また一年が終わりゆく日となった。今年一年はどうだっただろうかと振り返ってみる。
仕事は順調である。転職して入社し、経営改善を提案して実行し、一年目に僅かながら経常黒字を達成した。二年目の今年も、あまり大きくはないが増収増益の着地見込みであり、まずまずと言えるだろう。問題は三年目であるが、一つ波を越せばまた次の波がやってくるもの。そう考えて前向きにチャレンジするのみである。
趣味の映画は、今夜観るものを入れると169本であった。週末の2日間プラスαであるが、例年通りのペースであった。このうち映画館で鑑賞したのは2本。本来ならすべてとはいかなくとも、映画館で観る本数を増やしたいところであるが、ツタヤディスカスで送られてくる月8本をこなしていると、正直あまりゆとりがない。だが、「これぞ」と思うものは、なるべく映画館に行くようにしたいと思う。
通勤時間の読書は130冊であり、年間としては過去最高である。長い通勤時間を逆手に取って、「読書タイム」としているが、この影響が大きい。最近は読んでも内容をすぐに忘れてしまうが、読書メモ代わりにブログにしているので、この時の振り返りと、後日に見直すことで割と思い出せるようにはしている。これはしっかりと続けていきたいと思う。
今年大きな変化といえば、やはりボランティアで続けてきたことを辞めたことだろう。トップとの意見の相違から「休養」を勧められたのである。表向きは「休養」であるが、もう復帰はしないと決めてあるので、事実上辞めたのと同じである。組織の運営は、自分が携わるようになってほとんどすべてを変えて、作り上げてきたという自負がある。それでも「いなくても平気」と思われたなら、それはそれで「存在感」の問題である。無理に居座るつもりはない。
その昔、銀行に入って初めて仕えた上司は、「俺がいないと仕事が回らない」と豪語していた。それはそれでその通りであったと思うが、一方で自分ですべて抱え込んでいたとも言える。自分は逆に周りにどんどん移譲し、「自分がいなくとも回る」形にするというのが信条である。ボランティアの運営もまさにそうなのであるが、それが逆の意味で機能したのは、皮肉であろうか。だが、形は真似できても、深く理解していないと上手くいかないこともある。そのあたりが後任者の試練であろうと思う。
ボランティアを辞めて余った時間をどうするか、はまだ模索中である。今年は宅地建物取引士の受験勉強があったので、それに当てたという部分もあるが、その甲斐あって合格した。来年はマンション管理士の資格にチャレンジするので、それに当てるという考え方もあるが、それはそれで別のことも模索し続けようと思う。大学の同期がやっているタッチラグビーなんかもいいかもしれない。
大掃除も終わり、年賀状も仕上げ、今年もすき焼きと紅白とで年を越すことになる。抱えている家族の問題は、改善の兆しは見えない。「禍福は糾える縄の如し」というが、ここが自分の「禍」であると言える。来年もめげずに改善努力は続けようと思う。高校生の娘とのコミュニケーションは維持したいし、来年小学校6年になる息子ともいろいろな話をしていきたい。年々老いつつある両親との距離ももっと縮めたい。
新たな年に向けていろいろと思うこともあるが、大きな飛躍は期待できないかもしれない。ただ、例えそうだとしても、365日過ごした上で小さくともステップアップはしていたいと思う。1日1ミリでも進んでいこうと改めて思うのである・・・