2014年1月29日水曜日

スキーin湯沢2014

先週末は、今シーズンの初滑り。
毎年恒例の湯沢へ行ってきた。
朝5時に出発。
まだ暗い関越道をひたすら走る事2時間ちょっと。
目的地の岩原ゲレンデに到着。

初日は快晴。
それはそれで結構なのだが、ここしばらく雪が降っていないと言う感じで、雪の質は今一つ。
人間は自分に都合の良い事を要求するものなのである。
毎年通っていて、そこはもう慣れたゲレンデ。
子供たちもスイスイと滑る。


ふと、思い立ってボーゲンで滑る小学校2年の息子にターンを教える。
なんて名前だったか忘れたが、その昔、スキー教室で習ったやつだ。
するとそれが気に入ったのか、息子は熱心に練習する。
きっちり「ハ」の字に開いていたスキーが次第に平行になっていく。
褒めたら喜んで滑っていた。


考えてみれば、自分もスキーはそこそこ滑れると思う。
ただ、基本を習ったのは、初めの頃の数回のスキー教室で、あとは見よう見真似の我流。
それゆえ、子供たちに教えるのも憚られていた。
しかし、我流であったとしても、良いじゃないかと突然開き直る気持ちになったのである。
これからは遠慮なく教えようと思う。

2日目は湯沢高原へロープウェイで登っていく。
天気は一転して雪。
しかし体は暖かい。
最近のスキーウェアは良くできていると思う。
露出している肌の部分は痛いくらい寒いのだが、ウェアに隠れた部分は快適だった。

その雪が次第に強くなる。
息子が気に入った林間コースを滑る。
ゲレンデに流れていたポップスも林間コースには届かず、実に静か。
雪の降る音が、まさに「しんしん」と聞こえてきそうな静けさ。
自分のスキーが雪の上を滑る音が静かに響く・・・


何とも言えない雰囲気を楽しめたのはわずかの間。雪と風が強くなり、あたりはブリザードの雰囲気。2時過ぎにはついに、「これがホワイトアウトか」と思えるぐらい、視界が真っ白になり、家族みんなで顔を見合わせて「ギブアップ」。ロープウェイで早目の下山。

そしてふもとのホテル前で「雪合戦」。
どうも息子は相変わらずスキーよりも雪合戦が好きな様子。時間も早かったので、家族で付き合う事にした。

これが結構な体力の消耗となる。
最後に温泉に入り、帰路につくと、子供たちは爆睡。
次の日の仕事が脳裏を過ぎりつつ、ハンドルを握る。
昔ほどではないが、渋滞もあり、食事も上里のフードコートで急いで済ます。

昔は泊まりの方が楽だと思っていたが、どうも最近は考え方が変わってきている。
2日間滑るのは、なかなかきつく感じるのである。
日帰り強行軍でも、次の日寝ていた方が楽かもしれないと夫婦で意見が一致。
もしくは、来年は「2日目は温泉に入って滑らずに帰る」という形態になるかもしれない。

どちらにしろ、今シーズンはあと1回か2回、日帰りスキーを入れる予定。
それはそれで、楽しみたいと思うのである・・・



 

  

2014年1月22日水曜日

アルジャーノンに花束を

 家庭での子供のしつけや教育に関しては、妻任せになってしまっている我が家ではあるが、1点だけ私もこだわって来たところがある。それは読書の習慣付けだ。本を読むという習慣は、大人になってからも学び続けるためにはどうしても必要なもの。その時になって困らぬよう、子供の頃から習慣にしたいと思っていた。

 そんなわけで、子供が物心つくかつかないかのうちに、読み聞かせを始め、物心ついた後は、図書館で紙芝居や絵本を毎週のように借りて来ては寝る前に読んでやっていた。紙芝居などは、二人とも目をキラキラさせて聞いていたものである。そんな効果があってか、二人とも自然と読書に抵抗を持たなくなった。

 小学生の息子については、練馬区の推薦図書などからピックアップして読ませるようにしたり、伝記ものや世界の謎なんて興味を持ちそうなモノを図書館で探したり、その他子育て関連のサイトなどで目についたものを選んだりしている。難しいのは中学生の娘だ。

