2013年4月29日月曜日

浜松餃子ツアー

2年前は宇都宮。
昨年は月島もんじゃ。
我が家の
GW恒例となりつつあるグルメツアーであるが、今年は浜松餃子ツアーに決定。「やっぱり東の宇都宮を制したあとは西の浜松じゃない?」との我が家のグルメ族の意見に従った次第である。

 まあ新東名高速も一度利用してみたかったし、ちょっと遠いけどGWだし、ドライブを兼ねていいだろうと家族の意見も一致。その新東名であるが、渋滞は御殿場で解消したため、スイスイと快適なドライブ。道路がゆったりと作ってあるのだろうか、スピードを出している感覚がまるでなく、我が家の警報機である妻も珍しくスピードに何も言わない。それどころか、自ら110キロ以上出して運転していても平気な顔をしていたくらいだから、何か工夫がされているのかもしれない。

 現地に到着したのは昼過ぎ。渋滞でスケジュールが少し狂ってしまった。事前にグルメランキングをいくつかチェックして、全部で4店を回る。最初に訪れたのは“石松”。されど1時間半待ちという状況で、時間も惜しく、断念して“豚猿”へ向かう。


 「初代G1を制した店」という触れ込みであったが、残念ながらどうもパンチ力が弱い。おいしい事はおいしいのである。だけど、こちらはわざわざ東京からその為だけに来ているわけで、宇都宮レベルと比べてしまうと弱い。その昔は食べ物にあれこれ言わず何でも黙って食べていた私であるが、妻と結婚して以来舌が肥えたようで、こういう味感覚もいつのまにかついていると自覚。

 続いて“福みつ”へ移動。待つ事約40分。ここは皮が特徴的。さらに“むつぎく”。ここは小ぶりで、野菜中心。だんだんとレベルが上がっていく感じ。そして最後に訪れたのが、昼間断念した“石松”

 あちこちのグルメ大会を制している有名店だそうで、お待ちも半端ではない。最後だから腰を据えて待つ事1時間半。その甲斐あってか、ここが一番おいしかった。少し甘みがあって、「皮と中身とのバランスが一番良い」(我が家のグルメ大臣評)。宇都宮の名店に対抗しうるレベルだった。


 難を言えば、店舗運営だろうか。メニューが餃子だけの割には待ち時間が長すぎる。外の駐車場も3ヵ所の連絡がうまくできていないようだし、妻の観察によれば案内の手際も悪かったようである。まぁそれでも駐車場の誘導員をしていたおじいさんは、気の良い田舎のおじいさんという感じで悪い気はしなかったが、少しアドバイスをしたいところだった。

 東京でおいしい餃子というと王将くらいしか知らないし、それから比べると4店それぞれ個性があって良かったが、最後の石松はともかく、やっぱり「餃子は宇都宮」というのが我が家の結論。2年前の宇都宮では早々にギブアップした長男も、今回は最後までしっかり食べていた。家族4人で食べた餃子の総数は144個だった。

 さて、早くも「来年はどうしよう」という声が上がる。東名高速の途中で目にしたのは「富士宮」。まずは「富士宮焼きそばツアー」が候補に上がった。まあ来年までゆっくり議論をしていく事になるだろう。その前に、今年はもう少し走ってシェイプ・アップしようと思うのである・・・
   

 

 

2013年4月25日木曜日

アジアの友

 安倍晋三首相は24日午後の参院予算委員会で、中国や韓国が麻生太郎副総理ら閣僚の靖国参拝に反発していることに関し、「国のために尊い命を落とした英霊に対し、尊崇の念を表するのは当たり前だ」と強調した上で、「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している」と述べた。今後も閣僚の靖国参拝を容認する考えを示唆した発言で、中韓両国が一段と反発する可能性がある。~略~
 麻生副総理も「世界中で祖国のために尊い命を投げ出した人たちに、政府が最高の栄誉で敬することを禁じている国はない」と主張。古屋圭司国家公安委員長は「国会議員として、国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは当然だ」と述べた。

(毎日新聞)
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 いや実にはっきりとしたモノ言いで痛快である。もともと安倍さんは、この手の発言を繰り返していたようだが、政権に返り咲いて、しかも高い支持率をバックによけい強気になっているのかもしれない。言っている事はまさに正論であって、一分の異論もないところである。問題は中韓に対する影響だろう。

