論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
〔 原文 〕
子曰。君子欲訥於言。而敏於行。
〔 読み下し 〕
子曰く、君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す。
【訳】
先師がいわれた。――
「君子は、口は不調法でも行いには敏活でありたいと願うものだ」
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不動産賃貸業をやっていると、夜逃げに遭遇することがある。私自身は業歴5年半ということもあってまだ経験はないが、ベテランの人に聞くとやはりそういう経験はあるそうである。そういう時は、まだ「もぬけのから」であればいいが、荷物を残されると厄介なのだという。それは、荷物それ自体は逃げたとは言え個人の所有物であり、勝手に処分はできない。一定期間保管しておかないといけないのだという。当然、保管コストがかかってくる。
なんと理不尽なと思う。まさに踏んだり蹴ったりとはこのことだろう。だが、本当にそうであろうかと思う。もし、私がそういう現場に遭遇したら、躊躇なく処分するだろうと思う。後から所有者が現れて、「返せ」と言ってきた場合どうするか。返せなければ賠償責任を負うというのが保管しなければならないという理由。しかし、その場合、逆に保管料等を請求すればいいだけの話ではないかと思う(大きな声では言えないが)。
そもそも夜逃げするような人はお金を持っていない。家賃も当然滞納しているはず。そんな人が保管コスト+滞納家賃+遅延損害金+ルームクリーニング費用+修繕費等々を耳を揃えて返せるわけがない。そう考えると、理屈の上では保管しなければならないが、「現実的には」不要という回答が導き出せる。なんでもこの「現実的に」考えるということは大事である。
よくいろいろなアイデアを思いつく人はいるが、大事なのはそのアイデアが「現実的」かということ。会社でも今後の事業展開を巡って議論を交わすことがある。最近ではいろいろな本も出ているし、カタカナの経営用語が飛び交うことも多い。そういう理論を知っていることは大事であるが、それよりも何よりも「それが現実に実行できるかどうか」がもっと大事である。当然ながら、実行できないアイデアなど机上の空論に過ぎない。
アイデアももちろん大事である。経営上の様々な理論に精通していることも邪魔にはならない。しかし、大事なのはそれをどうやって具体化していくのかという「実行プラン」である。「誰が」、「どうやって」やっていくのか。それが具体化できないと、優れたアイデアも絵に描いた餅になってしまう。それはビジネスでも町内会でも仲間内でも同じことである。
孔子はリーダーは実行力が大事と言いたいのだろう。それはそれで同感である。ただ、リーダーには言葉による実行力もまた大事である。言葉によって励まし、鼓舞していくということは、リーダーとしての力量の1つだろう。だから「口が不調法」というのはあまりよろしくない。それは時に、みんなのやる気を奪ったりすることにもつながる。せっかく思い切って提案しても、「やってみれば」と興味なさそうにしていたら提案した者もがっかりするかもしれない。
「黙して語らず」というのは、一昔前の高倉健全盛時代の男の価値観かもしれない。今はチャンネルをひねればどこにでも芸人が出ていて面白おかしく喋りまくっている。それは1つの才能だと思うし、悪くはない。喋れればそれに越したことはないが、うまく喋れなくても「言語化」できれば問題はない。言語化できさえすれば、それで意思は十分に伝わる。「口は不調法」が単にうまく喋れないということであればいいが、言語化できないとなるとそれはやっぱりまずいことになる。
現代のリーダーは、思いを言語化できて、それを実行プランに落とし込めることが何より大事だということになる。ビジネスの現場では特にそうであろう。「君子欲訥於言。而敏於行。」はそのように解釈したいと思うのである・・・
【今週の読書】