2024年5月30日木曜日

論語雑感 述而篇第七(その37)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子温而厲。威而不猛。恭而安。
【読み下し】
子(し)は温(おん)にして厲(はげ)し。威(い)ありて猛(たけ)からず。恭(きょう)にして安(やす)し。
【訳】
先師はおだやかで、しかもきびしい方であった。威厳があって、しかもおそろしくない方であった。うやうやしくて、しかも安らかな方であった。
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 自分が他人からどう思われているのかは、興味深いところであり、知るのが怖い部分でもある。自分で思っているように他人は思ってはくれない。自分自身の事は100%自分でわかるが、「他人から見えている自分」はわからない。そのギャップが時折不満に繋がる。だが、野村監督が語っていたように「評価は他人が下したものが正しい」のが真実であると思うし、そこは意識すべきところであると思う。
 
 自分は孔子の評価と比べてどうだろうか。「穏やか」という部分は同じだと思う。「厳しい」という部分では、少なくとも今は当てはまらないと思う。若かりし頃は、後輩に厳しくものを教えたように思うが、ある時同僚の女性から「いじわる」と言われてショックを受けた事がある。そういうつもりはなかったが、そう見えたという事は当の後輩もそう思っていたかもしれない。しかし、今では「いじわる」以前に厳しくもないので当てはまらないと思う。

 「威厳」という意味ではまったくない。これは謙遜ではなく、その通りだと認識している。「威厳」とは「厳かで堂々としている」と説明されるが、「堂々としている」部分は時によってあると思うが、自分の雰囲気からして「厳か」とはかけ離れていると思う。「うやうやしく」はないが、「おそろしくない」「安らか」は当てはまると思う。考えてみれば「うやうやしくて安らか」という評価はなかなかもらうのは難しいと思う。さすが孔子である。

 自分自身、上記のように冷静に自己分析できるところはあるが、やはり他人の評価はわからない。若い頃、最初の昇格時から自分の評価に対しては常に不満を持っていた。明らかに自分の評価は低いと感じていたのである。それが最大のストレスであった。自分でもよくやっていると思っていたが、なぜ評価が低いのか、面談時に支店長を問い詰めた事があるが、はっきりした答えを得ることはないままであった。人事部の評価根拠がわからないのか、私には言えなかったのかは定かではない。

 一度だけ、転勤していった支店長から言われた事がある。「お前はかなりよくやっていたな」と。その支店長にはずいぶん叱咤されていたので意外であったが、どうやら転勤していった支店で私のポジションにいる部下と私を比較しての事だったらしい。その部下の出来を見ていて、私の方がはるかに高いレベルでこなしていたと気づいたとの事であった。どうせなら順番が逆なら良かったのにと思ったものである。

 今は、十分に評価していただいていると感じている。社長には常に頼られている自覚があるし、何事かあれば真っ先に相談してもらっているし、私の提案はほぼその通りに通る。その分、緊張感と責任感はあるが、やはりきちんと評価していただいていると仕事の満足感とモチベーションにつながる。自分の思いと「他人が下した評価」が一致していたら、これほど心地良いものはないと改めて思う。

 逆に人の評価をする時には、この点を意識したいと思う。私が直接評価している部下は少ないが、社員1人1人に自分の評価に対する考えを聞き取り、もしもギャップがあるならそれを解消してあげる必要がある。某ベテラン社員もそんな自分の低評価に不満を持つ1人であった。私が直接の評価者ではないが、それだけ自分に自信があるなら、是非ともプロジェクトマネージャーをやるべきとして、現場責任者と話をした。次にはそういう立場でやってもらうことになっている。うまくいけば評価は改善され、ダメなら不満を言えなくなる。本人も納得してチャレンジすることになった。

 社員にはどんな風に思われたいだろうか。「厳かではなく、貫禄はないが、話はよく聞いてくれてチャンスをくれる。そして迷った時にはヒントになる話をしてくれる。何か相談したい時には真っ先に顔が浮かぶ」そんな風に評価されたら快く思う。そういう評価をしてもらえるよう、これからも行動したいと思うのである・・・

xiSergeによるPixabayからの画像

【本日の読書】

思考の技術論: 自分の頭で「正しく考える」 - 鹿島 茂 ザイム真理教――それは信者8000万人の巨大カルト 森永 卓郎 高瀬庄左衛門御留書 (講談社文庫) - 砂原浩太朗






2024年5月26日日曜日

休みの日にあれこれと仕事の事を考えるのは・・・

 我が社は週休二日制であり、土日は基本的に休みである。しかし、社内のコミュニケーションツールであるLINEWORKSには、週末でも社長からメッセージが飛んでくる。私は一応取締役であり、日頃「役員にオフはない。あるのはオンかスリープだけ」と公言している通り、休みでも社長からメッセージが飛んで来れば仕事モードに切り替わる。あたかもパソコンのスリープと同じである。ログオフしてしまうと再起動に時間がかかる。すぐに反応できるようにするためにはスリープ状態を保つ必要がある。

 と言ってもおべっかを使っているわけではない。自分なりに週末でも気になる事があればあれこれと考えているのである。ラグビーのプレーを妄想している時もあれば、それと同じ感覚で気になる事があれば仕事の事もあれこれと考えている。それは風呂に入っている時であったり、道を歩いている時であったり、時と場所を選ばずである。どうやら部下には、私は社長と同じように「仕事が趣味」と思われているようであるが、決して趣味ではない。ただ、必要があるから自然とそうしているだけである。

