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【本日の読書】
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【本日の読書】
我が社は週休二日制であり、土日は基本的に休みである。しかし、社内のコミュニケーションツールであるLINEWORKSには、週末でも社長からメッセージが飛んでくる。私は一応取締役であり、日頃「役員にオフはない。あるのはオンかスリープだけ」と公言している通り、休みでも社長からメッセージが飛んで来れば仕事モードに切り替わる。あたかもパソコンのスリープと同じである。ログオフしてしまうと再起動に時間がかかる。すぐに反応できるようにするためにはスリープ状態を保つ必要がある。
と言ってもおべっかを使っているわけではない。自分なりに週末でも気になる事があればあれこれと考えているのである。ラグビーのプレーを妄想している時もあれば、それと同じ感覚で気になる事があれば仕事の事もあれこれと考えている。それは風呂に入っている時であったり、道を歩いている時であったり、時と場所を選ばずである。どうやら部下には、私は社長と同じように「仕事が趣味」と思われているようであるが、決して趣味ではない。ただ、必要があるから自然とそうしているだけである。
私には70歳までは住宅ローンが残っているし、息子もこの春大学に入ったばかり。何より老後の楽しい生活を送るためにはまだまだ稼がないといけない。そのためには今の会社がきちんと存続しないと無理である。還暦目前の年齢では、いくらビズリーチでもスカウトなどこないだろう。せいぜい月々20万円くらいで雇ってもらえる仕事があればいい方だろう。そう考えると、会社が倒産するというのは世にも恐ろしい事態であり、それだけは何としても避けなければならない。そのためには休みの日にのんびりなどしていられない。
今の会社はシステム開発を手掛けている。長年、銀行員生活を送り、ちょっと不動産業界で汗をかいた私には全く無縁の世界である。当然、社員の皆さんに頑張っていただかないといけない。そのためには、みんながこの会社のために頑張りたいと思えるような「いい会社」にしないといけない。そう思うと、日頃みんなが何を考え、どんな事に不満を持っているのか、どんな事にやりがいを感じているのかは気になるところ。そう考えて、全員と人事面談をやっている。今までの総務部長は誰もやってこなかった事である。
必ずしもみんなが本音で接してくれているとは限らない。ただ、一応それなりに成果は出ていると思う。ある者は自分の実力が過小評価されていると不満をぶつけてきた。それはその通りかもしれないと思えた。ただ、その者も態度があまりよろしくない。そのあたりが煙たがられているところもある。それならと、現場責任者と話をして然るべきプロジェクトにリーダーとして参加してもらうように手配した。自分だけでなく、部下もきちんと動かせないといけない。これでうまくできれば良し、できなければもう大口は叩けまい。
労働時間に関しての不満も聞いた。しかし、残業時間からすれば大した事はない。それは本人も感じていて、「昭和世代に言えば叱られる」と認識している。しかし、早く仕事を終えてプライベートに自分の時間を使いたいという気持ちもよくわかる。昭和世代から言えば大した残業ではないが、考えてみれば自分も「毎日10時まで仕事して、遅い夕食を食べて11時半頃に独身寮に帰り、風呂に入って寝て、翌朝6時に起きる」なんて生活をもう一度やれと言われても無理である。昭和世代だってもうできないのに、若い人に偉そうに言うのはやめた方がいいと思う。
管理職も自宅に仕事を持ち帰ったり(正確にはオンラインで会社のPCにアクセスして時間外在宅勤務しているのである)して仕事も負担は重いと言う。自分は現場経験がないので適切なアドバイスはできないが、「自分でないとできない仕事」だけに専念し、部下でもできる仕事は部下にやってもらうという事はできないかと提案した。部下の育成にもつながるので一石二鳥である。なかなか簡単ではないだろうが、この週末も何か妙案はないかと、気がつけばあれこれ考えていた。