 だが個人的にはそれを踏まえた上でも、堂々と主張すべきだと最近は思う。以前は相手と付き合う以上、相手の嫌がる事は避けるべきではないかと考えていた。だから意見は意見として、それを言うか言わぬかは別と考えていた。相手への配慮も必要だと思うからである。だが、最近はそう思わなくなってきた。


 一つは文化の違い。中韓とも強烈な「自己主張の文化」の国。一方日本は「謙譲の文化」。相手の事を慮って譲るのを美徳としている文化と、とにかく自分の意見を強烈に主張して欲しい物を獲得しようとする文化は、水と油。自分達のモノサシで相手を測るのは、正しくない。

 互いに自己主張をぶつけ合っている文化圏の人々だ。こちらが自己主張をぶつけたって怯まない逞しさは備えているだろう。それにいじめっ子が虐めるのは、相手が反撃しないからに他ならない。抵抗しないとわかっているから、嵩にかかって攻めるのである。そんな反撃は、100年前なら戦争になっていただろうが、現代ではその心配はない。恐れずに一度トコトン主張してみるべきだと思う。

 それにしても侵略の歴史は如何ともしがたいものがある。我が国にとっては、侵略もやむなきものであったとしても、相手にとってはそうではない。諸悪の根源は、帝国主義を振りかざして世界中を支配しようとした欧米列強なのであるが、我が国は最後にババを引いてしまった不運がある。中韓の人たちは、その恨みを欧米列強にはぶつけられず、大人しい我が国にぶつけてきているのである。我々にとってこの侵略問題は、キリスト教で言う原罪なのだと思う。

 しかし、ではずっとこの先も耐えていかなければならないのだろうかと思うと、それもどうかと思う。真っ向から自己主張して喧嘩をすべしとは思うものの、それもしんどいところがある。ではどうすべきか。答えは「他のアジアの国々と仲良くする」だと思う。

 何も自分を憎む相手と無理に仲良くしなくてもいいだろう。最低限度の付き合いだけ保って、あとは目を南に向けるのだ。目を地図の下に向ければ、何より親日国の台湾がある。震災の時に一番多くの援助を寄せてくれた国だ。同じ日本支配下にあってもなお、親日でいてくれる。それにタイもあるし、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポールと多くの国々がある。反日的な国はない。

 先の大戦では、日本が欧米列強を追い払い独立のきっかけを作ってくれたと認めてくれている。こういう国々ともっと親しくなるべきだ。最近、台湾映画を観る機会が増えて来たが、なかなかどうして面白い。韓流ドラマなんかやめて台湾の映画でもドラマでも観たらいいのだ。アジアの国々の映画やドラマをもっと観たら、さらに理解も進んで良いと思う。引け目を感じながらの付き合いなど、普段の人間関係をみても正常とは言えない。敬意をもって付き合えば、きっとお互い幸せな関係を築けると思うのである。

 それにしても、冒頭のニュースも何かいかがわしいものを感じる。中韓が反発する事がわかっていながら、靖国参拝を大きく報じ、国会答弁を取り上げる。これぞ国賊モノだと思えてならない。他の神社に参拝しても同じように報じるか?靖国神社参拝を報じるのは、「それがニュースになる」からだ。黙っていれば、中韓だって一々監視しているわけではないからわからないだろう。実は喧嘩を「煽っている」のはマスコミなのである。

 この国は政治家を一新する前に、マスコミを掃除するところから始めないとなかなか良い国にはなれないとつくづく思うのである・・・






2013年4月21日日曜日

将来の職業

 平日は家族と食事の時間が合わないが、週末は家族で食卓を囲む。テレビはつけず、みんなで会話するようにしている。と言っても、普段は妻と子供たちの食卓に週末私が加わるといった図式だろうか。ただ私からしてみると、子供たちの近況や考えを知る一つの機会となっている。

 今回は娘の職業観を聞く事となった。将来は薬剤師の資格を取るのだと言う。中学1年になったばかりで、どこから仕入れて来たのか、堅実な目標を掲げるものだと意外に思う。聞けば免許があれば食いっぱぐれないでしょうという返事。どこかでそう教えられたのだろうか。

 父親的には、もっと夢のある理由を語って欲しかったところである。例えば病気を治す手伝いをしたい、とか。研究職みたいなものに興味があるというから、新しい薬の開発をしてみたいとか。「資格があればお金になるんでしょ」という発言からすると、どうやら目的はお金のようである。