 私には70歳までは住宅ローンが残っているし、息子もこの春大学に入ったばかり。何より老後の楽しい生活を送るためにはまだまだ稼がないといけない。そのためには今の会社がきちんと存続しないと無理である。還暦目前の年齢では、いくらビズリーチでもスカウトなどこないだろう。せいぜい月々20万円くらいで雇ってもらえる仕事があればいい方だろう。そう考えると、会社が倒産するというのは世にも恐ろしい事態であり、それだけは何としても避けなければならない。そのためには休みの日にのんびりなどしていられない。

 今の会社はシステム開発を手掛けている。長年、銀行員生活を送り、ちょっと不動産業界で汗をかいた私には全く無縁の世界である。当然、社員の皆さんに頑張っていただかないといけない。そのためには、みんながこの会社のために頑張りたいと思えるような「いい会社」にしないといけない。そう思うと、日頃みんなが何を考え、どんな事に不満を持っているのか、どんな事にやりがいを感じているのかは気になるところ。そう考えて、全員と人事面談をやっている。今までの総務部長は誰もやってこなかった事である。

 必ずしもみんなが本音で接してくれているとは限らない。ただ、一応それなりに成果は出ていると思う。ある者は自分の実力が過小評価されていると不満をぶつけてきた。それはその通りかもしれないと思えた。ただ、その者も態度があまりよろしくない。そのあたりが煙たがられているところもある。それならと、現場責任者と話をして然るべきプロジェクトにリーダーとして参加してもらうように手配した。自分だけでなく、部下もきちんと動かせないといけない。これでうまくできれば良し、できなければもう大口は叩けまい。

 労働時間に関しての不満も聞いた。しかし、残業時間からすれば大した事はない。それは本人も感じていて、「昭和世代に言えば叱られる」と認識している。しかし、早く仕事を終えてプライベートに自分の時間を使いたいという気持ちもよくわかる。昭和世代から言えば大した残業ではないが、考えてみれば自分も「毎日10時まで仕事して、遅い夕食を食べて11時半頃に独身寮に帰り、風呂に入って寝て、翌朝6時に起きる」なんて生活をもう一度やれと言われても無理である。昭和世代だってもうできないのに、若い人に偉そうに言うのはやめた方がいいと思う。

 管理職も自宅に仕事を持ち帰ったり(正確にはオンラインで会社のPCにアクセスして時間外在宅勤務しているのである)して仕事も負担は重いと言う。自分は現場経験がないので適切なアドバイスはできないが、「自分でないとできない仕事」だけに専念し、部下でもできる仕事は部下にやってもらうという事はできないかと提案した。部下の育成にもつながるので一石二鳥である。なかなか簡単ではないだろうが、この週末も何か妙案はないかと、気がつけばあれこれ考えていた。

 そうやって会社の事をあれこれ考えるのも、翻ってみれば自分のためである。仕事が趣味なわけではなく、会社の存続、すなわち自分の今の生活を維持していくためである。「仕事と書いてもんだいと読む」と日頃社長には言っているが、「問題が起こるのは当たり前」、それを嘆いている暇があったら、モグラ叩きよろしく片っ端から潰していくしかない。片方でモグラ叩きをし、片方で資金繰りの皿回しをする。弾はあちこちから飛んでくる。文句を言っている暇はない。

 考えれば大変な状況であるが、嘆いていても始まらない。失業の恐怖に比べれば精神的にはずっと楽である。それに楽しもうと思えば楽しめる事も確かである。「我がものと思えば軽し傘の雪」。ただ嘆くのではなく、これからも社員みんなの事を考え、頑張って会社の屋台骨を支えてもらえるよう自分なりの仕事をしたいと思うのである・・・

Ben KerckxによるPixabayからの画像

【本日の読書】
モサド・ファイル2: イスラエル最強の女スパイたち - マイケル・バー=ゾウハー, ニシム・ミシャル, 上野 元美  思考の技術論: 自分の頭で「正しく考える」 - 鹿島 茂




2024年5月23日木曜日

会議いろいろ

 会議というものは、会社組織には不可欠なものであろう。いろいろな会議の形がそこにはある。以前、ボランティアでとある組織の会議に毎回参加していたが、そもそも半年に一度に開催されるという事に加え、やる事も毎回同じ。意見もほとんど出ず、同じ事を繰り返すだけ。それに何の意味があるのかと、私はいろいろと提案して会議を「混乱」させた。その結果、それまでにない取り組みを始めたりして、私なりにやり甲斐があったし、自分の存在感を示したつもりである。しかし、あまりにも変わらぬ様子に愛想が尽きて辞めてしまった。その組織は今でもまた同じような会議を繰り返しているのではないかと思う。

 そもそも私には、「昨日と同じ事を今日も明日も繰り返したくない」という思いがあるのでそういう行動に出たが、そうでない人は10年前と同じ会議を繰り返しても苦にはならないのだろう。それにそもそも会議に出てきても何も意見を言わない人がいる。その人はいったい何のために会議に出てきているのだろうかと疑問に思う。会議に呼ばれた事が既に名誉だったのだろうか。そのボランティア組織では意思決定が必要なので会議を行っていたが、意見がないなら紙面会議で十分で、あとでみんなに決定事項を伝えればいいとさえ思う。

 そもそも会議に出席して黙って聞いているだけというのはどうなのだろうと思う。例えば転勤や転職で新規に参加して最初の会議というのであれば、様子もわからないし黙って聞いているというのも意味はある。しかし、そうでなければ黙っているのはいないのと同じである。それなら参加などせず、あとで決定事項等の報告を受けるだけで十分である。会議というのは、議長の言う事を有難く聞く場ではなく、参加者が互いに意見を出し合い、組織としての意思決定をする場である。参加するのであれば、自分の意見を言うのは当然である。