そうやって会社の事をあれこれ考えるのも、翻ってみれば自分のためである。仕事が趣味なわけではなく、会社の存続、すなわち自分の今の生活を維持していくためである。「仕事と書いてもんだいと読む」と日頃社長には言っているが、「問題が起こるのは当たり前」、それを嘆いている暇があったら、モグラ叩きよろしく片っ端から潰していくしかない。片方でモグラ叩きをし、片方で資金繰りの皿回しをする。弾はあちこちから飛んでくる。文句を言っている暇はない。
考えれば大変な状況であるが、嘆いていても始まらない。失業の恐怖に比べれば精神的にはずっと楽である。それに楽しもうと思えば楽しめる事も確かである。「我がものと思えば軽し傘の雪」。ただ嘆くのではなく、これからも社員みんなの事を考え、頑張って会社の屋台骨を支えてもらえるよう自分なりの仕事をしたいと思うのである・・・
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会議というものは、会社組織には不可欠なものであろう。いろいろな会議の形がそこにはある。以前、ボランティアでとある組織の会議に毎回参加していたが、そもそも半年に一度に開催されるという事に加え、やる事も毎回同じ。意見もほとんど出ず、同じ事を繰り返すだけ。それに何の意味があるのかと、私はいろいろと提案して会議を「混乱」させた。その結果、それまでにない取り組みを始めたりして、私なりにやり甲斐があったし、自分の存在感を示したつもりである。しかし、あまりにも変わらぬ様子に愛想が尽きて辞めてしまった。その組織は今でもまた同じような会議を繰り返しているのではないかと思う。
そもそも私には、「昨日と同じ事を今日も明日も繰り返したくない」という思いがあるのでそういう行動に出たが、そうでない人は10年前と同じ会議を繰り返しても苦にはならないのだろう。それにそもそも会議に出てきても何も意見を言わない人がいる。その人はいったい何のために会議に出てきているのだろうかと疑問に思う。会議に呼ばれた事が既に名誉だったのだろうか。そのボランティア組織では意思決定が必要なので会議を行っていたが、意見がないなら紙面会議で十分で、あとでみんなに決定事項を伝えればいいとさえ思う。
そもそも会議に出席して黙って聞いているだけというのはどうなのだろうと思う。例えば転勤や転職で新規に参加して最初の会議というのであれば、様子もわからないし黙って聞いているというのも意味はある。しかし、そうでなければ黙っているのはいないのと同じである。それなら参加などせず、あとで決定事項等の報告を受けるだけで十分である。会議というのは、議長の言う事を有難く聞く場ではなく、参加者が互いに意見を出し合い、組織としての意思決定をする場である。参加するのであれば、自分の意見を言うのは当然である。
とは言え、中にはそうではない会議もある。まだ私が銀行に勤務していた頃、労働組合の会議にしばしば呼ばれた。それは予め決められた決定事項について、「あたかも議論を尽くして同意したように装う会議」であり、何を言ってもダメな理由を説明されて空しく終わる会議であった。最初のうちこそ積極的に意見を述べていたが、だんだんと実態がわかってくるにつけ、無駄な行動(=意見を言うこと)はやめる事にした。会議が早く終わればそれだけ時間を有効活用できる。ひたすら貝のように黙ってすみやかな進行に協力するようにしたものである。
前職では、社長がとにかく毎月の「取締役会」に力を入れていた。形式よりも実利を重んじる私としては、何かあれば机のまわりに集まって議論してさっと決めたらいいと思っていたが、当時の社長は何かと「今度の取締役会で話そう」とした。だんだん私も社長の考えが理解できてきて、緊急のものでなければ取締役会の議題にするようにした。その社長にとっては、「取締役会」という言葉の響きと、幹部だけが参加できる会議という特別感が心地良かったようなのである。社長にとって、その会議には自分の地位を確認するという意味があったようである。
会議には会議の意味があるが、中には「会議、会議で仕事が進まない」とか、「会議のための資料作りが大変」という批判もある。それは事実で、私も銀行員時代に会議のための資料作りで疲弊したことがある。課長のチェックで直したのを次長のチェックでまた直し、「てにおは」で直しが入り、それを決められたフォントなどの細かいルールに従って作成するなどしていると、資料作りで丸一日潰れるということも珍しくなかった。ただ会議自体が不要というわけではない。
