2013年7月31日水曜日

2013サイパン旅行記

 夏休みに突入し、今年の我が家はサイパンへ行ってきた。基本的に我が家は、「南の島でのんびり」を旨としている。これまでグアムには二度行っているため、今年は少し趣向を変えて行き先をサイパンへと定めたわけである。当然、南の島はもっといろいろとあるわけであるが、そこは恥ずかしながら経済的な事情も加味されているわけである。

フィエスタ・リゾート&スパホテル 
 早くからJTBのツアーに申し込み、宿泊はフィエスタ・リゾート&スパ/サイパンにした。部屋へ入ってみると、窓から海が一望できるし贅沢を言えばキリがないので、まずまず満足な水準。着いた翌早朝、一人浜辺を散策。初日の予定が空白だったため、どう一日を過ごすかプランを立てるための準備である。大黒柱も楽ではないのである。

朝の空気に触れ、白い砂浜の感触を楽しむ間もなく、「社長サン!」と随分古典的な呼び掛けに会う。「ジェッスキー、ドウ?、バナナボートイイヨ!」と現地のチャモロ人なのだろうか、真黒な顔のおじさんに話し掛けられる。

 滞在中、ビーチを歩けばこの呼び掛け、街をあるけば「マッサージ」と何回声を掛けられただろう。残念ながら、我が家のニーズとは合わず、すべて辞退した。日本人の人の良さであろうか、何だか断るのも忍びないのであるが、わずか20分程度のアクティビティに家族4人6,000円の価値は見出せなかったので仕方ない。これが600円なら、笑って付き合っただろうと思うが、物価は総じて日本より高目の観光地価格なので、シビアに選別せざるを得なかったのである。

 それはそれとして、ホテルの目の前に広がるビーチにはまず満足。翌日行ったマニャガハ島の透明度からは比べるべくもなかったが、それでも日本本土の水準からすれば遥かに透明。浜辺で遊ぶ子供たちを尻目に、ビーチチェアーに夫婦で寝そべり、青い空に眩い陽の光をヤシの葉が遮る下で、潮風に頬を撫でられながらまったりとまどろむ贅沢・・・


マニャガハ島
 今回の目玉の一つが、子供たちとのシュノーケリング。目の前を魚たちが泳ぐ様を見る機会はそうやたらに作れるものではない。マニャガハ島は、我々が泊まったフィエスタホテルのビーチからすぐ沖合に浮かぶ孤島で、船で10数分で行き来できる。ここに簡単な施設が作られ、利用者が様々利用できるようになっている。

着いてすぐにがっかりさせられたのが遊泳ゾーン。せっかくの島を囲む海なのに、狭い一画を区切られ、そこで遊泳するようにと指導される。狭い区画にたくさんの人が泳ぐせいか、魚もそんなに見られない。やむなくボートシュノーケリングのオプションを申し込む。島の沖にモーターボートで移動し、サンゴの海でシュノーケリング。そこはさすがに文句なく、水深も3メートルくらいあって、目の前に広がる海の中の世界に子供たちも狂喜していた。

 その遊泳区画であるが、よく見ればその他のところでも中国人らしき一群が泳いでいるのを発見。ならばとそちらに移動して、おっかなびっくり海に入る。そこは波も強く、かなり流されがちであるが、なんと珊瑚が広がっていて魚たちの種類も豊富でシュノーケリングにはむしろこっちの方が良い事が判明。

 よくよく観察してみれば、「ライフセイバー不在」との看板は出ていたが、「遊泳禁止」とはなっていない。たぶん日本的な感覚で、好きなところで観光客に好きな事をさせて、万が一の事があった時の責任やら何やらを考えて、安全な囲いの中に「誘導」したのであろう。当然十分な情報提供はして欲しいが、基本的には自己責任だし、必要以上に安全性優先で知らぬうちに楽しみを奪われるのは堪ったものではない。子供連れだし無茶はいけないが、考える力を失うと自分で判断できない羊になってしまうだろう。