 とは言え、中にはそうではない会議もある。まだ私が銀行に勤務していた頃、労働組合の会議にしばしば呼ばれた。それは予め決められた決定事項について、「あたかも議論を尽くして同意したように装う会議」であり、何を言ってもダメな理由を説明されて空しく終わる会議であった。最初のうちこそ積極的に意見を述べていたが、だんだんと実態がわかってくるにつけ、無駄な行動(=意見を言うこと)はやめる事にした。会議が早く終わればそれだけ時間を有効活用できる。ひたすら貝のように黙ってすみやかな進行に協力するようにしたものである。

 前職では、社長がとにかく毎月の「取締役会」に力を入れていた。形式よりも実利を重んじる私としては、何かあれば机のまわりに集まって議論してさっと決めたらいいと思っていたが、当時の社長は何かと「今度の取締役会で話そう」とした。だんだん私も社長の考えが理解できてきて、緊急のものでなければ取締役会の議題にするようにした。その社長にとっては、「取締役会」という言葉の響きと、幹部だけが参加できる会議という特別感が心地良かったようなのである。社長にとって、その会議には自分の地位を確認するという意味があったようである。

 会議には会議の意味があるが、中には「会議、会議で仕事が進まない」とか、「会議のための資料作りが大変」という批判もある。それは事実で、私も銀行員時代に会議のための資料作りで疲弊したことがある。課長のチェックで直したのを次長のチェックでまた直し、「てにおは」で直しが入り、それを決められたフォントなどの細かいルールに従って作成するなどしていると、資料作りで丸一日潰れるということも珍しくなかった。ただ会議自体が不要というわけではない。

 およそ会社で仕事をするということについては、1人でするわけではない。よって他人と意見を合わせて進めていく必要がある。そのためには会議(形はいろいろあるかもしれない)が必要になる。要は「生きた会議」にしていく必要がある。会議が不要という意見には、会議を生かしきれていないという事情があるのではないかと思う。あちこち意見が飛んで収拾がつかないとか、結論が出ないとか。会議の目的が曖昧だったりすると、そういう事態になりがちである。結論の出ない会議ほど徒労感の高いものはない。

 私は現在、総務部の部長も兼務しており、毎週会議を開いている。そこでは互いのスケジュールの確認と「困った」の早期発見と親睦が目的である。「今何をやっているのか」「今週(今月)何をやるのか」「互いに確認しておくことは」「困って手が止まっていることはないか」そうしたものを確認しあっている。月に一度は順番に経費でお菓子を買ってきて食べながらやっている。部下は女性ばかりなのでこうしたひと時も楽しいものである。我が部では不可欠な会議である。

 会議自体にいいも悪いもない。それを生かせるか生かせないかだけである。毎週楽しみにできるようであれば、生きた会議ができていると言えるのではないかと思う。みんなが積極的に参加するような会議を続けていきたいと思うのである・・・

Ronald CarreñoによるPixabayからの画像

【本日の読書】

モサド・ファイル2: イスラエル最強の女スパイたち - マイケル・バー=ゾウハー, ニシム・ミシャル, 上野 元美 川のほとりに立つ者は - 寺地はるな





2024年5月20日月曜日

年老いた親の姿に思う

 半年に一度を目処に母親を温泉に連れて行っている。もうあと何年温泉に連れて行けるかわからない。せめてできる間にと思ってのことである。「孝行したい時に親はなし」とはよく言われる事。そうした古人の教えは自分に生かしたいと思うところである。今回は、親父も連れて双方の故郷巡りも兼ねての計画であった。両親は共に長野県の出身。親父は富士見。母は望月である。しかし、出発当日、実家を訪れると親父はのんびりしている。「支度は?」と聞くと、「俺も行くのか?」とのこと。先週念押ししておいたのに・・・

 親父も母親も最近はもうろくが激しい。3分前の会話をまるで初めてのように繰り返すのは日常茶飯事。1週間前の話など無理であったか。前日、母には確認の電話をしたが、親父にもすれば良かった。母も先週は「親父のもうろくが酷いので置いて行けない」と私に言っていたのに、その母自身が父は行かないものだという前提で前日2人で話をしていたというからどうにもならない。当日のキャンセルはできない。せっかくだからと親父を説得するも、最後は行かないと癇癪を起こす始末。結局、諦めて母と2人で出発した。

 まず訪ねたのは、道中にある伯母が入所する施設。伯父と仲良く入っている。2人は90歳と91歳の夫婦。伯母は耳が遠く、母と伯父と伯母の会話は同じ話が何度も繰り返される。自分も90歳になったらこうなるのだろうかと想像してみる。しかし、89歳で死んだ祖父はもっとしっかりしていたし、高校の90歳になるラグビー部の先輩は、今年もゴールドパンツ(90歳超の人が履くパンツ)を履いて元気に試合のキックオフのボールを蹴っていた。自分はそちらの方になると信じて精進しようと思う。

 母は常々腰が痛いと言っている。医者に行ってもどうにもならない。背骨も曲がっているし、細胞レベルで劣化しているのだろう。数年前は温泉に入ると痛みが消えると言っていたが、もうその効果は無くなっている様子。しかし、それでも温泉に入って寝たら珍しく朝までぐっすりだったという(そういう私も夜中に一度もトイレに起きなかった)。やっぱり普通のお湯と違って何らかの効能が温泉にはあるのかもしれないと思う。