およそ会社で仕事をするということについては、1人でするわけではない。よって他人と意見を合わせて進めていく必要がある。そのためには会議(形はいろいろあるかもしれない)が必要になる。要は「生きた会議」にしていく必要がある。会議が不要という意見には、会議を生かしきれていないという事情があるのではないかと思う。あちこち意見が飛んで収拾がつかないとか、結論が出ないとか。会議の目的が曖昧だったりすると、そういう事態になりがちである。結論の出ない会議ほど徒労感の高いものはない。
私は現在、総務部の部長も兼務しており、毎週会議を開いている。そこでは互いのスケジュールの確認と「困った」の早期発見と親睦が目的である。「今何をやっているのか」「今週(今月)何をやるのか」「互いに確認しておくことは」「困って手が止まっていることはないか」そうしたものを確認しあっている。月に一度は順番に経費でお菓子を買ってきて食べながらやっている。部下は女性ばかりなのでこうしたひと時も楽しいものである。我が部では不可欠な会議である。
会議自体にいいも悪いもない。それを生かせるか生かせないかだけである。毎週楽しみにできるようであれば、生きた会議ができていると言えるのではないかと思う。みんなが積極的に参加するような会議を続けていきたいと思うのである・・・
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【本日の読書】
半年に一度を目処に母親を温泉に連れて行っている。もうあと何年温泉に連れて行けるかわからない。せめてできる間にと思ってのことである。「孝行したい時に親はなし」とはよく言われる事。そうした古人の教えは自分に生かしたいと思うところである。今回は、親父も連れて双方の故郷巡りも兼ねての計画であった。両親は共に長野県の出身。親父は富士見。母は望月である。しかし、出発当日、実家を訪れると親父はのんびりしている。「支度は?」と聞くと、「俺も行くのか?」とのこと。先週念押ししておいたのに・・・
親父も母親も最近はもうろくが激しい。3分前の会話をまるで初めてのように繰り返すのは日常茶飯事。1週間前の話など無理であったか。前日、母には確認の電話をしたが、親父にもすれば良かった。母も先週は「親父のもうろくが酷いので置いて行けない」と私に言っていたのに、その母自身が父は行かないものだという前提で前日2人で話をしていたというからどうにもならない。当日のキャンセルはできない。せっかくだからと親父を説得するも、最後は行かないと癇癪を起こす始末。結局、諦めて母と2人で出発した。
まず訪ねたのは、道中にある伯母が入所する施設。伯父と仲良く入っている。2人は90歳と91歳の夫婦。伯母は耳が遠く、母と伯父と伯母の会話は同じ話が何度も繰り返される。自分も90歳になったらこうなるのだろうかと想像してみる。しかし、89歳で死んだ祖父はもっとしっかりしていたし、高校の90歳になるラグビー部の先輩は、今年もゴールドパンツ(90歳超の人が履くパンツ)を履いて元気に試合のキックオフのボールを蹴っていた。自分はそちらの方になると信じて精進しようと思う。
母は常々腰が痛いと言っている。医者に行ってもどうにもならない。背骨も曲がっているし、細胞レベルで劣化しているのだろう。数年前は温泉に入ると痛みが消えると言っていたが、もうその効果は無くなっている様子。しかし、それでも温泉に入って寝たら珍しく朝までぐっすりだったという(そういう私も夜中に一度もトイレに起きなかった)。やっぱり普通のお湯と違って何らかの効能が温泉にはあるのかもしれないと思う。
息子の限界は、母と一緒に入浴できない事。部屋から風呂まで連れて行くが、部屋までの帰り道は何度も教え込む必要がある。今回は501号室だったが、部屋番号は覚えられないので、「5階」と「1号室」だけは何度も覚えさせた。今回はシンプルな建物だったからいいが、以前行った万座温泉の宿のように2回もエレベーターを乗り継ぐとなると、もう単独では帰れない。忘れるというよりそもそも覚えていないようである。自分もなってみないとわからないが、自分がそうなると考えると恐ろしい気がする。