 子供らしい、と言うのだろうか言えないのだろうかは微妙なところだが、少々軌道修正が必要なようだと感じる。資格というものは、ただ「その仕事ができる」というものにしか過ぎない。問題はその資格を使って何をするか、だ。お金儲けなのか、人類への奉仕なのか、その目的はともかくとして、「資格を取れば安泰」と考えているなら親として正してやらねばなるまい。

 私も世間の親並みに、子供には安定して穏やかな人生を送ってほしいと思う。ただ、だから公務員になれとか、資格を取れというのは、そのためのアドバイスにはならないだろう。何のためにその仕事をするのか、したいのか。まずは目的意識からだろうか。「就職難の時代だから薬剤師の資格を取っておく」というのは、最終的には悪くはないが、中学1年生の語る理由には相応しくない。

 考えてみれば、ある程度現実を知る親の立場として、どんなアドバイスを送るのかは難しいところだ。例えば自分が卒業を控えた大学生に戻ったら、就職はどうするだろうか。また銀行員になるのだろうかと問われれば、答えはたぶんNoだ。別に嫌な職業だというのではなく、もう25年もやったから今度は別の仕事がしてみたいという単純な興味だ。では何が良いかと言うと、なかなか悩ましい。

 お金という要素も重要だ。やっぱり夢のある仕事をしたいと思うが、生活苦を抱えていては夢もしぼむだろう。「お金で幸せにはなれないが、不幸は追い払う事ができる」とは、私の好きな言葉でもあるが、ある程度の収入は必要だ。薬剤師の資格を取っても、薬局のオーナーか店員かでも収入は違うし、企業に勤めて研究するのもまた違う。娘にはそんな話をした。オーナーでも儲かっている店とそうでない店とでもだいぶ違う。

 目的と手段とをきちんと選択しないといけないだろう。理想的にはきちんとした目的(何がしたいか)があって、そのためにどうする(どんな職業に就く)と考えたいものである。そのためには、薬剤師も悪くはないが、そもそももっと目を広く向けて、いろいろな職業を知る事が大事な気がする。

 自分自身を思い返してみても、中学生の頃は「将来こんな職業に就きたい」なんて希望はあまりなかった気がする。それはそもそも視野が狭くてわからなかったというのが大きい。そこで、『新 13歳のハローワーク』をさっそくアマゾンでオーダーしてみた。今度娘と一緒に見て、いろいろと話をしてみようと思う。

 親でさえ悪戦苦闘中なのだ。あまり偉そうな事は言えない。ただ自分の足できちんと歩いて行ける大人になってもらうためには、歩く練習には真面目に付き合ってあげたいと思うのである・・・


【今週の読書】
影響力の武器[新版] 人を動かす七つの原理 - ロバート・B・チャルディーニ, 社会行動研究会  吾輩は猫である - 夏目 漱石






2013年4月18日木曜日

Amazonが便利

 その昔、長野県の御代田という町に住む従兄弟の家に、毎年春休みと夏休みに遊びに行っていた。かれこれ35年ほど前になるが、当時従兄弟の家の周辺はと言えば、買い物には不便なところだった。何か買おうと思っても、近所にあるのは小さな店が一軒だけ。

 今でもよく覚えているが、その小さな店の戸を開けて中に入ると畳の上に商品が並べてある。とりあえず日用雑貨やお菓子などが、売られているような店だった。もちろん、すべて定価である。それでも他はと言えば、30分ほど歩いて駅まで行かなければいけなかったから、大概はそこで済ませていたようである。

 翻って今は便利な世の中だ。特にネットショッピング。私もよく本を買うが、Amazonでオーダーしておけば、2~3日で家に届く。あちこちで手に入れたポイントをAmazonのギフトカードに交換して使っているから、お金もそんなにかからない。すっかり愛用している。

 私にとって便利な“本屋”だったが、最近遅ればせながら本以外にも品揃えがかなり多岐にわたっているのに気がついた。以前から何となく気付いてはいたが、「本屋に電球を買いに行く」ような違和感があって、あまり意識していなかったのである。
「本はAmazon、その他は楽天市場」
何となくそんな棲み分けをしていた。

 ところが、気がついてみると実にいろいろな品揃え。家電からファッション、なんとスイーツまでジャンルは多岐にわたっている。先週末にラグビーの練習に行き、25年前のジャージはさすがに古臭いので買い変えようと試しに検索したら、「あった」。娘が電子辞書が欲しいと言い出したから、どんなものかと試しに検索したら、「あった」。おじさんにグローブを買ってもらった息子に、軟式ボールを買ってやろうと思って検索したら、やっぱり「あった」。