 もうすっかり自分で興味を持ったものを中心に読んでいるが、黙っていれば東野圭吾ばかりという傾向になったりしている。やっぱり、まだまだこちらから選んで読ませるようにする部分も必要だと思う。何が良いだろうかと自分の本棚を見まわしてみたが、読ませたいモノはいくつもあるが、なんとなくまだ早いような気がするものばかり。

 娘は私に似て感情があまり表に出てこないタイプ。だから無感動などという事ではない事は、私自身良くわかっている。ただ、やっぱり傍から見て心配なところもあるから、せめて本くらいは感動して心を動かされるようなものを読ませたいと思う。そう思ってあれこれ探していたら、本棚の奥で眠っていた【アルジャーノンに花束を】を見つけた。これを読んだのは、まだ20代の頃だったが、いたく感動していろいろな人に勧めたものである。

 主人公は、知恵遅れのチャーリー。いい大人なのだが、障害があって、中味は6歳ぐらいの幼児のまま。そんなわけで、周囲にバカにされるのだが、本人はそれとわからないからいつも笑顔を振りまいている。そんな彼が、ニーマン教授から開発されたばかりの脳手術を受け、驚異的なIQを獲得するに至る。

 物語は冒頭、「けいかほうこく」として、ひらがなで書きつづられる。それが段々と普通の漢字交じりの文章になっていく。それはチャーリーの知能の変化を表しているのだが、これがまた最後に味わい深いモノを見せる。ちなみにアルジャーノンとは、チャーリーの前に手術を受ける実験用のネズミの事である。

 驚異的なIQを獲得した彼であるが、やがて彼のレベルについて来られない周囲がみんなバカに見えてしまう。よくありがちな、頭でっかちの傲慢な男になっていく。ついにはニーマン教授でさえ凌駕する知能に達したチャーリーであるが、そんな時、先に手術を受けていたアルジャーノンに異変が生じる・・・

 娘は中学で成績が良い。それはそれで喜ばしい事であるが、勉強ができるというのは人の数ある能力のうちの一つでしかない。当然、それですべてが判断されるわけではない。勉強ができるという事は、100メートルを10秒台で走れるという能力と優劣をつけられる程のものではない。

 傲慢になったチャーリーと、みんなにバカにされながらも純真だったチャーリーとを比べ、どちらが良いとかではなく、何かを感じてくれればと思う。人にとって大切なものとは何だろうかと、感じてくれれば狙い通りだ。物語は再びひらがなばかりとなり、そしてタイトルの「アルジャーノンに花束を」で結ばれる。読み終える時、深い感動に包まれる。

 これなら今でも十分かもしれないと思う。読み終えてどんな感想を持つのか、楽しみでもある。娘にはこずかいと引き換えに、時折課題図書を課している。次の課題図書はこれにしようと一人ほくそ笑む。その前に、自分でももう一度読み返してみるのも悪くないかもしれないと思うのである・・・


アルジャーノンに花束を〔新版〕 - ダニエル キイス, 小尾 芙佐 

【本日の読書】
GILT(ギルト) - アレクシス メイバンク, アレクサンドラ ウィルキス ウィルソン








2014年1月19日日曜日

日中関係を考える

 昨日は毎年恒例の「中国から見た日本」の講座に参加。世話役としてお手伝いしている小山台教育財団の講座である。昨年までの講師の方が、中国で拘束されており、連絡も取れない事から今回は精華大学と中央大学で教授をされている方にピンチヒッターを依頼。例年とは違うアプローチながら、中国との関係を考えるいい機会となった。

 そもそもであるが、私は我が国は「米中等距離外交」路線を進むべきだと考えている。戦後ずっとアメリカの傘の下で発展してきた我が国であるが、そろそろ“自立”し独自の路線を歩むのが理想だと思う。アメリカも悪くはないが、アメリカは国益を前面に出して動く国。それも仕方ないとは思うが、「アメリカの国益≠日本の国益」である。我が国もそろそろ国益を意識してもいいと思う。