 息子の限界は、母と一緒に入浴できない事。部屋から風呂まで連れて行くが、部屋までの帰り道は何度も教え込む必要がある。今回は501号室だったが、部屋番号は覚えられないので、「5階」と「1号室」だけは何度も覚えさせた。今回はシンプルな建物だったからいいが、以前行った万座温泉の宿のように2回もエレベーターを乗り継ぐとなると、もう単独では帰れない。忘れるというよりそもそも覚えていないようである。自分もなってみないとわからないが、自分がそうなると考えると恐ろしい気がする。

 そもそもであるが、人間とは記憶であり、記憶とは人間なのかもしれない。私の息子はこの春大学に入ったが、母は孫の合格した大学の名前を何度教えても覚えられず、毎週通って根気よく繰り返して覚えさせたところ、何とか大学名は覚えてくれた。だが、叔母に頼まれたLINEの使い方だけはどうにも覚えさせることができない。記憶には短期記憶と長期記憶とがあるという。人は短期記憶力から失い、やがて痴呆症が進めば長期記憶も失われる。子供の顔もわからなくなった時、果たして自分は両親に対してどう思うのだろうか。

 伯父伯母と同じ施設には多くの老人たちがいた。ヘルパーさんの導きですごろくをやっていたが、その様子は幼児と変わらない。体は歳を取っても精神は歳を取らない。シニアのラグビーをやっていても、気持ちは二十代と変わらない(だから危ないとも思う)。だとすれば、ヨボヨボになって施設に入ってもヘルパーさんの指導ですごろくをやろうと言われても、とても自分にはできそうもない。努力して防げるものであればいくらでも努力はしようと思うが、これから20年くらいで医学はもっと進歩するのだろうか。たとえ体は動かなくなったとしても、頭の中はずっと自分自身でいたいと改めて思う。

 あと何回母を温泉に連れて行けるだろうか。そう考えると、半年に一度ではなく、もっと短くてもいいと思うが、それにはいろいろと課題はある。せめて週末の実家通いは優先して続けようと思うのである・・・

Sabine van ErpによるPixabayからの画像


【本日の読書】
モサド・ファイル2: イスラエル最強の女スパイたち - マイケル・バー=ゾウハー, ニシム・ミシャル, 上野 元美 川のほとりに立つ者は - 寺地はるな






2024年5月15日水曜日

論語雑感 述而篇第七(その36)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、君子坦蕩蕩。小人長戚戚。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、君(くん)子(し)は坦(たん)として蕩蕩(とうとう)たり。小(しょう)人(じん)は長(とこ)しなえに戚戚(せきせき)たり。
【訳】
先師がいわれた。
「君子は気持がいつも平和でのびのびとしている。小人はいつもびくびくして何かにおびえている」
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 「のびのびしている」のか「びくびくしている」のかは微妙なところであるが、ふと思いついたのは、上司としての怒る姿勢である。そこに「ゆとり」を感じるかどうか、感じさせるかどうかはその上司の持つ力量のように思う。怒られる立場に立った時、その違いはかなり大きなものがある。問題が生じた時、必要なのはまずその問題の解決である。次に原因究明と再発防止。その問題がなぜ生じたのか、同じ問題が起こらないようにするには何が必要なのか。そして、その原因が人にあるならば、再発防止策の中には本人の意識づけも含まれる。

 かつて勤務していた支店で、後輩から聞いた話である。その時、私は既に転勤してその支店を離れていたが、私の後任の主任がトラブルの処理に苦しんでいるという話であった。本来であれば、ただちに上司に報告して対応策の指示を仰ぐところであるが、その上司はただ怒るだけで、「俺は知らん」とそっぽを向いてしまうのだとか。さらにネチネチと小言を言われ続けるので、精神的な負担と時間をロスすることに対する気後れから上司に報告できないのだと言う。

 私はそういう上司にあたった事はないが、「困った、困った」と言うだけで、なかなか結論を下してくれない人はいた。一方、やたら厳しかったが、トラブル時には速やかに解決に動き、あとでがっつり怒るタイプもいた。どういうタイプが印象に残っているかと言うと、とある支店長に「そういう考え方だと困る」と静かに怒られた事だろうか。普段から穏やかな支店長であったが、私の取った行動について声を荒げるでもなく、静かにそう言われたのである。静かゆえにインパクトが大きく、今でも記憶に残っている。

 部下がミスをして頭に血が上る時、それをどう表すかはその人の人間性なのだろう。順番的にはまず問題の解決であり、怒るのは問題が解決したあと(せめて対応策が決まったあと)だろう。それをさておき、「俺は知らん」などというのは上司として無責任。怒るにしても、大事なのは本人の反省であり、反発を招くような怒り方は効果がない。面白くない気持ちを爆発させるのは、上司の精神にとってはいいかもしれないが、組織としては何も得るものはない。

 仕事である以上、問題に際してどういう怒り方をするか、は重要であろう。その上司が人格者(=君子)なのかどうかは、その怒り方に表れるように思う。報告すれば問題が解決するどころか、ネチネチ小言を言われるだけで時間を浪費して問題解決にならないとなればよけいに報告できなくなる。問題が起きているのに報告が上がってこないというのは、それだけで問題である。上司としては、その状態こそ恐れるべきではないかと思う。

 今は、パワハラという言葉が浸透し、世の中の上司は怒りにくくなっているだろう。だから「怒らない」のではなく、「効果的な怒り方」を工夫しなければならないと思う。「怒る=怒鳴る」ではない。私を叱った支店長のように、静かな物言いの中にも迫力があれば響くのである。怒鳴られても心に響くどころか、人によっては心に蓋をして嵐が通り過ぎるのをただ我慢して待つという方向に動くだろう。