 その他にも到着時には既にチェックインが済まされていたし、帰りの時間は朝少し早かったが、なんと頼みもしないモーニングコールをかけてきたりと、サービスとよけいなお世話が混合。予定よりも早く起こされて腹が立った事もあり、担当者にやんわり注意しておいたが、あまり至れり尽くせりというのも考えモノだ。JTBあたりは、何でもかんでもお膳立てし過ぎるきらいがある。高品質を支える「メイド・イン・ジャパン」の発想なのだろうが、海外旅行は多少「不便を楽しむ」くらいでちょうど良いと思うところである。

 まぁそれはこちらの心掛けにもよるところがあるだろう。便利は便利で利用させていただいて、自分で判断する部分はしっかり残しておけばいいのだと思う。満足いくサイパンの旅であったが、来年はハワイへ行きたいと密かに思うのである・・・
    



2013年7月24日水曜日

参院選雑感

 先週末の参院選は、事前予想通り、自公の圧勝で終わった。ねじれ国会も解消し、いよいよアベノミクス本格化のお手並み拝見といったところだ。前回の衆院選は、反民主党の結果という感が強かったが、今回は自民党支持の結果だろう。まあここ何年かの政権の中では間違いなく良いし、安部総理も「古い自民党に戻ったら未来はない」と発言しているし、ここは素直に期待したいと思う。

 それにしても投票率52.61%というのは、嘆かわしい数字だ(我が家の妻も誘ったが行かなかった)。有権者の半分しか投票しないという現実。ここに我が国の悪いところの原因があると思う。みんな人ごとで、どうでも良いことなのだ。日本の政治が三流なのは、四流のマスコミに騙されているのが原因ではなく、この無関心なのだと思う。

 開票結果を見てみると、私は今回は迷わず自民党に投票したのだが、案外民主党が頑張っているなと感じた。もちろん前回からは大幅に議席を減らし、「惨敗」と書かれていたが、自民から大きく引き離されたとは言え、それでも自民65に次いで2番目の議席数17である。まだ支持する人がいるわけで、この逆風下でも当選する人は、確固たる地盤を築いているというわけであるから、また自民が悪くなった時に備えていただきたいものだと思う。

 もうひとつ意外だったのが、共産党の奮闘。今回地味に議席数を増やしている。自民も民主も嫌だという有権者の票を地味に集めているのだと思う。私も若い頃は共産党に気持ちが行っていた事もあるから、そういう有権者の気持ちはわからないでもない。だが、誰かが言っていたように、若い頃の共産党支持は麻疹みたいなもので、社会人になってからは非現実的な理想論に愛想を尽かし、きっぱりと断ち切っている。人それぞれだから、批判するつもりはないが、「反自民」や「反民主」の受け皿がないというのも現実なのかもしれない。

 今回投票こそしなかったものの、その政策に大いに共感しているのが「みんなの党」である。主要政策はほぼ完全に同意できる。それに対し、自民党は原発政策推進という点で共感できないところがある。みんな「喉元過ぎれば」、というところがあるようで、「あの時の恐怖心」をすっかり忘れてしまっているようだ。シェールガス革命が本格化すれば、原発よりも低コストの発電が可能になるという意見も耳にするし、日本が「本気になれば」道は簡単に開けると思うのである。

 そんなみんなの党であるが、結党以来地味に勢力を伸ばしている。特に「電力団体」「医療団体」「農業団体」を既得権益3兄弟として敵視しているところは大いに共感できる。今回は見送ったものの、次回からはまた支持しようと思うところである。嘆かわしい投票率であるが、やれる事はやっている。

 妻を毎回懲りもせず、ふられるのを覚悟で誘っているし、将来のタネまきもしている。家庭では常に子供の視線を意識して、選挙のたびにきちんと投票に行く姿は見せている。本当は会場まで連れて行って、投票するところまで見せたいのだが、現状はなぜかそれが禁止されている。だからせめて行く姿勢だけでも見せたいのである。未来の「権利を行使する」有権者をきちんと育てたいと思うのである。

 願わくばこれでしばらくは選挙の必要性がない状態が続いてほしいものである。そして次回はみんなの党にすべきか、多大な成果を上げた自民にすべきか、死ぬほど迷わせてほしいと思うところである・・・