 アメリカは、自国の石油利権を守るために、「大量破壊兵器」というありもしない口実をでっちあげてイラクと開戦し、自国に都合の悪いフセイン政権を打倒した。我が国も国是を曲げさせられ、自衛隊をイラクに派遣した。そして次のターゲットとなっていたイランについては、我が国は長年友好関係を築いてきたにも関わらず、アメリカの経済制裁措置に無理やり歩調を合わさせられた。今後もこういう事は続くだろう。そろそろ我が国の国益に合わないアメリカの政策に対しては、“No”と言えるようにならないといけない。

 それには中国との関係改善が不可欠だ。尖閣諸島に毎日のように圧力をかけられている現状では、アメリカの庇護下からは抜けられない。高いアメリカの戦闘機だって不利な条件で買わないといけないし、沖縄の基地縮小も夢のまた夢。これは中国政府にも言える事。

 日本に対する“北風”政策は、日本に対しアメリカというコートを脱ぐどころか、ますますしっかり羽織るように仕向ける事になる。“太陽”政策で緊張緩和すれば、日本も「防衛費の削減」「米軍基地の縮小」といった事が可能になるし、それは中国にとっても好ましいはず。経済大国2位の国が、1位の国に対抗していこうとすれば、3位の国と組むのはもっとも望ましい事である。

 民主党政権は酷い政権だったと思うが、たった一点だけ良かったのは、小沢さんが「米中等距離外交」に足を向けた事だった。安倍総理の靖国神社参拝は個人的には大賛成だが、対中関係という点ではデメリットになる。“対中関係改善”という大きな目標を実現するためには、しばらく封印するのも日本の国益に適うと思う。

 中国人観光客がたくさん我が国を訪れ、日本製品を「オトナ買い」してくれれば、日本の消費も増加して経済にはプラスになる。中国市場の購買力は、我が国が重すぎる借金を返していくための有力な返済原資になると思う。大した国益にならない韓国は相手にする必要はないが、中国との関係改善だけは真剣に考えるべきだと思う。

 年に一度はそんな事を考えてみるのも良い事だ。来年は今までの講師の方の復帰は成るだろうか。中国政府も、日本における“中国の宣伝部長”とも言えるこの講師の方の拘束がいかに自国に不利益になるかを認識し、早く釈放してほしいものだと思う。

今後も折に触れ、ニュースには着目していきたいと思うのである・・・


≪過去の中国問題≫
日本核武装論
中国から見た日本2012
ああ中国人


2014年1月15日水曜日

バスタイム

 平日は、一人でゆっくり湯船につかるが、週末は息子と一緒に風呂に入るようにしている。風呂というところは、誰かと入るには良い空間だと思っている。と言っても、妻はもう頼んでも一緒に入ってくれないし、中学生となった娘と入るわけにもいかない。すると、もう我が家には一緒に入る相手は息子しかいないので、必然的に「誰かと」とは「息子と」と言う事になるのである。

 一緒に風呂に入ると親子の会話が始る。会話というより、「問答」であろうか。息子なりに興味を持ち、その時その時で疑問に思う事を聞いてくる。ニュースを見聞きして、聞きかじった事を聞いてくる事もある。「テロって何?何で起こるの?」そうした問いに答えるのもまた喜ばしい。

 先週末は日露戦争の話題となった。歴史漫画に出てきたらしい。我が家の風呂には世界地図と日本地図が貼ってある。長女が物心ついた時に買ってきて貼ってあるお風呂用の地図である。広大な土地があるものの、寒い土地が大半で、不凍港が欲しかったロシア。地図の西側での南下は、クリミア戦争となってイギリスに阻まれ、地図の東側で朝鮮半島目がけて南下してきて、日本と対立。
一緒に地図を見ながらの解説。

 「そーなんだ」という歴史漫画を購読し、すっかり歴史好きになった我が息子、こういう話には食い付きがいい。旅順攻略や日本海海戦などで勝利したものの、結局国力の限界で「判定勝ち」とならざるを得なかったが、「アジアの国々に与えた影響は大きかったんだよ」などと語って聞かせる。

 その昔、小学校低学年の頃、担任の先生がよくクラスのみんなに野口英世の話をしてくれた。一度で飽き足らず、みんなで機会あるごとに野口英世の話をしてくれとせがんだものである。ストーリーがわかっていようと関係なく、こうして何かを語ってもらうのを聞くというのは、子供には楽しいものだと思う。日露戦争の話に、息子が目をキラキラさせて聞き入っていたのも頷ける。

