな問題が起こっている。業績が思うように伸びなかったり、採用が思うように上手くいかなかったり、現場のプロジェクトで問題が起こったり、新入社員が会社に来なくなってしまったりという事など、問題のオンパレードである。すべてが思い通りに行って、毎日ニコニコしながら仕事ができたらどんなにいいだろうと夢想するも、現実は酷である。

それでも過去2度も体験した突然の失職と再就職が決まるまでの不安の日々から比べればどうという事はない。「解決すべき問題=仕事」がある事こそが幸せだと思う。一瞬の幸せと言ったが、実は幸せとは「不幸でない事」かもしれない。住む家があって、仕事があって、家族がいる。「辛」いと思っていたが、よくよく老眼を凝らして見たら「幸」という字であったのかもしれない。幸とか不幸とかは、もしかしたら考え方の部分が大きいという事もあるかもしれない。

最近は瞬間的な幸福よりも、凪いだ海のような平穏な日々の方が好ましいように思うようになってきている。平凡な日々を送れることこそが、実は十分な幸福なのかもしれない。多少上手くいかないことがあったとしても、今日も平穏な1日を過ごせる事に喜びを感じられるようにしたいと思うのである・・・

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2024年12月26日木曜日

怪我

ラグビーをやっていると怪我はつきものである。大きいものから小さいものまで常にどこか痛い場所があると言っても過言ではない。還暦を過ぎた今もラグビーをし続けているが、怖いのはやはり怪我である。それも仕事に支障のあるような大きな怪我である。それでもやっているのは、「楽しいから」という気持ちが怪我に対する恐怖心を上回っているからであるが、安易に「自分は大丈夫」と根拠なく思い込んでいるだけではなく、一応気をつけてはいる。平日も仕事から帰ってきて筋トレをしたり、走ったり。毎週の練習は欠かさず出席したり。来年は一層年代別の試合に出場することを徹底しようと思う。

高校時代はまだ土の(というより砂利に近い)グラウンドであった。なのでひじやひざ、ボールに飛び込んだ時に大腿部の横にできる通称「ハンバーグ」という擦り傷が絶えた事がなかった。かさぶたができてもすぐ練習で取れて血が滲む。そんな事を繰り返したせいか、今でも傷跡があちこちに残っている。ただ、それは「怪我」のうちには入らなかった。今は芝生のグラウンドも一般的になってきているので、さすがにそういう擦り傷は激減している。何となくそれだけでも現代のラグビー環境はありがたいと思う。

そんな小さな怪我ばかりであればいいが、生活に支障の出る大きな怪我もなくはない。大学の後輩も2人ほどそういう大きな怪我をしてしまっている。障害者手帳をもらうような大きな怪我はさすがに怖いと思う。経験のあるいい選手だっただけに、「下手だから」怪我をするわけでもない。有名大学の有名選手も大きな怪我でラグビー人生を絶たれたりしている。その時々のタイミングなのだろう。運が悪かったとしか言いようがないのかもしれないが、なるべく怪我をしないように、せめて練習を欠かさぬようにしようという思いでやっている。

私自身はと言うと、幸いにして比較的大きな怪我は1度だけである。大学4年の公式戦開幕戦で、左肩を脱臼して救急車で運ばれた事である。脱臼するとあんなに痛いものだとは思いもよらなかったが、その後公式戦を何試合か欠場しなければならなかったのがもっと痛かった。ラグビーは痛いところがあってもテーピングをしたりしてごまかしながらやるのが当たり前であるが、さすがに満足に肩を上げられない状態だとみんなの足を引っ張るだけなので欠場を選択したが、最後のシーズンだっただけに実に悔しい思いをしたのである。

大学を卒業し、社会人になってもラグビーは続けた。社会人ともなると、下手に怪我をして仕事に支障をきたすと非難される事になる。「自己管理がなっていない」という事である。「怪我をするような事を社会人になってもやっているのか」というプレッシャーは常にあった。せめてもの救いは勤務先の銀行のラグビー部でやっていれば、万が一に怪我をしても「会社が認めた活動」という言い訳が多少できるくらいであった。それでも仕事のために怪我を恐れてラグビーをやめるという「良い子」になるつもりは微塵もなかった。