 ネットショッピングも最初の頃は、直接手に取って見る事ができないから、ファッションなんかは向いていないなんて言われていたが、ジャージなんかはどんなものか大体わかるし、値段もそんなに高くないから「えいや!」で買っても後悔はしないだろう。電子辞書に至っては、「Amazon限定モデル」なんてのもあるから、下手に家電量販店に行くよりいいかもしれない。まぁさすがにボール1個なんてのは向いていないかもしれないが、モノと値段の参考にはなる。

 いつも行っていた1階の本屋だが、気がついたら2階から上は百貨店だったという感じである。これだと楽天もうかうかしていられないのではないだろうか。これからは、否が応でも両者を比較してから買う事になるだろう。同じものなら価格勝負になるが、やっぱりそう大して変わりない。

 するとポイントなどの付帯サービスになるが、この点では楽天カードのある楽天の方がちょっとお得感がある。買い物やアンケートで溜まったポイントが使えるから、若干有利だ。だが、先の電子辞書のように「限定商品」などがあると、Amazonも負けていない。モノによってあれこれと比較検討する事になるのだろう。

 それにしても、最近ではおもちゃを始めとして、家電以外でも“リアル店舗”では家電量販店が便利な事この上ない。ネットではAmazonか楽天か。欲しいものはまず“検索”。それから、「どこで買おうかな」だろうか。

 息子の軟式ボールは取りあえず近所の高田スポーツに見に行った。狭い店内に入ると、店主ご夫婦が揃ってお出迎え。他に客はいない。笑顔で要件を聞かれ、野球のボールと答えると、サイズの説明をしてくれた上で真新しいボールを箱から出してくれた。「400円です」と言われ、瞬間的に「高いな」と思ったものの、断れる状況にはなく1個買って帰ってきた。

まぁこういう商売も、まだまだあって良いと思うのである・・・


【本日の読書】

影響力の武器[新版] 人を動かす七つの原理 - ロバート・B・チャルディーニ, 社会行動研究会  吾輩は猫である - 夏目 漱石





2013年4月14日日曜日

やっぱり走ろうと思う

 我が母校の大学ラグビー部にはシニアチームがある。現役を引退したが、まだボールを持って走りたい人たちが集まって、月に一回練習しているのである。

 以前から声をかけられ誘われていたのであるが、まだ子供も小さいから遊んであげないといけないだろうとか、高校の財団関係のボランティアをやっているからそんなに時間を割けないとか、あれこれ考えて見送っていたのである。

 しかし、やっぱり体を動かしたいという気持ちはあるし、それが12階のオフィスまで階段を上がる事とか、流行りのウォーキングだとかよりも、やっぱりボールを持って走るのがいいだろうと、とうとう重い腰を上げた次第である。

 仕事から帰ると、腕立て伏せ・スクワット・腹筋のメニューをこなすのを日課としていたから、何となく基礎的な運動はできていると思っていたので、事前にトレーニングをしようなどとは思いもしなかった。

 そして当日、春めいた心地良い陽気の中、国立にある母校のグラウンドへと向かう。我が街から国立までのルートは、かつて通勤経路でもあった道のり。西武池袋線の秋津駅からJR新秋津間は少し離れていて、乗り換えには3分程度歩かないといけない。知らないうちに飲食店や本屋などの店舗がたくさんできていた。考えてみると、このルートを通る事さえ10年振りくらいかもしれない。

 JR国立駅も大きく様変わりしていた。5年ほど前にOBの寄付で出来あがった人工芝グラウンドを初めて目にする。懐かしい部室は、ロッカーのレイアウトが変わったままで、ほぼそのまま。自分の名前を書き込んだロッカーもどこかに残っていると思うと、「帰ってきた」感がある。トレーニングルームは立派なものができていた。現役時代にこんなトレーニングルームがあったら、たぶんグラウンド滞在時間が1時間は延びていたように思う。

 さて諸先輩に挨拶を済ませて練習が始る。10分ほどで同期が一人リタイア。彼の運動不足も相当なものだ。軽く走っていたつもりだが、いつの間にか足に違和感を覚える。まだ全力疾走していないのに、だ。心臓の方はそれほどでもなかったが、それはつまりそこまで激しく運動していなかったという事に他ならない。