そもそもであるが、人間とは記憶であり、記憶とは人間なのかもしれない。私の息子はこの春大学に入ったが、母は孫の合格した大学の名前を何度教えても覚えられず、毎週通って根気よく繰り返して覚えさせたところ、何とか大学名は覚えてくれた。だが、叔母に頼まれたLINEの使い方だけはどうにも覚えさせることができない。記憶には短期記憶と長期記憶とがあるという。人は短期記憶力から失い、やがて痴呆症が進めば長期記憶も失われる。子供の顔もわからなくなった時、果たして自分は両親に対してどう思うのだろうか。
伯父伯母と同じ施設には多くの老人たちがいた。ヘルパーさんの導きですごろくをやっていたが、その様子は幼児と変わらない。体は歳を取っても精神は歳を取らない。シニアのラグビーをやっていても、気持ちは二十代と変わらない(だから危ないとも思う)。だとすれば、ヨボヨボになって施設に入ってもヘルパーさんの指導ですごろくをやろうと言われても、とても自分にはできそうもない。努力して防げるものであればいくらでも努力はしようと思うが、これから20年くらいで医学はもっと進歩するのだろうか。たとえ体は動かなくなったとしても、頭の中はずっと自分自身でいたいと改めて思う。
あと何回母を温泉に連れて行けるだろうか。そう考えると、半年に一度ではなく、もっと短くてもいいと思うが、それにはいろいろと課題はある。せめて週末の実家通いは優先して続けようと思うのである・・・
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【本日の読書】
先日の事、我が社で残業時間に関する報告ルールをひとつ決めた。我が社も労使間で三六協定を締結していて、月間の残業時間の上限は45時間としている。我が社では、中間管理職たる課長さんがこれを管理している。しかし、すべて課長任せにするのも大変なので、部下の方からも警告をあげてもらうようにしたのである。すなわち、「月中で20時間を超えたら課長に報告せよ」と。これによって課長もメリハリのついた管理ができる。課長の管理負担を軽減しようという狙いである。
しかし、これにあるベテラン社員から意見が入った。曰く、「月中とはいつか。15日か、2週間か、21営業日の月であれば10営業日目か11営業日目か、曖昧だと社員によって解釈が分かれる可能性があり、はっきりさせてほしい」と。もっともな意見であるが、意見を寄せてきたのがベテラン社員だったのがちょっと残念でもあった。ルールは守らねばならないのは当然であるが、ルールについては「その背景にある意図」にも目を向けて欲しいのである。そしてベテランであれば、当然ルールの「てにおは」ではなく、意図を汲んで欲しかったと思うのである。
なぜ、「月中で20時間」なのか。当然、倍にすれば40時間である。すなわち、月の真ん中で20時間を超えていれば、最終的に45時間を超える可能性が高くなる。なので、早めにその情報をキャッチしておこうというものである。重要なのは「月45時間を超えそうか否か」である。であれば、「月中」が15日であろうと10営業日であろうとどうでもいいわけである。私のように何でもスマホの「リマインダー」で管理している人なら、15日とでもしておけばいいわけである。こだわるところではない。
逆にそういう意図がわかっていれば、月初であっても「今月はヤバそうです」と早めに相談すればいいわけだし、月中で30時間超えていても、「今月はもうピークを越したの心配ない」とプラスαの報告ができる。こうなるともう「デキる部下」である。「曖昧なルールで縛られたらかなわない」という思いがあるのかもしれないが、こだわるところがずれている。社員の中でもレベルには差があるが、将来管理職になるような社員は、得てして「一段上の視点」でものを見ることができる。ルールであれば、その「背景にある意図」を察することができると思うのである。