2013年7月20日土曜日

日本経済はアベノミクスで復活するのだろうか

 明日はいよいよ参院選である。ここまでのところ、安倍政権は安定しており、どうやら自民党は公明党とあわせて参院でも過半数を獲得しそうな感じである。別にそれはそれで不満はないし、ねじれ解消後のお手並み拝見という気分もあるから応援したいとさえ考えている。だが、本当に大丈夫なんだろうかと言う気持ちも、正直言ってある。

 すでにアベノミクスで日銀は大胆な金融緩和を実施。物価を2年間で2%上げると息巻いている。過去失われた20年と言われ、その元凶はデフレだと言われているから、2%の物価上昇でデフレ脱却し、日本経済大復活という狙いなのだろう。だが、本当にそれが正しい処方箋なのだろうか。

 私は経済理論に詳しいわけではないから、それに対して明確に語れる意見など持ち合わせていない。おそらく世の中の大半の人がそうだろうと思う。しかし、何となく「それでホントに大丈夫なのか」と漠然と思う。

 例えばデフレの正体だが、これは簡単で、一言で言えば内外価格差だ。つまりそれまで国内で高く作っていたものを、海外で安く作れるようになった事によるものだ。私が1988年に大学を卒業し、卒業旅行で中国経由オーストラリアへ行った時、中国の物価が日本に比べて恐ろしく安かったのに驚いたものである。

 コーラだけはそんなに差がなかったが、タクシーをチャーターして半日天安門広場を見学し、ランチして3,000円くらいだった(実はタクシーの運ちゃんに吹っかけられているのはわかっていたが、あまりにも安くて断る気になれなかったのだ)。

 その頃、「製造」→「1次卸」→「2次卸」→「小売」と商品は流れ、最終消費者である我々が買っていたものを、今はユニクロなどが「製造→小売」となっている。しかも「製造」は中国だから、「製造→1次卸→2次卸」の部分が国内からなくなってしまったのである。ここの部分を占めていた人たちが職を失い、それで価格が下がったのがデフレである。元に戻すならここの人たちを復活させないといけないのではないか、と単純に思うわけである。2%物価が上がっても、それが「小売価格」なら、潤うのはユニクロだけだ。

 例えばスーパーの物価が2%上がるなら、スーパーの仕入価格も2%上がるとする。するとスーパーに卸す農家や漁民や中小製造業者も2%収入が増える。だが、それが給料に還元されないと、消費者はスーパーで上がった値段でモノを買えない。収入が増えるまでは、相変わらず安いところを探すか、必要最低限に財布のひもを益々固く締める事になる。そうなるとモノは売れないのではないかと思うのである。

 例えば100万円の商品を売る会社がある。原価率40%、経費率50%、利益率10%だとする。2%物価が上がると商品価格は102万円となる。上がった2万円の内訳は、原価部分が8,000円、経費は10,000円、利益は2,000円だ。このうち人件費は経費に含まれる。経費の内10%が人件費だとすると、1,000円。従業員が100人いたら、一人当たり10円。理屈でいけば、売っている商品の価格が20,000円上がっても、給料は10円しか上がらない。

 もちろん、1,000万円、1億円と売っている会社もあるから、それぞれであるが、イメージとして物価が上がるほどには給料は上がらないと言えると思う。企業の論理として、給料を上げるのは最後だ。ギリギリまで据え置いて、上げてもやっていけると判断して初めて賃上げとなる。つまり物価の上昇が先行するわけだ。

 我が家で言えば聖域である家計費は不動だから、物価の上昇→家計費値上げ→こずかい減少となる。これは実に恐ろしいシナリオだ。個人的にはデフレの方がマシではないかと思ってしまうが、これは間違っているのだろうか。デフレを脱却して、その先に豊かな生活が、果たして待っているのだろうか。

 誰か、上の理屈のどこが間違いで、アベノミクスによってデフレを脱却し、日本経済大復活となる理屈を説明してくれないだろうか。日曜日は、おっかなびっくり選挙に行く事にしようと思うのである・・・