 上司であれば怒るのも時として仕事になる。そして仕事であればその効果を考えないといけない。効果とは本人の反省であり、それも二度と起こさないように自ら考える反省である。さらに上司として日頃のリスク管理が大事であり、それは問題が起こったらただちに報告が上がる体制作りである。問題は早くわかれば早い方がいい。傷口が広がらないうちであれば解決の手間も少なくて済んだりする。そしてそれは、ただ「問題が発生したらすぐに報告しろ」というだけではなく、報告しやすい環境も作らないといけない。

 今は私も上司として部下の仕事の管理をする立場である。何かミスがあっても、まず指示するのはその解決方法であり、それも自ら動くようにしている。もし指導が必要であれば、問題解決の目途がついた段階で、こっそり呼び出してしっかり教え諭すだろう(幸い、今の会社にきてそのような事態はない)。怒鳴らなくても、人は筋の通った意見ならしっかりと聞いてくれるだろう。怒鳴るのも性に合わないし、そういうやり方をしようと思う。

 君子であるかどうかは別として、怒鳴るだけの上司はやはり器の小ささを感じてしまう。器が小さいゆえに、部下のミスに際してドンと構えられない。キーキーと反応してしまうのであろう。器の小さい上司に仕えるのは、仕える方も辛いものである。そういう事がわかってきた今、器の小さい「小人上司」にならないように心掛けたいと思うのである・・・


【本日の読書】

夫婦の壁(小学館新書) - 黒川伊保子  安倍晋三 回顧録 - 安倍晋三, 橋本五郎, 尾山宏, 北村滋




2024年5月12日日曜日

ルールの背景にあるものを意識しよう

 先日の事、我が社で残業時間に関する報告ルールをひとつ決めた。我が社も労使間で三六協定を締結していて、月間の残業時間の上限は45時間としている。我が社では、中間管理職たる課長さんがこれを管理している。しかし、すべて課長任せにするのも大変なので、部下の方からも警告をあげてもらうようにしたのである。すなわち、「月中で20時間を超えたら課長に報告せよ」と。これによって課長もメリハリのついた管理ができる。課長の管理負担を軽減しようという狙いである。

 しかし、これにあるベテラン社員から意見が入った。曰く、「月中とはいつか。15日か、2週間か、21営業日の月であれば10営業日目か11営業日目か、曖昧だと社員によって解釈が分かれる可能性があり、はっきりさせてほしい」と。もっともな意見であるが、意見を寄せてきたのがベテラン社員だったのがちょっと残念でもあった。ルールは守らねばならないのは当然であるが、ルールについては「その背景にある意図」にも目を向けて欲しいのである。そしてベテランであれば、当然ルールの「てにおは」ではなく、意図を汲んで欲しかったと思うのである。

 なぜ、「月中で20時間」なのか。当然、倍にすれば40時間である。すなわち、月の真ん中で20時間を超えていれば、最終的に45時間を超える可能性が高くなる。なので、早めにその情報をキャッチしておこうというものである。重要なのは「月45時間を超えそうか否か」である。であれば、「月中」が15日であろうと10営業日であろうとどうでもいいわけである。私のように何でもスマホの「リマインダー」で管理している人なら、15日とでもしておけばいいわけである。こだわるところではない。

 逆にそういう意図がわかっていれば、月初であっても「今月はヤバそうです」と早めに相談すればいいわけだし、月中で30時間超えていても、「今月はもうピークを越したの心配ない」とプラスαの報告ができる。こうなるともう「デキる部下」である。「曖昧なルールで縛られたらかなわない」という思いがあるのかもしれないが、こだわるところがずれている。社員の中でもレベルには差があるが、将来管理職になるような社員は、得てして「一段上の視点」でものを見ることができる。ルールであれば、その「背景にある意図」を察することができると思うのである。

 私はけっこう昔から「ルールの背景にある意図」を割とよく理解してきたと思う。銀行時代は、新たなルールが制定されると、「何か事務事故でもあったかな」とよく考えた。「そういうルールを制定したのは何故か」と考えると、だいたいどこかの支店で事務事故があって、その再発防止策なのだろうと推察できたからである。もちろん、それをそのまま疑問にも思わず、「自分は従うだけだから」と受け入れる人も多かったが、「背景にある意図」を想像する想像力はいろいろなところで役だったと思う。

 なぜ車に乗ったらシートベルトをしなければならないのか、なぜ自転車に乗る時までヘルメットを被れというのか、ちょっと考えれば簡単に想像のつくルールもあればそうでないものもある。後部座席にまでシートベルトをするなんて面倒この上ない。しかし、その背景を理解すれば、「タクシーでちょっと移動するくらいなら省略しても、高速道路を走るのであればした方がいいかな」とか、自分である程度考えることにもつながる(もちろん、「すべて着用する」のが正解なのはよくわかっている)。

 こうしたルールを目にした時、その背景に目が行くかあるいは「てにおは」に目が行くかは、その人が日頃どんな思考をしているかを知る目安になるように思う。「てにおは」に目が行くという事は、ルールを厳格に守ろうという気持ちはあるのかもしれないが、逆に表面上の文字に囚われて本質を外す可能性がある。先の例であれば、「15日に残業時間の合計が19.5時間だったから報告不要」と考えて報告せず、結果的にその後残業時間が加速して増え45時間を超過した場合、その課長は不意を打たれる可能性がある。