私はけっこう昔から「ルールの背景にある意図」を割とよく理解してきたと思う。銀行時代は、新たなルールが制定されると、「何か事務事故でもあったかな」とよく考えた。「そういうルールを制定したのは何故か」と考えると、だいたいどこかの支店で事務事故があって、その再発防止策なのだろうと推察できたからである。もちろん、それをそのまま疑問にも思わず、「自分は従うだけだから」と受け入れる人も多かったが、「背景にある意図」を想像する想像力はいろいろなところで役だったと思う。
なぜ車に乗ったらシートベルトをしなければならないのか、なぜ自転車に乗る時までヘルメットを被れというのか、ちょっと考えれば簡単に想像のつくルールもあればそうでないものもある。後部座席にまでシートベルトをするなんて面倒この上ない。しかし、その背景を理解すれば、「タクシーでちょっと移動するくらいなら省略しても、高速道路を走るのであればした方がいいかな」とか、自分である程度考えることにもつながる(もちろん、「すべて着用する」のが正解なのはよくわかっている)。
こうしたルールを目にした時、その背景に目が行くかあるいは「てにおは」に目が行くかは、その人が日頃どんな思考をしているかを知る目安になるように思う。「てにおは」に目が行くという事は、ルールを厳格に守ろうという気持ちはあるのかもしれないが、逆に表面上の文字に囚われて本質を外す可能性がある。先の例であれば、「15日に残業時間の合計が19.5時間だったから報告不要」と考えて報告せず、結果的にその後残業時間が加速して増え45時間を超過した場合、その課長は不意を打たれる可能性がある。
もちろん、課長は課長で管理職としてそんな報告がなくてもしっかりと管理しなければならない。しかし、管理職にとって「できる部下とは」と考えると、それは圧倒的に「手間のかからない部下」である事は間違いない。「あいつは何かあれば必ず報告してくる」という信頼感が厚ければその部下に管理の意識を向ける必要もない。不意打ちで45時間超えて慌てさせてくれる部下が「できる部下」であろうはずがない。「何をやるかわらかないから眼が離せない厄介な部下」なのか「できる部下」になるのかはその人自身の心掛け、意識次第である。
ベテラン社員には、「意図をよく考えて表面的に従わないでくれ」と釘を刺した。ベテランであるからそのあたりはよく理解して欲しいところであるが、我が社の社員ももう少し啓蒙していく必要があるなと感じさせられたエピソードである。根気強く啓蒙活動をやろうと思うのである・・・
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最近、会社では社長が「経営マインド」という言葉を意識して使用している。要するに「経営感覚を持て」という事なのであるが、そう言うという事は、「そういう状況」という事である。取締役から成る経営陣であるなら当然持っていて然るべきものであるが、悲しいかな、我が社ではどうも怪しい人がいる。これに対するのが、「サラリーマンマインド」であろうが、これならたくさんいる。というかほとんどの社員はそうだろうと思う。何が違うのかと言うと、1つにはその姿勢がある。「自分が会社を動かす意識」とでもいうのだろうか。サラリーマンマインドの人にはこの意識は希薄である。
サラリーマンマインドの特徴とでも言えるのが、「我が物意識」かもしれない。例えば自分の家の中にゴミが落ちていたら、拾ってゴミ箱に捨てるだろう。しかし、会社では知らん顔する。自分の持ち物なら丁寧に扱うが、会社の物であれば粗雑な扱いになる。よく営業車があちこちぶつけて傷がついているのを見かけるが、自分の車ならもっと慎重に運転するのではないかと思う事がしばしばである。会社が儲かろうと損しようと、自分の給料がきちんと出るなら問題はないと考える。「我が物」でないから、極端な話どうでもいいとなる。
当然ながら、会社は利益が出ないと社員の給料は払えない。しかしながら社員にはそこまでの意識は薄い。与えられた仕事をきちんとこなせば、給料がもらえるのは当然である。若いうちならともかく、役職が上がればそういうサラリーマンマインドでは困ってしまう。会社は社長だけがシャカリキになってもうまくいくものではない。1人1人の社員の奮闘が大事だが、1人でも多くの社員がサラリーマンマインドではなく、経営マインドをもって仕事にあたってくれれば、これに勝るものはない。きっと収益性の高い組織になるだろう。