2013年7月15日月曜日

ミレー

 中学1年の娘が夏休みに美術館へ行きたいと言い出した。何でも早くも夏休みの宿題が出て、それは「美術館へ行って絵画を鑑賞しレポートを書いて提出せよ」というものであるらしい。それを聞いて真っ先に思い浮かべたのは、山梨県立美術館である。

「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」 
 実は私は昔から絵画が好きで、確か中学の頃だったと思うのだが、山梨県立美術館へミレーの絵を見に行った記憶がある。その時いたく気に入って、ポストカードか何かを買って帰ってきた。たぶん、「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」だったと思う。そんな経緯から、それなら娘にもミレーを見せようと思った次第である。

 幸い、この週末は毎年恒例の桃狩りに行く予定を組んであった。調べてみると、いつも行くイチフル農園から山梨県立美術館はわりと近い位置にある。もう娘も桃狩りのあとは近くの公園で水遊びというわけにもいかない。桃狩りの後、どうするかと思っていたのでちょうど良かった。それにいつもほうとうを食べる「小作」の支店も美術館の目の前にあると言う事もあり、スケジュールが決まったのである。


山梨県立美術館 
 さて、訪れてみると非常にきれいな美術館で、私の記憶にはまったくない建物。建て替えたのかもしれないし、そもそも忘れてしまったのかもしれない。ミレーの絵は、山梨県立美術館所有という事で常設展として展示されている。

 パリ近郊のバルビゾン村という農村に住み、生涯にわたって働く農夫たちを描いたミレー。
「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」を始めとして、有名な「種をまく人」や「落ち穂拾い」の「夏」版などが展示されていた。静かな館内に展示されているミレーの作品を前にじっとたたずむ娘。

 小学校2年の息子はさすがに退屈そうで、「冬、凍えるキューピッド」の前で、そこに描かれたキューピッドを見て、「おちんちん!」と喜んでいる有り様だった。宿題では好きな絵を3点選んでレポートを書くことになっているが、娘は「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」、「冬、凍えるキューピッド」とモンティセリの婦人像を選んでいた。

冬、凍えるキューピッド
モンティセリ「婦人の肖像」 
 若干、好みは違ったものの、良い選択だと思う。個人的には、ミレーだと「晩鐘」が一番好きであるが、残念ながら本物はパリのオルセー博物館に行かないと観る事はできない。いつかパリに行くか、向こうから来るか、いずれにせよ本物を拝む機会はすぐにはありそうもない。

 絵を見ていると、本当に飽きない。いつまででも眺めていられる気がするから不思議である。なぜかと問われても答える事は難しい。もちろん、当時の貧しいフランスの農民たちの暮らしぶりが珍しいという事あるだろうが、それだけではない。才能ある画家によって切り取られた一瞬、一瞬に目が行くとでも言えるのだろうか。それはある面で写真にも通じているのかもしれないと思う。

 自分でも絵を描きたいとその昔思った。しかし、どう考えてみても自分にはその才能がない。ならば学ぼうと高校に入った時に決意。美術部の門を叩いたが、同時に入ったラグビー部の練習が忙しくて、一度も参加しないまま幽霊部員にもなれなかった。いまでもその気持ちがなくなったわけでもなく、「いつかそのうちに」と思う気持ちはまだ残っている。

 「いつかそのうち」という日は永遠にやってこないとわかっているが、子供の教育・教養という意味では、本物を見せるという事は必要なのかもしれない、と改めて思う。自分の趣味はともかくとして、また機会を作って行くのも良いかもしれないと思うのである・・・



晩鐘

落ち穂拾い




2013年7月10日水曜日

航空自衛隊

 先週末、いつも参加している勉強会で空自の幹部の方にお話を伺う機会があった。私も伯父が航空自衛隊に勤務していたし、11月には入間基地に何度も航空ショーを見に行っているし、そんなわけでただ講演を聞くだけでなく、直接あれこれ質問できる機会はありがたかった。