 もちろん、課長は課長で管理職としてそんな報告がなくてもしっかりと管理しなければならない。しかし、管理職にとって「できる部下とは」と考えると、それは圧倒的に「手間のかからない部下」である事は間違いない。「あいつは何かあれば必ず報告してくる」という信頼感が厚ければその部下に管理の意識を向ける必要もない。不意打ちで45時間超えて慌てさせてくれる部下が「できる部下」であろうはずがない。「何をやるかわらかないから眼が離せない厄介な部下」なのか「できる部下」になるのかはその人自身の心掛け、意識次第である。

 ベテラン社員には、「意図をよく考えて表面的に従わないでくれ」と釘を刺した。ベテランであるからそのあたりはよく理解して欲しいところであるが、我が社の社員ももう少し啓蒙していく必要があるなと感じさせられたエピソードである。根気強く啓蒙活動をやろうと思うのである・・・

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【本日の読書】
夫婦の壁(小学館新書) - 黒川伊保子  安倍晋三 回顧録 - 安倍晋三, 橋本五郎, 尾山宏, 北村滋






2024年5月9日木曜日

経営マインド

 最近、会社では社長が「経営マインド」という言葉を意識して使用している。要するに「経営感覚を持て」という事なのであるが、そう言うという事は、「そういう状況」という事である。取締役から成る経営陣であるなら当然持っていて然るべきものであるが、悲しいかな、我が社ではどうも怪しい人がいる。これに対するのが、「サラリーマンマインド」であろうが、これならたくさんいる。というかほとんどの社員はそうだろうと思う。何が違うのかと言うと、1つにはその姿勢がある。「自分が会社を動かす意識」とでもいうのだろうか。サラリーマンマインドの人にはこの意識は希薄である。

 サラリーマンマインドの特徴とでも言えるのが、「我が物意識」かもしれない。例えば自分の家の中にゴミが落ちていたら、拾ってゴミ箱に捨てるだろう。しかし、会社では知らん顔する。自分の持ち物なら丁寧に扱うが、会社の物であれば粗雑な扱いになる。よく営業車があちこちぶつけて傷がついているのを見かけるが、自分の車ならもっと慎重に運転するのではないかと思う事がしばしばである。会社が儲かろうと損しようと、自分の給料がきちんと出るなら問題はないと考える。「我が物」でないから、極端な話どうでもいいとなる。

 当然ながら、会社は利益が出ないと社員の給料は払えない。しかしながら社員にはそこまでの意識は薄い。与えられた仕事をきちんとこなせば、給料がもらえるのは当然である。若いうちならともかく、役職が上がればそういうサラリーマンマインドでは困ってしまう。会社は社長だけがシャカリキになってもうまくいくものではない。1人1人の社員の奮闘が大事だが、1人でも多くの社員がサラリーマンマインドではなく、経営マインドをもって仕事にあたってくれれば、これに勝るものはない。きっと収益性の高い組織になるだろう。

 取引先との間で、新たなプロジェクトの打診があったが、現場の課長が「目一杯」と言って断ってしまった。経営陣は何とかして増収の道を探っている中で、それはないだろうと思わざるを得ない。その課長は確かに目一杯だったのかもしれない。だが、私がその課長であれば上司に相談して「こういう話があるから対応してくれ」と言うだろう。会社ベースで考えたら、「自分はできないけど、会社としてやるべきなので他の人に対応してもらってほしい」という発想に繋がるだろう。

 我が社は全社員に経営計画を提示して、「これを目指す」と宣言している。それがなくても、会社は収益を向上させなければならないものだし、管理職ぐらいであればそういう意識を持ってほしいものである。「自分」目線であれば、「忙しいし、面倒だし、何も自分がやらなくても、給料が上がるわけでもないし」となるだろうが、「会社」目線なら「やるべき」となって動くだろう。若手なら仕方がないが、ベテランの課長がそうだと愕然としてしまう。我が社はまだまだ課長レベルでの意識レベルが低いと言わざるを得ない。経営マインドとは程遠い。

 そんな経営マインドをどうしたら養えるのだろうか。リクルートなどはたぶん組織の末端まで浸透しているのだろうと思うが、我が社では管理職でさえこの有様である。怒っても身につくものではなく、意識を変えてもらう方法を懸命に探るしかない。もちろん、意識が高く、経営マインドの身についた課長もいるので、そこは救いである。個人個人の力量に任せていてはこの有様は変えられない。根気強く、まずは課長から教育していくしかない。そもそも、職人の世界は「いい仕事をしていればいい」という意識で終わりがちである。そこにまずは「収益マインド」を植え付けていくしかない。

 そこで始めは「我が物意識」だろうと思う。給料は「仕事をしていればもらえるもの」ではなく、「みずから成果を挙げて稼ぐもの」でなくてはならない。自分のチームの仕事が果たして採算が取れているのか、数字で把握、報告させて行くのが1つ。それぞれ数値目標をもっているので、その達成について問うていく(ただし、「詰める」のではない)。管理職レベルになれば、「自分の部下は自分が食わせる」という意識ぐらいはもって欲しいところである。それには常に採算を意識して稼がなければならない。

 ニデックの永守会長は、「能力の差は5倍、意識の差は100倍」と言っているが、この「意識の差」はとてつもなく大きい。ただ嘆いているだけではなく、少しずつでも働きかけていくしかない。中小企業は大企業と違って優秀な人たちばかりというわけではない。しかし、ダメ人間ばかりでもない。意識改革には時間はかかるが、根気よく伝えていくしかない。仕事は常に趣味ではなく「金を稼ぐ」ためにやっているわけで、採算も考えないといけない。「部下の給料を上げるのは自分」という意識を持ってもらいたいと思う。