取引先との間で、新たなプロジェクトの打診があったが、現場の課長が「目一杯」と言って断ってしまった。経営陣は何とかして増収の道を探っている中で、それはないだろうと思わざるを得ない。その課長は確かに目一杯だったのかもしれない。だが、私がその課長であれば上司に相談して「こういう話があるから対応してくれ」と言うだろう。会社ベースで考えたら、「自分はできないけど、会社としてやるべきなので他の人に対応してもらってほしい」という発想に繋がるだろう。
我が社は全社員に経営計画を提示して、「これを目指す」と宣言している。それがなくても、会社は収益を向上させなければならないものだし、管理職ぐらいであればそういう意識を持ってほしいものである。「自分」目線であれば、「忙しいし、面倒だし、何も自分がやらなくても、給料が上がるわけでもないし」となるだろうが、「会社」目線なら「やるべき」となって動くだろう。若手なら仕方がないが、ベテランの課長がそうだと愕然としてしまう。我が社はまだまだ課長レベルでの意識レベルが低いと言わざるを得ない。経営マインドとは程遠い。
そんな経営マインドをどうしたら養えるのだろうか。リクルートなどはたぶん組織の末端まで浸透しているのだろうと思うが、我が社では管理職でさえこの有様である。怒っても身につくものではなく、意識を変えてもらう方法を懸命に探るしかない。もちろん、意識が高く、経営マインドの身についた課長もいるので、そこは救いである。個人個人の力量に任せていてはこの有様は変えられない。根気強く、まずは課長から教育していくしかない。そもそも、職人の世界は「いい仕事をしていればいい」という意識で終わりがちである。そこにまずは「収益マインド」を植え付けていくしかない。
そこで始めは「我が物意識」だろうと思う。給料は「仕事をしていればもらえるもの」ではなく、「みずから成果を挙げて稼ぐもの」でなくてはならない。自分のチームの仕事が果たして採算が取れているのか、数字で把握、報告させて行くのが1つ。それぞれ数値目標をもっているので、その達成について問うていく(ただし、「詰める」のではない)。管理職レベルになれば、「自分の部下は自分が食わせる」という意識ぐらいはもって欲しいところである。それには常に採算を意識して稼がなければならない。
ニデックの永守会長は、「能力の差は5倍、意識の差は100倍」と言っているが、この「意識の差」はとてつもなく大きい。ただ嘆いているだけではなく、少しずつでも働きかけていくしかない。中小企業は大企業と違って優秀な人たちばかりというわけではない。しかし、ダメ人間ばかりでもない。意識改革には時間はかかるが、根気よく伝えていくしかない。仕事は常に趣味ではなく「金を稼ぐ」ためにやっているわけで、採算も考えないといけない。「部下の給料を上げるのは自分」という意識を持ってもらいたいと思う。
社長が1人で奮闘するだけではダメで、私も機会を見つけて語るようにしようと思う。上から目線でなく、本人が気づくように。きっと今までそういうトレーニングを受けてこなかったせいであり、であればこれからトレーニングすれば間に合うのである。新たなチャレンジとして、これからやりたいと思うのである・・・
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世間ではGWであるが、と言っても私はどこに出掛けるという事もない。シニアラグビーの練習に行き、実家に行って一泊していろいろと手伝ってきて終わりである。さらになぜか喉の痛みと微熱が出て、結局のところ残りの2日間は家で静養といったところである。特にする事もなく、NetflixやAmazon Prime、Disney+で映画やドラマを観て過ごしている。そんな怠惰な生活ではあるが、やはり気がつけば仕事の事もあれこれと考えている。
この春から社会人になった娘は、公務員になった。就職について、母親とは何か話をしたのかもしれないが、私にはなんの相談もなかった。娘の人生なのでそれでいいのであるが、公務員は公務員で悪くはないと思う。世間では相変わらず子供に就かせたい職業として公務員は人気のようであるが、私はただ「安泰だから」という安易な理由で公務員になれと言うつもりは毛頭ない。安定した生活を送ってほしいと思う気持ちは世の親と同じであるが、その方法論として「公務員」とは思わないだけである。