 何とかリタイアだけは避けたいと、(20も年上の先輩が走っているから尚更だ)最後まで参加したが、それが精一杯。帰りはキャンパス内を散歩でもして帰ろうか、などと考えていたのだが、それどころではない。同期に頼んで駅まで車で送ってもらい、足を引きずりながらやっと帰りついた有り様。家に帰っても、「足が痛い」などと口にしようものなら、「それ見た事か、年甲斐もなく」と妻に罵られるのがわかっていたから、じっと忍の一字。妻の肩こり用のしっぷをこっそりくすねて貼って耐える。

 正直言って運動不足がここまで酷いとは想像もしていなかった。自分の体が自分の思う通りに動かない。いくつになっても元気にグラウンドを走り回りたいとは思わないが、昔は簡単に振り切っていた同期に追いつけないというのもなかなかのショック。これを反省材料にして、少し体を動かそうかという気になっている。

 モチベーションアップのために、まずはジャージを新調しよう。25年前のジャージはさすがに指摘されるまでもなく時代遅れだ。ボールを持ったのは、考えてみれば5年ぶりだったが、その感触は昔のままだった。懐かしい感触を糧に、頑張ってみようか。少し継続すれば、すぐにある程度は戻るだろう。まずは走るところからだろうか。

 一夜明けて筋肉痛は甚だしいが、何だかちょっと心地良い気がするのである・・・

【今週の読書】

現実を視よ - 柳井 正 吾輩は猫である - 夏目 漱石




2013年4月11日木曜日

中学時代

 娘が中学に進学した。小学校は入学式も卒業式も参列したが、さすがに中学は行かなかった。またすぐに卒業となるような気がする。いつの間にかどんどん大きくなっていく感じである。楽しい中学校生活を送ってほしいと思うが、自分の中学時代はどうだっだろうとふと思う。

 品川区立荏原第六中学校に入学したのは昭和52年のことだから、もう36年前という事になる。正直言って、入学当時の事はほとんど覚えていない。ただ、他の小学校から上がってきたツッパリがあれこれといて、暗澹たる気持だったのをほんのりと覚えている。小学校時代もジャイアンみたいな奴がいたが、それがあちこちから集まってきていたのだ。

 当時は私も気が弱く、喧嘩なんて口先だけだったから、からまれない事を願うばかりだった。手先になるのは嫌だったから、大体近寄らないようにしていたと思う。それでも同じ学校、同じ学年の悲しさで、何度も接触をしたが、その都度うまく逃げていた。1度だけ殴られたし、カンパと称して100円巻き上げられた事があったが、その程度で済んだと言えるかもしれない。

 その後高校でラグビーを始めるのだが、体を鍛えて筋肉がついてくると度胸も備わってきて、おまけにぶつかり合いに慣れたせいか、喧嘩度胸もつくようになった。今にして思うと、あの頃今の度胸があったら上を向いて堂々と廊下の真ん中を歩けただろうし、ずっと楽しい中学生生活だったのではないかと思う。中学時代を思い返してみると、あまり明るい気持ちにならないのは、半分くらいはツッパリグループから逃げていたような思い出ばかりだからだろう。

 高校は受験というフィルターを通るせいか、譬えれば澄んだ水のようで、ツッパリグループなどは存在しなかった。高校に入って何より嬉しかった事だ。それに比べると中学はいろいろと混じり合った泥水の中で、それなりの逞しさがないと楽しくは過ごせなかったのだ。

 2年になって、バスケ部に入部した。なぜ1年から入らなかったのか、もう覚えていない。それなりに運動神経も良かったから、すぐにある程度のレベルには達した。ただ1年からやっていたメンバーがいたから、3年になってもレギュラーにはなれなかった。高校に入ってバスケ部に入らなかった理由は、身長が足りないと思った事と、中学でレギュラーになれなかった引け目があったからである。

 バスケ部でも思い出と言えば、試合に途中から出してもらった事と、1年上の先輩から理不尽なシゴキを受けた事だ。練習を休んだという理由で、先生のいない時に休んだメンバーだけで“特訓”を受けさせられたのである。そのあと1週間くらい激しい筋肉痛で苦しんだ事を覚えている。ここでも思い出は、良い悪いが半々だ。

 英語の授業は印象的だった。山口先生という慶応出身の20代後半の若い先生が教えてくれたのだが、英語の発音がネイティブ並みで、日本人でも流暢な英語が喋れるのだと希望を持たせてくれた。海外経験もあって、授業の合間に話してくれるアメリカやアメリカ人の話がとても面白かった。英語が好きになったのは、間違いなく山口先生のおかげだろう。