 社長が1人で奮闘するだけではダメで、私も機会を見つけて語るようにしようと思う。上から目線でなく、本人が気づくように。きっと今までそういうトレーニングを受けてこなかったせいであり、であればこれからトレーニングすれば間に合うのである。新たなチャレンジとして、これからやりたいと思うのである・・・

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【本日の読書】
思い出せない脳 (講談社現代新書) - 澤田誠  安倍晋三 回顧録 - 安倍晋三, 橋本五郎, 尾山宏, 北村滋








2024年5月5日日曜日

民間企業に勤めて

 世間ではGWであるが、と言っても私はどこに出掛けるという事もない。シニアラグビーの練習に行き、実家に行って一泊していろいろと手伝ってきて終わりである。さらになぜか喉の痛みと微熱が出て、結局のところ残りの2日間は家で静養といったところである。特にする事もなく、NetflixやAmazon Prime、Disney+で映画やドラマを観て過ごしている。そんな怠惰な生活ではあるが、やはり気がつけば仕事の事もあれこれと考えている。

 この春から社会人になった娘は、公務員になった。就職について、母親とは何か話をしたのかもしれないが、私にはなんの相談もなかった。娘の人生なのでそれでいいのであるが、公務員は公務員で悪くはないと思う。世間では相変わらず子供に就かせたい職業として公務員は人気のようであるが、私はただ「安泰だから」という安易な理由で公務員になれと言うつもりは毛頭ない。安定した生活を送ってほしいと思う気持ちは世の親と同じであるが、その方法論として「公務員」とは思わないだけである。

 そう言えば、私も小学生くらいの時、母親に「公務員になったら」と言われたことをぼんやり覚えている。その時は、遠い将来の職業について具体的な事を考えることはなく、なんて答えたかも忘れてしまった。結局、親に相談する事もなく銀行に就職したが、その報告をした時、母は「それでいいのか」と心配顔で念を押してきた。当時、都市銀行は16行あり、私が就職した銀行は上から6番目。有名国立大学を出たのに「それでいいのか」という意味だったが、「大丈夫なのか」という心配があったのだろう。

 母の心配は現実になり、私の就職した銀行は金融危機の中で救済合併という形で消滅した。母の心配も意味があったと言える。その後、紆余曲折して今は中小企業の役員という身分を勝ち得ている。残念ながら出世はできなかったので、銀行に残っていても50代前半で退職金をもらって関連会社か取引先に転籍して(給料は半減する)、さらに60歳定年でさらに給料は下がっていただろう。それに対し、今は役員だから定年はないし、収入的には銀行員時代の9割くらいは維持できているし、まぁうまくいっていると思う。

 就職してからも一度だけ「公務員になれば良かったんじゃないか」と言われたことがある。4店目の店舗の時、当時の支店長にそう言われたのである。たぶん、私の考え方が公務員的だったのだろうと思う。民間企業は良くも悪しくも稼がなければならない。「すべてのお客さんに公平なサービスを」という公務員的な発想と、「お金をたくさん払ってくれるお客さんを優遇する」という民間企業の発想が相入れなかったのである。「公務員になれば良かった」という当時の支店長の発言もよく理解できる。

 民間企業は稼がなければならない。今の会社でも3カ年計画を立てて、収益マインドの向上に努めているが、現場のエンジニア上がりにはなかなか浸透しない。「いい仕事をしてさえいればいい」という発想が、経営層に入っても抜けきらない。「成長しなければ社員の給料も上げられない」と訴えるが、足元の仕事を真面目にこなしていれば、収入も増えて給料も増えるという意識が染み付いているのかもしれない。あまり言い過ぎたせいか、「売上第一主義」と勘違いされ、「社員が疲弊して、ついてこれない奴は切り捨ててもいい」という言い出す役員も出てきてしまった。

 会社が成長しなければならない訳は、単純に言えば「売上が同じだったら給料も同じ」という理屈である。給料を増やしたいなら売上を上げて成長しないといけない。それは社員をハッピーにするためであり、疲弊させてしまったら本末転倒である。そんな事もわからないのかと愕然とするが、それが中小企業の意識レベルなのかもしれない。民間企業は公務員と違って「必要な仕事だけしていれば良い」というわけにはいかない。そこに「いくら儲かるか」という視点が絶対に必要である。もちろん、「給料も少なくて良いし、上がらなくてもいい」という人がいれば別であるが・・・

 これからの会社の未来に関しては漠然とした不安がある。「このままでいいのだろうか」という不安である。生き残っていくためには世の中の変化に合わせて変化していかないといけない。それができるだろうかという不安である。民間企業はそこが最大の欠点である。大企業であれば(比較的)安泰だろうが、定年という問題がある。雇用延長と言っても、給料は半減するのが普通だろうし、これに関しては個人個人で克服していかないといけない。

 私の場合は、会社が安定して存続できれば問題はない。目標の70歳まで今の給料を維持できる。問題は「いかに会社を安定して存続させられるか」である。100人の社員もいるし、それは自分だけのことではない。あれこれ考えても妙案が浮かぶわけでもないが、役員会で議論してみてもいいアイデアがいくつか浮かんだ。さっそく議論してみようと思う。公務員になったとしたらどんな人生を送っていただろうか。いずれ引退した時に、やはり民間に行って良かったと思えるように、これからの残り時間で奮闘していきたいと思うのである・・・