そう言えば、私も小学生くらいの時、母親に「公務員になったら」と言われたことをぼんやり覚えている。その時は、遠い将来の職業について具体的な事を考えることはなく、なんて答えたかも忘れてしまった。結局、親に相談する事もなく銀行に就職したが、その報告をした時、母は「それでいいのか」と心配顔で念を押してきた。当時、都市銀行は16行あり、私が就職した銀行は上から6番目。有名国立大学を出たのに「それでいいのか」という意味だったが、「大丈夫なのか」という心配があったのだろう。
母の心配は現実になり、私の就職した銀行は金融危機の中で救済合併という形で消滅した。母の心配も意味があったと言える。その後、紆余曲折して今は中小企業の役員という身分を勝ち得ている。残念ながら出世はできなかったので、銀行に残っていても50代前半で退職金をもらって関連会社か取引先に転籍して(給料は半減する)、さらに60歳定年でさらに給料は下がっていただろう。それに対し、今は役員だから定年はないし、収入的には銀行員時代の9割くらいは維持できているし、まぁうまくいっていると思う。
就職してからも一度だけ「公務員になれば良かったんじゃないか」と言われたことがある。4店目の店舗の時、当時の支店長にそう言われたのである。たぶん、私の考え方が公務員的だったのだろうと思う。民間企業は良くも悪しくも稼がなければならない。「すべてのお客さんに公平なサービスを」という公務員的な発想と、「お金をたくさん払ってくれるお客さんを優遇する」という民間企業の発想が相入れなかったのである。「公務員になれば良かった」という当時の支店長の発言もよく理解できる。
民間企業は稼がなければならない。今の会社でも3カ年計画を立てて、収益マインドの向上に努めているが、現場のエンジニア上がりにはなかなか浸透しない。「いい仕事をしてさえいればいい」という発想が、経営層に入っても抜けきらない。「成長しなければ社員の給料も上げられない」と訴えるが、足元の仕事を真面目にこなしていれば、収入も増えて給料も増えるという意識が染み付いているのかもしれない。あまり言い過ぎたせいか、「売上第一主義」と勘違いされ、「社員が疲弊して、ついてこれない奴は切り捨ててもいい」という言い出す役員も出てきてしまった。
会社が成長しなければならない訳は、単純に言えば「売上が同じだったら給料も同じ」という理屈である。給料を増やしたいなら売上を上げて成長しないといけない。それは社員をハッピーにするためであり、疲弊させてしまったら本末転倒である。そんな事もわからないのかと愕然とするが、それが中小企業の意識レベルなのかもしれない。民間企業は公務員と違って「必要な仕事だけしていれば良い」というわけにはいかない。そこに「いくら儲かるか」という視点が絶対に必要である。もちろん、「給料も少なくて良いし、上がらなくてもいい」という人がいれば別であるが・・・
これからの会社の未来に関しては漠然とした不安がある。「このままでいいのだろうか」という不安である。生き残っていくためには世の中の変化に合わせて変化していかないといけない。それができるだろうかという不安である。民間企業はそこが最大の欠点である。大企業であれば(比較的)安泰だろうが、定年という問題がある。雇用延長と言っても、給料は半減するのが普通だろうし、これに関しては個人個人で克服していかないといけない。
私の場合は、会社が安定して存続できれば問題はない。目標の70歳まで今の給料を維持できる。問題は「いかに会社を安定して存続させられるか」である。100人の社員もいるし、それは自分だけのことではない。あれこれ考えても妙案が浮かぶわけでもないが、役員会で議論してみてもいいアイデアがいくつか浮かんだ。さっそく議論してみようと思う。公務員になったとしたらどんな人生を送っていただろうか。いずれ引退した時に、やはり民間に行って良かったと思えるように、これからの残り時間で奮闘していきたいと思うのである・・・
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