 だが、3年になると転任してしまった。後任は“じゃぱにーず・いんぐりっしゅ”の中年の先生だったから、その落差たるやナイヤガラの滝レベルだった。こうして振り返ってみると、楽しかった思い出も嫌な思い出も、みんな友達や先生が絡んでくる。学校の思い出は、みんな周りの人たちとの思い出だから当然なのだが、それだけにどんな友達や先生に巡り合うかが、大きな影響を及ぼすことになる。

 娘の通う中学には、どんな人たちがいるのだろう。娘が通うのは、地元の公立中学。雑多な泥水となるわけだが、自分の経験の割には、そういう泥水も成長過程では良いかもしれないと思ってみたりもする。どんな中学校生活になるかわからないが、それでも我が娘だし、泥水の中だけにできるだけ関心を持って見守ってあげたいと思うのである・・・


【本日の読書】

現実を視よ - 柳井 正 吾輩は猫である - 夏目 漱石







2013年4月7日日曜日

我が街

我が街大泉学園に住み始めて、早や17年になる。
その年数はほぼ結婚年数とイコールである。
元々実家は品川区であるが、関西人の妻と結婚するにあたり、どこに住もうかと考えこの地を選んだのである。

元々土地勘があったかと言うと、実はそれほどでもなかった。
当時、銀行のラグビー部に所属していた私は、週末には我が街の沿線にある
グラウンドに通っていた。我が街はその途中にあり、何となく馴染みがあったという程度である。

結婚する事になり、当時住んでいた千葉県は船橋市の独身寮を出る事になったのだが、どこに住もうかとあれこれ考えた。妻は関西人だから、どこだろうとわからない。
まさに私の一存で決められるという状況。
あれはそう何度も味わえるという経験ではないが、楽しいものであったと思う。

実は、最初は隣町の石神井公園にしようと考えていた。
何よりも近くに大きな公園があるから、週末の早朝に散歩したりしたら気持ちいいだろうと思ったのである。予算と睨めっこしながらいくつか物件を見てみたが、気に入った物件に出会えず、不動産屋のお姉さんの提案で一つ先の町にまで足を伸ばしたところ、最初に住んだマンションに行き着いたという次第である。一目惚れと言えば大げさだが、私も妻も一発で気に入ってしまったのである。

以来17年。
当時田舎情緒溢れていた駅舎は、その後劇的に駅ビルへと生まれ変わり、駅周辺の様子は一転してしまった。先見の明があったとも言えるが、個人的にはあの頃のローカル線の雰囲気漂う旧駅舎の方が良かったと今でも思っている。

「いつか住むなら映画館のある街がいい」と思っていたが、我が街には映画館もちゃんとある。たまに深夜のナイトショーを観に行き、ほとんど貸切状態で映画を堪能する事もあるが、車だと5分で帰ってこられる距離である。この深夜のナイトショーは時折楽しんでいるが、贅沢な気分にさせてくれるものである。

そして藤沢周平と松本零士という、小説と漫画の世界で私が好きな作家がともに住む(住んでいた)所でもあり、映画と本と漫画と3つの趣味で愛着を感じる事ができる土地である。
家の近在には畑が点在する。100円を入れて野菜を持って行けるスタンドはあちこちにあるし、いちご農家なんかもある。

川の源流があって、そこは公園となっている。
川には鯉が泳ぎ、カモが親子で水浴びをし、亀が甲羅干しをしている。
子供たちが小さい頃は、よく見せに連れて行ったものである。
そんな自然環境が残りながら、交通の利便性も割合恵まれている。
どこであろうと「住めば都」である事は確かであるが、それにも関わらずこの地は住み心地の良いところだと自負している。

難を言えば、戦後人口が急増した土地で歴史が浅いためだろうか、お祭りのような地域行事があまり盛んでないところだろうか。昭和30年代の航空写真を見た事があるが、我が家を含む周辺は一面の田畑であったようだ。子供たちの通う小学校も開校から50年ちょっとの歴史しかない。実家のある武蔵小山界隈の地域と比べると、人々のつながりは希薄かもしれない。

子供たちが大人になった時にどこに住むかはわからないが、我々夫婦は何事もなければこのままこの地で暮らしていくつもりだ。考えてみれば子供たちにとって、この地は“故郷”だ。
良いところだし、この地を選んで正解だったと思うし、終の棲家としたいと思うのである・・・


【今週の読書】
ここに学校をつくろう! - グレッグ・モーテンソン デヴィッド, 堤 江実 吾輩は猫である - 夏目 漱石