社会人になって、実は左足の靭帯を切る怪我をしたことがある。幸いな事に「後十字靭帯」だったので、手術不要で一定期間の固定だけであった(初めてギブスをした)。どうしてもびっこを引くことになるが、支店の同僚に見つからないようにわざわざ駅から支店まで人通りの少ない裏道を遠回りして通った。支店内では「打撲」でごまかした。考えてみればそのくらいしかない。怪我をする人は頻繁に怪我をしているし、入院して手術が必要な怪我をしている人もいる。そういう人から比べると、私は怪我をしにくいタイプなのかもしれない。

シニアとなった現在も怪我の回復が極端に遅くなっているのを自覚しており、無理はしないように心掛けている。ともすれば多少痛くても試合には支障がないと考えてしまう自分がいる。「三つ子の魂百までも」ではないが、試合を休むことに妙な抵抗感があって、このくらいの怪我なら出られると考える自分がいるのである。休んでもいい怪我とそうでない怪我という基準が自分の中にあって、気持ち的には「出られる」と思っても、今はもう無理せず欠場を選択してするようにしている。

そんな感覚があるからなのかもしれないが、ちょっと具合が悪いからと仕事を休む人に対しても違和感を感じてしまう。私は小学校から高校まで無欠席であったし、大学も病欠の記憶はない。仕事も早退は何回かあったが、やはり病欠はない。多少具合が悪くても「休む」という感覚がない。まぁ、インフルエンザのように他の人にうつす危険性がある場合はこの限りではないが(そのインフルエンザも罹った記憶はない)、多少具合がわるくても休もうと思わないのは、怪我で試合を休まない感覚に近いかもしれない。もっとも、休みたくなるほど具合が悪くなった経験が少ないという事もあるかもしれない。

それでもこれからは意図的に考え方を変えていこうと思う。還暦も過ぎれば細胞レベルで体も劣化しているだろうし、若い意識での過信は禁物だと思う。これからはラグビーでも仕事でも「体優先」で行きたいと思う。精神論だけではなく、「いたわり」も必要であろう。「己の体に優しく」を大事にしていきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】
運 ドン・キホーテ創業者「最強の遺言」 (文春新書) - 安田 隆夫   三体2 黒暗森林 下 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 立原 透耶, 上原 かおり, 泊 功




2024年12月22日日曜日

仕事にて

先日、職場で唖然とさせられる出来事があった。現場からとある設備の貸与を請求され、担当者が手続きをして貸与したのであるが、社内に在庫があるわけではないので、いつものようにレンタルの手配をして渡したのである。レンタル期間は最低1年間である。ところが、現場担当者が2週間ほどしてその設備を返却してきた。「もう用は済みました」と。手配した担当者もそこで驚いた。1年間のレンタル費用を払って手配したものを2週間で返されたわけであるから当然である。返されたものはキャンセルするわけにはいかない(キャンセルしても1年分の違約金は取られる)。誰かがまた使うかもしれない事を期待して、やむなく保管しておくことにした。

普通に考えれば、わずか2週間しか使わないものに1年分の費用を払うのは問題外である。その設備がないと仕事にならないなら仕方がない。しかし、それは必須の設備ではない。言ってみれば「あれば便利」なものである。もちろん、仕事で必要なものであれば会社としては手配するが、そこには当然「費用対効果」という考え方がある。今回で言えば、わずか2週間ほどの「便利」のために1年分のレンタル費用は明らかに過剰である。我が社は中小企業であり、こんな「贅沢」を許せるような懐事情にはない。

なぜこのような事態になったのか。現場の担当者は「必要だから」という理由だけで要求する。それを受けた取りまとめ担当者は機械的にその意図を発注担当者に伝えた。発注担当者は機械的に発注する。通常であれば、そこで現場担当者の上司が「必要とコストとのバランス」を考えて発注するか否かを判断する。そして上司から発注部門の責任者である私のところに依頼が来て、私が発注の指示を出す。私も現場の上司からの依頼であれば、「コストをかけてまで必要なのか」を一々聞くまでもなく(そのあたりの判断は当然していると考え)、指示を出す。