 意外だったのは、航空自衛隊の主力戦闘機であるF-15の話。入間基地で見た時は、もの凄い爆音で驚いたものであるが、もう機体自体は30年以上前のものだし、日本の航空戦力は遅れているのだろうという認識だった。なにせ中学の頃、空軍のF-15、海軍のF―14と比較されていて、どっちが凄いと友達と言い合っていたものである。その海軍のF―14(愛称トムキャット)は既に引退しているのであるから、尚更である。

 ところが、機体は古くとも、中味の電子装備は格段にグレードアップされ、衛星と連動したシステムはいまだに世界最先端の“新鋭機”なのだという。しかも導入国は、米国以外ではイスラエルと日本とサウジ、そしてつい最近韓国が加わったものの、世界で5カ国だけだという。F-15に対抗し得る戦闘機はロシアのスホーイで、配備されているのがロシア、中国、インドで、以上8カ国が、「装備面でみた」世界の空軍強国らしい。

 イスラエルはアメリカが防衛に肩入れしている国だから、実践的な意味が大きいと思うが、実践とは程遠いサウジと日本には“無用の長物”と言えなくもない。導入国が少ないのも価格が高いからという理由もあるだろう。アメリカだってバカじゃない。「売っても安心」で、「買う事ができる国」という条件からすると、日本もサウジも「良いお客さん」なのだろう。

 自衛隊が必要かどうかと問われれば、迷わず「必要」と答えるだろう。だから憲法改正だって、96条改正には賛成できないが、第9条改正には賛成だし、「国防軍」という名前は別として、堂々と軍隊を保有するべきだと思う。だが、だからと言って武力で領土分捕り合戦をするべきだなんて、当然思わない。ただ備えとしては必要だろうと思うのである。

 共産党や社民党などの政治家は、何も考えず「軍隊反対」と唱えているが、災害救助面で果たす役割は疑問の余地はない。それに海外で紛争・災害となった場合、すばやく移動して国民保護に当たるなどの可能性を考えれば、適役だと思う。イラン・イラク戦争時に、イランから出国できなくなった日本人を脱出させる事ができず、トルコに助けてもらった例を挙げたってそれは明らかだ。

 それに例えば朝鮮半島で北が崩壊し、武装難民が日本海沿岸に押し寄せてくる事だって考えられなくはない。その時、田舎の駐在さんで対応できるかと言えば、無理に決まっている。当然、軍隊が出ていけば、それだけで静かに指示に従うかもしれない。
いわゆる"抑止力"というやつである。それは空の上にも言えるだろう。

 ただそれが高額な装備である必要性があるかどうかは、今の私の知識ではなんとも言えない。“抑止力”という意味で、効果が大きいなら仕方ないのかもしれないが、もっと価格の安いユーロファイターあたりで代用できそうな気はする。とは言え現実的には、アメリカが“好いカモ”を手放すとも思えないから、難しいのだろう。

 しかし、と思う。“抑止力”としてどうかなんて事よりも、やっぱり戦闘機はカッコいいと男の子としては思う。ブルーインパルスは、戦闘機とは言い難いところだが、F-15あたりはモロ戦闘機という匂いでいい。ただし、実際の空戦となると、もはや電子技術の世界で、人間には対応できない世界らしい。

 それはそれとして、もはや衰えた視力で自ら操縦桿を握ってみたいなどという夢を見ようとは思わないが、後部座席に座って飛ぶという夢なら持っていたいと思う。いつかそんな夢は実現できないだろうか。密かに夢見て、そしてチャンスを伺ってみたいと思うのである・・・


【本日の読書】

ビジョナリー・カンパニー4 自分の意志で偉大になる - ジム・コリンズ, モートン・ハンセン, モートン・ハンセン共著, 牧野洋   



  

 

2013年7月5日金曜日

宇宙戦艦ヤマト2199


 最近、日曜日の夕方に「宇宙戦艦ヤマト」のアニメが放映されている。「宇宙戦艦ヤマト」と言えば、私も小学生から確か中学頃にかけてまで、夢中になって観ていた記憶がある。最初のテレビシリーズは再放送で何度も観たし、映画も観に行ったし、夜中にラジオでやっていたのを布団の中でこっそり聞いた事もある。