Nattanan KanchanapratによるPixabayからの画像

【今週の読書】
「変化を嫌う人」を動かす:魅力的な提案が受け入れられない4つの理由 - ロレン・ノードグレン, デイヴィッド・ションタル, 船木 謙一(監修), 川﨑 千歳 安倍晋三 回顧録 - 安倍晋三, 橋本五郎, 尾山宏, 北村滋





2024年5月1日水曜日

論語雑感 述而篇第七(その35)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、奢則不孫、儉則固。與其不孫也、寧固。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、奢(おご)れば則(すなわ)ち不(ふ)孫(そん)、倹(けん)なれば則(すなわ)ち固(こ)なり。其(そ)の不(ふ)孫(そん)ならんよりは、寧(むし)ろ固(こ)なれ。
【訳】
先師がいわれた。
「ぜいたくな人は不遜になりがちだし、倹約な人は窮屈になりがちだが、どちらを選ぶかというと、不遜であるよりは、まだしも窮屈な方がいい」
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ここでは、簡単に言えば金持ちと貧乏人とを対比しているのだろう。金持ちが不遜になるのは何となくイメージできる。金があればたいていのものは買えるし、たいていの事はできる。ホテルに泊まるにしてもスイートルームに平気で泊まれる。豪邸に住んで高級車を乗り回し、高いスーツに身を包み、高級腕時計をはめる。男の場合はステイタスで判断するところがある。相手がどこに努めているのか、どういう肩書なのか、いくら稼いでいるのか、そうしたところで相手との対比で判断する。当然「上から目線」にもなるだろう。   

 逆に金がなければ、どうしてもチマチマしてしまう。飲みに行っても財布の中身を思い浮かべてメニューを選ぶし、割り勘は当然だとしても、相手の頼むものの値段も気になる。そもそも飲みに行くのもためらえば付き合いも悪くなる。金を持っている人に対しては卑屈になりがちである。出張に行っても経費が定額であれば、なるべく安いホテルに泊まって差額をポケットに入れようとする。使えるお金の範囲が行動・思考範囲となってくるから、どうしても人間が小さく狭くなる。

 男が互いに相手のステイタスを意識するのはなぜだろうか。そういう事に関してはまったく推測するしかないが、孔雀のオスが派手な羽を広げるのはメスへのアピールだそうで、それは鶏の鶏冠であったり、昆虫がメスに餌を持って行くのと同じで、生物としてのメスへのPR行動なのかもしれない。「デカさ」にこだわるのもそういう一連の意識の一環なのかもしれない。持って生まれた「デカさ」は変えようがないが、ステイタスは何とかなる。そこで達成感を得られれば、「俺はエライ」と思うのも道理である。

 実際、車を例に取ると、私は車にはほとんど興味がない。どんな車だろうと「動けばいい」と思うクチである。社会人2年目に初めて買った車は日産マーチであったが、その車を選んだ理由は、「13万円」という車体価格である(自賠責を取られて合計で40万円くらいになったのは誤算だった)。銀行の同僚にはローンを組んで300万円もする車を新車で買う者もいたが、興味のない身にはうらやましくもなんともなかった。しかし、金を手にするとフェラーリに走る人がやはりいる。

 金持ちがフェラーリを買うのは、やっぱりステイタスなのではないかと思う。車は運転する者には車体は見えない。故障率では日本車の方が圧倒的に低いだろうし、乗り心地が特別にいいわけでもない。はっきり言って「見栄」以外のものがあるのだろうかと思うが、「赤いフェラーリに乗っている」という意識が、たまらないくらいの快感なのかもしれない。我が家の目の前の豪邸の以前の主は、やはり赤いフェラーリに乗っていた。我が家は赤いプレマシーだったが、我が家のあとに赤いフェラーリを買ったのを指し、近所の子が「(我が家の)真似したんだね!」と大きな声で言うので、慌ててたしなめた事があった。私も卑屈だったのかもしれない。
 
 そんな金持ちの不遜よりも、孔子は貧乏人の卑屈がいいとする(本当のニュアンスは違うのかもしれない)。私もかつてお金に苦しんだことがある。株式投資で失敗し、家族には言えない借金を抱え込んでしまったのである。自分の自由になるお金の中では返しきれる額ではなく、数年苦しんだのである。その時は、小銭を数えながらの生活であり、私としては卑屈にならざるを得なかった。それは精神的にもきつい生活であり、爪に火をともして困難な時期を乗り切った。もう二度とご免であり、あの思いをするなら不遜になる方がマシである。

 そもそも不遜になるかと問われれば、自分は大丈夫なような気もする。何より困難な時期を体験しているだけに、倹約精神は忘れないだろうし、贅沢をしても人に嫌悪感を催すような事は控えるだろう。捨てるほどの金を手にしたら、公益財団でも設立して世のため人のためにお金を使うだろう。これは間違いなく断言できるが、一生証明できる機会がなさそうなのが残念である。むしろ、そういう高尚な意識を持っている人ほど捨てるほどのお金を手にする機会はないのかもしれない。

 困難な時期にあっても、心の中はともかくとして、外見は平静を装っていたので、誰にもその事実を知られることはなかったと思う。現代の「武士は食わねど高楊枝」を地で行っていたと思う。こう考えてくると、自分の場合は不遜にも窮屈にもなりそうもない。「ええかっこしい」の自分としては、ここでも「ええかっこしい」なのだと思うのである・・・

AllangeによるPixabayからの画像
【本日の読書】
「変化を嫌う人」を動かす:魅力的な提案が受け入れられない4つの理由 - ロレン・ノードグレン, デイヴィッド・ションタル, 船木 謙一(監修), 川﨑 千歳