しかしながら、今回、その上司が休職中であり、そのプロセスを飛ばさざるを得なかった事から、担当者ベースで直接依頼があり、いつの間にかの習慣化により、来た依頼は自動的に受ける(本当はそこに判断が入っているのに)ような錯覚を起こしていて、私も知らないところで発注手配が行われていたという事である。由々しき事態なのであるが、そこで改めて私も気がついた。我々の「判断」は目に見えない。外から見れば機械的に発注しているように見える。何も考えなければそういうものだと思ってしまう。

本来的には現場担当者も主任という肩書がついており、主任ともあればそのくらいの「判断」はして欲しいところである。会社の金だと思うから重要性も感じないだろう。これが個人のお金であればたぶんやらないであろう。それが「コスト意識」なのであるが、会社の金となるとコスト意識は薄れるもの。これが管理職であれば、採算管理をしなければならないのでコスト意識が働くが、そうでなければコスト意識など働かない。優秀な社員は自然とコスト意識を言われなくても働かせるが、そうでなければどこ吹く風である。

立場が変わると見える風景が違うという事を昔言われた事がある。役職が上がれば管理する範囲も変わってくるので、それまでと意識する範囲も変わってくるという意味であるが、今回もそれは言えている。日頃から上司とよく意思の疎通をし、また観察しているような社員であれば、普段上司がどんなところを見ているか、を見て自分も同じように見るようになる。そういう者は管理職になってもスムーズに仕事をこなせる。しかし、そうでない者にはいつまでも「あいつは大丈夫か?」という疑問符に付きまとわれる。

経営陣が見ている会社の状況を見て、同じ問題意識を共有できれば、みんなが自然と経営者のように振る舞えるのかもしれない。それは会社経営としては理想形であるが、現実的には「我が身中心」の者も多い。段階を追って管理職に任命し、経営意識を共有しながら、部門統括の立場に引き上げてと、やっていくしかないのかもしれないが、そのあたりの意識の醸成がなかなか悩ましいところがある。管理職でも難しかったりするのは、中小企業の人材力の限界なのかもしれない。

大企業であればともかく、中小企業では経営がごく近くにある。意識さえすれば、経営感覚はいくらでも磨けるし、それはなにより自分自身の力になると思う。それを生かさないのはもったいない事である。若いうちはいろいろと仕事以外に興味を惹かれるのは仕方ないが、30代の中堅クラスになったら、そろそろ一段上の仕事をしても悪くはないと思う。そんな意識向上を導くのが、自分の役割なのかもしれない。嘆くのではなく、どうするのか。そんな意識を持って自分の役割を果たしたいと思うのである・・・


Tung LamによるPixabayからの画像

【本日の読書】

運 ドン・キホーテ創業者「最強の遺言」 (文春新書) - 安田 隆夫  三体2 黒暗森林 下 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 立原 透耶, 上原 かおり, 泊 功



2024年12月18日水曜日

ルーティン

平日は毎朝同じ時間に起きて、同じように顔を洗い、髭を剃り、ヨーグルトを食べてホットミルク(夏は冷たいミルク)を飲みながら哲学関係の本を読む。同じ時間に家を出て、同じ電車の同じ車両に乗り、同じ時間に出社して日経新聞を読む。いわばこれが私の朝のルーティンである。このルーティンであるが、良いのか悪いのかは何とも言えない。判で押したような同じ毎日の繰り返しという批判的な考え方もあるし、自分ではいつも通りの気安さがある。「いつもと同じ」は実に心地よいと感じられるものである。

ルーティンの良さは「考えなくて良い」というところにある。いつもと同じ電車のいつもと同じ場所に乗る。すると乗り替えの際も一々行き先を確認しなくても済む(そのホームには行先の違う電車が行き交うのである)。電車の中では読書タイムに充てているので、思考を中断されることなく読書に集中できる。「考えなくても良い」と言ったが、正確には「他に注意を向けられる」という意味でもある。