 しかし、そんなに好きだったにも関わらず、実は映画版の2作目までしか観ていない。映画版は、最初のテレビシリーズの映画化から5作くらい続いたと思うが、3作目以降は観ていないのである。というのも2作目の映画版で、ヤマトは最後に敵艦に体当たりして果てるのであるが、テレビシリーズではしっかり生き残って、3作目以降に続いたのである。

 2作目の映画版で、せっかく子供心に大感動したのにそうしたやり方は何だか興醒めで、2匹目のドジョウどころか3匹目、4匹目を狙った商業主義に違和感を感じたのである。その後原作者の地位を巡って、漫画家の松本零士とプロデューサーの西崎義輝氏が訴訟騒動を起こしたのも興醒め+αだった。いずれにせよ2作目の映画をもって私のヤマトは終わっている。

 今回復活したヤマトは、「宇宙戦艦ヤマト2199」と称して、最初のテレビシリーズをベースに、オリジナルストーリーも交えて作られている。何となく観始めたが、これが実に面白い。まず目についたのが、宇宙空間での戦闘シーン。実にリアリティに富んでいる。最近はCGの登場によって実写の映像技術が格段に優れているが、最新のアニメもあわせて進歩が著しい。

 例えばヤマトにしても、3年前に公開された実写版「SPACEBATTLE SHIP ヤマト」なんかは、映像の迫力は嬉しくなるほどだった。それに比べると、昔のアニメは子供の絵みたいに思えてしまう。アニメはかつては実写で表現できない世界を描くのに適していたが、今は立場が逆転してしまっている。

 そんな中で登場したこの「2199版」だが、「子供の絵」からは大きく進歩している。戦艦というと、図体がでかくて動きがトロいというイメージがあるが、それは地球上の話。宇宙空間では重さがないから、例え戦艦でも戦闘機のように動けるわけであるが、一方無重力であるがゆえに、飛行機が旋回するように簡単に向きは変えられない。右へ行きたければ左へ噴射して向きを変える必要がある。そんなディテールにも配慮を加えながら、迫力ある映像が楽しめる。

 合わせてストーリーも厚みを増している。ガミラスに最初に攻撃を仕掛けたのは実は地球だったとか、旧作では語られなかったエピソードが加わり、物語がよりリアルに描かれている。また、ガミラス人同士の会話では、わけのわからないガミラス語を話させたり、地球を「テロン」と呼ばせてガミラス側からの視点も加えている。

 もちろん、旧作の名場面もそのまま生かされている。第1話では、降伏を呼び掛けるガミラス艦隊に対し、劣勢装備の最後の地球防衛軍を率いる沖田艦長は、「『バカめ』と言ってやれ」と渋く命じる。最後まで敵と戦う事を主張する古代守に対し、沖田艦長は「明日のために今日の屈辱に耐えるのだ」と諭す。ストーリーの最初の見所であるがゆえに、きちんと描かれていたのは嬉しい限りだ。

 一方新しい新キャラクターも何人か加わっているが、ほとんどが女性だ。戦う男の物語であり、男中心のキャラクター陣だったのに、これも時代の反映なのだろうか。その職務も旧作は「生活班」という「非戦闘部門」だったのが、新キャラクターは艦載機のパイロットに情報部門まで進出している。舞台となる22世紀にはもっと進んでいてもおかしくないような気もするが・・・

 それにしてもよくわからないのが「日曜夕方5時」という放映時間。一体誰をターゲットに考えているのだろう。昔夢中になっていた「かつての子供たち」だろうか。翌日仕事を控え、のんびりくつろぐお父さんたちと言うことなら、私もぴったり当てはまる。

 物語はこれからいよいよ後半戦。既に動画サイトでは観ようと思えば観られる。だが、せっかくなので毎週1本、慌てずゆっくり楽しみたいと思う。オリジナルのストーリーも随分あるようだし、アニメだからと言って「今の子供」だけに楽しませるのももったいない。幸い、チャンネル競争のない時間帯でもあるし、その点でも一人で堪能したいと思うのである・・・


【今週の読書】

天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方 - ジョン・アレン・パウロス, 望月 衛, 林 康史