 その昔、「坂の上の雲」を読んでおいて良かったと思う。息子とそういう話をするのに、何も風呂でなくても良いとは思う。ただ、どういうわけか、風呂には何か特別な雰囲気がある。たぶん、閉ざされた空間だし、湯船に二人で浸かっていれば当然密着しているし、気を紛らわせるテレビも何もない。必然的に相手の話がすべてとなる。そんなところが良いのかもしれない。

 週末ともなれば、「パパ一緒にお風呂入ろう」と言ってくる。いつまで続くかわからないが、親子の貴重なお話しタイムの場として、これからもバスタイムは大切にしておきたいところである。今度はどんな話をしようか。

 「永遠の0」の映画も公開されているし、次回はこれだろうかと思ってみたりするのである・・・


  

2014年1月10日金曜日

最後の日は

ベルギー最高齢アスリートが安楽死、シャンパンで乾杯して旅立つ
【AFP=時事】ベルギーで「最高齢アスリート」として親しまれてきたエミール・パウウェルス(Emiel Pauwels)さん(95)が安楽死を選択し、家族や友人約100人とシャンパンで乾杯をした後に旅立った。
     
-2014.1.9-
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 日本では認められていない安楽死のニュースである。
日頃考えていた事でもあって、興味を惹かれた。安楽死については、賛否はあるだろうが、個人的には賛成である。というか、もしも自分が将来この人のような立場になったら、やはり同じように選択したいとさえ考えている。生まれる時は、わけもわからず生まれてきたわけであるが、死ぬ時は自分で決めようと思えば決められる。それも幸せな事だと思う。

 そもそもであるが、自殺は良くないとされている。キリスト教も自殺を禁じている。それにはまったくの同感だし、自分だったらやらないし、見知らぬ他人がしようとしていたら止めないだろうが、身内や知人だったら止めるだろうし、自分の場合はとくに、せっかく与えられた命だから最後まで全うしたいと思う。

 親になってから、よく子供たちの行く末を考える。
やがて学校を卒業し、社会人となって誰かと結婚し、子供を生み育て、いずれ老いて死んでいく。もちろん、自分は途中でこの世からいなくなるが、自分の子供が世をはかなんで自殺するなんて、そんなことは想像にすら耐えられない。それは同時に自分の親の気持ちでもあるだろうし、だからこそ元気に天寿を全うしたいと思う。

 ただ、冒頭のニュースの最高齢アスリートのような立場になったら、ちょっと違う。
病気で余命わずかとなったり、ボケて自分が誰かもわからなくなったりした時は、この限りではない。その時は、きちんと身辺整理をした上で、自分で自分の命日を決めるのも悪くはないと思う(もっともボケてたらできないが・・・)。

 日本で安楽死が認められないのは、「命は大事だ」という当たり前の理屈を盾にとって、そこに安住しているだけだと思う。助からないとわかっているのに、最後まで苦しむだけ苦しませるというのはもの凄く残酷だ。それは「命を大事に」している事にはならないと思う。もちろん、苦しまずに最後まで穏やかでいられるならそれに越した事はないと思う。要は、その「選択権」を持っていたいという事だ。

 私が敬愛して止まなかった祖父は、末期がんを宣告されたあと農薬を飲んだ。1週間くらい入院して亡くなったが、「バカな事をした」とは思わない。叔父たちは、告知した医者を批難していたが、逆に私はよくぞ告知してくれたと思う。そして、それを受けて自らの人生に自分でピリオドを打とうとした祖父の気持ちを理解できるような気がする。恐らく祖父は、“絶望”ではなく“満足”から農薬を飲んだのだと思う。

 その時、既に祖母は亡くなっており、子供たちも独立して孫も社会人になったりして、後顧の憂いはなかったはず。ボケて徘徊して亡くなった祖母の世話をしていたから、自分は子供たちにそんな世話をかけたくないと思ったのかもしれない。最後に見舞った病院のベッドで、私に軍隊で使っていた愛用の箸をくれると言い残してくれたが、そんな祖父を批難するとすれば、最後にゆっくり話をする時間をくれれば良かったのにという事だけだ。いつか自分も余命いくばくと宣告されたなら、祖父を見習いたいと思う。