一方で毎日同じ行動をとっていると、「考えなくなる」というのも事実である。高校時代、ラグビーをやっていたが、練習は毎日ほとんど同じメニューをこなしていた。初めてだったから特に疑問など感じなかったが、大学に入って面食らった。そこでは自分たちの弱点は何か、試合で生かしたい強みは何かを考え、それに合わせて練習も考えていた。大事な試合の前には、相手の先方を想定してそれに対応する練習をやった。考えてみれば当たり前の事であるが、高校時代は考えもせず、教えられた練習を何の疑問も持たずに繰り返していたのである(だから弱かった)。

高校でやっていた練習も、実はきちんと意味があったのであるが、そこまで考えなかったのである。スポーツではルーティンも大切なところがある。イチローがバッターボックスに入ってからの一連の動作は有名だったし、ラグビーのゴールキックは正確性を期すためにルーティン化するのが良いとされる。練習でやった通りにやればやった通りになるという意味でのルーティン化は良いルーティン化であるが、何も考えないで同じ練習をするのは悪いルーティン化と言える。

そう考えると、ルーティンには「良いルーティン」と「悪いルーティン」があるのがわかる。我が職場でもルーティンおじさんとでも言いたくなる嘱託社員の方がいる。仕事はきっちりやっていただけるが、「異例」に弱い。というか嫌う。それはどうやればいいか考えるのが面倒なんだろうと思うが、決まった仕事を決まった通りにやるのが得意なのである。たまに「これはなぜこうやるのか」と聞いたりすると、「今までずっとそうしてましたから」という答えが返ってくる。どこにでもありそうな前例踏襲型のルーティンである。

私の場合、「昨日と同じ事を今日も明日もやる」というのは嫌いなので、何かもっと良いやり方はないかとかすぐ考えてしまう。オリジナリティにこだわる部分もあって、「これは俺が考えた」という仕事のやり方を作り出すのが好きだった。それは今でも「もっと良いやり方」を常に工夫するように部下も指導している。ルーティン化して良い仕事もあると思うが、たいていの仕事は「常に改善」をモットーにしてもらっている。仕事では基本的にルーティン化しないほうがいいものの方が多いように思う。

資格取得の勉強をしていた時期は、帰宅すると決まった時間を勉強時間に充てていた。これは「習慣化」と言えるが、こういうものはルーティン化すると抵抗感を減らせるかもしれない。今でも週3回、帰宅すると腕立て伏せやスクワットなど簡単なトレーニングをルーティン化している。そうすると、その日(月水金)はもうそれをやるという前提で帰宅するので、「どうしようか」などと迷う事もなく続けられる。私の場合、こういうルーティン化は結構好きかもしれない。

いずれ時が来て仕事を引退し、「毎日が日曜日」という日々を迎えたら、結構ルーティン化した毎日を送っているかもしれない。毎日同じ時間に起きてホットミルクを飲みながら哲学の本を読み、前夜観た映画のブログを書き、決まった時間に散歩に行き(ルートは何パターンか変えるかもしれない)、同じ時間に同じ喫茶店に行き、いつもの席でいつものコーヒーを飲みながら読書をする。夜は同じ時間に映画を観る。そんな生活を送っていそうな気がする。

考える事をせずにいいものはルーティン化し、そうでないものはルーティン化しないようにして考え続ける事を意識する。そんな風に分けて考えればいいのかもしれない。良いルーティン化はこれからも維持していきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

避けられた戦争 --一九二〇年代・日本の選択 (ちくま新書) - 油井 大三郎 あなたが誰かを殺した 東野圭吾






2024年12月15日日曜日

論語雑感 泰伯第八 (その14)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、不在其位、不謀其政。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、其(そ)の位(くらい)に在(あ)らざれば、其(そ)の政(まつりごと)を謀(はか)らず。
【訳】
先師がいわれた。「その地位にいなくて、みだりにその職務のことに口出しすべきではない」
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「その地位にいなくて、みだりにその職務のことに口出しすべきではない」と言うのは、たぶんその職務には外からは窺い知れない苦労があるのであって、そうした苦労を知らない者が安易に口を出すべきではないという事であろうと思う。私も過去にそれで苦い経験をした事がある。銀行員時代に直属の上司の上司である部長から顧客との事務手続きについて横槍が入り、やむなく部長の指示に従ったところ顧客との間にトラブルが生じたのである。

部長としては正しい指示だと思ったのであろうが、「実務上」は簡略なやり方があるのであるが、部長自身にそれを理解していただけなかったのである。事務手続き規定にも認められているやり方だったので、もっと私が丁寧に説明すれば良かったのであるが、安易に従ったばかりに顧客とトラブルになったのである。もっとも変わった顧客でクレーマーの要素が大だったという要因もある。今思い起こしても無念である。

また、同じく銀行員時代、支店の住宅ローンの担当者だった時の事であるが、ある案件で審査を通すのが難しいと判断して事前相談の段階でお断りした事があった。ところがそれは不動産業者を通じて相談があったもので、業者の担当者はなんとかならないかと上司を通じて私の上司に話を持ち込んだ。優良取引先の依頼だった事もあり、私の上司はそれを受け、「何とか審査と相談して承認してもらえ」と私に命じたのである。

住宅ローンの審査はある程度定型的なもので、何とかしようとしても何とかなる要素は小さい。私はそのあたりに精通していたので、「無理だ」と抵抗したのであるが、上司は何とかしろの一点張り。私も何とか頑張ったが、結果的にはダメ。ところがその間、時間が経過した事もあり、今度は今更断られても困る(他の銀行に行くには遅すぎる)とクレームになった。上司はお詫びしつつ、私と一緒に顧客に謝りに行く事になった。私が時間をかけ過ぎて遅くなったというお詫びになったが、実に理不尽な結果であった。

知らない事には口を出さないでほしいというのは真実であるが、現職にあってみればそうとも言い切れない。半年ほど前のことであるが、現場でトラブルが生じたのであるが、責任者の対応は今一つであった。見かねて私が口出しをしたが、明らかに責任者は迷惑顔であった。しかし、私も取締役である以上、トラブルが拡大する事態は避けないといけない。そこで部門の問題から格上げして役員会に問題を上げて全社ベースで対応する事とした。

それでも結果的に赤字プロジェクトとなってしまったが、最悪の事態は回避できた。私が介入していなかったら(現場の事ゆえに門外の私に解決策は持ち得なかったが、全社ベースでの対応にした事は良かったと思う)、もしかしたら赤字だけでは済まずに損害賠償という話にまで発展していた可能性はある。他人の領域でも時と場合によっては口出しする必要があるという例だと言える。

では、口出しはいいのか悪いのか。思うに、「不在其位(その地位にいなくて)」という言葉に注目すると、取締役という立場は全社ベースで問題に対応しなければならない立場だとすれば、「在其位(その地位にある)」と言える。そう考えればやはり孔子の言葉通りなのかもしれない。まぁ、言葉通りなのかそうでないのかというよりも、やはり口出しするときは自分自身きちんと責任感は持って行いたいと思う。相手を尊重しつつ、責任感を持ってやるのであればいいのではないかと思うのである・・・


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【本日の読書】
避けられた戦争 --一九二〇年代・日本の選択 (ちくま新書) - 油井 大三郎 あなたが誰かを殺した 東野圭吾






2024年12月11日水曜日

譲り合い

先日の事、道を歩いていたら前方から若い男が歩いてきた。まっすぐ自分に向かってくる感じで、私はさり気なく横にずれてすれ違ったのであるが、その刹那、違和感を感じた。その男からは「避けよう」という意思がまるで感じられなかったのである。むしろ勢いよくぶつかって来る感じであった。違和感を持ちつつも、特に振り返る事もなくそのまま歩き続けたところ、なんとその男がUターンしてきて私と並んで歩き、何やらブツブツ言い始めた。よく聞き取れなかったが文句を言っている事だけはわかった。私が無視してそのまま歩いていたら、男は立ち止まり後ろで「ふざけるな!」と罵倒して(唾を吐く音が聞こえた)そのままいずこへと去って行った。