 ただ、その時心配なのは、“手段”が確保できるかという事だ。
ベルギーのように医者が注射してくれれば楽でいいが、今のような安易な「命は大事論」がまかり通っていたら、そうもいかない。私の気持ちを組んで“協力”してくれた人が、「自殺ほう助」で罪に問われても困る。人生の最後に飲むのが農薬というのも哀しい。

 今からそんな事を心配しても仕方がない。もう人生は半分を過ぎただろうし、祖父の年齢まで生きるとして、あと40年。「その時」が来た時に、何の憂いも残さないように、毎日を大切に過ごしたいと思うのである・・・

自分の残り時間がわかるサイト
This Much Longer  
これによると、祖父の年齢まであと14,386日・・・






    

2014年1月5日日曜日

2014年新春雑感

 2014年が始った。
個人的に正月の過ごし方は大きく変えたくないと思っている。元旦に家族そろって初詣に行き、互いの実家へ新年の挨拶に行く。今年も当然そのつもりだった。しかし、いろいろと事情もあって、2日から家族と別行動。私は、妻と子供たちを大阪の妻の実家へと送りだした後、一人自分の実家へと向かった。ちょうど
2011年のお正月と同じパターンである。

 3日には、両親と近所を散歩した。これも
2011年のお正月と同じパターンであるが、ただし、今回は前回とは逆方向へと足を向けた。前回は、生まれてから4歳まで済んでいた林試の森公園の周辺。今回は4歳以降、現在の実家へ引っ越すまで約12年間住んだ武蔵小山と西小山界隈である。

 最初に行ったのが、小山小学校。
すでに校舎は建て替えられ、私が通っていた頃の面影は、プールと狭くなった校庭くらい。ここだと運動会をやるには狭過ぎると感じる。同じ事は、次に行った荏原六中学校にも言える。

 もともと校庭は狭かったが、校舎を建て替えてさらに狭くなった感がある。我が子供たちが通う小学校・中学校の校庭の半分以下だと思う。昔住んでいた家はそのまま。家の前には井戸があって、既に使えなくなっていたが、それもそのまま。今は他人が住んでいるから不可能だが、できれば中に入ってみたかった。

 幼稚園はさらに先。
昔の事とは言え、当時は一人でてくてく歩いて通っていたわけである。仕方ないとは言え、子供たちにも幼稚園には一人で通わせたかったと今でも思う。さすがにこのあたりは友達の家も多い。本人が住んでいるかどうかはともかく、表札は変わっていない。酒屋さんをやっていた家が「カクヤス」に変わっていたのには、時代の流れを感じた。

 昔、会社をやっていた跡地に、小学校の同級生の立派な家が建っていた。こちらは二世帯住宅で、本人の名前の表札も堂々と出ていた。そうして何人かの同級生の家の前を通った。あの頃毎日のように一緒に遊んでいたのに、もうかれこれ40~45年くらい会っていない事になる。だいぶお互いの境遇も変わっているのだろう。そのうち会って、お互いの境遇をおっかなびっくり確認してみたい気もする。

 実家がずっと変わらなければ、こういう散歩にもならなかっただろう。思いがけずに思い出散歩のようになってしまった。今の実家も道路計画で2年後には立ち退きを迫られている。数年後には今の実家の周辺の景色も変わっているだろう。そう思うと、残念な気がする。そのうち、自分達がこの地に住んでいた痕跡などまったくなくなるのだろう。ちょうど、今の実家や自分の自宅の周辺が100年前にどうだったかなんてわからないように。

 実家から自宅への帰り道。親父が車で送ってくれた。車中で約1時間、親父は昔話を饒舌に語ってくれた。若かりし頃、母と出会い、結婚に至る経緯。「今あの頃に戻れたら、お母さんとは結婚しない」と親父は言い切る。思わず苦笑してしまったが、みんな同じような思いを抱えているのかもしれないと思う。

 過ぎ去った過去は変えられない。未来はどうなるかわからない。誰にもどうしようもないが、せめて日々より良く過ごすようにしたいものである。一年後、ブログを読み返した時に進歩がなかったと思いたくはない。今年一年、「もう一歩頑張る」事をキーワードに毎日を過ごしたいと思うのである・・・