その昔、いかつい男がすれ違いざまにわざと肩を当て、いんねんをつけるというのがあったが、避けたのにいんねんをつけられるというのも珍しい。見た目は普通の若い男だったが、雰囲気はどこか頭がおかしいと感じさせるところがあり、私もまともに相手をするのは避けたのである。それは例外中の例外として普通は互いに譲り合うものである。廊下などで出会い頭にぶつかりそうになり、お互いに避けようとして同じ方向に避けてまたお見合いしてしまうという事もよくあるが、普通に譲りあえば何という事もなくやり過ごせる。譲りあわなければそこに衝突が生じてトラブルになる。

我が社のとある社員と定期的な面談をした時の事、営業部の部長とそりが合わず冷遇されていると聞かされた。何となくそこにも違和感を感じた。営業部長の普段の言動からは想像できなかったのである。そこで彼と営業部長と話をする場を設けた。私が入って双方の話を聞いて整理したところ、互いの誤解も解けてその結果はまったく何の問題もなくなった。後で彼自身から聞いたところによると、私が直接話をしようと言い出した時にどうなる事かと思ったらしいが、結果は良かったと感謝された。互いに悪い想像をするだけで終わるのではなく、腹を割って話すことも大事である。

人間関係の何の事はない一コマではあるが、互いに譲り合い、腹を割って話せば多くの問題は解決すると思う。特に日本社会は忖度社会でもあり、相手の事を勝手に想像して判断しているところがある。しかし、人間には言葉という強力な意思伝達機能があるわけであるから、それを使わない手はない。その上で、自分の希望だけを押し付けるのではなく、相手にも同じように希望があるのだと理解した上で、双方の希望が折り合える接点を探していく事が肝要だと思う。

それは個人間にとどまらず、国家間という大きな関係においても同様であり、相手の立場に立って考え、理解するようにすれば紛争にはならないと思う。ロシアは国防の観点からクリミア半島を死守したいと思うし、ウクライナにNATOに入って欲しくなかったわけで、それを理解してアメリカが譲歩していれば戦争にはならなかったわけである。イスラエルとパレスチナも互いに認め合い、譲りあえば戦争にはならないわけである。言うのは簡単だが、国家間ともなれば簡単ではない。ただ、原理はシンプルである。

我が社の社内でもそういうケースは多い。ちょっと譲りあえば問題ないところで対立し、逆に互いに変なところで気を使い合って距離を置く。遠慮せずに話をすれば何の問題もなく理解し合える。私もそういう精神でやっているので、聞きにくい事も遠慮せずに聞くようにしている。そこには「聞き方」という問題もあるので、言葉使いには気をつけている。相手が立場が下の者でも丁寧語を使って「上から目線」にならないようにしている。

この立場というのも難しいもので、どうしても立場が上だと相手は遠慮して言いたい事を控える傾向がある(もちろん、遠慮しないで言いたい事を言ってくれる部下もいる)。それをきちんと引き出さないといけない。それにはまず自分から譲って相手の意見を引き出さないといけない。自分ではよくできているつもりではあるが、実際はどうなのだろうとよく自問自答する。自分が渦の中心にいるよりも、それを俯瞰するイメージを心掛けている。

私に国家間の争いごとを解決する能力はないが、社内であればある程度は力を及ぼせる。自分が絡むところではなおさらである。様々な思いを持った人間が集まって働く以上、そこには物事をうまく進めていく事が必要である。自分の考えのみを絶対視して突き進むだけではなく、周囲の考えも理解し、うまくいけば力を引き出しながら進めていく。そんな事がよりうまくできるようにしていきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

避けられた戦争 --一九二〇年代・日本の選択 (ちくま新書) - 油井 大三郎  あなたが誰かを殺した 東野圭吾






2024年12月8日日曜日

リスク管理

 最近、「リスク管理」という点で、意識の違いを認識させられる事が会社であった。とあるプロジェクトなのであるが、様々な事情で「火を吹いている」状態であり、社員も疲弊している。プレッシャーで精神的に参ってしまい、リーダー的な立場の者が休職に追い込まれている。少しずつ改善は試みているものの、メンバーの疲弊度も大きい。納期もある中での事であり、何とかもう少し状況を改善できないものかと協力会社とも相談をしている。その中で、1人の若手社員に黄色信号が点っている。

 私からはその者の負担を軽減して残業を制限するようにと申し入れた。しかし、現場の責任者でもある役員の反応は鈍い。1人の負担軽減は他の者の負担増につながる。ではどうするか。私はやはりその若手社員の負担を軽減して残業を制限するよう申し入れた。考えるべきパターンはいくつかあるが、私は「その若手社員が明日にでも精神科へ駆け込んで適応障害の診断書をもらってきたら」というパターンを想定したのである。それが考慮すべき最大のリスクだと判断したのである。

 もちろん、その若手社員の負担軽減によって他の者の負担増となり、今度はそちらの社員が倒れるという可能性もなくはない。ただ、耐久性からするとそのリスクはより低いと判断したのである。それを指摘すると、さすがの現場責任者も同じ考えに至り同意してくれた。交代要員もいない中で、その若手社員が倒れるリスクが何より大きい事に気づいてくれたというわけである。現場の人間でもない私が気づくリスクにどうして気がつかないのかと思うも、「灯台下暗し」的なところもあったのかもしれない。

 ただ、そこは日頃からの考え方にもよる。「Aであったら」というベストシナリオだけを思い描くのではなく、「Aでなかったら」というリスクシナリオを想定するのがリスク管理である。「その場合、Bという手を打つ」、「それがうまくいかなければCという方法を取る」といくつかのパターンを想定しておかないといけない。我が社の場合、「Aでなかった」場合、そこで初めて「どうしよう」となる事がしばしあるのである。「問題が起こってから対処する」というのがもっとも後手に回るものである。

 弟が詐欺被害に遭ったのもリスク管理という考え方ができなかった事から被害を拡大させている。「投資したフィリピンのリゾート地が売れたら返す」と約束して友人たちにお金を借りた事が被害を拡大させてしまったのである。「売れたら」という楽観パターンのみを考え、「売れなかったら」と考えなかったのである。私も過去に株式投資で失敗した事がある。かなり借金を背負って苦しんだが、私の場合は「うまくいかなかったら」という想定をしていたため、損失はギリギリ(自力でカバーできる範囲)のところで抑えられた。

 当たり前のようであるが、金を借りる人はうまく行く前提でしか考えない。うまくいかない場合は、考えられないのか考えたくないのかわからないが、どちらにせよ考えない。しかし、そここそがもっとも大事なところなのである。リスクが高まった状態であれば、常にいろいろなパターンを想定する事が大事である。丁寧に考えていけばそれほど難しいことではないし、誰もが困難に直面した時こそいろいろなリスクパターンを考えないといけない。

 「楽観パターンがうまくいかなかったら」。それを前提に対策を練っておけば、いざうまくいかなかった時は「想定通り」なわけで、あらかじめ準備していた手を打てば良い。私も公私に関わらず、これからも気を抜かずにリスクには敏感にアンテナを張れるようにしたいと思うのである・・・

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【本日の読書】
避けられた戦争 --一九二〇年代・日本の選択 (ちくま新書) - 油井 大三郎 あなたが誰かを殺した 東野圭吾






2024年12月5日木曜日

就職するなら・・・

 現在、中小企業で役員として働いているが、担当は財務と人事である。本職は元銀行員としては財務と言いたいところであるが、人事も割合としては大きい。今は新卒・中途の採用を担当し、社員の福利厚生や面談などにより社員の意識を確認したりしていて、それなりに忙しい。中途は技術がわからないので現場の担当者に判断を任せる部分は多いが、新卒はほぼ採用の意思決定に関わっている。当社のような中小企業は、都心部では圧倒的に知名度に劣り、なかなか大学生の採用は難しい。必然的に地方の大学、専門学校がターゲットになってくる。

 そうした地方の大学生や専門学校生から見た中小企業はどのように映るのだろうかとよく考える。おそらく、言葉は悪いが端から有名企業への就職は無理と考えているので、我々のような中小企業もターゲットとして見てくれているのだろう。ゆえに毎年少ないながらも採用はできている。私の就活は(もうずいぶん昔の事だが)大企業が当たり前だと思っていたので(一応それなりの有名大学卒だ)、中小企業などは考えもしなかったが、銀行に入って多くの中小企業とお取引する中で、中小企業も悪くないと思うようになっている。

 日本の企業のおよそ99%が中小企業であると言われている通り、世の中は数の上から言えば圧倒的に中小企業社会である。ただし、1%の大企業が1社で中小企業の何百社分の売上を上げていたりするから目立たないだけである。少ない大企業の狭い門を争うよりも、中小企業の門を叩いた方が就職ははるかに楽だろうし、歓迎もされるだろうし、入ってからも会社の中核人材となれる可能性は圧倒的に高いと思う。レッドオーシャンよりもブルーオーシャンを目指すという考え方からすれば中小企業にこそ就職すべきだと言っても過言ではない。

 しかしながら、中小企業にはやはりリスクがある。それは大企業に比べて倒産率が高いという事だろう。今でこそ大企業も倒産する時代になったが、大企業は割といろいろな方面から救済措置が入る事が多い。JALもその一例である。もちろん、人によっては給料のカットや整理解雇という対象になる人もいるだろうが、企業本体は存続する。中小企業はほとんどそんな助けもなく倒産する。福利厚生に劣るケースも多いだろうし、給与水準も平均すれば低いだろう。中小企業の方が優れているわけではない。

 私の息子は今年大学に入学したばかりだが、いずれ就職となる。親としてもしもアドバイスを求められたら、間違いなく大企業を勧めるだろう。就職ではなく、起業したいと言われても一旦は大企業への就職を勧めるだろう。それは何よりも「箔」である。大企業から中小企業へ転職した(あるいは起業した)としても、「大企業に採用されるだけの人物」という意味で信用力が増す。その効果はバカにできないので、一旦は大企業に就職(できるなら)する方がいいだろうと思う。

 しかし、それが残念ながらできないのであれば、気持ちを切り替えて中小企業を狙う方がいいだろうと思う。中小企業もいろいろあって、いわゆる「スタートアップ」は坂の上を目指して頑張っていく遣り甲斐は溢れているだろう。我が社のような創業50年の老舗となると、そういうパワーはないが、安定感はあるかもしれない。ただ、その安定も海が凪いでいる時のもので、時化た時はその限りではない。しかし、頑張れる人物なら若くして社内で台頭できると思う。そういう頼もしい社員が我が社には何人かいる。

 企業の寿命は30年とよく言われるが、それは創業者の寿命に応じている。世代交代がうまくいけば寿命は伸びる。また、今の時代M&Aもありうるので、後継者がいない高齢の経営者は第三者に会社を委ねる事ができる。我が社も昨年それで子会社を増やした。従業員が100人未満の小さい会社であれば、そのあたりを意識する必要もあるかもしれない。中小企業が狙い目なのは、むしろ「転職組」かもしれない。大企業で競争から外れてしまった人(私もその一人だ)であれば、活躍の場を中小企業に移すというのも手である。

 サラリーマン人生のセカンドステージとしては、中小企業はいいと思う。大企業での経験は中小企業からすれば「喉から手」の経験であり、十分活躍はできるだろう。どこでもらっても年収700万円は同じであり、埋もれて安定の中で余生を過ごすのも悪くはないだろうが、中心で活躍する方が気持ち的には圧倒的にいいだろう。今の私がまさにそれを体現している。大企業では再雇用されるとは言え、60歳定年でガクンと年収は落ちる。しかし、私は銀行時代の年収の9割を維持しているし、これからも維持できるだろう。あのまま銀行にいなくて良かったと本当に思う。

 誰もが成功者の道を歩めるものではない。大企業に就職できなくても、気持ちを切り替えて中小企業に飛び込めば、その人の気持ちの持ち方次第、頑張り方次第でいくらでも(中心で)活躍できる。昔から言う「鶏口となるも牛後となるなかれ」は真実である。そういう確信を持って、採用活動に励みたいと思うのである・・・


達山 智子によるPixabayからの画像

【本日の読書】

砂漠と異人たち/宇野常寛(著者)